4章44 万能聖女、邪毒竜ファフニールに挑む8
(本当に便利で、何でもありよね――〈聖結界〉)
移動もできる安全地帯に高機能の防護スーツ、そして宙空での足場。
聖女スキルの中で最も活躍している〈聖結界〉がなければ、ファフニールとの戦闘もさらに困難を極めていたことだろう。
この足場に関しては、円形の板状でサイズも最低限で済むため、MPの消費は微々たるもの。
ただ、さすがの乃詠でも、自分の分とコウガの分、両方を管理することなど不可能だ。とてもではないが脳が処理しきれない。
コウガの足場を構築してくれているのは――ナビィだった。
実のところ、聖結界を足場にすると思い立ったのは、ファフニールが本気モードへ移行してからのことだ。
今にして思えば、もっと早くに気づいてしかるべきだが、これまで必要に駆られる場面がなかったのだから仕方がない。
ともかく、天啓のごとき閃きを得たとき、空中機動への対応手段が見つかったことに乃詠は歓喜した。しかし同時に、浮上した問題に頭を悩ませる。
いま戦っているのは自分だけではない。ともに戦っているコウガもまた、空中機動を行うすべを持たないのだ。
しかし、いかに構築が容易だとしても、自身の足場を作りつつ戦闘しながら、コウガの挙動までも完璧に把握し、それに合わせ寸分たがわぬ座標とタイミングで足場を構築するなど――それこそ神業だ。実質不可能である。
となれば、自分がなんとか空中からファフニールを牽制し、可能な限り地上での戦闘に持っていくしかない――とそう結論したときだ。さらなる閃きを得たのは。
『ねぇナビィ。あなた、私のスキル使えていたわよね?』
『はい。使えますね』
『なら、私の代わりに〈聖結界〉を使ってコウガの足場を作れる?』
『作れます。余裕です』
そんなこんなで――今、頼もしき相棒ナビィが、どういう原理かはさっぱり不明なれど、的確な足場構築でもってコウガを支援してくれているのだった。
(とはいえ、ここまで機動力が高いなんて想定外だったわ)
的は大きいはずなのに、予測のしづらい動きと速度のせいで、なかなか有効となるダメージが与えられない。
乃詠の武器スキル〈光輝連星〉ならば、いかに相手が縦横無尽に空間を飛び回っていたとて、強制的に縛りつけてダメージを与えることが可能だが――強力なスキルには相応の代償があるもの。
再使用に十五分ほどのインターバルがあり、また使用後の反動や負荷がなかなかに重いのである。
インターバルよりも、問題は負荷のほうだ。消耗が大きすぎる。ファフニールのHPを削り切るまでとなると――厳しいだろう。
この世界は能力が数値化されているが、それがすべてでもない。HPがあっても体力が尽きれば動けなくなるし、何らかの故障で急に手足が動かせなくなることだってある。
『耐久』の上昇で物理的にナイフが刺さらなくなっても、許容を超えた肉体の酷使で内から壊れることもありうるということ。さらには、命にかかわることだってあるのだ。
他に思いつく手段といえば魔法だが――〈水魔法〉の拘束は氷属性ゆえに、相手が〈氷結無効〉を持っているため無意味。この空間の、破壊箇所が即座に修復されるという特殊性から〈土魔法〉のそれも使えない。唯一効果のある〈光魔法〉でも一瞬の足止めが限界だ。
なので、戦術としては、〈光輝連星〉を限界まで使い、それで削り切れない分は〈光魔法〉で一瞬でも拘束しつつ、通常の攻撃で着実にダメージを入れていく。ファフニールの再生能力を上回るほどのダメージを。MPが尽きるまで愚直に。――それ以外にない。
(要は、根競べね)
こちらの体力が尽きるのが先か、相手の体力かMPが尽きるのが先か――そんな脳筋的泥死合に甘んじらざるを得ないのだ。
◇◇◇
――扉前の聖結界の中。
魔法と物理の防御にのみ特化させた安全空間にて、リオンたちは眼前で繰り広げられている高次元の戦闘を見守っていた。
最後まで乃詠たちとともに戦うことができなかった彼らだが――眼前の戦闘を食い入るように見つめているその表情には、己の無力さを嘆いたり悲観したりといった感情はいっさい見受けられない。どころか、清々しささえ浮かんでいた。
確かに悔しさはある。だがそれ以上に、彼らの中には大きな達成感があった。
いくら種族のランクアップを果たしても、自分たちが大して役に立たないことなど先刻承知。
なればこそ、いっときでも乃詠らと肩を並べ、あまつさえ自分たちの力だけでファフニールの攻撃手段の一つを奪ったという事実は、彼らにとって偉業以外の何ものでもないのだ。
弱体化させたわけではなく、さしたる貢献にもなってはいない。けれど、それでも――誇るべきだ。自分たちの努力が、わずかでもSランクの魔物に――千年近くも討伐されていなかった災魔に届いたのだから。
それを謙遜するほど、彼らは自惚れていない。
気持ちの切り替えはもうできている。自分たちに今できることはやった。今できることはもうない。あとは乃詠たちの勝利をただ祈り、応援するだけだ。
アークは乃詠と試練ボスだったコウガが戦っていたとき同様、前のめりに歓声を送り、武装解除後しばらく悶えていたが復活したギウスも真剣な眼差しで、リオンもまた一心不乱に戦闘を見つめていた。
(とんでもねぇ……次元が違いすぎらぁ)
大げさかもしれないが、リオンから見れば、いま目の前で行われている戦闘はまさしく神話のそれ。そこに自分がいられたら――なんて考えることさえ烏滸がましく思えるレベルだ。
ファフニールの動きはその巨体を裏切るもの。跳弾のごとく壁や天井、地面へと移動し、高速で移動しつつも放たれた『ダークスフィア』が空中を駆け、『ダークブレス』が空間を貫き――それを回避したあとに振るわれる、乃詠とコウガの刃が瘴気鎧を、竜鱗を、その下の肉体を斬り裂いて赤い血がしぶく。
毒霧が放たれれば突風が吹き散らし、先端は失われたままだが、鞭のごとき尻尾が宙空をうねるは回避か受け流し。殺到する闇球は、同じ闇球で相殺される。
瞬く間の攻防。巨大な空間を目いっぱいに使った三次元戦闘。その壮絶さはもはや認識と常識を超越し、ただただ見入る――魅入る。
だが、リオンの冷静な部分が、眉を寄せさせるのだ。
(姐さんとコウガの兄貴が負けるなんざつゆほども思っちゃいねぇが……)
今のところ両者の力は拮抗している。乃詠たちが劣勢ということはない。しかしそれも、このまま戦闘が長引けば――どうなるか。
「んのっ、ちょこまかとうざってぇ……!」
攻撃が空振りに終わったコウガが忌々しげに舌打ちする。
吐き出された悪態に先までの威勢のよさはなかった。不敵で楽しげな笑みは消え失せ、呼吸も荒い。動きのキレもだいぶ落ちている。――魔力的にも肉体的にも限界が近いことは、傍目に見ても明らかだった。
MPさえあれば発動できる腕力強化スキル〈魔纏・紅炎〉とて、肉体にまったく負担がないわけではないのだ。使えば疲労は加速度的に蓄積していき、その疲労が集中力を低下させ、判断力を鈍らせる。
動きを止める――もしくは動きを制限したうえで一気にたたみかけでもしなければ保たないだろう。
(あっしは姐さんのように〈鑑定〉スキルなんざ持ってねぇし、ファフニールのHPとMPがあとどんだけ残ってるかはわかんねぇが――)
爬虫類系統の顔からその表情を察することはできないが、挙動や速度には特に変化はない。まだまだ元気そうだ。
もともと高い生命力を持っていると乃詠に聞いているし、竜は最強種族――いかにレベルシステムがあろうと、人間種とは根本的な強靭さが異なる。体力持久力など比べるべくもないだろう。
強力なスキルには、多量のMPや肉体への負荷など代償が伴う。それは乃詠もコウガも、ファフニールとて同じだ。そのあたりが互角とくれば、あとは純粋なスタミナ勝負となる。
(そうなると、姐さんたちが不利でぃ)
リオンの目から見ても、コウガの動きは少しずつ鈍ってきている。乃詠はまだ平気そう見えるが――現在の拮抗状態は二人で維持しているのだ。
コウガが脱落すれば当然、乃詠の負担が増え、余計に勝率は下がるだろう。
(お二人の勝利には、他に決定打となるもんが必要だ)
ちらと、リオンは肩越しに後ろを見やる。
その視線の先にいるのは――ベガだ。
自身らの偉業を誇り、清々しい思いで切り替えて戦闘を見守る彼らの中で、ベガだけが顔を俯けている。
両の拳を、震えるほどに握りしめながら。
(ベガ……)
そんな彼女の心の内が、リオンにはわかっていた。彼女が今、何を考え、何に葛藤しているのかが。
それが苦悶の類いであることも、彼は承知している。
だがしかし、リオンがベガに声をかけることはない。心の底では案じつつも、助言も慰めも救いも、彼がもたらすことはない。
彼女の決断が――過去のトラウマの払拭が、戦況に大きな傾きを生むことを確信していても。
それは他でもない、彼女自身が乗り越えるべき問題だから。