第5話 さあ、闘技場だ
視界がホワイトアウトしたのは数秒ほどで、やがて周囲の景色が徐々に姿を現していこうとしていた。
ここは……闘技場だ!
中央には障害物など一切ないバトルフィールドが展開されており、全周を囲んでいるスタンドにいるたくさんの観客が、戦場にいるこちらを見下ろしていた。……いや、厳密には僕だけじゃない。僕の向かい側には、AIBOさんがいるのだから。
だけど、どうして僕はいきなりこんなところに飛ばされたんだ? たしか相手から投げられた白い物体を拾った直後に、場面が切り替わったんだ。そして、闘技場に到着したのと同時に、先ほどの白いアイテムも消えてしまった。
……まさか、あのアイテムって……。
僕が嫌な汗を額から流していると、チャットウインドウにAIBOさんからの書き込むが入った。
AIBO> これで逃げられませんよ、『ああああ』さん。さっき貴方に投げたのは『決闘手袋』だったんです。本当はもっとレベルが上がってから使おうと考えていたんですけど、このままみすみすとアイテムを持って逃げられても困りますからね。使わせていただきました。
やっぱり……『決闘手袋』だったんだ、あれ。
『決闘手袋』は、本来対戦不可である勇者側なら勇者側の人と、魔王側なら魔王側の人と戦うことができるアイテムだ。大抵、このアイテムは仲間内で腕を磨こうということで使用するアイテムなんだけど、今回の場合は、アイテム泥棒を逃がさないためにAIBOさんは利用したわけだ。ちなみにアイテム泥棒は僕……厳密には僕のプレイヤーさんを指しているわけだけど……。
周囲の観客からは耳鳴りがするほどの歓声が響き渡っており、熱狂のほどがひしひしと肌を伝って感じることができる。
闘技場に設置されている巨大なモニターには、僕とAIBOさんのステータスが映っていた。
LEVEL 1
NAME ああああ
HP 5
MP 0
ATTACK 295
DEFENSE 0
MAGIC ATTACK 0
MAGIC DEFENSE 0
LEVEL 5
NAME AIBO
HP 180
MP 0
ATTACK 80
DEFENSE 50
MAGIC ATTACK 20
MAGIC DEFENSE 50
……駄目だ。とても勝てる気がしない。
まず名前からして負けているし、能力的にも向こうのほうが安定感がある。確かに、魔法攻撃力が低いような気がするけど、それは多分、魔法を使わないからだろう。使わないステータスを伸ばしても意味がないから、その分を他の場所に割り当てているに違いない。
それに対してこちらのステータスはひどいものだ。一撃でも受ければそれで試合終了となることは間違いない。
……あ、でも。それは向こうにも言えることか……。
こちらの攻撃力マイナス相手の防御力を引いても、AIBOさんのHPをゼロにすることができる。
ちなみに闘技場で勝つと、相手と自分とのレベル差に応じた経験値がもらうことができ、負けたほうは相手がもらった経験値分、マイナスされることになる。そうなった場合、ただでさえ少ない僕の経験値はゼロになること間違いなしで、また苦難の道を歩まなければならなくなる。またどちらがぶっ飛ばされるか、ザコにスマ○ラ勝負を挑まないと駄目になるのか……。
こうなったらプレイヤーさん。AIBOさんをコテンパンに倒しちゃってください! それで勝った後、盗んだアイテムをAIBOさんに返してくださいね。
モニターに映されていた互いのステータスが消え、「Ready…」とどこからともなく審判の声が闘技場に響く。
AIBOさんはこれ以上語る気はないのか、得物である剣を構え、こちらを睨みつけていた。
無論、僕は武器なんて持っていない。金なし経験値なしHPなしだ。しかし、その代償(?)として驚異的な攻撃力を持っている。その一撃を与えることができれば……勝てる!
後はプレイヤーさんの腕次第だ。うまい具合に僕を勝利に導いてくれ!
……まあ、無理だということはわかってるんだけどね。
だってよくよく考えてみてよ。これまでこのプレイヤーさんがまともな戦闘を行ったことがあったかい? 少なくとも僕はないような気がする。
戦闘は決まって一発勝負。これまでモンスターと何度か戦ってきたけど、攻撃の命中率が低い。今のところ初戦のスライムだけに拳がヒットしている状態だ。
実のところこのゲーム。攻撃コマンドを入力したら、攻撃の標準をある程度自動的に合わせてくれるため、プレイヤー相手ならまだしも、さほどキビキビと動かない序盤のモンスターを相手に、攻撃をミスするなんてことはほとんどありえないことだ。
その所業をこのプレイヤーさんがものの見事に成し遂げているところから推測するに、恐ろしく素人だということがわかる。それもただの素人じゃない。「超」という言葉なんて足りないくらいに、素人だ。マスター・オブ・シロート!
……駄目だ。少しかっこよく言ってみても全然しまらない。
直後に、「GO!」という合図が響き渡り、AIBOさんが猛然と突進してきた。
怒りに染まっている顔には「アイテム返せ!」としっかりと書かれていた。
うわわわわ……! プレイヤーさん! 回避して! 攻撃はもうすぐそこまで迫って来てるよ!
だけど、あろうことか、プレイヤーさんは攻撃コマンドを実行。僕をAIBOさんに突撃させた。
ぎゃあああぁぁぁ! やめてくれ!
なに自殺を強要してるのさ! 自殺教唆罪で訴えるぞ! プレイヤーさん!
僕の心の叫びは当然ながらプレイヤーさんの耳には届かない。きっと今頃、喜々としてモニター越しの僕の姿を眺めていることだろう。……くそぅっ。ディスプレイを中からかち割ってやりたい!
だいたい、武器のリーチからして勝敗が決定しているようなものだ。向こうは剣で、こちらは素手。真っ正面から突っ込んで行っても勝てるわけがない。リーチの長い剣での攻撃のほうが先手を打つことができる。
ああ……。もう終わりだ。僕はまたゲームオーバーの憂き目を見ることになるんだ。
近づく恐怖に、僕は目に涙を浮かべた。
刀身が、一文字の軌道をもって、僕に接近してくる。
対する僕は、相手の顔面目掛けて拳を叩きつけようとしていた。
直後、
バッコオオオォォォン!!
――――僕の拳は相手の頬にめり込んでいた。
カウンター気味に僕の一撃を受けたAIBOさんは「馬鹿な……!」と驚愕に目を見開き、その後ずるずると地面に伏した。
……なんだ? 何が起きた?
AIBOさんは倒れたまま、起き上がる気配を見せない。まるで屍のようだ……。
辺りは水を打ったように静まり返っている。
……ていうか、これは……。
僕がまさか……、という気持ちでいっぱいになっていると、
わあああぁぁぁぁぁ――――!!
と、耳をつんざくような観客の歓喜の声が轟いた。
ハッとし、僕は巨大なモニターに視線をやると、そこには「『ああああ』 WIN!!」と文字が躍っていた。
……うそ。
勝った……の? 僕……。
信じられない。絶対に負けたって思ったのに……。
しかし、周囲の観客の声が、「これは現実だ」ということを知らしめてくれる。
……ってことは、本当にやったんだ。
……は、ははは……。やるじゃないか、プレイヤーさん。
まったく、初めからこれだけのやる気を出してよ。僕がどれだけ痛い目を今まで味わってきたと思っているのさ。
だけど、今回のことで全部水に流してあげるよ。
ほら。AIBOさんを倒したから、レベルも上がり上がって一気に3だ!
やったね! プレイヤーさん! これで貧弱な能力値を上げることができるよ!
バンバンザーイ!
…………なーんて、そんなわけないでしょ。
バッコオオオォォォンと、豪快な音が鳴り響いたかと思うと、僕の身体は宙に舞っていた。
うわーい。天が近づいてくるよー。
そりゃそうさ。僕が勝てるわけないでしょ? なぁに、ちょっと夢でも見ていただけさ。「こんな展開になったらどれだけいいだろうなぁ〜」って、思っただけだよ。思うだけならだれも文句は言わないでしょ?
……え? 紛らわしいって? 生憎だけど、その意見は拒否させてもらうよ。僕のようなアバターは、そう言った夢物語くらい思うことくらい許されていいはずだしね。
上昇する力がなくなると、今度は重力に引き寄せられて、地面に僕は受け身を取れることなく叩きつけられた。
頭が揺さぶられ、意識が遠のいていく感覚を受ける。
薄れゆく意識の中、僕は「『AIBO』 WIN!!」という文字が表示されたモニターが目に入った。




