2章20 万能聖女、協力要請を受ける5
人並みの知性や理性を持ち、人語を話す魔物たちは、何やらのっぴきならならない事情を抱えているらしい。
持ち前の勘が厄介事の臭いを嗅ぎつけているが――しかし、話も聞かずにはねのけることも、乃詠の性分が許さなかった。
「それは、どういうことかしら?」
「へぃ。実はですねぃ、あっしらは――」
「ちょっと待ってください」
カオスゴブリンソードマンが答えようとするのを遮って声を上げたのは、いやに物腰柔らかで礼儀正しい、弓使いのカオスホブゴブリンだ。
「ここで長々と話し込んでいれば、またいつ魔物が襲ってきて中断されるかも知れません。それに、だいぶ暗くなってきているので、詳しい話をするのは、今夜の寝床を定めてからにしませんか?」
「あぁ……そうだなぁ」
言われて乃詠も気づいたが、確かにずいぶんと光量が落ちてきている。日もだいぶ傾いてきていて、おそらく時間以上にこの森は暗くなるのが早い。すぐに森全体が夜の闇へと沈むだろう。
(夜間に力を増す魔物や、闇夜の中でこそ力を発揮する暗殺者タイプの魔物もいるという話だったわよね)
ただでさえ足場が悪い森の中、暗がりでの行動や戦闘を避けたいというのは、人でも魔物でも共通認識のようだった。
「あのクマ公のせいで、拠点からはけっこう離れちゃったっスよねー。今から戻るのは、さすがに厳しいっスかね?」
カオスコボルトが、ふさふさの黒毛に覆われた首を傾げる。
「ここからだと……そうですね、歩いて二時間はかかるでしょうから、向かっている途中で真っ暗になってしまうと思います」
答えたのは、愛らしい顔に神妙さを滲ませたカラミティヴィーヴルだ。
「あなたたちは拠点を持っているのね」
「へぃ。といっても、ただの洞窟ですがねぃ」
彼らはいつも、その拠点を中心に、大体二キロ圏内で狩りやレベル上げに励んでいるという。
そこには彼らと同程度のランクやレベルの魔物しか生息していないから、ということらしいが、しかし今日に限っては思わぬ遭遇があった。
カオスコボルトが口にした〝クマ公〟――言わずもがな、ジェノサイドベアである。
ある程度、種族ごとにテリトリーが決まっていても、侵入を制限されているわけではない。格上の魔物がふらりと現れることだってある。ただ、偶然鉢合わせてしまった彼らに、運がなかっただけ。
ジェノサイドベアは、彼らが四人で連携しても厳しい手合いだ。即座に逃走を試みるも叶わず、交戦を余儀なくされてしまった。
しかし交戦早々に盾役のカオスコボルトが重傷を負い、彼の治療のためにカオスゴブリンソードマンがひとりで殺戮熊を引きつけていたのだが、そうしているうちに拠点からだいぶ離れてしまった――ということらしい。
「あっしらは夜目が利くし、この環境に馴れてるからなんとかなるだろうが……お嬢さんでも、さすがに厳しいですよねぃ?」
「そうね。私の目では、闇は見通せないもの」
――スキル〈暗視Lv5〉を獲得しました。
相も変わらず称号さんが絶好調で何よりだが、いくら暗闇の中で視界が確保できたとしても、やはり危険なことに変わりはない。
可能な限りリスクは避けたいところだ。
「それと、私のことは乃詠でいいわよ」
「へぃ。わかりやした、姐さん」
「何をもってしてわかったのかしら?」
カオスゴブリンソードマンに便乗するように男性陣は〝姐さん〟、紅一点は〝お姉さま〟呼びで定着したらしく、誰も名前で呼んではくれなかった。
方向性は元の世界と同じだが、乃詠は組員たちに〝お嬢〟と呼ばれていて、〝姐さん〟と呼ばれていたのは組長の妻たる亡き母だ。なので、自分がそう呼ばれることにはどうも違和感がある。
かといって〝お嬢〟と呼ばすのも違う。〝お姉さま〟はよし。かわいい妹分ができて嬉しい。
「……まぁいいわ。あなたたちの名前は?」
「僕らは魔物ですから。好きに呼んでいただいて構いませんよ」
通常、魔物に固有名はない。例外として、長く生きて高レベルとなったネームドの魔物もいるにはいるが、かなり特殊な部類だ。
身近な例では、邪毒竜〝ファフニール〟がそれに当たる。人々が畏怖を込めて名付け、それが世界に認識されて固有名となるらしい。
「名前がないと意思疎通が不便じゃない?」
「いえ、特に不便だと思ったことはありませんよ。名前がなくても、ちゃんと伝わりますし。このあたりの感覚は、魔物でなければわからないものなのかもしれませんね」
精神感応の一種だろうか。スキルではないようだが――これまでに見た魔物たちも鳴き声だけで意思疎通をしているようだったし、魔物特有のものなのだろう。
他にもありそうだ。夜目が利くのもしかり。
「それじゃあ――ゴブ、ホブ、コボ、ヴィー、でいいかしら?」
カオスゴブリンソードマンが〝ゴブ〟、カオスホブゴブリンが〝ホブ〟、カオスコボルトが〝コボ〟、カラミティヴィーヴルが〝ヴィー〟。
ひとりひとり指差しながら告げると、途端に魔物たちの顔が、ものすごーく微妙なものになった。さもありなん。
「……いえ、まぁ、好きに呼んでほしいと言ったのはこちらですし、姐さんがそう呼びたいのなら、別にそれで構いませんよ、えぇ……」
とても構いそうだ。
「そ、そっスね! コボって呼び名、嫌じゃ……ないっスよ、オイラ!」
とても嫌そうだ。
「い、いやぁ、さすが姐さんでさぁ。容姿と戦闘力のギャップもさることながら、センスもずいぶんと斬新なものをお持ちのようで」
全然フォローになっていない。
「か、仮のものだとしても、お姉さまからいただいた名前ですから、一生大切にしますっ……!」
一生大切にする必要はない。健気すぎる。
『ノエ様、今一度ご再考を。さすがに彼らが不憫です。被害者はワタクシひとりで十分です』
『ちょっとナビィ、それどういう意味よ。もしかして、ナビィって名前、嫌だったの? なら、なんでそのときに言わないのよ』
『ワタクシのことはいいのです。もう馴染んでますし』
『……私的には、どれも可愛くていいと思うのだけど』
『安直でも適当というわけではなく、本気でそう思っているからタチが悪いんですよね』
『……そんなにダメかしら』
憮然としつつも――ナビィとは違ってちゃんと実体のある魔物たちの、その表情を見てしまえば、自分の付けた仮の名がまったく歓迎されていなことがわかる。
それに軽くショックを受けつつも、乃詠は再び頭を悩ませ始めた。
「――じゃあ、星シリーズでどうかしら」
カオスゴブリンソードマンが〝リオン〟、カオスホブゴブリンが〝ギウス〟、カオスコボルトが〝アーク〟、カラミティヴィーヴルが〝ベガ〟。
先と同じように指差し伝えれば、途端に魔物たちの顔がぱっと明るくなる。
絶望の中に光を見出したとばかりの、それはそれは輝かしい笑顔だった。
最初がひどすぎたこともあり、安堵と喜びも一入なのだろう。
『なぜ最初からその発想ができないのですか……』
ナビィの呆れた思念には、全力でスルーを決め込んだ。
ともあれ、互いの呼び名が決まったところで、話は本題へと戻る。
「拠点がダメなら、この辺りで適当な寝床を探すしかないっスね。どっかいい場所があるといいんスけど」
「大丈夫よ、どこでも」
「へ?」
きょとりと青い目を瞬かせるアークをよそに、
「まぁ、別にここでもいいのだけど――」
乃詠は周囲をぐるりと見回し、
「――あ。あそこなんてよさそうね」
一点に視線を定めると、そちらへ向かって颯爽と歩き出す。
きょとんとしていた魔物たちも、慌ててそのあとに続いた。
乃詠が足を止めたのは、周囲の木と比較して特に太い大木の根元だ。
大地が一段沈んでいて、張り出したアーチ状の根っこが、庇程度の奥行ではあるものの、ちょうどいい具合に屋根を作っている。
(地面の凹凸も少ないし、ここなら問題なく眠れそうね)
ひとり頷く乃詠は、魔物たちが追いつくのを待ち、彼らが傍まで来たところで、そのスキルを行使した。
(――〈聖結界〉)
キンッ、とかすかな音が耳に届き、虹色にゆらめく壁が出現する。
乃詠を中心とした半球形の結界が、一瞬のうちに形成されたのだ。
「これでもう、ここは安全よ」
「わわっ!? これ、聖結界っスよね! すごくキレイな虹色っスねー!」
「――え?」
「お姉さまは聖女様だったのですね! 聖女様なのにジェノサイドベアを単独で倒すほどの戦闘力もあるなんてすごいです!」
「――んん!?」
無邪気に目を輝かせて結界を見回しているアークに、頬を赤らめて尊敬の眼差しを向けてくるベガ。
その後ろでは、ギウスが驚きの表情を浮かべ、リオンは軽く目を見張ったあとで訝しげに眉を寄せていた。
(ちょっと待って!? なんか普通に聖女だってバレてるのだけど!? なんでよ!?)
聖結界が原因なのはわかる。けれども、結界は別に聖女特有のものではない。それに関しては物知りナビィさんに確認済みだ。
しかし、それならなぜ、彼らはさも当前と言わんばかりに、乃詠を〝聖女〟だと断じるのか――。
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