1章12 万能聖女、デンジャラスな魔物たちの洗礼を受ける7
「…………」
しばし棍棒を振り下ろした格好のまま固まっていた乃詠は、やがてゆっくりと姿勢を戻し――わなわなと肩を震わせる。
手からこぼれ落ちた棍棒が、地面の上をころりと転がった。
自身の両掌を見つめる乃詠の口から、愕然とした呟きがこぼれる。
「う、嘘でしょう……なんか女子にあるまじき怪力になってるんですけど……」
確かに棍棒同士でせめぎ合っていたときは、筋力値の勝る乃詠が、不利な体勢でも相手を押し返した。
けれどもさすがに、先端が平らな棒で相手を突き刺せるほどの、そして頭蓋骨を粉砕できるほどの怪力になっているなんて……思いもよらない。思いもよるはずがない。
『当然のことですよ』
『……どういうこと』
『筋力はいわば攻撃力、耐久は防御力――肉体の強度となります。相手の防御力よりも攻撃力が低ければ、肉体に傷をつけることすら難しいですが、逆であれば防御を抜いて肉体を貫き、または切り裂くことができます。それがこの世界におけるステータスなのです』
『……そういうこと』
非常にわかりやすいシステムだが、一応の女子としては複雑だ。
元の世界においても、乃詠は同年代の平均よりは身体能力が高かったが、それでもちゃんと常識の範疇にあった。
成人男性を伸したことは数知れずとも、それを成していたのは男に勝る力などではなく、相手の力を利用したり急所を狙って打ち抜ける技術である。
『ただ、目に見える数値が絶対のものというわけでもありません。生命の危機に瀕した際など、明らかに数値以上の力を発揮した事象は多々観測されておりますし』
『火事場の馬鹿力、というやつかしら?』
『えぇ、まぁ、似たようなものですね。ノエ様のいた世界とでは原理は異なるでしょうが。詳しいことは不明です』
生物の一部、または皆が、ステータスに表れる数値、いわゆる顕在化された力とは別に潜在的な力を宿していて、それが生存本能や強い感情の昂りによって表出される――という説が有力らしい。
『また、種族特性などのステータスに表れない要素もありますし、数値に反映されない強化系のスキルも存在します』
乃詠は所持していないが、〈魔法耐性〉や〈物理耐性〉などがそれにあたる。
これらは一応、ステータスの『抵抗』と『耐久』にプラスの作用を及ぼすとされるのだが、厳密な数値化はなく、本人も感覚でしかわからないものだ。
『あとは〈白魔法〉の『フィジカルブースト』による一時的な強化ですね。これは〈身体強化〉の外部支援版で、Ⅰ~Ⅹまで段階があり、ステータスに表記はされませんが、上昇値は〈身体強化〉の半分です』
ただし、パッシブでステータスの底上げをする〈身体強化〉と違って、魔法のブーストは強引に身体能力を引き上げるものなので、強化中は肉体に相応の負荷がかかる。
もとの肉体強度や馴れにもよるが、連続使用は命を縮めることにもつながるため注意が必要、とのことだ。
『ステータスって、細かいうえにけっこう複雑なのね。でも、数値を鵜呑みにしちゃいけないってことはわかったわ』
『そうですね。極端な話、1と100なら間違いなく100が勝ちますが、1が特殊なスキルや特性を複数、所持していた場合、その数値差を覆して勝利する可能性もありますから、ステータスの数値は一つの指標くらいに見ておくのがよろしいかと』
詰まるところ、今しがた倒した二体のカオスゴブリンは、特に隠し要素的な特性やスキルを持っていなかったため、純粋な身体能力値の差で乃詠が圧勝した、というわけだ。
『強化の上乗せ分もありますから、純粋なステータスの数値だけを見れば、レベルの上がり切ったDランクの魔物でも、今のノエ様の敵ではありませんよ。もちろん特殊なスキルや特性を持たない前提での話ではありますが――基本的に、Dランクの魔物で100もの数値差を覆せるだけの特性やスキルを所持していることはありませんので』
『本当の意味でファンタジーを実感したのは今かもしれないわ』
思わずと遠い目になりつつ、今のナビィの発言に気になる箇所があったので、続けて質問を投げかける。
『魔物にはレベルの上限があるの?』
『はい。人にもありますよ。人の場合は個人の才能によりますが、魔物の場合は種族ランクごとに決まっています』
Dランクの魔物の上限は、レベル25。その後、上位種族へのランクアップ――いわゆる〝進化〟する個体もいれば、そこで打ち止めの個体もいる。
ただ、稀にではあるが、種族ランクの限界を超えてレベルが上昇し続ける個体もいて、これは人類の認識するランク――脅威度と異なるため〝イレギュラー〟と呼ばれているそうだ。
『私の初期ステータスが人種族の標準なの?』
『いえ。これも個人差がありますが、高い者で一般人の三倍ほど。ノエ様の初期ステータスは、そのさらに五倍くらいですね』
一瞬、理解が遅れた。
『……え? 一般人の三倍の、さらに五倍? 冗談でしょう?』
『この場面で冗談は言いませんよ。事実です。これも、称号【万能聖女】の効果ですね』
『【万能聖女】、チートすぎない?』
異世界人のチートにしたって度がすぎると声高に叫びたい。
『ちなみに、ノエ様の初期ステータスは勇者と同等です』
『…………』
果たして、存在理由が戦うことではない聖女に勇者と同等の戦闘力が必要なのかと、小一時間ほど問い詰めたい。
『また余談ではありますが、現地聖女の初期ステータスは一般人のそれで、代わりに特定の能力値の成長率と、取得経験値に倍化の恩恵があります。通常の召喚聖女の初期値は、一般人の大体二倍くらいですね』
『そんな余談、聞きたくなかったわ。……ねぇ。もしかして、成長率や取得経験値も勇者と同等だったりする?』
聖女にも称号の恩恵があるのだから、勇者にないはずがない。
初期ステータスが勇者に寄っているということなら、成長率などの恩恵もまた勇者に寄っている可能性は高かった。
ステータス上で称号の詳細は見れるので、乃詠も一応、それらへの恩恵があることはわかっているのだが……
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◆称号【万能聖女】
◇獲得スキル
〈聖結界〉〈聖治癒〉〈浄化〉〈豊穣〉〈祝福〉〈聖別〉
◇称号効果
『戦聖乙女』:ステータス成長率倍、スキル熟練度倍、取得経験値倍、スキル習得難度超減、習得スキル一律Lv5、HP・MP回復速度上昇、聖属性、固有スキル使用時消費MP半減
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眩暈がしそうなほどの項目の多さにはひとまず目を逸らすとして……倍化の恩恵があるものはすべて〝倍〟としか記載されておらず、肝心の何倍かがわからないのだ。
そこに何やら作為的なものを感じるのは、気のせいなのだろうか。
『…………まぁ、そうですね。かねがねそんな感じです』
『待って。何よその、あからさまな間と曖昧さは』
『ノエ様。そちらの棍棒は、実はれっきとしたD級武器なのですよ』
『もうちょっと自然な話題の逸らし方はなかったのかしら……』
スキルに付与された疑似人格たる相棒は、とても物知りで助言も的確だが、どうやら話術は不得手らしい。
しかし、彼女の濁し方から嫌でも察せられるというものだ。――【万能聖女】はチート以上に異常な代物だということが。
けれども、あまり深く考えるのは精神衛生上よろしくなさそうなので、ナビィの下手くそすぎる話題転換に乗ることにした。
『確かに、ちゃんとした武器として加工されたものだものね、これ。でも、こんなところにそれが落ちていたってことは……』
『はい。ダンジョン攻略へ挑み、道半ばで果てた者の遺品でしょう。遺体はいずれダンジョンに吸収されますが、所持品はその場に残りますから』
不謹慎で嫌な話ではあるが、こういった遺留品もまた、ダンジョン探索の戦利品になるのだろう。
とはいえ、このダンジョンは広大。探索者の遺品がそこかしこに転がっているというわけでもないだろうに、それを乃詠はあのとき、偶然にも拾ったのだ。
あらためて、恐ろしくなるほどの強運だと思う。
(まぁ、たぶん、ステータスの幸運値が影響しているのでしょうけど――って、あれ? カオスゴブリンの死体が)
ふと視線を向けた先、そこにあったはずのカオスゴブリン二体の死体が、忽然と消えている。
代わりに、紫色をした小さな結晶が二つ、落ちていた。
親指サイズの、やや歪な形をしたそれを一つ摘まみ上げ、矯めつ眇めつする。
『もしかして、魔石というやつかしら?』
『はい。魔物の肉体は魔力を基に構成されていて、生命活動を終えるとその魔力が凝縮、結晶化されて残ります。それが魔石であり、魔物を倒すと必ずドロップするものです。言うまでもなく魔力を内包しているため、魔道具の動力などに用いられます』
『必ずってことは、他にも何かドロップすることがあるの?』
『魔物によっては毛皮や牙などの素材、肉などの食材、それに便利なアイテムをドロップするものもいますよ』
『そのへんも本当にゲームっぽいのね。現実の世界でとなると、すごく不思議だけど。でも、解体がいらないタイプでよかったわ』
そう安堵してしまうのも、都会生まれ都会育ちの現代人なら当然のこと。
屠畜場で働いているか、趣味で狩猟でもしていない限り、生き物の解体なんて、料理で魚を捌くくらいしか経験がないのが普通なのだから。