序章1 万能聖女、悪魔認定で追放される1
武闘派召喚聖女の異世界無双です。
よろしくお願いします。
――いきなり視界が真っ白に染まったかと思えば、次の瞬間には、まったく見知らぬ光景が飛び込んできた。
(は……?)
ぱちぱちと何度か目を瞬いてみても、見える景色に変化はなく。白昼夢でも見ているのかと思って軽く頬をつねってみても、普通に痛かった。
(え、何事……?)
あまりに突飛にすぎる事態に認識と理解が追いつかず、頭の中は大絶賛混乱中だが――しかし、だからこそ情報が必要だ。
どうやら、およそ常識の埒外にある奇々怪々な現象に遭ってしまったらしいその少女、一色乃詠は、銀の髪を揺らしながら首を巡らせ、あらためて己のいる場所を見回す。
灰色の瞳に映るのは、白を基調とした荘厳な空間だ。例えるなら、神殿とか聖堂といった感じだろうか。
四方を囲う壁は緩やかに弧を描き、繊細で優美な彫刻が施された装飾柱が、壁に沿って等間隔に並び立つ。
ドーム型の天井には宗教画らしき壮麗な絵が一面に描かれていて、丁寧に磨かれた大理石と思しき床が降り注ぐ柔らかな光を反射していた。
乃詠は二段ほど高くなった壇上に立っているらしく、背後は一メートルほどの距離を開けて壁があり、正面には、ファンタジー系の創作物でよく見られる神官っぽい恰好をした者たちが整然と居並んでいる。
(コスプレ……じゃないわよね)
神官然とした彼らからは、コスプレ特有のチープさがまったく感じられない。
傍目に見ただけでもわかる上等な生地に、高い技術の感じられる縫製。何より彼らはそれを、あまりにも自然に着こなしすぎていた。
果たして日本の地に、これほど神官らしい神官がいるだろうか。そもそもからして、彼らの顔の造作は東洋のそれではなく、明らかに西洋のものだ。
加え、ざっと見た限りでも、髪や瞳の色がカラフルすぎる。ウィッグの不自然さはなく、色染めの違和感もない。おそらく瞳も、カラーコンタクトを着けているわけではないだろう。
(もう、嫌な予感しかしないのだけど……)
悪い予感ほどよく当たるのが世の常だ。
それに、現時点で得られたわずかな情報だけでも、本来ならば妄想乙と頭の正気を疑われる推測を裏づけるには十分だった。
「お、おぉ……!」
「儀式は成功だ!」
「あぁ、聖女様!」
「聖女様!」
慎ましやかに、されど興奮を隠さず沸く神官服の者たち。
発せられる『聖女コール』に乃詠は顔を引きつらせる。
これはもう、間違いない。これは、紛れもなく――
(物語によくある、異世界召喚というやつだわ)
しかも――聖女召喚。
こうして召喚された自分がすなわち聖女だということで、余計に気が遠くなる。思わずと乾いた笑いがこぼれた。
「……なん、なの……今度は、なんなのよ……」
ふと――すぐ傍で落とされた呟きにはっとして視線を向ければ、そこにはよく見知った少女の姿があって。
どうやら、異世界召喚なんて非現実な事態に巻き込まれたのは、乃詠だけではなかったらしい。
その愛らしい容姿をした少女は、一色歌恋――乃詠の実の妹だ。
ハーフアップにした柔らかな栗色の髪はゆるくウェーブがかり、色素が薄くやや赤みを帯びた大きな瞳は呆然と見開かれ、桜色の唇は小さくわなないている。
(あ、まずいかも)
と、そんな妹の様子に乃詠が危機感を覚えたときにはすでに遅く――普段は垂れぎみの眦がキッと吊り上がり、開かれた口から可憐ながらも鋭い怒声が迸る。
「ここはいったいどこよ!? なんなのよっ、誰なのよあんたたちは!? 勝手にこんなわけのわからない場所に連れてきて、わたしをどうするつもり!? もう、もう嫌よ!! うんざりだわ!! なんでわたしばっかりこんな目に遭わなきゃいけないの!? 今すぐわたしを家に帰しなさい!! じゃないとただじゃおかないんだから!!」
叩きつけるように放たれた最後の一語が静謐な白い壁に反響し、やがて耳に痛いほどの静寂が訪れる。
神官服の者たちの『聖女コール』もすっかり止んでいて、先までの熱が噓のように冷めた空気が、ヒヤリと乃詠の肌を撫でた。
(仮に私の想像どおりだったとしても――いえ、十中八九、想像どおりだとは思うけれど――それでも、よくわからない状況で、よくわからない人たちに対して喧嘩ごしになるのは悪手だわ。気持ちはわかりすぎるくらいにわかるのだけど)
頭を抱えたくなるのを堪え、乃詠は素早く正面へと視線を走らせる。
神官服の者たちは、一様に驚愕の面持ちでフリーズしていた。顔色が若干青ざめて見えるのは……まぁなんとなく察しはつくが、少なくとも歌恋の態度や言葉に気分を害したわけではなさそうだ。
ひとまずの安堵を得た乃詠は、再び歌恋へと意識を戻す。
ふーふーと興奮した猫のように息を荒げて、彼女は神官服の者たちを睨み続けている。だがその目尻にはうっすらと涙が滲み、小さな肩は震えていた。
それは決して、感情の昂りによるものだけが原因ではないだろう。
そんな妹の肩に、乃詠はそっと手を置く。弾かれたように向けられた赤茶の瞳に乃詠の姿が写り込むと、ただでさえ大きな目がさらに大きく見開かれた。
どうやら彼女もまた、今の今まで姉の存在に気づいていなかったようだ。
「落ち着いて、歌恋」
「っ……おねえ、ちゃん」
瞳の奥に一瞬、安堵のような感情が過るも、それを隠すようにして目元と眉間にぐっと力が込めれる。その変化に内心苦笑しつつ、乃詠は努めて穏やかに、優しく言葉を紡いだ。
「大丈夫よ。大丈夫だから」
「…………」
肩をさすりながら何度か繰り返すと、やがて震えは収まり、強張っていた体から力が抜けていくのがわかった。
落ち着いたことで心に余裕ができたのだろう、どこかばつが悪そうに目を逸らす妹を微笑ましげに見やる乃詠は、しかし胸中では深々と嘆息する。
歌恋はもともと気が強いほうではあるのだが、かといって攻撃的な性格というわけではない。
先ほどのそれは、弱い動物が己の身を守るために相手を威嚇するのと同じ。
そして現状を鑑みれば、彼女が攻撃的になってしまうのも当然なのだ。
事態の不可解さはともかく、ここは姉妹の知らない場所であり、目の前にいるのは見知らぬ人々――すなわち、誘拐されたとみて間違いないのだから。
加えて彼女の場合、それだけが原因ではない。
(立て続けの誘拐なんて、運が悪いにもほどがあるわよ。運命の女神なんてものがいるなら一発殴ってやりたいわ)
そう――なんと歌恋は、この異世界へと拉致される前に、タチの悪いゲス野郎どもに拉致され怖い目に遭わされたばかりなのだ。