終章45 万能聖女、はっちゃける2
「――ふふっ。料理も飲み物も、とっても美味しいわねぇ」
目をとろんとさせ、頬を桜色にした乃詠が、ふにゃりと無防備に、されどものすごい色香を放ちながら笑う。
端的に言って、乃詠はかなり酔っていた。
普段の彼女からは、なんとなく酒に強そうなイメージがあるのだが――実際にはとても弱かったのである。一杯も飲みきらずに酔ってしまうくらいには。
ただ、すぐに酔いつぶれて寝てしまうというわけではなかった。むしろ、そうだったらどれほどよかったことだろう。
乃詠が酔っ払うと、普段はあまり表には出てこない〝女性らしさ〟が、これでもかと表出するのだ。
容姿は抜群の美少女である乃詠だが、性格はさっぱりとしていて、男勝りとまでは言わないが、女の子女の子はしていない。
もとより頼られるほうが多い姉御肌なのである。
普段はどちらかと言えばクール。サバサバ系女子。いつもは従魔たちがベタベタしてくるだけで、彼女自身は適度なパーソナルスペースを保ち、不用意に他者へ接触することはない。
なのにそれが、今は盛大なバグを起こしてしまっている。
とにかく距離が近い。そしてボディタッチが多い。さらには色気の放出に加え、終始、あどけなく無防備な顔で笑っている。
「ね、ファル? ちゃんと飲んでる? 何か頼む?」
「…………ん、飲ん、でる。……今は、まだいい」
腕には細い指先が触れ、ひどく間近で見上げてくる乃詠にたじたじのファル。
いつもは自分からベタベタしている彼が、乃詠からだとダメなのはすでに知れているが、今はもう目も合わせられないでいた。
「そう? 私は、次は何を飲もうかしら?」
けれども、そんな彼のきょどりっぷりに気づいた様子もなく、それはもう上機嫌にメニューを眺める乃詠は、次の注文を決めて店員を呼ぶ。
「んっ! これもすっごく美味しいわ。ファルも飲んでみない?」
「……!?」
差し出されたのは、当然ながら乃詠のグラスである。乃詠が口をつけた、飲みかけのグラスである。それに口をつけるということは、すなわち間接キスである!
ごくりと喉を鳴らすファル。そして乃詠の差し出すグラスに、ファルの手がゆっくりと伸びる――が、その指先が触れる寸前、
「あっ」
反対側から伸びてきた手が、ひょいとグラスをかっさらっていった。
コウガである。
「わざわざおまえのをやる必要はねーだろ。同じやつ頼んできてやったぞ」
さらったグラスは乃詠の手に戻し、ファルの前には新しく作ってもらった同じ酒が入ったグラスを置いて、ニヤリと意地悪い笑みを浮かべるコウガ。
そんな彼をファルはじっとりと睨むが、その口から抗議の声が上がることはなかった。邪なことを考えていたと暴露するようなものだからだ。
「まぁ、それもそうね」
お酒で頭がふわふわしているのだろう、さして何も考えていない様子であっさり引き下がった乃詠は、バチバチやっている男二人のことなどそっちのけで目の前の料理を頬張る。
「んーっ! これすっごく美味しい! ほらコウガ、たぶんあなたの好きな味よ、食べてみて」
そう言って、今度はコウガの口元へ、鶏肉と野菜がいい塩梅で刺さったフォークを差し出すのだ。
俗に言う『あーん』である。しかも乃詠が使っているフォークである。それすなわち間接キスである!
意地の悪い顔をしてファルとやり合っていたのが一変、コウガの肌が目に見えて赤くなる。さしもの彼も、これにはたじろぐほかない。
「おまっ、オレはガキじゃねーんだ! 自分で食えるっての!」
「私に食べさせられるの、嫌?」
「っ!?」
ごくりとコウガの喉が鳴る。視線を泳がせ、何やら激しく葛藤しているのがありありと見て取れた。
視線を戻せば、かすかに潤んだ瞳で見上げてくる乃詠がいて。
何かを振り切るようにガシガシと頭をかくと、耳先まで赤くしたコウガは、意を決したように小さく口を開き――ぱくん、と。
背後から第三者にかっさらわれた。
「んーっ! 本当ですね、お姉さま! とっても美味しいです!」
乃詠お姉さま大好き、ベガである。
ちなみにベガは同じテーブルにこそついていたが、乃詠の隣席をめぐるじゃんけんに負け、泣く泣くファルの隣に座っていた。
わざわざ後ろまで回ってきたのだ。
「でしょう? まだまだあるわよ。はい、あーん」
「あーん」
どこか甘酸っぱい感じが一転、今度は百合百合しい展開になった。尊い。
「立ったままだと辛いでしょう。ベガ、おいで」
ぽんぽんと自分の膝を叩く。
膝の上に座れということだ。
「はい!」
乃詠の一番近くにいられるのなら、彼女はもう遠慮などしない。
花咲くような笑みを浮かべ、乃詠の膝の上にちょこんと座る。
その際、彼女はチラとコウガへ視線をやり、勝ち誇ったように口端を上げた。
コウガのこめかみが震える。純真無垢な白に見えて、こと乃詠のことになれば途端に黒くなる妹分なのだった。
一方そのころ――別のテーブルでは。
「おまえらのご主人様、すげぇな。いろんな意味で」
と、騎士のひとりが、ささやくような小声でリオンに言う。
座席数の関係上、別のテーブルで騎士らにまざるリオンは、わずかに目を細め、若干の威圧を含んだ眼差しをその騎士へと向けた。
「間違っても手なんか出さねぇでくだせぇよ? あっしらじゃあ、兄貴らを止められねぇんで。せっかく仲良くなった方々が八つ裂きになるところなんて、あっしは見たくありやせん」
「いや出さねぇよ。俺だって命は惜しい」
そんな風にして各々が酒と料理と雑談を楽しみ、ボルテージが最高潮にまで達したときだった。
「なんだかすごく楽しくなってきたわ! 踊りましょう、ベガ!」
「はい!」
こちらもまたテンションが最高潮へと達したらしい乃詠が、ベガの手を引いて中央のステージへと上がる。
このステージは、もともとそのためのものだ。
吟遊酒場にふさわしく、専属の歌い手や奏者、旅の吟遊詩人などを雇い、その舞台で歌や音楽を奏でてもらう。
それ以外の時間では客たちが自由に使い、音楽関連だけでなく、さまざまな技を披露して酒場全体を盛り上げる――という趣向なのだった。
――スキル〈音魔法Lv5〉を獲得しました。
「称号さんがとても気の利いたスキルを生やしてくれたわ」
「どんなスキルですか?」
「音楽を奏でることのできる魔法スキルよ」
〈音魔法〉は、その名のとおり音を作り発する魔法だ。
低レベルでは単音や効果音くらいが精いっぱいだが、レベルが上がれば曲を作ることもでき、さまざまな楽器の音色を重ねることも可能となる。
戦闘にも、超高音や爆音を出したり、遠くに音を置くなど撹乱にも使えるが、主な使い道は音楽のほう。
高レベルとなれば楽隊いらずで、吟遊詩人なら己の奏でる楽器の音に厚みを持たせたり、臨場感を作るためのバックミュージックにしたりする。
そんな〈音魔法〉でさっそくと一曲作り上げた乃詠は、音楽に合わせた即興の踊りを披露。
どこかの民謡っぽい、陽気なその曲は決して複雑なものではなく、また乃詠の振り付けも単純なものだ。
上手くリードすれば、それを真似するかたちでベガも踊り出し、可憐な少女二人の舞う姿に、騎士たちが大いに沸く。
リズムに合わせて手を打ち、一緒に踊り出す者もいた。
そうして短めの一曲を踊ったあと、次に乃詠が誘ったのはギウスだ。
「踊りましょう、ギウス」
「え、僕ですか?」
誘われたギウスは驚き、やや躊躇しつつもステージに上がってくる。
今度は趣向を変えてワルツだ。
ゆったりとした曲調に、初心者でもすぐに覚えられる簡単なステップとはいえ、ギウスはすぐに合わせてきた。
「上手いわね、ダンス」
「そうですね。なんか自然とできました」
「前世は貴族様だったのかしら?」
「どうでしょう。そういう姐さんもお上手ですね」
「機会があったから、ひと通り覚えたの」
曲が終わると、今度はリオンへと手を伸ばす。
「次はリオンよ」
「い、いえ、あっしは踊りなんて……」
ダンスの心得などまったくないリオンは遠慮するが、
「これならどう?」
音楽を和風のものに変えて、乃詠は双剣を構える。
いわゆる剣舞というやつだ。
「まぁ、やってみやしょう」
それならばと、リオンも刀を抜き、構えた。
別にちゃんとした剣舞でなくてもいい。いつもしている手合わせ――それを戦いではなく、見せるために行えば、練習などしていなくてもそれっぽいかたちにはなるのだ。
互いの呼吸もだいたい掴めているし、次にどう剣を振るうかも、経験から予測はできる――その即席とは思えない、優雅で迫力のある二人の剣舞に、騎士たちが歓声をあげる。
その後は、騎士らとも代わる代わる、いろんな曲で踊った。
「ノエにゃん、ニャーの動きについてこれるかにゃん?」
「望むところだわ」
ダンスというより曲芸のようなアビーの動き。アクロバットな動作がまじるそれとともに挑むような笑みを向けられ、乃詠も不敵な笑みでもって返す。
すると、そこへハクとユキが乱入してきて、もはや一種のサーカスみたいな感じになった。