1章10 万能聖女、デンジャラスな魔物たちの洗礼を受ける5
『……まぁいいわ。それにね、追放されたのは、むしろ好都合だと思ってるの。もともと聖女なんて柄じゃないし、堅苦しいのも苦手。待遇面で不足がなかったとしても、神殿に所属してお役目をこなさなきゃならない以上、どうあっても行動は制限されてしまうでしょう? そういう暮らしは、私の性には合わないわ』
『でしょうね』
だから――よかったのだ、これで。
歌恋とは離れ離れになってしまったけれど、それ自体はこれまでと同じ。ただ世界が違って、知っている人がいないだけ。
しかしそれも、時間が解決してくれる話だ。歌恋はとても可愛くて明るくて社交的なので、すぐにこちらの世界でもたくさん友人ができるだろう。
ロレンス皇子もいる。彼は、悪魔認定された乃詠から歌恋を守るため、真っ先に動いた。皇子という身分でありながら、己の身を危険にさらしてまで、自ら守りに動いたのだ。
それは誰にでもできることではない。己こそが守られる立場にあるならば、なおのこと。
だから、少しばかり癪ではあるけれど、彼になら妹を任せられる。……少しばかり癪ではあるけれど。二回言いたくなるくらいには癪だけれど。
(彼女の人生は、彼女のものだものね)
もちろん歌恋自身から助けを求められたなら、もしくは彼女が危機的状況にあったなら、そのときは本人の意思に関係なく、全身全霊全力でもって助ける所存ではあるけれど、そうでない限りは干渉しない。――今、そう決めた。
『というわけで、私は私で適当にやることにするわ』
『そうですか。ノエ様がご自身で決められたのであれば、ワタクシに異存などありません。とはいえ――ノエ様は今、人の心配をしていられる場合でも、そんな先のことを考えていられるような状況にもないのですけどね』
ナビィが何やら不穏なことを言い始めた。
『どういうこと?』
『ここは〝ダンジョン〟です』
『そういえば……』
ナビィがまだ、ただのナビだったときに言っていたことを思い出す。
『封印と試練のダンジョン『邪毒竜の森』――だったかしら』
『はい。この森の中心には、災魔たる邪毒竜ファフニールが封じられており、それが最終的に倒すべきダンジョンボスとなります』
思った以上にとんでもない場所だったらしい。
『封印はわかったけど、試練というのは?』
『このダンジョン自体が災魔を倒すために作られた試練なのですよ。ダンジョン内に湧出する魔物を倒して己を強化しつつ、二体いる試練ボスを撃破して強力な武装を獲得し、最終目標である災魔へと挑む――というコンセプトになっております』
『コンセプトって』
まるでアトラクションか何かのようなノリである。
物騒きわまりないアトラクションもあったものだ。
『ちなみに監修は神です』
『神』
ナビィいわく――このダンジョンが創られたのは千年近く前。
突如として出現した邪毒竜ファフニールは、ただでさえこの世界では最高位に君臨する竜種としてのポテンシャルと、その身に宿した瘴気でもって、草木や大地ごと無数の生物の命を奪い、地上を恐怖と混乱に陥れた。
それこそ、災魔と称される由縁となった天災のごとく。
無論、自分たちの住まう大陸がファフニールに蹂躙されるさまを、人類とて黙って見ていたわけではない。国や所属に関係なく、大陸中の兵士や戦士がこぞってこれに応戦した。
だが無情にも、当時の人類に敵う者は一人としておらず――最終的には大陸の半分以上を死滅させるに至った。
災魔を倒すことができなければ、世界は滅亡を待つばかり。そこでついに神々が動き、やむなくこの地へと邪毒竜ファフニールを封印。いつか討伐してくれる者が現れることを願い、せめてもの支援としてこのダンジョンを創り上げた。
『――これが、封印と試練のダンジョン『邪毒竜の森』創成の経緯です』
それを聞いて、乃詠の中に一つの疑問がもたげる。
『神様はそんな強大な魔物を封印してダンジョンも創れるのに、なんでそのまま倒してしまわなかったの?』
それだけの力があれば、討伐も容易かっただろうに。
世界滅亡の危機に出張ってくるのなら、わざわざダンジョンなんて作っていつか討伐してくれる者が現れるのを待つ、なんてまだるっこしいことなどせず、その場でちょちょいとやっつけてしまえばよかったのでは――と。
『単純な話です。できなかったのですよ』
『それは、神様でも倒せなかったということ?』
『いえ、そういう話ではなく。神々は下界への干渉を制限されているのです。その昔、少々やらかしてしまったようで』
神々のやらかしとは。
『遥か昔――かつては神界に住まう神々も、自由に下界へ降りてくることができました。ほとんどの神が、人々の営みにまじって生活していたほどです』
『なんの不自由もない完全な存在たる神が、不完全な人間たちの文明社会に興味を惹かれるというのは、創作ではありがちよね』
『しかしその後、なんやかやいろいろとあって――神々を含む上位存在などがドンパチした結果、当時の文明が崩壊。世界そのものが滅びかけました』
『これほどドンパチなんて表現が似合わないこともないわね』
そんなスケールの戦争に使う単語ではない。
『そのことが、神々の原初にして生みの親である至高の大神の逆鱗に触れ、神々は大目玉を食らって下界を出禁になりました。加え、下界への干渉も最低限にまで制限されてしまったのです』
『スケールはともかく、とても超越存在たちの話とは思えないわ』
『そんなわけですから、封印とダンジョンの創造が干渉可能な制限ギリギリだったのですよ。たとえ邪毒竜のせいで世界滅亡の危機にあっても、彼らのやりすぎによって世界が滅ぶ可能性も無きにしも非ずなので、至高の大神からの許可が下りなかったようです』
前科があるのだ。当然と言える。
『……いろいろあるのねぇ、この世界も神々も』
そんな当たり障りのないコメントしか出てこなかった。
『まぁ、仮にそれがなくとも、本を正せば己の被造物である生物の命を、神々が自ら刈り取るなど論外なのですがね』
『確かに。それにしても、ナビィは本当に物知りなのね。いろいろと教えてもらえて、とても助かるわ』
まさか、ダンジョンの成り立ちで神々の黒歴史的な話が聞けるとは、思いもよらなかったけれど。
この世界――アルス・ヴェルのことを何も知らない異世界人の乃詠にとって、彼女の存在は非常にありがたく頼もしいものだ。
『いえ、ワタクシが物知りだというわけではなく、ワタクシは己の保有するデータベースに記述されている知識を提供しているにすぎません。ゆえに、ワタクシのお伝えした知識や情報が一般常識とは限らないので、取り扱いには気をつけたほうがよろしいかと』
『えぇ、そうするわ』
それをいま知れてよかった。ナビィに教わった知識を口にして、変な目で見られたり目をつけられたりするのは御免被りたい。
(たぶんだけど、神々の黒歴史的エピソードは一般常識じゃないわよね。その前のダンジョンの成り立ちは――)
『――ノエ様』
ピンと張り詰めたようなナビィの声が、乃詠の思考を遮った。
『魔物が二体、接近しています。お気をつけください』
『……そりゃそうよね。ここはダンジョンだもの』
ダンジョン――いわば魔物の巣窟。いつ魔物と遭遇してもおかしくない場所に、乃詠はいるのだ。
瘴気で死にかけていたときに襲われなかったのも、ここまでだいぶ歩いて会敵しなかったのも、単に運がよかっただけにすぎない。
ほどなくして、大木の陰から二体の魔物が飛び出してくる。
二足歩行の人型だ。シルエットだけなら、森に小さな子供が迷い込んだようにしか見えないが――人間とは決定的に異なる、灰色の肌。
顔の造作も怪物のそれで、先の尖った長めの耳と丸鼻が目立ち、大きく裂けた口からは二本の牙が覗く。
額にはイボのような短い角が二本生えていて、頭頂部を覆う毛は、髪の毛というよりたてがみと言ったほうが適切だろう。
その手には、木から削り出した原始的な棍棒が握られていた。
「ギャギャギャッ!!」
濁った鳴き声を上げながら、二体の内の一体が、飛び出してきた勢いのままに棍棒を振り下ろす。
ナビィの警告がなければ食らっていたかもしれない攻撃だが、すでに身構えていた乃詠にとっては避けるに容易い。
棒状の武器相手ならチンピラで何度も経験しているし、ナイフ程度までならどうとでもできる自信がある。
いま相対しているのは異形の怪物だが、そのサイズもあって大人の男よりも可愛く見えるくらいだ。
しかし――どうしようもなく、ここは環境が悪かった。
「っ!?」
棍棒そのものは、横に跳ぶことで掠らせもしなかったが、接地した足裏が湿った苔で滑り、バランスを崩して転倒してしまったのだ。
「いったぁ……」
思いきり尻もちをついてしまい、痛む尻をさすりながら呻く。
生理的な涙のにじむ乃詠の視界が――ふっとわずかに陰った。
顔を振り上げれば、そこにはもう一体の魔物が立っていて――耳の近くまで裂けた口端を吊り上げ、これ見よがしに尖った牙を見せつけながら、棍棒を手にした腕を大きく振りかぶる。
「ゲギャギャッ!」
愉悦の混じった声。獲物を追い詰めた狩人の眼差しで見下ろされ、急いで立ち上がろうとするが――もはや間に合わない。
細腕ではあっても、頭上から思いきり振り下ろされたら、さすがに痛いでは済まないだろう。
しかし、急所さえ守れば死にはしない。
致命となりかねない頭を守るべく、乃詠は両腕を前に出す。
――その手に、たまたまそこにあった木の棒を握りしめて。
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