序章5 万能聖女、悪魔認定で追放される5
(うわ、何よこれ……なんで文字化け? というか気持ち悪っ)
不可解さよりも気味の悪さが際立ち、得体の知れない怖気を感じて乃詠はふるりと背筋を震わせる。
これがこの世界の文字だという可能性は、歌恋のステータスを見たあとなので真っ先に除外される。
原因は不明だが、やはり乃詠のステータス表示がバグっているのだ。
「な、なんだあの文字は……まったく読み取れないぞ」
「これは、いったいどういうことなんだ……?」
「魔道具の不具合? そんなことがあるのか?」
この場にいるすべての者たちの困惑具合から、これが彼らにとっても想定外の事態であるというのは明らかだった。
「ひぃぃっ……!」
不意に悲鳴が上がる。短く小さなそれは、ざわめきに満ちた中にあっても異様によく響き、この場にいる全員の視線を集める。
悲鳴を上げたのは神官の男だ。彼はぺたりと床に尻をつき、青くなった顔をこれ以上ないほどの恐怖に染め上げていた。
「あ、ああ、あく、悪魔……」
ぽつりと告げられた直後、まるで全員で示し合わせたかのようにピタリとざわめきが止む。
そうして訪れた再びの静寂は、先とは違って触れれば弾けてしまいそうなほどにピンと張りつめたものだった。
神官の発言と合わせれば、嫌でも不穏なものを感じさせる。
「……悪魔、だと? どういうことだ」
先ほどまでの穏やかさが嘘のように険しい顔をしたロレンス皇子が、低く鋭い声音で神官の男へ問う。
心底怯えきった様子の男はしばし口をぱくぱくと開閉させるだけだったが、他の神官に背中を支えられてわずかに落ち着きを取り戻し、声を震わせながらも懸命に皇子へと答えを返す。
「あ……あ、悪魔のステータスは、異言語で表記されていて、我々には読み取れないのです……! そ、それが、悪魔が使う、固有の言語なのだと……私も、一度だけ見たことがあるので、間違いありませんっ……!」
そして恐怖と忌々しさをない交ぜに宿した双眸を見開き、ビシッと乃詠に指先を突きつけて、彼は叫ぶように言った。
「その女は、聖女様なんかじゃない! ソレは――人に化けた悪魔だっ!!」
一転、乃詠に向けられた眼差しが敬意から敵意へと変わり、壁際に待機していた数名の武装した者たち――聖騎士が腰の剣に手をかける。
元の世界での知識としても、小説などでコミカルに描かれる悪魔はともかく、宗教上のそれは悪しき存在として語られる。小説でだって、人類を脅かす悪役として登場する作品も多いくらいだ。
彼らの反応から、この世界では――少なくともこの国では、紛うことなき悪しき存在として認識されているということが、嫌でも理解できた。
とはいえ、当然ながら乃詠は悪魔などではない。
(あの神官は悪魔の言語とやらを見たことがある。そして彼が見た悪魔の言語というのが、この気持ち悪い化け文字……私が悪魔じゃない以上、これは魔道具の不具合によるものだろうから、それが偶然にも悪魔の言語と同じだったのか、もしくは悪魔のステータスを人間が視ると文字化けするのか……どちらにせよ、こんなひどい偶然ってあるかしら)
とんだひどい偶然もあったものだが、ひどいのは彼らもだ。
こちらの意思に関係なく勝手に召喚して、女神に選ばれた聖女だなんだと無責任にすぎる期待をかけておきながら、今度は不可解な現象と神官一人の証言を鵜呑みにして悪魔認定し敵意を向けてくるとか……本当にひどすぎる。
濡れ衣も甚だしい。冗談じゃない。
そうひと思いに叫びたい衝動を持ち前の理性で押さえつけ、一度深呼吸を挟んでから乃詠は口を開く。
「待ってください。何かの間違いです。私は決して悪魔なんかじゃ――」
「まさか悪魔が人に化けて神聖なる召喚の場に紛れこんでくるとはな!」
「いえ、ですから――」
「いかなる小細工をもって聖女様の結界をすり抜けたかは知らないが、話に聞いていたとおり悪知恵がはたらくようだ! これほどまでに厄介な輩だったとは!」
とっさの弁明は、しかしロレンス皇子の厳しい声に遮られてしまった。
そして彼は魔法の障壁を乃詠と歌恋の間に展開すると、即座に歌恋のもとへと駆け寄り、その身を腕の中に収めて素早く離脱する。
「ちょっと待って! だから私の話を――」
「聖騎士よ!! あの悪魔を排除しろ!!」
またしても乃詠の訴えは、聖騎士らへの命令にかき消された。
訓練でもしていたのか淀みない動きで神官たちが後ろへと下がり、剣を抜いた聖騎士たちが乃詠のいる壇上へと殺到する。
(あぁもうっ! 全然こっちの話を聞いてくれない!)
内心では憤慨するも、これ以上喚いたところでどうしようもない。
悪魔認定は決して覆らず、排除対象として、いかにも精強そうな騎士たちを差し向けられている。
身勝手な女神のせいで異世界になんて連れてこられたうえに、こんなよくわからない冤罪で殺されるなんてまっぴら御免だ。
ならば――戦うしかない。
(あんな立派な鎧と剣で武装した騎士を、ただのチンピラしか相手にしたことのない私が返り討ちにできるなんて、到底思えないけれど)
それでもなんとか、わずかにでも隙を作れさえすれば、ここから逃げ出すことはできるかもしれない。
彼らを倒す必要などないのだ。乃詠の勝利条件は――ただ生き延びること。生きてここから出ること。それに尽きる。
あらためて覚悟を決め、乃詠の意識は戦闘モードへと移行する。
拳を握って構え、かすかな隙さえも見逃すまいと視線を鋭くする――と、そのときだった。
「――お待ちください、ロレンス殿下」
不意に待ったの声がかかり、同時に聖騎士たちの足も止まる。
皆の注目が行く先にいたのは、魔導師のカルヴィン・ロイズだ。
「なんだ、カルヴィン。今は一刻を争う」
「悪魔は得体が知れません。強さも個体によってピンキリですし、特殊な能力を有する者もいます。ステータスを読み取ることができない以上、下手に手を出すのは得策ではありません。ここは私にお任せいただけないでしょうか?」
何事か言い返そうとしたロレンス皇子だが、しかしカルヴィンの手のひらに乗るものを見た途端、納得した様子で顎を引く。
それを確認するや、カルヴィンは手の中のもの――八面体の青い水晶を、乃詠の足元めがけて投げつけた。
「なっ――」
床にぶつかると同時に、水晶は呆気なく砕け散る。そして直後、乃詠を中心にして不思議な幾何学模様――魔法陣が広がった。
とっさのことで逃げる間もなく、魔法陣から放たれる強く眩い光が、瞬く間に乃詠を呑み込んでいく。
そうして皆の視界をも白に染める光が収束したとき、確かにそこにいたはずの少女の姿は――影も形もなくなっていた。
◇◇◇
「……それで、カルヴィン。奴をどこへ飛ばしたんだ?」
再び静まり返った広間で、沈黙を破ったのはロレンス皇子だ。
カルヴィンが使用した青い水晶の正体は『転移石』――事前に記録させた場所へと対象を転移させるという、非常に貴重なアイテムだった。
貴重とされる所以は二点。まず、難度の高いダンジョンの低確率ドロップアイテムであること。そして、内包する魔力を解き放つため使用時には砕かなければならないこと――要するに、このアイテムは使い捨てなのだ。
そして一口に転移石といってもランクがあり、水晶自体の品質や内包された魔力量によって、転移させられる距離や質量が決まっている。
「『邪毒竜の森』です」
カルヴィンの返答に、ロレンスはにわかに目を見開く。
「封印と試練のダンジョン、か。確かに妥当ではあるか」
「私が所持している転移石が記録しているポイントで、最もここから遠いのがかのダンジョンでした」
「そういえば、お前はかつて『邪毒竜の森』に挑んだことがあるのだったな」
「えぇ。……多くの仲間を失い、攻略は断念せざるを得ませんでしたが」
藍色の瞳にかすかな哀惜が浮かぶのを見て、ロレンスは己の失言を悟る。
「……すまない、カルヴィン。辛いことを思い出させてしまった」
「いえ、お気になさらず。もう気持ちの整理はついていますから」
そう言って小さく肩を揺するカルヴィンだが、口元に浮かべた笑みはかすかに強張っていた。
当然だ。気持ちに整理はつけられても、仲間を失った傷が癒えることなど、おそらく一生ないだろうから。
痛ましげにカルヴィンを見やりながら、話題を変える意味も込めてロレンスは話の軌道を元に戻す。
「あそこの環境は殊更に悪辣だ。およそ人がとどまれる場所ではない。とはいえ、それは普通の人間であればこそ。悪魔にとってはいかほどのものか……」
存在自体は知れていても、悪魔の生態は不明な点のほうが多い。
なぜなら、悪魔に関する記録はほとんどないのだ。
遥か昔に異界へ封印されたという話だが――なんでも『悪魔書』と呼ばれるアイテムで異界から悪魔を呼び出し、対価を支払うことでその力を借り受けることができるのだとか。
実際に悪魔を召喚した者の手記こそが、主な情報源となっている。
「悪魔は魔物に近しい存在。おそらく瘴気は効かないでしょう。ですが、ダンジョン内の魔物はいずれも高ランクばかり。多少なりとも妨害にはなるかと思います。距離も距離ですし、仮に悪魔が戻ってくるにしても相応の時間がかかるはず」
「それまでに我々は戦力を整え、万全の体勢で迎え撃つ――ということだな」
意図を汲んだロレンスの言葉に、カルヴィンは首肯を返す。
「見事な機転だ。よくやった」
「もったいないお言葉にございます」
そうしてロレンス自身は【治癒と清浄の聖女】を丁重に保護しつつ、周囲へと指示を飛ばし、防衛の準備を始めるのだった。
お読みいただきありがとうございます。
次回から1部1章、封印と試練のダンジョン『邪毒竜の森』編、開始です。
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