文字の仕事
世界には色んな仕事があります
「あ、もしもしぃ、お世話になっておりますぅ山崎ですぅ」
「はい、あ、いつもお世話になっております、牛田です」
「あのー、先日のモホロビチッチ不連続面の件で少しお伝えしたいことがありましてぇ」
「はい、モホロビチッチ不連続面ですね。確か私はホを担当させていただくことになっていたと認識しているのですが」
「そのことなんですけどぉ、急にチの担当が入れなくなりましてぇ。大変申し訳ないんですけど担当をチに変えていただけないですかね?」
「チですか? チかぁ…… ちなみにどっちのチですか?」
「それがその、二つ目のチでしてぇ」
「不の前の?」
「そうですそうです、不の前のチです」
「そっちですか…… 文字種の変わり目はある程度準備が必要なんですけど……」
「えぇ、えぇ、わかってます。わかってるんですけど、このタイミングでの急な変更に対応できそうな人が牛田さんくらいしかいなくてですねぇ……」
「柏木さんは空いてないんですか?」
「あの人は関東ローム層のロと三畳紀の畳を担当してて、手が空いてないんですよね」
「なるほど、確かにそれ以上兼任するのは難しいですね。うーん、まあ仕方ないか」
「本当無理言っちゃってすいやせん。もちろん追加報酬は出しますんで」
「……わかりました。ちなみにいつまでに準備すればいいですか?」
「それが本当に心苦しんですけどぉ、来週の火曜までだとありがたくて」
「火曜ですか!? 4日しかないじゃないですか」
「そうなんですけどぉ、火曜に第2章全体のリハやるようにスケジュール引いてあるんでそこをどうにかしていただけると助かるんですけどぉ」
「はあ、わかりました。なんとかチに向けてチューニングしてみます」
「本当ありがとうございやす! 牛田さんにはたびたび無理言ってしまって、本当すいやせん!」
「報酬はちゃんとお願いしますね」
「ええ、ええ! もちろんですとも!」
「ちなみに別件で、ヘルツシュプルング・ラッセル図のプの方はイレギュラーないですか?」
「ええ、はい、ヘルツシュプルング・ラッセル図は予定通りですんで、安心してお待ちいただければ大丈夫です。本当色々申し訳ありやせん、牛田さんにはいつも助けられてばかりでぇ」
「……とりあえず火曜に向けてチのチューニングしておきますね」
「ありがとうございやす! 引き続きよろしくお願いいたしたしますぅ」
「よろしくお願いいたします、では失礼いたします」
はあ。最悪だ。久々に同種文字繋ぎだけで済むホで安心していたのに、結局異種文字繋ぎに回されてしまった。しかも次の文字は不ときた。画数が少ない漢字との繋ぎはより担当者のセンスが出てしまうから緊張感があるんだよなあ。
地学の教科書の文字になる仕事に就いてから今年で5年が経ったが、相変わらず他教科に比べて予算も人も足りておらず、無理のあるプロジェクトが多い。そもそもの出版数が少なく人気もないため、人手が足りていないのだ。地学文字職エースの1人である柏木さんも古文文字職の猛スカウトを受けているという噂を聞いているし、もしあの人が辞めたらいよいよてんてこまいだ。
正直転職したい。といっても化学や数学の文字職に転職するには専門性のハードルが高すぎるし、現代文は最終手段にしたい。転職先を見つけるのもなかなか一苦労だ。いっそ業界ごと変えてビジネス書とかでもいいかもしれない。カタカナさえ上手くやれれば後はどうでもいいという風潮は気に食わないが。
牛田は深いため息をついてからチャットを開き、柏木さんにカナ漢字繋ぎについての質問を投げた。
ぼくはこの仕事やりたくないです