1章13 万能聖女、デンジャラスな魔物たちの洗礼を受ける8
『魔石やドロップ品は売れる?』
『はい。魔石は主として魔道具の動力に、素材ドロップは武器や防具、薬などの材料に、食材ドロップはそのまま料理の食材になります。便利アイテムの類いも、物によってはとんでもない高値で売れることがありますよ』
『それなら、ちゃんと回収しておかないとね』
もう一つの魔石を摘まみ上げてから、はたと気づく。
(魔石の二十個くらいならポケットに入りそうだけど、毛皮とか肉とかドロップされても、さすがに持ち運びは難しいわよね)
マップを見る限り、ダンジョンの外はまだまだ遠い。ということは、再び魔物に遭遇するのは必然で、回避が不可能ならば倒して進む必要がある。
(ダンジョンからの脱出が目的とはいえ、売れるものを捨て置くなんて、もったいないにもほどがあるわ)
こちらへ持ち込めたものはスマホのみ。すなわち、今の乃詠は無一文。異世界では電子マネーも使えない。そもそも日本円など使えないだろうが。
無事にダンジョンから出られたら町を探すつもりで、食事をするにも宿に泊まるにも金銭は必須。換金できるものは、あればあるほどいい。
(鑑定並みに定番な、アイテムボックスとかがあればいいのだけど)
――スキル〈アイテムボックスLv5〉を獲得しました。
(あぁうん。ご都合バンザイ)
思わず半笑いになりながら念じると、手のひらにのせた二つの魔石が消えた。
すると脳裏にリストが浮かび上がってきて、そこには『魔石(Dランク)×2』と表記されている。
分類はドロップした魔物の種別ではなくランク別らしい。
(うぅん、ほんと便利だわ。――あ、そうだ)
収納した魔石を何度か出し入れして使用感を確認していた乃詠は、そこでふと思い立ち――おもむろにブレザーを脱ぎ始めた。
もちろんストリップを始めたわけではない。ハイスペ令嬢でもあるまいに。
(動きにくいから、ずっと脱ぎたいと思っていたのよね)
制服のブレザーは生地が厚く縫製もしっかりしているので、どうしても可動部に制限がかかってしまう。
けれど、手に持っていれば戦闘のときに邪魔になるし、かといって捨て置くのも憚られたため、ずっと脱げずにいたのだ。
ついでにリボンも外し、ブレザーと一緒に〈アイテムボックス〉へと放り込む。
さらに動きやすくするために、シャツのボタンを一つ外して首元をくつろげ、袖も肘上までまくり上げた。
元の世界では秋も終盤で、とてもシャツ一枚では過ごせない気候だったけれど、こちらは温暖だ。動きやすさもだが、気候的にも、腕まくりするくらいがちょうどいい。
(これでよし)
そうして乃詠は、再びダンジョンから脱出すべく歩き出すのだった。
◇◇◇
歩き出してすぐ、再びカオスゴブリンと会敵した。
おそらく、ここら一帯がカオスゴブリンの縄張りになっているのだろう。先の戦闘でレベル3となり、それでなくても乃詠の敵ではない。瞬殺だった。
棍棒の一振りで首があらぬほうへと向いた死体に複雑な心境になりつつ、あとに残った魔石をきっちり回収し、再び歩き出す。
少し行ったことろで、また二体のカオスゴブリンが進路上に立ちはだかるも、なんなく撃破して、また進む。
そんな短調な流れを幾度も繰り返し、半ば作業じみてきたころだ。
『ノエ様、前方二十メートルほど先に魔物が一体――どうやら、これまでとは毛色が異なるようです』
『えぇ。そうみたいね』
ナビィから警告が入ったのと、乃詠が足を止めたのは同時。
これまでも、ナビィはどうやってかいち早く魔物の存在を察知して教えてくれていたが、何度目かの会敵で、乃詠は〈気配感知〉スキルを獲得していた。
レベル5での感知範囲は、最大で半径一キロメートル。けれども、範囲が広くなり捉えられる気配が多くなるほど、一つ一つから得られる気配の情報が減り、使用者当人の意識も散漫になってしまう。
とはいえ、半径一キロメートルというのはあくまで最大範囲。スキル使用者が調整することで範囲を絞ることも可能だ。
今は最大まで広げておく必要もなく、絞った分だけ情報量も増えるので、乃詠は百メートルくらいにまで絞って行使していた。
その〈気配感知〉が教えてくれる――この先にいる魔物が、カオスゴブリンではないことを。それが、カオスゴブリンよりも明確な強者であることを。
瘴気によって視界は通らず、気配の主はまだ視認できない。〈鑑定〉は相手を直視する必要があるため、わかるのは気配の質の違いと反応の強さのみ。
カオスゴブリン、もといDランクの魔物相手なら圧勝の乃詠だが、現時点においてDランク以上との戦闘経験はない。
目の前にいるはずの魔物は、間違いなくDランク以上の個体だ。まだ彼我の距離は十分にあるので、今すぐ行動に移せば逃げることもできる。
しかし――乃詠は逃げの一手を選択しない。
魔物は極力倒す方針でいくと、そう決めているから。
この世界のシステムは非常にわかりやすい。易い難いはともかくとして、レベルを上げれば強くなり、強くなれば生存率も上がる。
魔物なんて恐ろしい怪物が存在する時点で、元の世界とは比べるべくもなく危険な世界だ。今後この世界で生きていかなければならないのなら、生存率を上げるために強くなっておくに越したことはない。
五体や十体という集団ならばともかく、前方の気配は一つだけ。
Dランク以上であることは間違いないが、さりとて圧倒的な脅威を感じるというほどでもない。
実際に戦ってみて、勝てそうになければ、そのときは逃げればいい。
逃げるための隙を作れるだろうスキルが、乃詠にはあるのだから。
ほどなくして――瘴気のヴェールの向こうから魔物が姿を現した。
見た目は、猿だ。けれども、かなり大きい。背丈が二メートル近くある。
イメージとしては〝狒々〟が近いだろう。
全身を覆うやや黄ばんだ白い毛皮の下に、ぎっしりと筋肉が詰まっているのがわかる、たくましい逆三角形の体躯。
口端からは鋭い犬歯が覗いていて、こちらを見据える双眸は血のように赤く、どこか狂的にも思える妖しい光を湛えている。
乃詠は即座に〈鑑定〉を使い、ステータスを確認した。
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種族 :クレイジーエイプ
性別 :♂
ランク:C
レベル:4
HP :523/523
MP :201/201
筋力 :162(+80)
耐久 :153
敏捷 :142
魔力 :40
抵抗 :71
幸運 :32
固有スキル:〈狂感〉〈狂気乱武Lv5〉
耐性スキル:〈炎熱耐性Lv3〉〈気絶耐性Lv1〉
武術スキル:〈格闘術Lv2〉
通常スキル:〈爪撃Lv2〉〈剛腕Lv4〉〈気配感知Lv2〉
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事前に察していたとおり、種族ランクはカオスゴブリンより二つ上。伴って、ステータスも相応に高い。
能力値の高さ以上に、二つの固有スキルの存在だ。
どちらからも、ヤバそうなニオイがぷんぷんする。
しかし字面だけでは、もたらされる効果の推測すら叶わない。ゆえに、その二つの固有スキルに対して〈解析〉をかけようとしたのだが――
「キィエェェェエエェェェェェェェェェェェ――――ッッ!!」
「っ!?」
足を止めたクレイジーエイプがすさまじい奇声を放ち、それどころではなくなってしまった。
ぞわわわわっと全身の産毛が逆立ち、思わず武器を放り捨てて耳を塞ぎたくなるも、敵を前に唯一の武器を失うわけにいかないと気合で耐える。代わりに途轍もない不快さに耐えなければならなかったが、幸いにも奇声はすぐに止んだ。
口を閉じたクレイジーエイプは、何を考えているのか身動き一つせず、ただじっと乃詠を眺めている。
血色の双眸に嗜虐の色が見えるのは、きっと気のせいではない。
(どんな鳴き声してるのよ……今のは、ただの嫌がらせ? こっちの反応を見て愉しんでいるのかしら? ずいぶんと悪趣味なお猿さんね)
内心で悪態を吐きつつも、乃詠はものすごく嫌な予感を覚えていた。
そして残念なことに、今まで乃詠のそれが外れたことは――ない。
(ちょっと……冗談キツいわよ)
わらわらと集まってくる複数の気配を感知したのだ。
数は軽く二十を超え、かなりの速度で接近してくる。
やがてかすかな地鳴りが足裏を伝い、立ち込める紫霧の中に、ギラギラと輝くたくさんの赤い眼が見えた。
(いや、無理。これは絶対に無理)
くるりと反転――乃詠は脱兎のごとく駆け出した。