消えることのない傷
物語を読む前に、今回のこのお話は番外編でございます。
少しだけ、ほんとにちょっとですが暴力の描写が書かれてありますので、ご注意ください。
「みーちゃーん!!」
遠くから聞こえてきた大きく元気な呼び声は、すぐに自分の背後にまで近づくと、声の主は勢いよく後ろから抱きついて冷えた体を暖める。
「うわっ…いきなり抱きつくと危ないでしょ、久馬…」
呆れた様子で言ってみるも、彼はすりすりと猫のように自分の額を首元に擦り付ける。
柔らかな彼の、モンブランのように甘い茶の色をした髪がくすぐったくて、くすくすと笑い声が漏れてしまった。
「今日はどうしたの」
子供に話しかけるような優しい声色で尋ねると、久馬は喜々とした様子で、自分のクラスで起きたちょっと不思議な事件を語り出す。
「あのね!今日ね、俺のクラスでね!遅刻してた酒井くんの席の椅子が勝手に倒れたんだよ!!でね、その直後に酒井くんの親御さんから電話が来て…」
早口でまくし立てたせいで言い終える前に息が上がって言葉が止まってしまった久馬。
ニコニコと落ち着きのない彼を見つめながら、うんうんと頷くと、
「酒井くんが事故にあったみたいでさ」
スッと真面目な表情に切り替わった彼に、心なしか二つの意味で心臓がどきりと音を立てた。
「事故って…酒井くんどうなったの?まさか、し…」
「待って待ってまだ殺さないであげて!!意識不明らしいけど、軽傷だったみたいだよ」
「なんだ…よかった…」
そう言った俺に「いや、事故にあった時点でよくないよみーちゃん」と突っ込んだ久馬の顔は、口元をきゅっと結んで、苦笑いを浮かべていた。
「でもね、酒井くんが事故にあったって報告と、椅子が倒れたタイミングが一緒すぎて、めちゃくちゃ不思議だったな〜って思ってさ。酒井くんの魂が知らせに来たりして…」
「まだ死んでないんでしょ?なのに魂が出てきちゃってたら色々やばいぞ…」
「…あっ。たしかに…いや、生霊って線もあるじゃん?」
「まぁ幽体離脱とかあるしね。でも、完全な幽霊じゃなくてもポルターガイスト現象を起こすことは出来るもんなの?」
「一応どちらも同じ霊体だし、念じる力や想いが強かったら出来なくはない…と、思う」
話をしながらも、カバンの中から取り出した飴を久馬に差し出すと「ありがとっ」と笑顔が向けられる。
高校3年の寒い時期、俺たちはマフラーを耳まで巻きつけながら、手を繋いで家路に就いて、お互いの家に着くまでいろんな話をして笑いあった。
察して分かると思うが、俺と久馬は友達だけの関係ではない。恋人同士だ。
付き合い始めたのは1年前、高2だった頃。
幼なじみでもあった彼とは周りの人達よりも、お互いの距離が近すぎることがあって、意識したくなくても胸の高鳴りは収まらない事が悩みだった。
高2に上がってすぐの時、一緒にゲームを遊んでいた彼と、そういう話になってしまって…不意に唇を重ねられて「俺、みーちゃんの事がこういう意味で好きだよ」と、告白をされた。返事はもちろん分かりきっている。
その日から俺たちは関係を隠すことなく、親や学校の教師、生徒にも付き合っていることを知られて、公認のカップルとなった。
驚いたことに反対をする人も、気持ち悪いと距離をとる人も居なくて、笑顔でクラスメイトたちに交際を祝福された時は涙が出るほど嬉しかった。
幸い、久馬との関係は何年も続いて、気がつけば大学3年の秋を迎えていた。
だけども、その幸せは永遠に続くことは無かった。俺と久馬の関係にヒビが入り、音を立てて崩れ始めたのは、彼が一人で廃ホテルの探索を終えて帰ってきた時である。
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「久馬、おかえり」
同棲を始めて2年。
廃ホテルから帰ってきた久馬に笑顔を向けて、手に持っていた荷物を持とうと彼に触れた瞬間、バチンッと大きな音を立てて俺の手が久馬の手によって弾かれた。
一瞬何が起きたのかわからず、久馬を見上げて呆然と立ち尽くす。
「…」
「き、久馬…?」
覗いた瞳に光は宿っておらず、虚ろで、ゾクりと背筋に悪寒が走ったのは言うまでもない。
「どうしたの、何かあった…?」
ヒリヒリと痛む自分の手をぎゅっと片方の手で握ると、久馬から向けられた視線に、後ずさった。
殺意の籠った眼差し。
いつもとは違う冷たい雰囲気。
一体何があったと言うのだろうか。
考えている間も許されず、突然息が出来なくなる。
久馬の手によって、俺は、首を絞められていた。
▽▽▽▽▽
どこの霊媒師を呼んでもダメ。
引きずってでも神社に連れて行ったが、優しい彼がこうなった原因は分からず、彼からの暴力に耐えられなくなった自分は…
…彼を見捨てるようにして、逃げ出した。
人から殴られたなら、殴り返せばいいだけだ。だけどその相手が愛する人となると話は別だろう。
未だに首と腕に痛々しく残った傷や痣を見て、はは、と自嘲気味に笑う。
「似合ってんなぁ…」
鏡に映った自分の目から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちたのを見て、溢れ出る感情にどうストップをかけたらいいのかわからなくなった。
好きだ。大大好きだ。
その気持ちは本当だ。
彼だって好きでああなったわけではない。そんなことは分かっているんだ。
だって彼が俺を殴る度に、無意識に涙を流しているのを見ているから。本当は俺のことが大好きなんだってことも、知ってるから。
でもごめんね。俺はそんな久馬を見ていられなくって、逃げることを選んだよ。
殴られるくらいなんてことないよ。確かに外面も内面もボロボロに傷つくけど。
だけど1番俺が辛かったのは、久馬が顔を歪ませて泣く姿を見ることなんだよ。
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逃げ出したことへの罪悪感を背負いながら、俺は今もなお生き続けている。
戻ることのない君との思い出を、胸にしまいながら。
毎度この時間帯に投稿しちゃってますが、決して狙ってる訳では無いのです…。
今回は翠と古き友人、久馬との過去を書きました。
次回はちゃんと本編でお会い致しましょう。
それではっ。