異世界ばーちゃん
蝋石で描かれた魔法陣の中に配置された得体の知れぬ獣の頭蓋骨。
そして周囲には火の灯された極彩色の蝋燭と魔石が配置されたいた。
ここはミッドグラン大陸、最後の生き残りである魔王キュリーの居城地下室であった。
「キュリー様、こんな儀式をしたところで今更気休めにもなりませんぞ、それよりも討伐軍が攻め込んでくる前に逃げましょう」
「バトラ、妖魔ミランダや魔将軍バンダムを失い幹部と呼べる部下はお前1人、最後のあがきとは言え魔をもって人間どもにひと泡吹かせねばならん」
「ですが彼の者たちを甦らせる事は可能です。ここは一旦お逃げになるのが賢明かと・・・」
「いったいどこに逃げると言うのだ?もはやこの大陸に余の逃げる所など無い。余は無様に逃げて討たれるよりも戦って死ぬ事を選ぶ。・・・余は最後の魔王である」
「これは・・・失礼致しました。このバトラ最後の従者としてキュリー様にお供致します」
「うむ」
「ところでこの奇妙な魔法陣はいったいどのような物を呼び出すのでございますか?」
「それが余にもわからぬ。曽曽曽祖父の叔父にあたるソロモンと言う魔王が書き残した大魔導書の中でも禁忌魔法として宝物庫の奥に厳重に保管されていた物だ」
「ま、魔王ソロモンですと?魔族以外を根絶やしにしそうになった暴虐王ではありませんか!」
「その暴虐王が書き残した禁忌魔法だ。何が起こるか分からんが我らの最後にふさわしかろうよ」
そう言うとキュリーは古びた羊皮紙に書かれた呪文を唱えながら蝋燭の炎を1つまた1つと消していった。祭壇の中央にある松明の明かりだけになったその時、魔法陣の中に蒼黒く光るモヤと共に巨大な影が浮かび上がった。
「こ、これは・・・!いったい何だ?」
「キュリー様、危険です、逃げましょう!」
片方の手には巨大なトライデントを持ち、もう片方の手には数頭の猛獣の入った籠を持っている。
身の丈が彼らの5倍はありそうなその巨大な影が途方にくれたようにつぶやいた。
《あんれ?ここはどこだべ?》
「し、しゃべった。・・・貴殿は我らの召喚に応じた魔物であるか?」
《ふぇ?やんだオラ、ただの田舎モンの婆だべさ》
「イナカモン?わからん。お前、討伐軍の手下ではないのか?」
《まんず落ち着きなっせ、おめ様キュウリみてぇな青い顔して病気だべか?》
「おぬしキュリーと言ったのか?余の名前を知っているのか!なんとまた凄い魔物を召喚させたものだな」
《おめ様がた、何言ってるだか分かんねぇどもオラ忙しいだで早く家に帰してくんろ》
巨大な老婆が忙しい事を身振りで示した。
「忙しいと言っているのか?」
《んだ。牛っこの飼料の藁ばサイロに入れねぇばなんねぇだよ》
「キュリー様、何を言ってるのかよくわかりませんが早く帰りたがってますね」
「ううむ。下手に怒らせて魔法陣から飛び出して暴れられても厄介だな」
「ここはとりあえず召喚に応じてくれた返礼の品を渡して一旦お帰り頂きましょう」
「残念だが仕方あるまい。次に召喚するまでに言語理解の魔道具を用意しよう」
キュリーは巨大な老婆に宝玉の埋め込まれた黄金の杖を差し出した。
《なんだこれ?オラにくれるだか?》
「何か言ってますが遠慮しているみたいですな」
「おう、そうか」
そう言うと遠慮は要らないから貰ってくれという身振りで老婆に杖を渡した。
更に何か言おうとする老婆をよそにまた呪文を唱えながら蝋燭に火を灯していった。
次第に老婆の姿が希薄になり、最後の蝋燭に火を灯すと同時にその姿が掻き消えた。
「キ、キュリー様、あれを!!」
バトラの指さした先に、先ほど老婆が持っていた巨大な籠が置かれている。
「な、なんと!猛獣が入ったままではないか!!」
「キュリー様、まだ幼いですがこの猛獣、恐ろしい程の獰猛さです」
「5頭も居るではないか。即戦力になるかどうかは分からぬが、あの召喚された魔物が持っていた物だ、試しに主従の魔法をかけて戦場に向かわせてみるか」
「賢明なお考えにございます」
キュリーがマントをはためかせて籠の縁に飛び乗った。
「余はミッドグラン大陸最後の魔王キュリーである!お前たちは余の下僕となりて為すべき事を全うせよ」
言い終わると5頭の獣がカッと目を見開いて我先にと城門から飛び出していった。
「疾風の如く・・・ですな」
「ああ、初めて見る獣だが翼がないだけでグリフィンよりも遥かに強く獰猛だ」
「まさに。キュリー様の慧眼には恐れ入りました」
「余の手柄ではない、すべては魔王ソロモンと召喚されし魔物の力よ」
「ご謙遜を・・・」
「さて、我らも行くか。次があるならあの魔物とじっくりと話がしてみたいものだ」
「このバトラも死出の旅にお供させていただきます」
「うむ、共に死に花を咲かそうぞ」
石造りの階段を上り、上層階のテラスに身を乗り出すとキュリーは大きく息を吸い込んだ。
「余こそはミッドグラン大陸最後の魔王キュリーである!今こそ余のちか・・・ら?あら?」
見下ろした先には縦横無尽に戦場を駆け回る猛獣と、追いかけられ逃げ惑い潰走する討伐軍の姿とがあった。
「信じられん。バトラ、こんな光景を見るなど思いもしなかったぞ」
「私にも信じられません。こんなにも獰猛で邪悪な獣を見たのは初めてです」
バトラの足が震えていた。厚い毛に覆われたその体には剣や槍など全く歯が立たない、そして爪は切り裂くだけの物ではなく、引っ掛け、投げ飛ばす為の物でもあった。
「兵士をいたぶっている・・・邪悪すぎる・・・」
猛獣の1匹が逃げる兵士をひと噛みして前足の爪に引っ掛けて遥か彼方へと放り投げる。それを別の猛獣が空中で捕まえて押さえ込みながら後ろ足で執拗に蹴りつける。他の場所では捕まえられると同時に次々と齧り殺されている。
「恐ろしい・・・いったい何なんですか、あの悪魔のような猛獣は?」
「わからぬ、だがこのいくさ・・・我らの勝利だ!」
納屋でぼーっと立ち尽くす春代を見つけた美咲が駆け寄って声をかけた。
「ばーちゃーん、やっと見つけた。どこに行ってたの?」
「あ、あれ?オラどうしただ?」
「んもう、こっちが聞きたいわよ。急に居なくなるんだもん。納屋だってさっき探しに来たのに居ないし、いったいどこに行ってたの?」
「いや、オラもわがんねぇんだ。なんだかキュウリみてぇな色の小せぇ人になんか言われて・・・」
「そう言えばばーちゃん、子猫どうしたの?」
「あんれ?その人のところに置いてきちまっただよ。まぁ親切そうな人だったで大事に世話してくれるべなぁ」
「ばーちゃんってばまったく・・・あら?それなぁに?」
「その人がどうしても寄越すって言ってこの耳かきみたいなのを寄越してきただ」
「な、なにこれ?純金じゃない!」
「ほう、そうけ?まぁせっかくだから貰っとくべ、美咲、おめぇにやるだよ」
「え?ちょ、これ普通に10万以上するわよ?」
「それにすても物好きな人も居るとじゃのう。乳離れも済んでやんちゃ盛りだで、暴れて大変だべぇになぁ・・・」
まさに、子猫たちは魔界で暴れに暴れて大変な事になっていた。