第8話 続・喜べないレベルUP
勇者はレベルが上がった!
……だけど、喜ぶ気になれないのはなんでだろうか。傍らには未だに呆然と突っ立っているアバターがおり、僕は実にいたたまれない気持ちになる。
そんな僕を無視して、レベルが上がったということで、僕のプレイヤーさんは手に入ったポイントを各パラメータに振り分けようとしていた。
レベルが上がると褒美として、20ポイントが手に入り、そのポイントをパラメーターに振り分けることによって、アバターの能力を上げていくことができる。振り分け方に制限はなく、完全にプレイヤーの自由である。
……まあ確かに……。確かに僕は、早くレベルが上がってほしいなぁ、とか思っていたよ。レベルが上がって、今の過偏向な能力値を少しでも改善してほしいと、そう願っていたさ。
だけどさ……。他人の獲物を横取りして経験値を獲得するのは勇者の道理……いや、ネットゲームのマナーに反していると思うんだ。半ばPK染みた行動を、今さっき僕のプレイヤーさんは無意識に行ったよ。……いや、このプレイヤーさんのことだから、わざとやったんじゃ……。
いやいや! 仮にも僕のプレイヤーさんは勇者側を選んだ人! 行いはどこまでも卑劣に見えても、きっとその裏にはマリアナ海溝よりも深い意味が込められているはずだ! だから僕はそのメッセージを……プレイヤーさんの善意溢れる言の葉を汲み取ってみせる! プレイヤーさんのアバターの名にかけて!
思考開始。模索中……。
……。
…………。
………………。
……………………おかしい。どう思考を捻ってもプレイヤーさんの行動を正当化させることができない。正当化させようとすればするほど僕の中にある良心が呵責を起こし、胸が素手で握られているように絞め付けられる。
ああ……。獲物を横取りされたアバターさんが、なにやら物言いたげな眼差しで僕を見ているよ。眼光に、何とも言えない殺意が込められているよ。背後を振りむいた瞬間にグサリと刺されそうな雰囲気をどす黒く発しているよ。
……うん。わかっているんだ、本当は。僕のプレイヤーさんがやったことは紛れもないマナー違反だって。意図的なもので、狙ってやりましたってことだって。
僕はアイコンタクトで、ごめんなさいとそのアバターに向かって土下座する勢いで必死に謝った。それを尻目に、僕のプレイヤーさんは与えられたポイントを、僕の能力値に配分しようと思考錯誤しているようだ。…………いい加減にしろよ。
タールのように真っ黒で粘性をもった感情が、オーラのように湧き立って来るものの、そんなものをプレイヤーさんが察することはない。
だけど不思議なもので、先ほどから僕に敵意を向けていたアバター――正しくはプレイヤー――は、僕のそんな感情を感じ取ったようで、そそくさと僕から離れていった。……あるいは単に、これ以上付き合っても無駄だと判断したのかもしれない。こういうのも何だけど……賢明な判断だと思う。だってプレイヤーさんは、いったい何を考えているのか、僕でもわからないときがあるのだから。……っていうか、実のところほとんどわかっていない。
ただ、これだけは把握している。
――自分は、とんでもないプレイヤーに引き当てられてしまった、ということが。
……と、そうこうしているうちにプレイヤーさんはポイントの配分を終えたようだ。どれどれ、僕もどんな風にポイントを割り当てたのか興味あるし、チェックすることにしますか。
NAME ああああ
HP 10
ATTACK 300
DEFENSE 10
MAGIC ATTACK 0
MAGIC DEFENSE 0
…………どうして今でも十分すぎるほどに有り余る攻撃力を上げた?
確かに、HPと防御を引き上げたことは僕としてもうれしいことだ。これでザコモンスターの攻撃なら一撃だけ防ぐことができるだろう。少なくとも、今までのように一発ノックアウトという辛酸を嘗めることは多少は減るはずだ。
……だけど。どうしてたった5であっても攻撃力を上げたのさ! 上げる必要ないでしょ! その5ポイントをHPか防御力にあててよ! そうしたら一撃死の可能性が今よりも軽減されるのに!
しかし哀しいかな。僕の心の声を完全無視し、再びカメラのアングルをぐりぐりと動かす。次の獲物を狙っているようだ。どうやらまた、あの姑息な手段を使うらしい。
やめてくれ! 僕はこれ以上薄汚れたくない! 健全……とまではいかなくとも、一般的なアバター並に使われたいんだい!
だが、残念なことにプレイヤーさんは次の標的を発見してしまったみたいだ。
嗚呼。可哀想な僕とそのアバターおよびプレイヤー。プレイヤーさんの魔の手にかかってしまったよ。
威勢良く、何のためらいもなく僕を瀕死状態のゴブリンに急速接近させる。すると、向こうのプレイヤーが僕の姿に気づいたようだ。ゴブリンをぼこるスピードが増し、僕の攻撃範囲内に入る前に仕留めてしまった。行動から察するに、先ほどの横暴を見ていたようだ。
アバターは何も語らず、ただただ非難の目をこちらに向けてきていた。その眼差しはプレイヤーさんのものでもあるんだろうということが、容易に想像がつく。
……嗚呼! そんな目で僕を見ないで! わざとじゃないんだ! 少なくとも、僕は他人の獲物を横取りしようなんて愚考は脳の片隅にも置いていないし、実行する気もなかったんだ! ただ、僕のプレイヤーさんの神経がゲスで、卵の殻のように真っ白な心を持つ僕を使って不届きを働いたものなんだよ! 本当だよ? 信じてよ! 僕は悪くねぇ! 僕は悪くねぇ!
……と、心中で弁明している間に、彼のアバターはそそくさと僕の傍から逃げるように離れていった。
なんだろう。僕の株がどんどん右肩下がりな気がしてならない。まだ始めたばっかりなのに……。
しかし、図太い……というか無神経な僕のプレイヤーさんは、そんなことを歯牙にも掛ける気配も見せず、次なるターゲットを探し始める。
あの……汚いことやって経験値稼いでいる時間があるんなら、ちゃんと地に足を着かせた方法を行ったほうが建設的なんじゃないか、って思うのは僕だけだろうか……。ちなみにこれは、疑問じゃなく反語だからそこのところよろしく頼むよ。
プレイヤーさんはカメラの角度を色々動かした後、やがて別の場所へ移動させ始めた。どうやらこの辺りに他プレイヤーはいないみたいだ。……だけど、僕の記憶は、さっきまで結構な数のアバターが戦いを繰り広げていたぞと訴えている。早計かもしれないけど、どうも他のプレイヤーたちは、自らの身体の危機を感じ取って、僕から逃げたとしか考えられない。心当たりは…………あり過ぎてこまいっちんぐ♪
などと壊れてなどいられない。信頼関係がけっこう肝心要となってくるオンラインゲームでこれは致命的だ。話がどんどんプレイヤー同士のチャットを介してゲーム内に伝播していき、やがては見知らぬ高レベルプレイヤーに変な因縁をつけられた挙句に所持金かつあげとかされるに違いない。さらには伝播する過程であることないことゴシップが追加されて、物事はやがて、自分でも収拾不可能な状況にまで追いやられる可能性だってある。そうなれば最後、他プレイヤーがパーティーメンバーに入れてくれなくなるかもしれないじゃないか。
……まあ、多少行き過ぎな、誇張しているところがあるかもしれないけど、これに似た現象が起きるだろうことは十分に考えられる。……っていうか、すでになっている感がある。
これはどうにかプレイヤーさんに心変わりをしてもらわないと、素敵なオンラインゲームライフを楽しめなくなってしまう。
ゲームとはすなわち、楽しむもの。ストレスを得てしまっては意味がないのだ。
しかし残念なことに、僕の声がプレイヤーさんに届くことはない。情けないと言わないでよ。所詮はいちアバターってことさ。
……と、そのとき、目測50メートルほど先に、モンスターが姿を現した。
体躯は2メートルほど。目が血のように鮮やかな紅に染まり、全身が漆黒の毛に覆われ、それとは正反対の鋭さをもった白に煌めく牙をむき出しているのは、ウルフだった。
ウルフは初めからこちらを凝視しており、総毛を立たし、牙をむき出して威嚇している。グルルルル……と、唸り声も喉奥から発せられていた。とてもじゃないが、逃げることができる状態じゃない。背を向けた瞬間に、背後から飛びかかって来そうな気配を、眼前の敵は醸し出していた。そうなれば最後、一撃ノックアウトの後、所持金を半分に減らされた挙句、村まで強制ワープをさせられることだろう。……うぅ、勘弁してよ。
プレイヤーさんもウルフのその気配を感じ取ったのか、逃げるような真似はせず、僕をウルフと面と向かい合わせたまま、停止させた。
繰り広げられる視殺戦。僕は背筋に蛇が這っているようなうすら寒い感覚を得、心臓が早鐘をうっているのがわかった。
先手を打ってきたのはウルフだった。
持ち前の速さをもって、鋭利な牙を陽光で反射させながら僕に弾丸のように迫ってくる。
さあ! プレイヤーさん! 存分に戦いましょう! 破壊力300をもって、ウルフをぐちゃって、やっちゃっ…………………たら、色々とクレームがきそうだからやめて、多少力を加減してやっつけちゃいましょう!
距離が徐々に狭まり、やがて半分以上を切ったが、どういうわけかプレイヤーさんは僕を操作しようとしない。Why? なぜ?
……まさかプレイヤーさん。席を離れているなんてことはないよね?
ちょっと尿意を感じたので、とか、小腹がすいたからキッチンで食い物探してくるわ、とか、そういうわけじゃないよね?
そうじゃなかったら早く僕を動かして! AIなんて高等なものをアバターはもっていないんだから自動操縦なんて不可能なんだよ? そこのところわかってるよね? わかっているんなら早く移動させて! 今のままじゃ敵の攻撃軌道にジャストで入っているよ!
あああぁぁぁ…………!
どんどん迫ってくるよ!
刃物のように鋭い牙が、僕の首元狙ってやってきているよ!
ぎゃあああぁぁぁ!
やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめ――――
グチャッ。(何かが噛みつかれる音)
ブシュウウウゥゥゥゥ――――……(何かが噴き出す音)
グロいので描写は割愛させていただきます。
まあ、なんだろう。最近……といってもまだ始まったばかりなんだけど……こういうのがもうお約束って感じになってるよね。
薄れ行く意識の中、僕はそんな確然たる想いをもった。




