3章27 万能聖女、ダンジョン攻略に乗り出す2
ダンジョン攻略に乗り出す前に訊ねたのだが、試練ボスが何の魔物かはナビィも知らないようだった。
だが最低でもB+、もしくはAランクなのは間違いないとのこと。逆にそれ以上のランクではないだろう、とも言っていた。
それはそうだ。目指すべき最終試練たるダンジョンボスがSランクなのだから、その前座たる試練のボスが弱いわけもない。
かといって、ダンジョンボスに匹敵する強さだと前座にはならないし、試練ボスには、ラスボス討伐に必須の〝神創武装〟を与える役目もあるのだ。
穴の内部は何か特殊な空間にでもなっているのか、下にいるはずの試練ボスの気配を捉えることはできないが――階段より先は、明らかに空気が違う。
乃詠だけでなく、全員がそれを察していた。
ゆえに先までの観光気分はすっかり消え失せ、代わりに、張り詰めた緊張感が彼らを取り巻いている。
最も戦闘力が高い乃詠が自然と前に出るかたちで、一行は階段を下りていく。
かなり薄暗いが、まったく足元が見えないというわけでもない。どうやら、壁や階段自体がうっすらと発光しているようだった。
長めの階段を下りきると、再びの直線通路。
上と同じく小さな部屋が一つだけあったので、一応確認してみる――と、今度はがらんどうではなく、部屋の中央に、美しいエメラルドグリーンの水が張られた水盤が鎮座していた。
「綺麗ね。でも、こんなところに水盤?」
『この水は、HPとMPを全快にする回復薬のようです』
「リアル回復の泉にお目にかかれるなんて思ってもみなかったわ」
ゲーム要素が濃すぎるが、これも神の支援の内なのだろう。
「おおー! すごいっスよこれ! ちょっと手を浸けてただけなのに、もうHPとMPが完全回復してるっス!」
「これ、持ち運べたらいいんですけどね」
「そしたら回復し放題で無敵じゃねぇか」
HPに関しては乃詠の〈聖治癒〉にベガの〈白魔法〉があるが、MPの回復手段は道中で入手した『魔復薬』の下位が四本、中位が二本だけなので、この支援は非常にありがたい。
試練ボスは最低でもB+ランク。万全で挑むに越したことはないのだ。
まさか、ボス部屋の手前にゲームじみた全快手段が用意されているなんて、嬉しすぎる誤算だった。
「じゃあ、行きましょうか」
そうして万全整った一行は、乃詠の号令で通路の先へと歩を進めた。
◇◇◇
突き当りにあった扉を手で軽く押せば――あとは自動的に、重厚な音を立てながらゆっくりと開いていく。
扉が開き切った先には、奥に向かって伸びる長方形の空間があった。
目算で横幅は五十メートル、奥行きは百メートルといったところだろうか。
正面の壁には、今しがたくぐり抜けたのと同じ意匠の扉が設けられている。
そして、あたかもその扉を守るようにして陣取る、岩のごとき赤褐色の巨体。
「――来客なんざ、何十年ぶりだろうなぁ」
あぐらをかいて座すそれが、侵入者を――否〝挑戦者〟を察知して、垂れていた首をゆるりと持ち上げる。
「よくもまぁ、こんな陰気な場所に足を運ぶ気になれたもんだが……せっかく来てくださったんだ。盛大にもてなしてやらねーといけねーよなぁ。つっても、パーティーを開くほどじゃねーだろうがよ」
独り言ちながら向けられた双眸は、まるで小さな太陽が二つ並んでいるかのような色合いをしていた。
しかし、そこに本来の輝きはない。あたかも分厚い雲がかかっているかのように暗く、生気と呼べるものが感じられなかった。
だが――
「っ!」
その翳った瞳に乃詠の姿が映った瞬間の変化は、実に劇的であった。
ぱっ、と。太陽を隠していた雲が一瞬にして散らされ、本来の色彩と輝きを取り戻すや、立てた大刀を軸にして軽快に立ち上がり、燃え盛る炎のごとき真っ赤な髪を揺らめかせながら、獰猛に牙を剥いて嗤う。
「ハハハハハ――ッ! こりゃいいっ、最高じゃねーかっ!!」
輝きを取り戻すどころか、双子の太陽が放つのは――好戦的にすぎる熱。
全身から放たれるは、空気を重く震わせるほどの威圧と、波動のように広がる覇気だ。
ただでさえ隆々たる筋肉に覆われた二の腕をさらに膨れ上がらせ、ニメートルを超える身の丈よりも長い大刀をブォンッと一振り。
「胸クソ悪ぃ飼い主サマに、このときばかりは感謝してやらぁ!!」
咆え猛り、瞬時にたわめた膝を伸ばして床石を蹴りつける。
それは、まさしく砲弾のごとき突貫――凶悪なきらめきを放つ大刀の切っ先をまっすぐに突きつけて、赫灼たる巨躯が猛烈な速度で迫ってくる。
「「姐さん!!」」
瞬時に武器を構えて前に出たリオンとアークの背を――乃詠は唖然と見開いた目で見ていた。
彼らの動きが予定外のものだったからだ。
一週間パワーレベリングに励んだが、ベガを除き、元のステータスがB+ランクにもおよばない彼らは、やはりそこまで到達できなかった。
彼らのステータスでは、言い方は悪いが、試練ボスの相手にはならない。
だから、正面から相手取るのは乃詠のみで、彼らには無理をしない程度の援護をしてもらうという手筈になっていたのだ。
おそらくは、条件反射なのだろう。迫りくる尋常ならざる脅威への本能的な危機感から、体が勝手に反応してしまった。普通ならむしろ動けなくなるところを、彼らは逆に前に出たのだ――乃詠を守らんとして。
そんな彼らの気持ちは嬉しい。はるか格上を前にして、必要があるか否かは関係なく、仮とはいえ主人を守るべく動いた彼らの忠誠心には脱帽するし、その気概と胆力には敬意を表したい。
だが――これは非常に不味い状況だ。彼らではアレを止められない。そして試練ボスの挙動は、あまりにも速すぎた。
リオンとアークの思わぬ行動に思考が止まった数瞬の間に、試練ボスはすぐ目前まで迫っている。二人を下がらせる猶予など、もはやない。
「クソ雑魚に用はねぇ!! 邪魔だ、失せろっ!!」
「ぐぁっ――!?」
「ぎゃん――!?」
案の定、軽く振り回された大刀の直撃を受け、二人は吹き飛ばされてしまう。
一拍遅れて放たれたギウスの矢もベガの投石も、続く荒々しくも流れるように切り返された刃によって容易く弾かれた。
手の裡でくるりと柄を回し、さらに繰り出された斬り下ろしを、乃詠は魔力の鎧を纏った両腕をクロスさせて受け止める。
その向こうで、試練ボスの口角がさらに吊り上がった。
「ここにはやり合う相手もいねーからなぁっ、死ぬほど退屈してたんだ! クソ雑魚なんざお呼びじゃねーが、あんたなら大歓迎だぜ! 歓迎パーティーはもてなす側ももてなされる側も楽しめなきゃなぁ! そうだろ!?」
流暢に紡がれる人語。もはや驚きはしないが、それが意味するのは、試練ボスもまた人魂リサイクル組なのか、はたまた上位魔物ゆえに人語を繰れるのか……
しかしそんな余計な思考を割いている余裕など、今の乃詠にはない。
(やっぱり強いっ……! それにこいつの目、完全に戦闘狂のソレだわ!)
交差した腕の向こう――覗く太陽色の双眸はギラギラと、フレア以上の赫灼たる輝きを放っている。
戦いを楽しむ純粋さと、それを通り越した狂的にも感じられる好戦意欲。戦闘行為への病的なまでの執着。それらが同居し、悦楽と期待に満ち満ちた、相手を焼き焦がさんばかりの熱い熱い眼差し――。
魔力の鎧に触れる大刀の刃が、ギチギチと拮抗を押して眩い火花を散らし、乃詠の膝がわずかに沈み込む。
(ん、のっ……馬鹿力っ!)
そんな中でも、辛うじて背後の気配を探り、リオンとアークの無事を認めて安堵する。
頑丈なアークはともかく、リオンはとっさに〈天下御免〉を使用したのだろう。だが、彼と試練ボスとの間には1000以上もの差がある。これを覆すことは、スキルの効果をもってしても無理だった。
しかし彼が吹き飛ばされただけで済んだのは、間違いなくスキルのおかげだ。でなければ、虫を払うような軽い動作であれ、リオンの耐久ではよくて瀕死、最悪は即死していてもおかしくなかった。
「――『ハイヒール』!」
ベガが〈白魔法〉による治癒を施す声がして、すぐに二人が立ち上がる気配が背後から感じ取れた。同時に、欠片も萎えていない戦意も伝わってくる。
けれど――
「こいつは私だけでやるわ! みんなは離れていて!」
試練ボスから視線を外さないままに、乃詠は仲間たちへ告げる。言外に――戦力外通告を。
仮従魔たちの想いと覚悟を承知している乃詠としても苦渋ではあるが、現状を鑑みれば、やはり言い方は悪いけれど、彼らは足手まといなのだ。援護とて、おそらく入れる隙はないだろう。
もとより彼らと乃詠とでは大きな能力差があったが、今ではいっそうの開きが生じている。
道中の戦闘でも、基本は今までどおり四人で一つのパーティーとして動き、乃詠はソロで、たまに様子を見て彼らをフォローをするというかたちを取っていた。
ステータスの数字がすべてというわけではなくとも、圧倒的な差があった場合は話が別。それがこの世界のシステムなのだ。
眼前の試練ボスは、これまでの道中で交戦したどの魔物よりも圧倒的に強い。乃詠が本気を出さなければ打倒しえない手合いだ。彼らを守りながら戦えるだけの余裕など、とてもあるとは思えない。
「……わかりやした。姐さん、ご武運を」
少しの間があって、リオンの絞り出すような声が返った。
彼らとて承知していたことだ。試練ボスのランクはB+かA――いくら彼らも強くなっているとはいえ、前提となる種族ランクが違いすぎる。たかだか数レベル程度の上昇ではいかんともしがたいステータス差が、最初からあるのだ。
(だから、わかっちゃあいたんでぃ。あっしらは、最初から……)
しかし頭ではそれを理解していても、感情がすんなりと受け入れてはくれない。
彼らにだって矜持はある。ダンジョン攻略は彼らの悲願だ。けれど――それでも受け入れるしかないのが、悔しくも現実なのだった。
(くそっ……姐さんが戦ってくれてるっつーのに、あっしらはなんもできねぇ。なんて体たらくだよぃ、情けねぇ……)
もともと乃詠は関係のない人間だった。自分たちと出会わなければ、今ごろはダンジョンの外に出ていただろう。
他でもない――自分たちが彼女を巻き込んだのだ。
そして乃詠は乃詠で、今はただ、リオンたちの解放のために戦っている。それなのに弱い自分たちが出しゃばって、邪魔するどころかそのせいで乃詠が命を落とすことになった日には、悔やんでも悔やみきれない。
(くそっ……)
何もできない無力さに唇を噛み、強く拳を握りしめながらも、リオンたちは邪魔にならない位置まで下がるのだった。