太陽を負う巫女
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
さ〜て、どんなもんよ、私のメイクは? はは、つぶつぶがロングヘア女子高生になるって、なんだか新鮮ね。
――俺に女装のケはないって?
いやいや、これはコスプレでしょ。私の中じゃ女装って、女方とかの仕事している人ってイメージ。
元々は、女性が歌舞伎に出ることを禁じる命令が出た江戸時代に、女役を作るため男が女装したのが、女方の始まりとされているわ。こういう罰ゲームでやらされるものとは、重さが違うと私は考えているの。
ああ、でもコスプレでお金とっている人もいると聞くから、コスプレも失礼な表現かしら……そう、戯れね。
うん、戯れ。いっとき限りの飛沫な夢よ。犬に噛まれたと思ってあきらめなさいな。
――噛まれた跡は残るし、狂犬病の恐れ?
まったく、だいぶご立腹なのね、今回。
そんじゃあ謝礼として、あんたの興味を惹けそうなお話、贈ろうかしら。あんたが忌々しげにつけている、ウィッグ、かつらに関してのね。
女は髪が命とよく聞くことではあるけど、これははるか昔からの共通認識のようね。
日本書紀の中にも「押木玉縵」という装飾品として書き残されているし、奈良時代には朝廷に出仕する女性には、つけ髪をすることが義務付けられたとか。
そのため、かつらというのは上流階級にとっては、たしなみのひとつであり続け、その需要も途切れることはなかったらしいわ。だからこそ、豊かで美しい、緑の黒髪は高値を出しても求められるものだった。
時は室町時代。
仕官先が決まった、ある将の家族が城下に越して来たの。
彼はこれまで牢人。お仕えしていた主家が滅びたことで、仕事にあぶれてしまった被害者の一人だった。彼には元居た家で、少しく武芸と軍略の心得を得ていたのが、功を奏し、登用される運びになったようね。
ただ、それでも収入があまりない生活を送っていたのは確かで、わずかにあった蓄えも、ここに来る前に、ほとんど使い果たしてしまっていたわ。
夫が、元から仕官先に居る家臣たちとの顔合わせのため、家を空けている間、妻は祝いのための品々を買い集めようとしたの。
けれども、今、手元にあるお金では、いつもの食事を用意するのがせいぜい。
――夫の新しい門出。みすぼらしいものは用意できない。これからの武運長久を願えるように……。
妻はぎゅっと、今まで伸ばし続けてきた、黒髪の束を握りしめる。
ふと、市場を歩く妻の耳に、かすかな太鼓の音が聞こえて来たの。
祭囃子にしては、音の数が少ない。楽器にしても、人の声にしても。
何かしらの儀式に近いものではないかと、妻は判断したそうね。あたりを見回してみると、店に立っている人以外は、足並みこそ違えど、音の方へ向かっているのが大半。妻も彼らの後についていったわ。
たどり着いたのは、小さな神社の境内。そこにはおあつらえむきに、四隅をおさえるように経った巨木にしめ縄が渡され、結界が張られていた。
中心に立っているのは、烏帽子姿に太刀をはき、扇子を手にしている。そして、肩幅を超えて豊かに広がっていく、長い黒髪。
白拍子、と一見、妻は思ったみたい。話に聞くばかりで、実際、目にしたことはない。この頃の主流は、能や狂言に移っていて、すっかり廃れてしまっていたはず。
実際、伴奏はないし、今様などを歌ってもいない。
更に身につけている烏帽子。これの後ろには、生地からはみ出るほどに大きな、金属製の円が張り付いているの。頭の大きさを優に上回るそれは、衣装に対して釣り合いが取れているとは思い難かった。
「あんた、『日の出舞』を見るのは、初めてかい?」
しげしげと、しかし訝しげな顔で見ていた妻は、近くにいた老婆に声をかけられた。頭に手ぬぐいを巻いており、その端からはかすかに白髪がのぞいている。
妻がうなずくと、老婆は話し始めた。
「日の出舞は、ここにいるみんなが生まれるよりも、ずっとずっと前から始まったと言われておる。この土地は昔から過分に雨が降り、山は崩れ、土は流れ、どうにか住まいは守っても、せっかく育てた作物たちが、無に帰してしまうことも多々あった。
じゃが、当時の神主さんが神託を受けたとのこと。『天の気、乱れんと感ずる時に、日の丸背負いし乙女を舞わせよ。さすれば、気の流れ、水の流れ、土の流れ、すべては落ち着きを取り戻すであろう』と」
ただ条件があるの、と老婆は頭の手ぬぐいを撫でながら続ける。
「豊かで、清い黒髪をまといし者。その者のみが、陽を負うように、との仰せ。だから舞い手は美しい黒髪の持ち主が選ばれる。
しかし、それもいつまでも保てるものではない。よって、ふさわしい者がいなくなってしまった時のため、つけ髪を用いることもあるのじゃ。高い金を出してでも、な」
もっとも、わしはもはや役に立てそうもないがな、と最後に声を押し殺して笑いながら、老婆は告げる。
――神事のために、髪を集めて束ねる、か。
そういえば、買い物しようとした時の売り手たちも、ここに集った女たちも、そのほとんどが手ぬぐいを頭に巻いている。そうでない者も、髪の長さはせいぜい肩口をやや超える程度。
前に住んでいたところでは、もっと長く伸ばしているおなごが大勢いた。その姿がここでは見受けられない、というのは、つまり、そういうことなのだろう。
――夫が殿に仕えるのであれば、私もここに住まう、新しい仲間の一人。ならば。
妻は舞が終わると、結界脇の社に向かって歩いていく。
その日の昼過ぎ。城から戻って来た、かの将の食卓には焼いた鯛や鳥、かつおの刺身に柿などの、普段の一汁一菜とは比べ物にならないほどに、豪勢なものが並んだらしいわ。
将は食卓と、妻のすっぽりと落とした黒髪に驚きを隠せなかったものの、妻の語る老婆からの話を耳にし、「なれば」と妻の献身の姿勢に、深く心を寄せたとか。
それから数年の月日が流れる。
戦はなく、夫である将は様々な内政事業に従事し、一奉行としての務めを果たしていたというわ。けれども、その年は雨が少なかったにも関わらず、不意に川の水かさが増してしまう事態があったの。
出水によって、堤の一部が壊れては直し、また別のところが壊れては直し……というイタチごっこが続いたわ。殿もそれに関しての経費は惜しまず、住まう人たちも自分たちの暮らしがかかっていることもあって、力を尽くしたわ。
自然の波状攻撃は、まるで人の備えをあざ笑うかのように、まんべんなく堤を傷つけていく。完膚なきまで、というとおかしいけれど、堤全体のあちらこちらが、首の皮一枚でつながっているような、危うい状況。次に大きくほころべば、連鎖的にすべてが壊れ、水泡に帰してしまう……将は報告内容と、その情報を書き込んだ地図を見ながら、頭を抱えたわ。
そして、折しも大雨。水が引きかけていた川面を、一日で茶色く染め上げる、絶え間のない雨。いつぞやの出水間近まで、水位が上がっているのを、一同は見て取ったわ。
どれも危険域に達しようとしている。けれど、そこから先は、じらすかのように、どの部分からも決壊の報告が入らない。
じわじわと、こちらをなぶって、追い立てて、一気に息の根を止めんとするかのごとき、周到さ。これまでの状況も相まって、天気が狩りの支度を整えているかのような、気味の悪さもあった。
一日中、雨が降り、それでいてまだ堤は壊れない。将たちは全員が、雨具代わりのみのと笠を身につけて、川をほぼ一望できる小高い丘の上から、いかなる指示を飛ばそうかと悩ませていた。
そこに、伝令役がやってくる。件の神社からのもので、舞をひとさし、納めさせてもらいたいと。
地元に住んでいる者たちは、ざわめき始める。これまでの実績からして、効果は大きいとのこと。
将個人としては怪しげな印象をぬぐえなかったが、妻も髪を捧げており、指示されているものを無下に扱うと、のちのちに響く恐れがある。了承をすることに。
ほどなく、白拍子の格好をした巫女が、身体を雨に濡らしながら、将たちが待機する丘の上へ登って来た。烏帽子には、例の金色の太陽をあしらっている。
舞う場所は、丘の一番上。川をほぼ見渡せて、すぐ下は崖になっている地形。巫女は雨に負けないほど、大きな音を立てて扇子を広げたけれど、そこから始まる舞は、将が今まで何度か神社で目にした舞とは、全然違うものだった。
身体をほとんど回転させない。代わりに、ひざの曲げ伸ばしによる、屈伸運動が中心だった。舞うというより、立ったりしゃがんだりの繰り返し。それを、向きを変え、何度も川を見据えながら、何度も繰り返していったの。
「何をしているんだ」とつぶやきかけて、周りにいる者たちが制止してくる。そして、巫女の方を指さし、将もその先を追って、思わず息を飲んだわ。
髪の毛が、白くなっていく。目に見えるほどの、すさまじい早さで。
巫女がひざを曲げ、立ち上がり、またひざを曲げ……としている間にも、はらはらと炭のように白くなった髪は抜け落ち、泥水と化した地面に落ちて、判別できなくなってしまう。
更によく見ると、彼女の烏帽子に張り付いている、太陽をあしらった金の丸。一向に濡れていない。
縁から雨水が垂れることはない。表面に水を留めるわけでもない。
かの太陽に触れた先から、白い湯気となって立ち昇っていったのよ。それは彼女が踊り通す一刻あまりの間、続いたとのことよ。
彼女の舞からほどなく、雨がやみ、雲が晴れ始める。堤の結界の報告は、ついに届くことはなかった。
巫女は一礼をした後、将たちのすすめで少し休んでから神社へと戻っていったけど、そこで将は、巫女がかつらだったことを知ったわ。
髪がすっかり散ったかつら。その下から出てきたうなじは、真っ赤にただれていて、今にも血を噴くのではないか、という肌の焼け具合だったとのことよ。
太陽を負う者。それは黒き髪を束ねし、乙女のみ。
私の地元に伝わる、古い古い言い伝えよ。