2章17 万能聖女、協力要請を受ける2
『え、なんで? なんでいきなり私がタゲられてるの?』
『言ったではないですか、ダンジョンの魔物が優先して襲うのは人だと。魔物と人とでは気配が異なりますからね。この程度の距離なら、感知系のスキルを持っていなくても気づけます。獣型には嗅覚に優れたものも多いですし』
『なんであなたはそんなに冷静なのよ』
『ワタクシは所詮、疑似人格ですから。冷静も何もありません』
『こういうときだけそれを主張するのやめてくれる?』
などと、そんな戯言の応酬をしている場合ではない。
咆哮をとどろかせたジェノサイドベアが、その巨体を躍らせ、こちらへ一直線に突進してくる。
そのスピードは想定以上のもので、瞬く間に彼我の距離が縮まっていく。
戦うか、逃げるか――ステータスを比較すれば、逃走一択だ。
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名前:一色乃詠
性別:女
年齢:17歳
種族:人間(異世界人)
称号:【万能聖女】
レベル:9
HP :510/510
MP :492/492
筋力 :235(+100)
耐久 :200(+100)
敏捷 :257(+100)
魔力 :229
抵抗 :259
幸運 :202
固有スキル:〈救済〉〈聖結界Lv5〉〈聖治癒Lv6〉〈浄化Lv6〉〈豊穣Lv5〉
〈祝福Lv5〉〈聖別Lv5〉
耐性スキル:〈瘴気無効〉〈精神耐性Lv8〉〈苦痛耐性Lv8〉〈空白耐性Lv5〉
武術スキル:〈棍棒術Lv6〉
通常スキル:〈製薬Lv5〉〈身体強化Lv5〉〈自動発動〉〈マップ〉
〈ナビゲーション〉〈鑑定Lv5〉〈解析Lv5〉
〈アイテムボックスLv5〉〈気配感知Lv5〉〈悪路走破Lv5〉
〈木登りLv5〉〈登攀Lv5〉〈危機感知Lv5〉〈空踏Lv5〉
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勝算がまったくないというわけではない。ステータス値の圧倒的な差はそのまま勝敗に直結するが、僅差であれば十分に覆せる範疇。わずかばかり筋力・耐久が劣る乃詠でも、勝てる見込みはある。
ただしそれは、純粋な数値だけを見た場合の話。潜在的な力を秘めているかもしれないし、強化系の隠し要素を持っているかもしれない。それらはステータスには表れず、また〈解析〉スキルを用いてもわからないものだ。
いかにゲーム的とはいえ、この世界は紛うことなきリアル。生存率を上げるべく積極的にレベル上げをしていくつもりではあるが、しかしあえてギリギリの綱渡りをする必要はない。
幸いにも、敏捷値は相手より100も上回っている。
逃げられるのなら、逃げるべき場面だ。
一秒にも満たない思考でそう結論を出した乃詠は、即座に身をひるがえして地面を蹴る。――だがしかし、数メートルほど走ったところで何かに足を取られ、つんのめった。
辛うじて転倒は免れたものの、何事かと足元を見れば、右足首に細い木の根が巻きついている。
「ちょ、こんなときにっ……!」
『こんなときだからこそかと』
バンギングプラントの群生地を抜けても、植物系魔物はいる。
これは王道トレントの亜種『ハラスメントレント』という、殺したり捕食したりではなく、ただひたすら嫌がらせを仕掛けてくるだけの、厭らしく性悪な魔物だ。
『そうだったわね! そういう魔物だったわ!』
微妙にギャグじみた名前の奴らは、嫌がらせこそを生き甲斐としている。それこそが存在意義といっても過言ではない。
そんな性質を持つからこそ、今この瞬間に乃詠の足を捕えたのだ。
とことん腹立たしい魔物だが――さりとて種族ランクはD。すなわち弱い。棍棒で一叩きすれば、ワニ叩きよろしく怯んで根っこを引っ込める。
対処の時間はごくわずか。されど、そのわずかな時間こそが致命的だった。
「グオォォォ―――ッ!」
獰猛な雄叫びが間近で上がり、ビリビリと鼓膜を震わせる。
二足で立ち上がった巨躯が壁のようにたたずんで、丸太のごとき前肢を振りかざす。
先端に生えた鋭い爪が凶悪な煌めきを放ち――空気を圧し潰すようにして巨腕が落ちてくる。
回避は不可。受け止めるしかない。
そう覚悟を決めて棍棒を構えた、その瞬間。前方からの衝撃に押され、背後にたたらを踏む――直後、金属同士のぶつかる音が鳴り響いた。
「なに――」
見開いた視界に映るのは、交差する黒爪と白刃。
少し目線を下げれば、アッシュパープルのたてがみを生やした灰色の頭頂部に、毛皮のついた黄色の上衣と緋色の袴に似た下衣で身を包んだ矮躯――先ほどまでジェノサイドベアと戦っていた、カオスゴブリンソードマンだった。
(魔物が、庇ってくれた……?)
あの瞬間、追いかけてきたカオスゴブリンソードマンが乃詠を突き飛ばし、間に割って入ったのだ――と、状況はわかったが困惑は大きい。
なにせ、どちらも魔物だ。そして乃詠は人間。
ダンジョンの魔物は人を優先的に襲うと、つい先ほどナビィから説明されたばかりである。
現にジェノサイドベアは、敵対している魔物がいるにもかかわらず、人たる乃詠の気配を機敏に察知し、狙いを即座に変更した。
だというのに、今度はその敵対者たる魔物がジェノサイドベアから乃詠を守るために動いた――これはいったいどういうことなのか。
驚きと困惑に見舞われる乃詠を、次の瞬間、さらなる驚愕が襲った。
「悪かったなぁお嬢さん! 手荒な真似しちまって!」
「ま――魔物がしゃべったぁっ!?」
「気持ちはわかるが言ってる場合じゃねぇよぉ! 今のうちに早く逃げろぃ! あんまし長くは保たねぇんでぃ!」
とても流暢に冷静な返しを受けて、乃詠もすんと冷静になり――気づいた。
最初に受け止めたときは、まるでそこに壁でもあるかのように微動だにしていなかったジェノサイドベアの腕が、徐々にこちらへと近づいている。
カオスゴブリンソードマンが押し込まれているということだ。
(いや、でも――そもそもおかしくない?)
カオスゴブリンソードマンはジェノサイドベアに筋力で劣っている。それも100近くも。
身長差もかなりあるし、純粋な数値だけを見れば、受け止められるはずがないのだ。
ということは、いわゆる火事場の馬鹿力が発揮されているのか、あるいは隠し特性やスキルの発動しか考えられないが――
『固有スキル〈天下御免〉を使っているのかと』
そう告げたナビィが当前のように使用した〈解析〉スキルの効果によって、そのスキルの詳細が頭の中に浮かび上がる。
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◇固有スキル〈天下御免〉
何人たりとも我が花道を塞ぐこと能わず。
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『……ねぇ、全然スキルの説明になっていないのだけど』
『要するに、行使すれば一時的に――おそらくはごく短時間、相手とのステータス差をひっくり返すことができる、というものですね』
『その説明にもなってない説明で、なぜそこまで細かくわかるのか不思議なのだけど……なるほどね。その効果なら、確かに〝何人たりとも我が花道を塞ぐこと能わず〟になるわね』
おそらく、その気になれば前肢を跳ね返すことができたのだろう。なのにあえて受け止めたのは、ジェノサイドベアの動きを封じ、乃詠が逃げるための猶予を作り出すため。
押され始めているのは、スキルの効果が切れてきているということだ。
単純なステータス上昇とは異なるようだが、いずれにしても一気に元に戻るわけではないらしい。
とそれはさておき、彼の気づかいを無駄にはできない。乃詠は速やかにその場から離れた。
直後、均衡が一気に崩れ、そのまま殺戮熊の大きな前肢がカオスゴブリンソードマンを押し潰す――かに思われたが、どうやら意図的に力を抜いたらしい。
力と力の起点を正確に把握し、わずかに重心をずらすと同時に刃を傾けて、ジェノサイドベアの剛腕を地面へと流したのだ。
素人に毛が生えた程度の理解しか持たない乃詠の目から見ても、見事というほかない技巧――。
(ソードマンの冠と剣術レベル5は伊達ではないということね)
流れるような動きで相手の懐から脱し、側面へと回り込んで攻撃を浴びせるカオスゴブリンソードマン。それに応じるかたちで、ジェノサイドベアのタゲが再び彼へと移り、彼らの闘争へと戻っていく。
乃詠は少し走ったところで足を止めた。
距離にして二百メートルくらいか。ここらは比較的地形が平坦なので、ときおり木々の合間から、戦う彼らの姿が見える。
先ほどはかなり近い距離にいたためジェノサイドベアに察知されてしまったが、ここまで離れると問題ないようだ。
『それにしても、ステータス差を覆せるなんてすごいスキルを持ってるなら、なんであんなに苦戦してるのかしら? 最初に姿を見せたときも吹き飛ばされてたみたいだし、立ち直りは見事だったけれど、余裕ってわけでもなさそうだったわよね』
『効果が十数秒程度の短時間なうえに、MPを消費するからでしょう。より強い相手ほどMPの消費量が増えるのだと思われます』
確かに――姿が見えた一瞬で鑑定してみたら、最初に見たときよりもMPの残量が大幅に減っていた。彼にとっても切り札のようなものなのだ。
(そんなスキルを、私のために使ってくれたのね)
見ず知らずの、それも敵対しているはずの人間を助けるために。
胸にじわりとした温かさが滲み、同時になんだか落ち着かなくなる。
――と、そのときだ。戦闘を繰り広げている魔物たちのもとへ、急速に接近する気配が三つあった。