2章21 万能聖女、協力要請を受ける6
「わ、私が聖女? まままさか、そんなわけないじゃないのおほほっ。ち、ちなみになんでそう思ったのかしら? 参考までに聞かせてほしいのだけど?」
「?」
お姉さまはいったい何を言っているのでしょうか――とばかりにきょとんとするベガに代わって、若干呆れたような苦笑を浮かべたリオンが答える。
「どうやら、姐さんは聖女であることを隠してぇみてぇですが……隠し事とか、嘘吐くのに向いてねぇって言われやせんか?」
「うぐっ……」
実は、謡を含む友人たちに口を揃えて言われていた。
「まぁ、参考も何もねぇんですがねぃ。虹色の結界は聖女特有のもんですから。ちなみに通常の結界――〈白魔法〉の『バリア』は一律、青色でさぁ」
「常識じゃないんスか?」
追随するアークも不思議そうに首を傾けている。
特殊な個体だとしても、魔物に常識を説かれるとは……。
「わたしもそういうものだと思っていました」
ベガまで……。
とはいえ、乃詠はまだこの世界の常識を把握していないので、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
『どういうことよ、ナビィ?』
『まぁ、そうですね。概ね、彼らの言うとおりです』
『なんで先に教えてくれなかったの』
『まぁ、聞かれていませんからね。聖女スキルと通常スキルの色の違いなんて、普通は特に問題になるものでもありませんし』
確かにナビィの言うとおりだ。乃詠がそれを問題とする理由は、自分が聖女だということを隠したいからである。
この異世界で好きにやっていくと決めた以上、今さらファライエ聖皇国に連れ戻されるのも、他の国に目をつけられるのも御免なので。
その方針を知っていたのに助言をくれなかったことには物申したいが、しかし強く責めることはできない。
そこでふと、乃詠はあることに気づいてはっとする。
「結界がそうなら、もしかして――」
リオンに視線を向けると、目が合った琥珀がぱちりと瞬いた。乃詠はすぐに視線を動かし、彼の体を上から下までさっと観察する。
灰色の肌にはあちこちに、先の戦闘による小さな傷が見受けられた。
いずれも浅い裂傷や擦り傷程度で、出血はすでに止まっている。本人も気にした様子がないため、あとで治療するつもりだったのだろう。
それを、勝手ながら乃詠が引き受ける。
実験――もとい、確認のために。
(――〈聖治癒〉)
すると、いくつもあった傷は瞬く間に癒えていき、やがて完全に消えた。
しかし、見るべきはそこではない。注目すべきは、スキルを発動させた際にリオンの身を包んだ魔力の色。――いかにも神々しい、金色の魔力光だ。
「これも、もしかして……?」
こくりと。問いかけの意図を汲んだリオンは静かに首肯を返した。
「通常の〈白魔法〉の治癒は、『ヒール』は緑色、『ハイヒール』は黄緑色ですからねぃ。――あ、姐さん。治癒、ありがとうございやした」
聖女スキルの行使は、イコール聖女であることの公言だった。
その事実を知って、乃詠は思いっきり頭を抱える。
(これじゃあ人前で迂闊に聖女スキルを使えないじゃない……この世界で生きていくうえで一番重宝するスキルなのに。聖女だからって、そんなところまで特別感を出さなくても……)
――スキル〈偽装Lv5〉を獲得しました。
この流れで、このスキル名。
もたらされる効果など、詳細を見ずとも明らかだ。
(称号さん、マジ神だわ)
感謝のあまり、妙なテンションで崇めるポーズを取った乃詠を、魔物たちが若干不審の色を込めた目で見ていた。さもありなん。
ともあれさっそく試してみると、パールのような虹色の結界が、薄い青色に変化した。
次いで発動させた〈聖治癒〉の魔力光も、『ハイヒール』の黄緑色に偽装することができた。
どちらとも、あくまで色を偽装しているだけなので、当然ながら性能や効果自体は変わらない。
(これで、固有スキルを使っても聖女とバレずに済むわ)
とはいえ、聖女スキルは〈白魔法〉のそれらと比べて性能も効果も高い――いわば完全上位互換なので、そのあたりをどうにか上手くやる必要はあるのだが。
(ま、そのへんはおいおい考えましょう)
そしてこの〈偽装〉スキル、ステータスを偽装することもできるらしい。というより、本来の使い方はこちらだ。
魔力光の偽装など、普通はする必要がないのだから。
(今はまだ偽装するほどのステータスではないけど、いずれ必要になりそうな気がするのよね)
称号さんに自重する気はなさそうなので。
乃詠もまた、生きるためにある程度は自重する気がないので。
「――にしても、姐さん。魔物を除けるはずの結界の中に、なぜ魔物である僕らが入れているのですか?」
結界の基本は物理防御・魔法防御・魔除けの三種で、〈白魔法〉の『バリア』は単一の効果しか持たず、全部の効果がほしいときには三枚を重ね掛けする必要があるが、〈聖結界〉はその一枚ですべての効果を持つ。
その内の『魔除け』がもたらす効果は二つ。魔防の対象外である状態異常系の攻撃を通さないことと、魔物を近寄らせないこと。
除けられる魔物のランクはレベル依存だが、レベルが達していなくても、MPを余分に込めることで対象ランクを上げることも可能だ。
本来は魔物を近寄らせないものだが、仮に魔物がいる場所――たとえば複数の魔物に囲まれた中で使用すると、指定したランクの魔物は、その瞬間に結界外へ弾き出される仕様になっている。
だからこそ、ギウスの疑問も当然だった。
しかしその答えは、単純にして明快だ。
「私が許可しているからよ。〈聖結界〉って、けっこう融通が利くのよね」
基本仕様として三種の効果を持っていても、任意でどれか一つの単体結界にもできるし、レベル依存であってもMPさえ注入すればそれ以上の効果を発揮する。そして効果を絞れば、その分MPの消費量も減る。
また、結界の形状や範囲、強度――許容ダメージ量も、レベルの上昇がコストの減少につながってはいるものの、これらもMP次第でどうとでもなるし、魔物除けの効果があっても、術者が対象を指定すれば、こうして特定の魔物を内部に入れることもできる。
融通が利くどころか、ものすごく自由度の高い――まさに、万能結界。さすがは聖女の固有スキルといったところか。
〈聖結界〉があれば、いつでもどこでも安全地帯に早変わり。名付けて〝どこでも安全地帯〟。もちろん、命名は乃詠である。
今の乃詠のスキルレベルだと、最低量のMP消費でC+ランクまで近寄らせないことができるが、少しばかり消費MPはかさんでしまったけれど、Aランクまで除ける設定にした。
朝まで保つだけの魔力も込めてある。仮に許容量を超えるダメージを受けてもMPを自動消費して防ぐし、称号効果による消費魔力の半減やMP回復速度の上昇補正もあるので、枯渇の心配もさほどしなくていい。
(ほんと、〈聖結界〉も含めて【万能聖女】が素晴らしすぎるわね)
とそんなこんなで――高機能な聖結界に覆われ、絶対なる安全地帯と化した大木の根元にて、いろんな意味でようやく腰を落ち着けた乃詠は、あらためて魔物たちに問う。
「それで、あなたたちの解放への助力というのは、どういうことなのかしら?」
純粋に単語の意味だけで考えるなら、彼らを何らかの束縛や制限から解き放して自由にする、ということになるのだが……
「あっしらは、このダンジョンで生まれやした。そして生まれた瞬間から、このダンジョンに囚われていやす。より正確に言うなら、生まれる前から、ですねぃ」
『ダンジョンと一口に言ってもいろいろですが、基本的にはダンジョンの中で完結しています。特に神々の創造した封印と試練のダンジョンでは、コストを抑えるために死んだ魔物の魂は再利用され、再び別の魔物となって生まれる仕組みになっているのです。このダンジョン内で生まれた、もしくは取り込まれた魔物がダンジョンから出ることはできません』
頭の中が疑問符でいっぱいな乃詠に、ナビィが絶妙な補足をくれた。
さすがは相棒。何も言わなくても欲しいフォローをくれる。頼りになる。
『それほどでもありますよ。なにせ、ワタクシはノエ様の、頼れる唯一無二の相棒なのですからね。どんどん頼ってくれていいのですよ?』
頼りになる、相棒――その二つが、何やら彼女の琴線に触れたらしい。ことさらに満足げで、機嫌もよさそうだ。疑似人格に〝機嫌〟があるのかはともかく。
「要するに、このダンジョン特有の魂リサイクルシステムから解放されて、普通の自由な魔物として生きたい、ってことよね?」
「へぃ、そのとおりでさぁ」
「でも、ダンジョンの一部になっているあなたたちを解放するなんて――……」
言っている途中で気づいた。……気づいてしまった。
ダンジョンに囚われている彼らが解放される方法なんて、一つしかない。
彼らを捕えているモノをなくす――すなわち、ダンジョンの完全攻略。
この世界には多種多様なダンジョンが存在するが、その中でも封印と試練のダンジョンは特殊だ。
封印した災魔をダンジョンのボスに据え、それを人類に倒させるために、神々の手によって創られたもの――すなわち、災魔が討伐された時点で、このダンジョンは存在意義を失う。
不要となったダンジョンは消滅し、同時にダンジョンのシステムによって縛られていた魔物たちは解放され、自由になる――ということだ。
「あなたたちは、本気で災魔に挑むつもりなの?」
当時の、誰の手にも負えなかったため、神々がやむをえず封印した存在――それが災魔だ。
それだけでも尋常ならざる手合いだということがわかるが、ナビィによれば、邪毒竜ファフニールのランクは最上位の一個下、Sランクらしい。
それを、はるか格下である彼らのパーティーで打倒するなど、無謀以外の何ものでもない。自殺志願としか言いようのない愚行であり、率直に言って不可能だ。絶対に。存在自体の差が絶望的すぎて、奇跡さえ起こりようがない。
けれど――そんなことは、彼らとてわかっているのだ。だからこそリオンは、悔しそうに目を伏せ、膝に乗せた拳を震えるほどに握りしめている。
「無謀だということは、あっしらが一番理解していやす。ですが、このまま死ぬまで……死んでもここに居続けるなんて、とても耐えられやせん。あっしらは、もっと自由に生きたい。何より、ここにあっしらの居場所はないんでさぁ」
その苦しげで、寂しそうな物言いと表情に、乃詠は確かな違和感を抱いた。
彼らはやっぱり――違う。他の魔物とは、明らかに。
乃詠はまだこの世界のことには疎いが、彼らが〝異質〟な存在であるということだけは、確信をもって断言できた。