4章45 万能聖女、邪毒竜ファフニールに挑む9
――戦闘を熱心に見つめ、乃詠とコウガの勝利を祈る男衆の後ろで、ひとり俯いて拳を握るベガは、激しい葛藤の中にあった。
(わたしが……わたしが、固有スキルを使えば、きっと、お姉さまたちの役に立てる……お姉さまの、助けになれる……)
ベガとて、ずっと戦闘を見ていたから状況は理解している。
乃詠たちはファフニールの高い機動力と防御力、再生能力に悩まされ、戦況は完全にスタミナ勝負となっていて――このままでは乃詠たちが不利だと。
しかし、ベガが自身の固有スキルを使いさえすれば、間違いなく戦況は傾く。こちらの勝利へとつながる。
他でもない、そのスキルを一度だけ使ったことがあるベガだからこそ、そう確信が持てるのだ。
(でも……)
そこまで思考し、途端に震え始める体を両腕で抱きしめる。
だが、震えは止まらない。……止まってくれない。
(……怖い。このスキルを使うのが、わたしは怖いんです。誰かを傷つけるのが、わたしは、何よりも恐ろしいんです……)
現在進行形で、疲弊した体に鞭打ってファフニールへと攻撃を仕掛ける乃詠とコウガに向け――懺悔をするように、言い訳をするように、ベガは心中で繰り返す。
たとえ相手が魔物であっても、ベガが他者を傷つけることを――それ以上に固有スキルを使うことを恐れるのには、決して軽くはない理由があった。
――元人間の魂を持ったカラミティヴィーヴルであるベガは、心に根深いトラウマを抱えている。
ベガは生まれたその瞬間から、当然のように人の言葉を話すことができた。それこそ息をするのと同じく、本能レベルで話せたのだ。それを疑問に思うことなどあるはずもない。
だが、それは異常だった。少なくとも同族の中では。
加え、ベガは他のカラミティヴィーヴルと容姿が異なった。
他が皆、青紫色の鱗と髪、深い蒼色の瞳を持つのに対して――ベガの鱗と髪は一切の色素が抜け落ちた白。瞳は赤く、怪物寄りの同族たちと異なり、顔の造りは人と相違ない。
それを同族たちは気味悪がった。
人語を解せるほどではなくとも、B+ランクの種族とあって、それなりの知能と知性はある。
だからこそ、なのだろう。人が少数派を排斥しようとするように、同族たちもまたベガを排そうとした。
群れからの追放なら、まだいい。しかし、同族たちはベガを殺そうとしたのだ。
悲しかった。恐ろしかった。何より――死にたくなかった。
そう強く思った、その瞬間のことだ。
両手で頭を覆って身を丸めていたので、それを実際に見たわけではない。けれどその瞬間、自分の中からごっそりと魔力が抜けていくのがわかった。
そして――鼓膜に突き刺さる、甲高い悲鳴の重なり。
しばらくしておそるおそる目を開けてみれば、そこには何もいなかった。
自分を取り囲んでいたいたはずの同族たちが、一体もいなかったのだ。
けれど、彼女たちが確かにそこにいた証が――生々しい血肉の残骸が、そこにはあって。
魔物は死ねば黒い靄となって消える。だからその血肉もすぐに消え、あとにはドロップアイテムが残された。
それはあまりにも鮮烈で、脳裏に焼きつくには申し分ない衝撃的な光景だった。なまじ純粋な魔物ではなかったから、余計に。
いくら殺されそうになったからとはいえ、決して本意ではなく、半ば暴発した固有スキル〈災禍〉によって自分が多くの同族を殺したという事実は、ベガの心に大きな傷を刻みつけることとなった。
人だったころの記憶は、ベガにはない。知識はあっても、何者であったかは思い出せない。
だがベガは、魔物として生まれ変わったときから〈白魔法〉を所持していた。そのことから、神官職だったのではないかと推測できる。
大抵が〈白魔法〉に特化した神官は、後方支援と回復担当。基本的に直接、敵を攻撃することはない。それも、他者を傷つけることを厭う要因の一つになっていると思われた。
(でも……だから、なんだというのですか……わたしは、いったい何をやっているのでしょう……いえ、何もしていません。わたしは……何もしていない)
確かに、支援と回復役はちゃんとこなせていたと自負できる。
戦えない代わりに〈白魔法〉スキルをひたすら鍛え、前で戦う仲間たちへできる限りの支援をした。
だが今のベガには、B+ランク種族としての〝力〟があるのだ。それこそ、リオンたちをはるかに上回る潜在的な力が。
みんなと一緒にレベル上げを頑張っていれば、いまファフニールと戦っている乃詠とコウガの横にいることができただろう力が、ベガにはあるのだ。
だというのに、戦うことが――誰かを傷つけることが怖くて、怯えて、甘えて、自分は何もしてこなかった。
出会ってからずっとリオンたちに守られ、敬愛するお姉さまに守られ、ここまで来た。来てしまった。
(……このままで、本当にいいの?)
答えは――否だ。よくない。いいわけがない。
過ぎた時間はどうあがいても戻らない。でも、このまま自分だけがお荷物のままでいるなんて……嫌だ。自分もみんなの――お姉さまの役に立ちたい。
(わたしはもう、守られているだけなのは、嫌なんですっ……!)
ふと、今しがた己が胸中で叫んだ言葉に疑問を覚え、すぐに得心する。
――あぁ、そうだ。これはきっと……魔物になる前の記憶。
いや、記憶というほど明瞭なものではない。ただ、自分は前世でも、ずっと誰かに守ってもらっていた。守ってもらうだけだった。
ひどい後悔と、怒りにも似た情念が湧き上がる。
なぜかはわからない。けれどきっと、前世の自分は悔いたのだ。守られるだけでいたことを。
庇護者でいることに甘んじ、己で戦うすべを、力を持とうとしなかったことを後悔し、そんな自分に怒りを抱いた。死の間際になって――死んで初めて。
なら自分は、わたしは、変わらなきゃいけない。
もう二度と、後悔してはいけない……!
「――っ」
怖気を振り払うために、唇に歯を立てて噛み切った。鋭い痛みと顎を伝う生温かい感触が、ベガの心を奮い立たせ――覚悟を決めさせる。
わずかに姿勢を持ち上げると、仲間たちが気づいてこちらを振り向く。
ベガの表情と唇から伝う血を見て驚き、放たれる彼女らしからぬ気迫に、彼らが息を吞んだのがわかった。
「――――」
傷ついた唇を動かす――だが、声が出ない。握りしめた両手をさらに強く握りこむと、手のひらに食い込んで血が流れる。その痛みが、ようやく震えを取り去ってくれた。
両手を前に突き出し、ベガは一度、肺から息を全部出し切って、再び大きく吸い込む。そして乃詠とコウガへ向けて思念を飛ばした。
『お姉さま、コウガさん! ファフニールから離れてください!』
あまりにも唐突で、説明も何もない要請だ。しかし直後、乃詠とコウガはほぼ同時にその場から離脱した。――信頼が、そうさせた。
乃詠はまだしも、コウガさえ一切の疑問を挟まず、わずかな躊躇さえなく行動に移したことに驚き、同時に嬉しく思うも、胸を打ち震わせている暇などない。
地上に降り立ったファフニールが、突然後退し始めた二人に向けて、追撃の『ダークブレス』を放ちながら疾走する。
闇球の飛翔速度と同等の速度で二人の側面へと回り込み、強襲を仕掛け――
「――〈災禍〉!!」
床からファフニールの後ろ肢が離れる寸前――ぽうっ、と宙に出現した小さな球体が一瞬にして膨れ上がり、ファフニールの半身を飲み込んだ。
「ギャァァァァァァァァァァァァァァ――――――――ッ!?」
迸るのは咆哮ではなく、明確な絶叫――悲鳴。
半身を、ベガの最凶最悪スキル〈災禍〉にとらわれたファフニールは、確かに壮絶な苦痛の中にあった。
あの――青黒いドーム状に展開された領域内には今、ありとあらゆる〝災害〟が吹き荒れているのだ。
猛烈なる業火がその身を焼き、吹き荒ぶ暴風の刃がその身を切り刻み、幾筋もの雷がその身を貫き、乱れ飛ぶ氷塊がその身を穿つ。
領域内に取り込まれれば、並みの生物ならば抵抗も叶わずほとんど一瞬で消滅するほどの猛威だ。空間の中心に向かって暴風が渦巻いているので、抜け出すのも容易ではない。
それこそが――カラミティヴィーヴルの固有スキル〈災禍〉の効果。
レベル1であればここまでの範囲はなく、効果も弱い。けれど、なぜかベガはこのスキルをレベル6の状態で生まれ持った。レベル6だからこその効果だ。
しかし、相手はSランク中位の強敵。同ランクならまだしも、レベル6ではせいぜい十数秒とどめておけるかどうかといったところだろう。
だがその十数秒が、乃詠たちとっては絶大なる好機だった。
『お二人とも、今のうちにっ!』
『グッジョブよベガ! 愛してるわ!』
『ハッ! クソ雑魚にしちゃやるじゃねーか!』
ベガに応え、乃詠とコウガは再び突貫し、ファフニールへの猛攻を開始する。
常時、半身にダメージを受け続けている状況では、さすがに精密な瘴気操作はできないようだが、しかし急所の守りだけはなお強固。首全体と心臓のある胸部、そして逆鱗の三点のみに瘴気と物質化を集中させている。
前者をやられれば致命だし、後者をやられれば大幅に弱体化するのだから当然だろう。これまで以上に硬く、とても貫けそうになかった。
ならば仕方がない。急所への攻撃はすっぱりと諦め、それ以外の場所に手早く攻撃を加え、地道だが堅実にHPを削り取っていく。
出血はゲームでいうところのスリップダメージだ。生命の源である血が失われ続ければ、生命力たるHPも減り続ける。それを防ぐには、最低限、傷を塞ぐ必要があった。
ベガの〈災禍〉によって与えられ続けているダメージの回復に加え、乃詠とコウガが与える傷をも再生しようとすれば、MPは急速に消費されていく。
そして――〈災禍〉の効果が切れたときには、ファフニールのMPは大幅に減少していた。
当然、放っておいても自然に回復していくし、称号の効果だろう、ファフニールのMP回復速度は普通よりも少しばかり速いようだ。
しかしそれも、乃詠とコウガが与えるダメージに勝るほどではない。
コウガの疲弊具合もだいぶ深刻だが、乃詠の疲労も目に見えるほど。けれどここが踏ん張りどころだ。
二人は気力を振り絞り、いっそう苛烈に攻め立てた。
ベガの〈災禍〉は非常に強力なスキルゆえにMP消費もそれなりに多く、また使用に回数制限がある。レベルが上がって威力が上がるほど使用できる回数が減っていくタイプで、レベル6だと一日に四回。
リキャストタイムも数分と長いが、再使用が可能となるや発動させ、ダメージを与えつつ動きを封じている間に、乃詠とコウガが最大威力の攻撃を叩き込む。
二人とも手札を惜しみなく、限界以上に振るい――そして、ついに。
どうっ、と二十メートルの巨体が石床へと倒れこんだのだった。
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