序章2 万能聖女、悪魔認定で追放される2
――その場面に遭遇できたのは、まさに天の差配だったと言える。
学校が終わり、帰宅部である乃詠は、いつものように親友の涼風謡とともに街中をぶらついていた。
「乃詠ちゃん、今日は何するー?」
「うーん、そうねぇ……」
「ゲーセンはちょっと飽きたし、ボーリングとかスポーツ系もなんかなぁ。カラオケって気分でもないしー、無難にショッピングとか、カフェでお茶とか」
謡が指折り挙げていくそれは、まさに学生の放課後といった青春ライナップだ。
「せっかくの週末なのに、なんかもったいない気がしない?」
「うーん、なら遊園地とか水族館とか動物園とか?」
「遊園地は時間的に微妙だけど、動物園でもふもふたちに癒される……アリね」
「私はもふもふより、ヘビとかサメが見たいかもー。あと、ちょっとマジメなところで博物館とか美術館とか」
「今はマジメな気分じゃないわ」
「んじゃ、久しぶりにサバゲーは?」
ジャンルが一足跳びに急変した。
「サバゲーねぇ。確かに最近はご無沙汰だったわね」
「もしくはうちでVRゲームする? 普通のでもいいけど。体動かすほうがいいなら、シューティングとか組手でもいいし。――あっ、そうだ!」
謡の頭上にピカーンと光る豆電球を幻視する。
「週末だし、どうせなら旅行いっちゃう? ジェット出すよー!」
「いいわね、旅行」
何しよっかの選択肢が広すぎるし、最後のそれは、いくら週末といっても気軽に高校生の口から出てくる選択肢ではないのだが、この二人にとってはわりと日常的なことなのだった。
そして謡の言う〝ジェット〟とは、涼風家の所有するプライベートジェットのことである。
乃詠とは小学校からの腐れ縁たる涼風謡は、国内屈指の資産家にして海外まで広く事業展開しているスズカゼグループのご令嬢だ。
要するに、超がつくほどの金持ちである。
といっても、旅先で使うお金はすべてポケットマネーだ。親にもらった小遣いなどではなく、れっきとした彼女自身の稼ぎ。それには乃詠も噛んでいるので、二人の共同マネーでもあった。
「むむっ、なんか急に本場の海南鶏飯が食べたくなった!」
「本当に急ね。まぁ、何かを無性に食べたくなることはあるけれど」
「じゃあ行き先はシンガポールで、おけ?」
「いいわよ。なんか私も食べたくなったし」
ちょっと週末に本場の味を食べに行こうなノリで国外行きを決めた二人は、準備のために一度自宅へと帰ることになった――のだが。
「――え?」
何気なく横道へと視線を向けた乃詠が、不意に立ち止まる。
少し先でそれに気づき、足を戻した謡は、「どうしたのー?」と彼女の顔を覗き込んで――そこに般若がいたのでぎょっとした。
乙女にあるまじき形相が向く先へと謡が目をやったときには、アスファルトをローファーが蹴りつける音が遠ざかっている。
数十メートル先で止まっている黒いバンに、チンピラ風の男が妹――歌恋を無理やり押し込む場面を、乃詠は偶然にも目撃してしまったのだ。
しかし乃詠が走り出してすぐに扉は閉められ、エンジン音が上がる。
百メートル近い距離を一瞬で走破することなど人間には不可能だ。それでも恐るべき脚力を発揮してあと数メートルのところまで迫るが、無情にも車は発進してしまう。
「どうしよう、このままじゃ歌恋が……」
人の足で車に追いつけるわけがなく、都合よくタクシーが通りかかるなんてこともない。あとは車のナンバーを控えて警察に通報するくらいしか取れる手立てはないが――しかし今、乃詠の隣には頼れる友がいるのだ。
「だーいじょーぶよ、乃詠ちゃん! 発信機つけといたから!」
顔の横でスマホを振って、ぱちりと魅惑のウィンク。
小さな画面に映るのは、この辺り一帯の簡易マップだ。赤い点が一つ、マップ上を移動している。その赤い点が示すのは――歌恋を拉致した車の現在地。
「さすがハイスペ令嬢、その異名は伊達じゃないわね!」
「えっへん! それほどでもあるからもっと褒めてもいいよー!」
口を開くと少々残念感があるが、外見だけなら絶世の美女。天に二物どころか十物も百物も与えられた才色兼備の完璧超人。ついた異名が〝ハイスペ令嬢〟。
その出自から、幼少期より誘拐などの危険にさらされることが多かった謡は、それに対抗すべく自ら護身術――という名の達人級の武術――を身につけ、さまざまな自衛手段を模索し、その一環で自作した対策小道具を当たり前のように携帯するようになった。
某体は子供頭脳は大人な名探偵が持っている、自称天才発明家が作った裏面がシールの発信機と相違ないそれも、彼女が自作した小道具の一つだ。
「さぁ行こう、乃詠ちゃん!」
「えぇ!」
「歌恋ちゃん救出ミッション開始ー!」
「今はそういうのやめてくれる?」
「はい。ごめんなさい」
そうして発信機の示す先へと向かった二人がたどり着いたのは、廃工場の敷地内にある倉庫だった。
周囲に民家はなく人通りもほとんどないため、悪党がたまり場として使うには絶好の場所である。
倉庫の中には二十人ほどのチンピラがたむろしていて――今まさに、泣いて嫌がる歌恋を無理やり組み敷かんとするところだった。
そこへ少女が一人、真正面から堂々と乗り込んでいく。
「そこまでよ、下劣な暴漢どもっ!」
その声に反応して振り向いたチンピラたちは、そこに立っていた少女の姿を見て一瞬、呆気に取られるも、すぐにその顔を獣欲へと染めた。
「ひゅぅ~! 超美人じゃん! 最近のJKってのはレベル高いね~!」
「てかあの制服、サク女のじゃね? めっちゃお嬢様じゃん。やべぇそそる」
「おいおい、最高じゃねぇの。極上の獲物が自分から身を差し出しにきたぞ」
下卑た笑みを浮かべ、下劣なセリフを口にしながら、自ら身を差し出しにきた獲物――乃詠のほうへと近づいてくるチンピラたち。
実のところ、乃詠もまた、謡に負けず劣らずの美少女なのだ。現役女子高生にして絶世の美女を前に、性欲に忠実なケダモノたちが喜ばないわけがない。
ちなみにチンピラの一人が口にした〝サク女〟とは、乃詠と謡が通う『桜城女子高等学校』の略称だ。
「あなたたち、よくも私の世界一大切な妹を怖い目に遭わせてくれたわね」
恐怖を与えるためかやけにゆっくりと包囲を縮めていくケダモノ集団の内の一人が手を伸ばし、乃詠の細い腕を掴む。
――チンピラたちは、乃詠のことを心底から侮っていた。
当然だ。相手はただの女子高生であり、それも明らかに暴力とは無縁の外見をしているのだから。
だが次の瞬間、乃詠の腕を掴んだ男は、背中から地面に叩きつけられていた。
「……なっ!?」
「こいつ、ただもんじゃねぇぞ!?」
警戒しわずかに距離を取る男たちを、いやに静かな灰眼が見据える。
「彼女の肌に汚い手で触れたことだけでも万死に値するというのに、あまつさえ乱暴をはたらくなんて――」
乃詠は自他ともに認めるシスコンである。
とある事情で別々に暮らし、さらに嫌われていて会ってもらえないからと、無自覚にストーキングするくらいには妹愛が強い。
幸いにも対象にバレることはなく、見かねた謡がすぐに止めさせたが……自分が妹にストーキング行為をはたらいていたことを自覚した乃詠は、それから一週間ほどショックで寝込んだ。
そんな事情があるので、偶然にも久しぶりに顔が見られて狂喜乱舞する場面だというのに、それがまさかの拉致現場で、しかも獣欲まみれのゲス男たちに乱暴されかけている――
「潰される覚悟は、できているわよね?」
お姉ちゃんの怒りゲージはすでに振り切れていた。
自分よりも体格のいい男たちを、それも複数を相手に巧みに立ち回り、的確に急所の一つ(どことは言わない)を打ち抜いていく。
狙いがバレ、対応されれば別の急所を打ち、昏倒、または前後不覚にしてからソコに一撃を見舞う。一人として例外はない。
謡ほどではないが、乃詠も大概、超人だ。
何でもやれば人並み以上にこなす。勉強も運動もそれ以外も。あらゆる物事に万能で、これといって苦手なことはない。
また特殊な家庭で育ち、特殊な令嬢と親しくする過程で、護身以上の戦闘力も有するに至った。
そうして無慈悲な修羅と化したシスコン姉は、とにかく暴れに暴れた。
「っ、なんだお前!? いつの間に――ごはっ!」
「あーあ、バレちゃった。ま、しょがないか。――おーい、妹ちゃんは確保したよー!」
「グッジョブよ!」
乃詠は陽動だ。彼女が囮となって男たちを引きつけている間に、謡が気配を消して奥へと――歌恋のもとへと踏み込んでいた。ハイスペ令嬢はリアルに気配を消せるのだ。
そうして見事、救出対象を確保してのけた謡がぐっと親指を立ててくるので、乃詠もまたサムズアップを返す。
だが、謡の存在がチンピラどもに知れてしまった。注目されている中で気配を消すのはさしものハイスペ令嬢でも難しく、もとより同行者の気配まではどうにもできない。また、歌恋を抱えて連中を振り切り、倉庫から出るのも困難。
となれば、取れる手段は一つ。この場にいるチンピラどもをすべて伸し、なんの憂いもなく堂々と大手を振って退散する――ということで、歌恋を背に庇いつつ、謡も乃詠に加勢して暴れ回った。
美少女JKコンビの冗談みたいな無双劇も、十分と経たずに終わる。
最後の二人を同時に伸して、互いにふぅと息を吐いた――そのとき。
「――いやっ!! 放してっ!!」
謡が背後に守っていた歌恋が、再びチンピラの手に奪われてしまう。
おそらく、乃詠が踏み込んだ段階でどこかに隠れていたのだろう。いかな完璧超人といえど、肉体構造も機能も人のもの。目の前の連中への対処が精いっぱいで、認識の死角を突かれてしまったのだ。
歌恋の首に添えられたナイフを見て歯噛みする乃詠たちへ、男は下卑た笑みを浮かべながら、とんでもない要求をしてきた。
「へへっ、へへへっ……おい、お前ら、この女の可愛い顔に傷をつけられたくなきゃあ、今すぐ服を脱ぎやがれぇっ!」
これには、さしもの乃詠もたじろいでしまう。
サバイバルナイフの刃渡り程度ならさして問題にはならないが、人質を取られている以上、二人も容易には手を出せない。その人質が大事な妹であるシスコン姉ならなおのこと。
かといって要求どおりに脱いでやるのも死んだってごめんだ、と乃詠は胸中で唾棄するが……しかしシスコンゆえに、自分を差し出すのもやむなしか、と思いかけたところで、ふと視界の端で動きがあった。
目の動きだけでそちらを見やり――ぎょっとする。
「えっ、ちょおっ!?」
ハイスペ令嬢が普通に脱ぎ始めたのだ。
ばさりとブレザーを脱ぎ、しゅるりとリボンを解く。
乃詠の動揺などお構いなしに、すでにモード移行している謡から、色気たっぷりの流し目を頂戴した。
それは意思を伝えるためのアイコンタクトだったのだが、うっかり乃詠がドキリとさせられてしまった。親友のこのモードは本当に心臓に悪い。
(大方――〝アレが私の悩殺ボディーに釘づけになってる隙に歌恋ちゃんを華麗に救出よろしくー〟ってところでしょうけど)
このあたりの以心伝心ぶりは、付き合いの長さと一緒にいる時間の多さによるものだ。一部ふざけたような言い回しも、たぶん正確。
確かに完成された肉体美を誇る超絶美少女のストリップなど見た暁には、釘づけになって隙を見せるどころか、視覚のみで昇天すること間違いなしだろう。
それに、常から自分に見せて恥ずかしいところはないと豪語する彼女自身、その行為になんの抵抗もないことも知っている。知っている――のだが。
乃詠は疲れたように額に手を当てる。
(それこそ、もっと華麗なやり方はなかったのかしら……)
しかし幸いと言っていいのか、謡がそれ以上脱ぐ必要はなかった。
「「――っ!?」」
突如として眩い光に包まれた救出対象の歌恋と、そして乃詠の二人が、その場から忽然と消えてしまったから。