side:ステラ
それは、宿星ダンジョンを攻略し、宿を取り直して、騎士たちとの宴会まで部屋でまったりしていたときのことだ。
非実体化して自分の中にいたステラに、乃詠は出てくるように言った。
「主さま、何か用なの?」
「ねぇステラ。前髪、切ってあげましょうか?」
「髪、なの?」
「だって、それだと見えにくくない?」
初めて彼女と対面したときから、ずっと気になっていた。
ステラの前髪は、鼻まで隠れるほどに長い。後ろの髪も、伸びるに任せているといった感じだ。
「別に、大丈夫なの。ちゃんと見えてるの」
「あなた、本を読むのが好きなのでしょう?」
本人から聞いたわけではないのだが、あの生活空間になっていた一角にはちゃんとした本棚があって、中にはけっこうな本が詰まっていた。だから好きなのだろうと思ったのだ。
「たしかに、本は好きなの」
「前髪がかかるのは、あまり目によくないのよ。それに、こんなに綺麗な桜色の髪をしているのだから、ちゃんとしたほうが絶対にいいと思うの」
「なら、主さまの好きにするといいの」
特に伸ばしておきたい理由も事情もなく、彼女にとってはどうでもいいから放置していたということだ。自分の見た目にいっさい頓着がない。外に出るつもりがないヒキコモリならではだろう。
ならばと、遠慮なくカットさせてもらった。
前髪は眉の下あたりでそろえ、長さは変えずに毛先だけ整えた後ろ髪は、左右の高めの位置で結えた。ツインテールである。
するとどうでしょう――目の前に、超絶愛らしい美幼女がいたのである!
くりりと大きな淡い紫色の瞳には、星型の紋様と虹色の光が散りばめられていて実に神秘的。ツインテールも愛らしさに一役買っている。
乃詠はぎゅっとステラを抱きしめた。
「なんて可愛いの!!」
「むぎゅっ、にゅ、主さま、く、苦しいのっ……! 死んじゃうのっ……!」
「あなたが可愛すぎるのが悪いわ」
「しょ、小生のせいなの!?」
理不尽に嘆くステラ。いくらもがいても、乃詠のパワーから逃れられるわけがない。
だが乃詠とて彼女を絞め殺す気などないので、すぐに理性を取り戻し力を緩めた。
「それと、もう一つ気になっていたことがあるのだけど」
「……何なの?」
「あなたって、それで成体なの?」
ステラの体は、人で言えば六、七歳くらいの幼女のもの。けれどそのわりには、幼子と話している感じがしないのだ。彼女の精神は、少なくとも乃詠と同じくらいには成熟しているように感じられる。
「一応、成体なの。宿星の成長は、人とは違うの」
「じゃあ、体のほうはそれが標準? 宿星はみんな幼児の姿なの?」
「まちまちなの」
宿星は、生まれてからごく短期間で大人になるという。その期間に得たエネルギー量で決まるそうだ。
上手く星に寄生できれば、生命力とともに星のエネルギーをしっかりと得て大きくなれる。しかし、ステラは競争に負け続けた。
ギリギリでリシェルに寄生し、星のエネルギーをちゃんと得られるようになったが、そのときにはすでに成長期が終わってしまっていたそうだ。
「でも、ステラはその姿が一番かわいいと思うの」
語尾の移りやすい乃詠は、そう言って再びステラを抱きしめる。
「……主さまがそう思うのなら、それでいいと思うの」
何の感慨もなく返すステラは、やっぱり己の姿に頓着はないのだった。
◇◇◇
ステラは、同族の中でもいっそう強いヒキコモリ体質だ。
乃詠を宿主と定めて、まだ一日強といったところだが、ダンジョンを作る必要もなく生命力が供給されるようになり、ぐーたらに拍車がかかった。
ステラがいるのは、乃詠の中――より具体的に言うのなら、乃詠の精神体と同化していると言えばいいだろうか。
それでもなんだかスピリチュアルな感じで想像が難しいだろうが、まぁ、かねがねそんな感じである。
そこでステラは、思う存分ゴロゴロしていた。睡眠という概念はないので、趣味に没頭したり、または何もせずにボーッとする時間がありつつも、今の生活を大いに満喫している。
宿星はその性質上、ヒキコモリだが、娯楽を買うことはできた。
宿星独自のネットワークのようなものがあり、専用のショップがあるのだ。魔力で作るアイテム交換用のメダルを、彼女たちもまた、買い物に使うのである。
コアルームを飾る家具や雑貨類、また本やゲームなんかも売っているのだが、本やゲームは自作のものを売ることもできる。
本は基本、探索者たちの冒険を記録したものをベースに創作する者が多い。
ステラもまた、ネタにするためにモニタリングしていたのだった。
(幸せ、なの……)
今日も今日とてぐーたらしている最中、再び乃詠から声がかかった。
『ステラ、ちょっと出てこない?』
普段はあえてしていないが、ステラはその気になれば宿主の視覚を通して外の様子を見ることもできる。
宿主たる乃詠は、どうやら街中を歩いているようだ。
周囲には人がたくさんいる。パーティーはもってのほかだが、そもそもにぎやかなのが得意ではないステラは、その愛らしい顔をしかめた。
『……出なきゃ、ダメなの?』
『無理強いはしないけれど、あなたに食べさせたいものがあったの。あなた、別に食事ができないわけじゃないって言っていたわよね?』
『……確かに言ったの。でも、小生は生命力さえあれば、主さまたちのような食事は必要ないの』
宿星は、生命力を直接取り込み生きる半霊体の生物だが、構造自体は普通の生物とそこまで変わらない。
ちゃんと五感もある。味も感じられるはずだ。
ただ、何かを食べたことがあるわけではないので、実際のところは不明だが。
『なら、試しに食べてみない? 害になるわけじゃないなら』
『……わかったの』
そうして乃詠は、一件の店に入っていく。
席に座ったのは、乃詠とベガ、ステラだけだ。番犬たちは『従魔空間』に、ある種のお留守番らしい。
それもそのはず――店自体もかなり満席に近いが、客層の九割が女性なのだ。
あの二人が席についていたら相当浮くだろう。
落ち着きなく、そわそわしながら待つことしばし。
ステラの目の前に置かれたのは――パンケーキだった。
三枚のパンケーキが重ねられている。間にはクリームとフルーツが挟み込まれ、上にもフルーツとクリームの可愛らしいトッピング。その上からはとろりと蜂蜜がかけられていて、緑の鮮やかなミントがちょこんと飾られていた。
ステラはそれを見て、ぱちぱちと目を瞬かせる。
「最近、城下で流行っているそうなの、ここのパンケーキ。ルーミーが教えてくれたのよ」
一口食べてみて――ステラは激しい衝撃を受けた。その瞬間、目の前のパンケーキ以外が見えなくなって、夢中で口に運ぶ。貪るような勢いだ。
そして、あっという間に食べきってしまった。
そのことに軽く驚いたあとで、寂しげに皿を見下ろすステラ。
見事にパンケーキの――甘味の虜になってしまったようだ。
「気に入ったみたいね。もっと食べる?」
「食べるのっ」
それ以来ステラは、ヒキコモリ自体は変わらないものの、甘味を求めて積極的に表へ出てくるようになった。