3章26 万能聖女、ダンジョン攻略に乗り出す1
「――はぁっ!!」
裂帛の声とともに繰り出された上段回し蹴りが、空気を切り裂くような音を立てながら、黒い毛皮に覆われた側頭部に炸裂する。
ゴキャリと鳴ってはいけない生々しい音が聞こえ、接した脚に骨を砕いた感触が伝わってきた。
三メートル近くある巨体が冗談のように宙を舞い、軽い振動を伴って地面へと落下する。
それきりぴくりとも動かなくなった魔物――ジェノサイドベアは、やがて黒い靄となり、肉と毛皮のドロップを残して消えた。
「――ふぅ。今となっては、これに苦戦していたのが嘘のようね」
と汗を拭う仕草をする乃詠だが、実際には汗一つかいてはいない。
「……まったくでさぁ」
追従するリオンは、なんとも言えない表情をしていた。
口の端も目尻も、微妙な角度に曲げられていて、どんな顔をすればいいのかわからないといった感じだ。
なにせ、一撃である。前肢の振り下ろしを最小限の動きで――要するに余裕で回避しての、側頭部への一撃。たったそれだけで頭蓋は割れ、首の骨が折れ砕け、絶命した。
もはや乃詠にとって、レベルによらずC+ランクの魔物など、取るに足らない相手だということだ。ジェノサイドベアとの初戦闘から、まだ三日しか経っていないというのに。
この成長速度は、通常では考えられない。
(これが【万能聖女】の効果かぃ。わかっちゃあいたが……実際に傍で見てこそ、その異常さがわかるってもんだな。ぽんぽんスキル獲得すんのもそうだが、成長スピードも半端ねぇ)
この三日でリオンたちのレベルも多少上がっている。四人で連携すれば、もうジェノサイドベアも問題なく倒せるだろう。だが、一撃が無理なのは当然としても、倒すまでには相応の時間がかかるし、無傷でともいかない。
もはや――強さの次元が違う。
(姐さんは、やっぱりとんでもねぇお人でぃ)
もともとのステータスも彼らより高いから、倒す魔物の数は乃詠が抜きん出て多いのも確かだし、称号効果の恩恵によって成長スピードも尋常の域を超えている。
けれども、それだけではない。乃詠自身の〝強さ〟が伴ってこそ、その恩恵を最大限に教授できるのだ。
「さ、次に行きましょう」
乃詠の号令に、仲間たちが威勢よく応える。
リオンもまた、その胸に熱い炎を燃やしながら、先に歩き出した仲間たちのあとに続くのだった。
◇◇◇
出会いから一夜明け、いざ封印と試練のダンジョン『邪毒竜の森』の攻略へと乗り出した乃詠と仮従魔たち――リオン、ギウス、アーク、ベガの一行は、それからひたすら魔物と戦い続けていた。
この地に封印された災魔たるダンジョンボス――邪毒竜ファフニールは、魔物の最高位から二番目とされるSランク。
ステータスなどの詳細は不明だが、封印されるまで誰ひとりとして敵わず、かつ大陸中を暴れ回りながら生命の無差別大量殺戮を行っているのだ。レベルや能力値が低いわけがなく、スキルも多数保有していることだろう。
今の乃詠たちが、そのダンジョンボスに挑むのは死にに行くも同然。下手をすれば、対峙した瞬間に殺される。
ゆえに乃詠たちがやるべきことは、あらためて言うまでもなくただ一つ。
ひたすら魔物を倒してレベルを上げ、自己を強化する――それに尽きた。
ここはダンジョン。経験値を得るための魔物には事欠かないし、ここにはひたすら実戦しかない。
当然、常に死と隣り合わせにあるわけだが、だからこそレベルだけではない強さを得られるというものだ。
とはいえ、不必要な危険は冒さない。死んでは元も子もないのだから。
全員の戦力をしっかりと把握したうえで、ちゃんと安全マージンを取って戦っていた。
この数日で向上したのは、戦闘力だけではない。食事の質とバリエーションの向上も著しかった。
肉は魔物を倒せば確率で手に入るし、このダンジョンは元は普通の森だ。ダンジョン化したことや瘴気の影響で植生も変化してはいるが、森の恵みは健在。食用可能な山菜や香辛料など、探せばいくらでも手に入る。
それらの採取には〈鑑定〉さんが大活躍した。
肉以外の食材が手に入るようになれば、あとは料理だ。
最初はシンプルな焼肉や、プラスでキノコなんかを焼いて食べていたのだが、さすがにずっとは飽きる。
ということで、〈成形加工〉スキルにて石鍋に石のフライパン、その他の調理道具を作り、ようやく煮込みや炒め物などのちゃんとした料理にありつけるようになったのだった。
もともと乃詠は、家では家族全員分の食事を作っていたので料理は手馴れたものだったが、そこへさらに〈料理〉スキルを獲得。その補正もあってより手際がよくなり、限られた食材でも相応のものが作れるようになった。
まぁ、その際に少々……悲しい事実が発覚するという、残酷な一幕があったりもしたが。
それは、最初にまともな料理を作ろうとしたときのことだ。
『お姉さま、わたしもお手伝いします!』
ここぞとばかりに、ベガが手伝いを申し出てきた。
『ベガは料理ができるの?』
『魔物になってからしたことはありませんが、知識にはあります。きっと、人だったころにはよくしていたんだと思います』
『それは頼もしいわね。じゃあ、お願いしようかしら』
『はい! お任せください!』
両手で拳をつくって気合十分なベガの姿にほっこりしていると、
『あー、姐さん』
『どうしたの、リオン?』
口を開いたり閉じたり。何かを言いあぐねているといった様子のリオン。
取り繕うのが苦手で、常からわりとはっきりとものを言う彼の、そんな態度が非常に珍しくて乃詠は首を傾げるが、
『……いえ、何でもありやせん』
『そう?』
とても何でもなさそうには見えなかったのだが、本人がそう言うのだからと追及はせず、乃詠は調理を開始する。
自分は炒め物を担当し、ベガにはスープ作りを任せたのだった。
『お姉さま、できました!』
『…………』
石鍋の中には――混沌たる暗黒が広がっていた。
何をどう調理したら、ボコボコと泡の立つ黒々しいスープになるのか……。
要するに、ベガは〝メシマズ〟なのだった。
顔が引きつりそうになるのを堪えつつ、乃詠はふと何かに気づいたようにリオンを見た。そして目が合うや、気まずげに逸らされる。
(……これは、確定ね。リオンはこれを知っていて、忠告しようとしたのだわ。でもベガは、今世では料理をしたことがないと言っていた……つまり、リオンには前世の記憶があるのね)
そして、当時のベガとも近しい関係にあったのだ。
それを乃詠に話さないのは、何か事情があるのだろう――けれども。少し気になったので、〈念話〉にて個別回線をつなぎ、こっそりと訊ねてみた。
『――すいやせん、姐さん。今はまだ。いずれ、ちゃんとお話しできる機会が来ると思いやすので』
意味深に返されて余計気になってしまったが、ここでしつこく聞き出そうとするほど乃詠も無神経ではない。その機会とやらを待つことにする。
その後、実際に自分の作ったスープを口にして軽く失神したベガは、ひどく落ち込みつつも、料理の特訓に熱意を燃やしていたのだった。
と、そんなことがありつつも――食事が豊かになれば、心も体も豊かになる。するとレベリングも捗る。効率が上がって、レベルアップの速度が上がる。
いいこと尽くめであった。
一日三食、美味しくてそれなりに栄養もある料理を食べ、夜は〝どこでも安全地帯〟の中でしっかりと身体を休め、精力的にレベル上げに励みつつ〈マップ〉のルートに従って森の奥へと進むこと――七日後。
ついに一行は、第一の『試練の間』へとたどり着く。
◇◇◇
封印と試練のダンジョン攻略に欠かせない神創武装を入手すべく訪れた一つ目の『試練の間』は、遺跡風の建造物だった。
長い年月、風雨にさらされ続けてきたのだろう。いたるところが崩れ落ち、地面に積もった瓦礫にも苔が生えていたり、木の根や蔦が這っていて、すっかり森の一部と化している。
これぞ秘境の森の奥にひっそりとたたずむ古代遺跡、といった風情だ。
雰囲気だけなら、元の世界のベンメリア遺跡に似ている。漂っているのが紫色の瘴気でなければ、さぞ神秘的で美しい光景だっただろう。
「これは、古代の遺跡なの?」
『いえ。ダンジョンが創造された際に設置されたものです。ある意味では古代遺跡といえますが、もともとこういうデザインのようなので。強いて言えば、ダンジョンを設計した神々の趣味ですね』
「ロマンの欠片もないわね」
聞かなきゃよかったと、少し後悔した。
「ここに一体目の試練ボスがいるんスか。すごいボロボロっスけど、入って大丈夫なんスかね?」
「大丈夫だと思うわよ」
見た目は確かにボロボロだが、一応原型らしきものは保っているし、もともとがこういったデザインなら、これ以上崩壊することもないのだろう。ここが『試練の間』であるならなおのこと。
「初めて来ましたけど、このような人工物――いえ、神工物がこのダンジョンにあったのですね。あの正面に空いているのが入口でしょうか」
「そうなんじゃねぇかぃ? 他にそれっぽいのは見当たらねぇし」
「お姉さま、行きましょう!」
「えぇ」
はしゃぐベガが乃詠の腕を引き、一行は観光にでも来ているかのようなノリで入口へと向かう。
木の根だけでなく瓦礫もあるので足場は相当悪いが、ここでの生活が長い仮従魔たちはもとより乃詠も馴れたもので、難なく入口までたどり着いた。
そうして気楽な足取りのまま中へ踏み込むと、まっすぐな通路が伸びている。
左右には入口同様、扉のない小部屋が二つずつあって、ひとつひとつ中を覗いてみたが、特に何もないがらんどう。
肩透かしを食らったような気分になりつつも先へと進み、通路を抜けた先は、十メートル四方の小さな空間になっていた。
奥の壁には祭壇のようなものが彫り込まれていて、少なくとも地上部はここで行き止まりのようだ。
祭壇の手前――部屋の中心部分の床に、四角い穴が空いている。
縦横二メートルほどの穴の中は下りの階段になっているが、数メートルより先は闇に呑まれ、どこまで続いているのかはわからない。
「この下にいるのね。――試練ボスが」
『はい。間違いなく』