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万能聖女がチートすぎる!  作者: 空木るが
1部 追放聖女と邪毒竜の森
47/105

4章47 万能聖女、邪毒竜ファフニールに挑む11

 


 意識が呑み込まれる。ドス黒い焔が、彼の心を呑み込んでいく。


『――憎ければ、殺せ。殺してしまえ。何もかも、すべて』


 彼の内に響く声が、負の感情を増幅していく。かすかに灯った火種を、大きく燃え上がらせる。それがなければ、きっとそのまま消えていたであろう小さな小さな負の火種を――ナニカが無理やりに燃え盛る業火と化した。


(……や、めろ……おれ、は……そんなこと……望んでなんか……なんか……望んで……ノゾ……望ンで…………イル。人ガ、憎イ。母ヲ殺シタ、人ガ。オレヲ痛メツケル人ガ、憎イ。憎イ。憎イッ……!!)


 その瞬間、彼の全身から禍々しい瘴気が噴き出し――そして変質する。

 新たに邪属性を獲得した彼は、突然変異的に歪な進化を果たして、数段格上の魔物――邪毒竜ファフニールとなった。


 その身から猛毒の瘴気を放散し、彼は咆哮する。

 人への――世界への怨嗟が込められたその咆哮は、新たに生まれた〝災魔〟の産声だった。


(……憎イ。許サナイ。殺シテヤル。ミンナ、ミンナ、ミンナ、殺シテヤル)


 進化に伴う巨大化によって施設を破壊――研究者らを瓦礫の下に埋めて、なおも彼は執拗に蹂躙する。


 崩壊する建物に、または彼の四肢に潰され。濃密な瘴気に肉体を腐らせ。逃げることもできずに、施設内にいた人々は次々と死んでいく。


 理性なく暴走した彼は、雄叫びを轟かせ、致死の瘴気を撒き散らしながら、建物も人も、すべてが粉々になるまで暴れ回った。


(死ネ。死ネ。死ネ。死ネ。ナニモカモ、全部。ナクナッテシマエ――)


 研究施設だった場所を蹂躙し、破壊し尽した彼は、移動を開始する。

 濃密な瘴気を振り撒き、毒のブレスを放ちながら、人の生存圏を目指して練り歩き、数多の生命を奪っていった。


 しかしそれは、彼の意思ではない。彼の意思は、自我は、深く深い場所へと沈んでいる。肉体を乗っ取ったナニカが、彼の体を勝手に動かしているのだ。


 人への、世界への憎悪と怨嗟を響かせながら――彼じゃないナニカは、ただひたすら殺戮と破壊を続ける。



 ◆



(……なんだ、これは……こんな……)


 ふと彼の自我が戻ったとき――周囲は、腐敗した大地と屍の海だった。

 けれど、彼の自我が戻ったのは一瞬のこと。現状を正確に理解する間もなく、再び彼の自我は奥へと沈み込み、体は勝手に動いて暴れ出す。


 それからまた唐突に自我が戻るも、しかし体は勝手に動いていて、自分の意思では動かせない。動きを止めることができない。

 彼はただ、自分の体を乗っ取ったナニカが大陸を蹂躙していくさまを、絶望しながら眺めているしかなかった。


(……やめろ……やめてくれ……頼むから……もう……)


 この惨状を作っているのは、彼ではないナニカの意思。だが、それを作り出している体は、紛れもなく彼のものなのだ。

 感覚もあるし、視界も繋がっている。

 人を踏み潰し、握り潰し、磨り潰すおぞましい感覚が逐一、彼を苦悶させ、絶望の底へと引きずり落とす。


 各地から精強な戦士が送られてくるが、それを彼の爪が、牙が、尾が、瘴気が、毒が、魔法が――無慈悲に、無残に殺していく。


 殺戮は止まらない。汚染は広がるばかり。人々の阿鼻叫喚がこだまする。

 ぐずぐずに溶けた人が、毒の池に沈んでいく。振り回された尾が、人ごと建物を薙ぎ払っていく。

 村が、町が、首都が、次々に壊滅していく――。


 そうして大陸の半分ほどが死滅したころ、ついに神々が動き出した。

 人跡未踏の広大な森の中心部へ、神々は彼を――災魔を封印したのだ。



 ◆



 ――死ネ。死ネ。死ネ。死ネ。人間ナンテ、ミンナ死ンデシマエ。

(……もう、殺してくれ……誰でもいい、誰か、おれを……殺して)


 ダンジョンボスとして縛られ、身動きが取れなくなっても、相変わらずナニカの意思は人への怨嗟を繰り返し、その奥で、彼の意思はひたすら死を願う。


 しかし彼は――邪毒竜ファフニールは、あまりにも強すぎた。

 何人かファフニールのもとへたどり着いた者もあったが、ほとんど何もできずに殺されていく。

 せっかく自分を殺しにきてくれたのに、自分ではない意思が彼らを排除してしまう。


(……お願いだから、誰か……早く、おれを殺して)


 虚ろな意思で、されど切なる彼の願いは――千年近くの時を経て、ようやく叶えられることとなった。


(……よかった、これで……もう……)



 ◆◆◆



 ――意識に直接、同調するように映し出されていた記憶映像が途絶えると、システムがシャットダウンしたように視界が真っ暗になった。


 いや、視界が真っ暗というより、真っ暗な中にいるといったほうが正しい。

 上下左右、どこを見回しても黒一色の空間だ。水の中にいるような感覚だが、呼吸は問題なくできている。


(ここはおそらく、精神世界とか、そんなところでしょう)


 ファンタジー知識からそうあたりをつけ、乃詠は引き寄せられるようにして下へ下へと潜っていく――と、その先に何かがいた。


 明かりのない完全な暗闇の中に、不思議とくっきり浮かび上がるシルエット。

 さらに近づいていくと、それが、体を丸めた小さな竜だとわかる。


(ファフニールの本体ね)


 小さな竜の姿をしたファフニールは、この世のすべてを拒絶するかのように縮こまり、ひたすら『殺して』と呟いていた。


 乃詠はファフニールの傍へと寄り、声をかける。


『私はあなたを殺さないわ。私はあなたを助けにきたの』


 ぴくりと彼の体がかすかな反応を示し――億劫そうに首が持ち上がる。

 こちらへ向けられた彼の瞳は、ひどく空虚だった。濁りもないが光もない。感情もなく生気の欠片すらもない、ガラス玉のようだ。


『……助けに? おまえが、おれを?』

『えぇ、そうよ』


 はっ、と。彼は哂う。


『……やめろよ。こんなおれを、さらに傷つけて楽しいか? あぁ……おれは、あんたら人を、数えるのもバカバカしくなるくらいに殺した。その復讐ってわけだ』


 自嘲めいたその悪態は、空疎な諦観を宿し、そしてわずかにでも期待を抱いた自分を詰り、戒めているようにも聞こえた。


『いいえ、違うわ。そもそも私は、少し前にこの世界に来たばかりだもの。そんな昔のことなんて知ったことじゃないし、あなたに復讐なんてする理由もない。私はただ、あなたを救いたいだけ。一応これでも聖女なのよ、私』

『……聖女?』

『聖女はね、困ってるひとを救うの。それが人だろうと魔物だろうと、関係なくね』


 それが、乃詠の中にある聖女のイメージ。おそらくは普遍的な。

 自分は聖女なんてまったく柄じゃないけれど、目の前に困っている誰かがいれば、できる限り力になってあげたい。その気持ちだけは本物だ。


『……本気で言ってるのか?』

『本気じゃなきゃ、こんなこと言わないわよ。まぁ、あなたが心の底から死を望んでいるのなら別だけど……私には、とてもそうは思えないから』


 彼が殺してくれと願ったのは、本心ではあるのだろう。けれどもそれは、心の底から望んだことではない。彼の本当の望みなどでは――断じてない。


 ひとりぼっちの苦痛に、罪の意識に、心が耐えられなかっただけ。

 苦しみに耐えられなくて、苦しくて堪らなくて――だから彼は、殺されることを望んだ。死による解放を切望したのだのだ。


 彼は、本当は生きたがっている。心の底では、生きることを望んでいる。欠片も死ぬことなんて望んでいない。だって――彼の命は、彼の大好きな母親が、その身を賭して守ったものなのだから。


『…………』


 しばらく沈黙が流れた。今は、乃詠も沈黙を選択する。

 彼は今、乃詠の言葉を受け止めたうえで、自分の中にあるさまざまな感情やらと葛藤していることがわかったから。


 ややあって――弱々しい呟きが落ちる。


『……でも、おれは、人をたくさん殺した』

『あなたは、あなたの意思では、誰ひとり殺していないわ。あなたは被害者よ。悪いのは、当時のマッドサイエンティストたち。そして何か……よくわからないけれど悪いモノがあなたにとりついて、あなたの体を動かしていたにすぎない。罪があるのも、彼らとソレよ。あなたが負うものじゃない』


 優しく諭すように、実際に見た彼の記憶をもって、彼の懺悔を否定する。


『……それでも、おれは確かに、人に憎しみを抱いた』

『当然だわ。あんな目に遭えば、私だって憎しみを抱く自信があるもの。それは正当な感情よ。少なくとも私は、それを悪いとは思わない』

『…………』


 少し間があって、彼は再び口を開く。

 発された声音は先よりも弱々しく、確かな怯えを含んでいた。


『……弱かったおれは、人に捕まって、体をいじくられて……痛かったし、苦しかった……あんな思いをするのは、もう嫌だ』

『大丈夫。あなたのことは私が守るわ。あなたに悪さをしようとする人間は全員、私がやっつけてあげる。それに、あなたはもう、力のない、幼い竜じゃないでしょう? あなたは強い。実際に戦った私が言うんだもの、間違いないわ。そして、そんなあなたよりも、少しだけど私は――私たちは強い。それでも足りないなら、あなたを守るためにいくらでも強くなるわ。だから、大丈夫』


 彼の怯えを払うように、力強い口調で、断固たる意志で断言してみせる。


『……もう、独りはいやだ。……生まれてから、ほとんどすぐに母さんが殺されて、それからおれは、ずっと独りだった……ここでも、ずっとずっと、独りだった……寂しい思いも、もうしたくない』

『私がずっと傍にいる。絶対にあなたを独りにしないって誓うわ』


 孤独に震える彼の心に、この想いが、この誓いが届きますようにと。



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