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部屋の模様替えもすっかり終わり、一ヶ月世話をしてくれた部下達は、皆、下水に流れた。突然現れなくなった仕事仲間のことは誰も何も聞かなかった。
この一ヶ月の間に探偵の野郎が来るかと思ったが、一度も来なかった。俺たちから離れて、他の連中の対抗馬になったらしい。兄貴は殺す気でいる。面白くないやつを生かす必要がないからだ。どこまでも兄貴は自分中心だ。生死観も相手に対する感情もなにもかも。
兄貴はしつこい記者達の顔をピンでしっかり止めていった。顔からは笑顔が見て取れる。他に貼り付けられていた奴らの顔はゴミ箱の中に入った。命が助かったのだ。だが、俺はしっかり覚えている。
「なあ、こいつが一番来てたな」
「ああ。でも、しつこさで言えば、こいつが一番だってセキュリティの奴らが言ってた」
「質問の内容で言えば、こいつが一番胸くそが悪い」
「兄貴、どれからだ?」
「どれからがいいかな。とりあえず、店に最初に来た順でいこうじゃないか」
「だが、奴ら勘付くかもしれんぜ」
「全部いっぺんに相手するのは疲れるな。この量だ」
「じゃあ、兄貴の組織から来てるやつを使おう。縛るくらいはできるだろ」
「それもそうだな。なにも俺とお前だけで、これはやらなくてもいいんだ」
「ボスは怒って電話して来ない?」
「安心しろよ。俺はちゃんとお伺い立ててるからさ。一週間前からちゃんとマガジンに組織の方から警告してる。それでも来るやつはバカだっただけだ。死んだら治るさ」
兄貴は銃を三丁用意して、弾をこめ始めた。俺も手伝った。
「三丁で足りるのか?」
「弾を込める時間はあるだろうよ。マシンガンじゃないんだ。品がある」
「そうだな」
「今日来なかったらどうする?」
「こっちから、今度は訪ねるさ。なあ、マニキュアを買ってみたんだ。お前塗るか?」と兄貴は鈍い金色のマニキュアを見せた。少し悪趣味なようなそうじゃないような微妙なラインだ。
俺は兄貴に向かって手を出した。兄貴は嬉しそうに笑って、さっそく俺の爪にマニキュアを塗り始めた。ひやっとしていて、あの夜、チラつかされ、喉元に押し付けられた金属の冷たさを思い出す。
兄貴は楽しんで爪を金に染め上げていく。あのゲームマネージャーに塗って、少しハマったのだろう。
右も左も塗り終わり、息を吹きかけたり、手を振ったりして乾かした。俺の爪が乾くと、今度は兄貴が手を差し出して来て「さあ、俺にも」と言った。俺は兄貴の手を取って、丁寧に塗り始めた。兄貴の爪の方が少し丸い。俺は角張っている。
「なあ、なんで金色なんだ?」
「今日は喪服きてるだろ?」
「うん」
「だからだよ」
「そうか」
兄貴は葬式だのなんだのは金が入って来るものだと思っている。本当はそんなことはない。だが、兄貴にとってはそうだ。ボスに言われてやって金をもらい、喪に服している女を騙して金を盗む。葬式は人が悲しんで弱っちくなるから、一番稼げるのだ。それに、金をとろうが何をしようが、死人が文句をいうわけでもない。
今日の真っ黒い喪服は一番質素に見えて、持っている服の中で一番高い。
兄貴なりの礼儀なんかではない。一番贅沢に金が入って来る日に一番贅沢な服をきているのだ。それだけの話なのだ。
カジノでは俺と兄貴が真っ黒い喪服なんて着ているから、部下達はこれから何が起こるのか考えて、冷や汗を流している。医者のレイモンドが、臓物を撃たないようにと言ったので、兄貴は機嫌よく脳みそを撃つと答えた。彼は闇医者なんてのじゃないはずなのだが、こういうところがある。だから兄貴はレイモンドを気に入っている。
「そろそろ開店時間だな」と兄貴は鼻歌を機嫌よくした。それから、少しうろうろした後、椅子に座って、机に足を置き「俺はここで待ってるよ」と言った。俺は頷いて、表に向かった。
一ヶ月ぶりに俺が表に出て来たので、従業員は固い表情をした。俺はできる限り笑顔で昔通り「それじゃあ、金をたんまり動かそうか」と言って、彼らを見回した。全員、しっかりと頷いて、それぞれの持ち場に向かった。
店の前には客がいる。多分、記者達もいる。
俺は兄貴の組織の連中を呼びつけて、記者連中を部屋に入れるので、一人一人、お迎えして差し上げるように指示を出した。
カジノのドアが開き、浮世の亡者達が飛び込んで来た。
俺は久しぶりのお祭り騒ぎと熱狂を嬉しく思った。
久しぶりに見る俺をお客達は嬉しがっているようで、俺の顔を見てはニコニコしている。顧客達にご挨拶をしたり、おしゃべりをしている間に記者達は部屋の中に案内され終わっていた。名残惜しそうにこちらを見るお客達に色々と囁きながら、兄貴の部屋に向かった。
記者達はしっかりと縛られ、猿轡代わりに布を入れられていた。兄貴はその様を見て満足そうにしている。俺が来たので、兄貴は組織の連中に「しっかり頭押さえつけとけよ。ブレれば、てめえの足に大怪我負うと思え!」と怒鳴りつけた。
「壮観な眺めだな。俺はこれだけの敵がしっかりいるわけだ。さっきな、この記者連中に殺せばどうなるかわかってるなって脅されたんだ。笑うだろ? 笑わずにはいられないだろ?」
兄貴は笑って俺を見ている。
「そうだな。俺はなんにもしてないが、兄貴はちゃんとお前たち宛てに通告をしてたはずだ。それでもノコノコ来て、殺せばどうなるかって? たしかに笑わずにはいられないな」
「だろう? 殺せばどうなるかって、死ぬだけさ。お前らがね。なあ、アレックス」
「なんだい、兄貴」
「俺たちはちっとも悪くないよなあ、これに関しちゃ」
「ああ、全く悪くないとも。記者って連中はどうしてこうもバカなんだろうね」
「好奇心は死に直結してるのさ。好奇心旺盛な彼らがバカ以外のなにになる。死にいくことほど、バカなことはないぜ」
兄貴は頭を撃ち抜く準備をした。記者たちはなんとか生き延びようと一生懸命動いている。それを組織の連中がしっかりと抑えつけようと頑張っている。そうしないと自分が痛い目に合うからだ。だれも痛い目になんか合いたくない。
「しっかりと抑えとけよ」と兄貴は言った。俺は銃口を左端の頭から照準を合わせた。だが、兄貴が「いいや、そこは真ん中からだ」と言ったので、真ん中に合わせた。
記者はこれでもかともがいている。
「首から血を抜いた方が早いぜ、これじゃあ」
「まあな。だが、俺はギャングなんだ。ナイフよりも銃を使わなくっちゃ。それに、そんな簡単じゃ面白くない」
「兄貴、これはゲームじゃないぜ」
「ああ、ゲームじゃない。俺は思うんだ。銃声を聞くと、生きてるなあって」
「気持ちがいいのか?」
「いや、ただ、生きてるなあって思うだけだ。気持ちいいもなにもないんだ。ただそう思うだけ」
「まあ、こっちがひけば大抵は生きてるわけだし」
「嬉しいことだぜ、まったく生きるってのはよ」
「ああ、本当に」
兄貴は引き金をひいた。見事に命中させた。
「うまいもんだね、兄貴」
「お前の照準の合わせ方がうまいのさ」
兄貴は俺のほっぺたにキスをして笑った。兄貴なりの感謝の表し方だ。
記者たちは目の前で仲間がしっかり息の根が止まるのを見て、一斉に固まった。ある者は目がドロンと暗くなり、あるものは目をしっかり瞑った。祈りの言葉を口にしているであろうやつは宙を見ている。あるやつは失禁している。かわいそうに思う。
だが、今回ばかりは相手が悪かったんだ。
今までのヴィランは案外人がよくて殺されなんかしなかっただろうし、ヒーローマガジンに載っているヒーローが助け出してくれただろう。建物をぶっ壊し、悪者をぶっ飛ばして。だけど、兄貴は中途半端な悪者じゃない。生まれた時から、なんのきっかけもなく悪いのだ。
かわいそうな過去もなく、ただ、今日を生きているだけなのだ。
やればやられる。兄貴はこいつをよく知っていた。どんなに平凡に平和に生きようと、やられりゃ死ぬのだ。だから、兄貴は単純明快でわかりやすいものを選んだ。一番危険と近いものが一番安全だと思って選んだのだ。もしも政治家が一番安全だと思ったら、政治家になっていただろう。
もうどうしようもないんだ、兄貴も俺も。生きること以外、なんにもできないんだ。もうどうしようもない。
俺は兄貴と言った。兄貴も俺の名前を呼んだ。
ジーザスは他にいる。
兄貴は「絨毯を先に変えちまうんじゃなかった」と言った。
俺は「床の方が心配だ」と言った。
組織の連中は出て行って、かわりに医者のレイモンドが診療カバンのようなものを持って、入ってきた。
「よう、仲良し兄弟」
「よう、レイモンド。誰の診察?」
「そこの奴らだよ、エドワード。綺麗に全部頭をぶち抜いて」
「俺の弟が照準を合わせてくれたおかげでね」
「兄貴の撃つタイミングもうまいもんだよ。それがなきゃ、照準なんて合わせたって無駄さ」
「仲良きことは美しきかな。さて、俺は俺の仕事をするよ」
彼は頭の赤くなった記者の服を脱がせて、身体を切った。
「中に入ってるのがあると、便利なのか?」と兄貴が聞いた。
「あったら、あったで便利だ。それに少し古くなれば、闇の方に売っちまうんだ。いい金になる。給料よりいい金がもらえる時もある。年棒の方だぜ」
「そうか。そりゃあ、いい」
「さすがにこういうのはあんたらの物じゃあるまい?」
「ああ」と俺。
「もちろんさ。だから、好きなだけ持ってけよ」と兄貴。
レイモンドは賢くて冷たい男だった。俺たちにとってはいい友人に近い存在だ。
彼は俺たちを度が過ぎた仲良し兄弟だと思っている。俺もそう思っているが、そこまで仲良くはないと思う。殺伐としている。仲がよけりゃ喧嘩する。俺たちは違う。できない。どちらも相手がいないと困るから仲良くしている。俺は兄貴が死ねばすぐに誰かに殺されるだろうし、兄貴は俺がいないと安心して眠れなくなって死んじまう。
まあ、レイモンドか探偵を囲う手もあるだろうが、それは難しいだろう。俺ほど安心できる野郎はどこにもいない。
レイモンドは俺たちが何を喋ろうが、食べようが、どんなことをしようが、全くもってどうでもいいと思っている。だから、周りの連中と違って、俺と兄貴をとやかく言わない。なにも聞かないし、なにも忠告しない。
昔は俺だってまともな友人がいた。彼らにはとにかく忠告されたし、女の子たちには泣いてシャツを引っ張られた。赤の他人よりも、赤のつかない他人な兄貴の方を俺は迷いなく選んだ。兄貴は友人に手を出さなかった。忠告だのなんだのでは引き金なんか引かない。黙って笑って見てるだけだ。
そのうち、まともな友人はいなくなった。そんなもんだ。
俺は兄貴に付き従って、歩いていくだけの話なんだ。それだけの話。
レイモンドは中身をしっかりと保存していく、兄貴は興味がなくなって、ベッドで横になって歌っている。
「そいつらの中身はいいかい?」
「そうだね、どちらかというと、いい」
「そりゃよかったな」
「なあ、アレックス。これだけは言っておきたいんだ」
「なに?」
「できれば、死にたてがよかった」
兄貴はそれに大笑いして、次は呼ぶよと約束した。レイモンドは満足そうに頷いた。
レイモンドは変わったやつだ。
だから、俺も兄貴も気に入っているし、いいお付き合いができていると思う。
一度、兄貴と俺が面白がって、冗談で誘ってみた。彼はなんの感情を見せることもなく、友情に基づいてか、それとも他のなにかで「いいよ」とだけ言った。俺と兄貴はその返事に気を良くして、飯の方に誘った。全部奢ってやった。それ以来、兄貴はレイモンドをそれなりに気にかけてやっている。
彼にあるのは、ただ人間の身体への興味だけだった。そうじゃなきゃ、こんなとこの医者にならない。毎日変な怪我をする連中がいて、上司は気の狂った兄弟だ。まともじゃないことは確かだ。彼も、この環境も。
それでもレイモンドはカジノができて以来ずっといる男だ。他は服のように変わっていっている。さすがに組織の連中をやったりはしないが、ボスに電話をして変えてもらう。ボスもいいやつだ。なんだかんだで俺たちのことを可愛がってくれている。顔がいいってのはいいもんだ。これだけは感謝しなくちゃ。
「なあ、レイモンド。お前って薬も詳しいか?」
「種類による」
「安楽死の薬もあるか?」
「兄貴、なに聞いてるんだ」
「ただの興味さ」
「あるよ。持ってる」
「そう」
「どうしてもという連中がいるから飲ませてる」
「そう」
「なあ、こいつの肺は最悪だぜ! 真っ黒だ!」とレイモンドは怒鳴って、捨てた。
「こんなの使えない」
べっちゃりと真っ黒いものは床に横たわっていた。俺は死んだ可愛がっていた小鳥を持つようにして、そうっと持ち上げた。兄貴は興味深そうにみている。
「なにすんだ?」
「下水の先のお客様に届けるんだ」
「ああ、なるほどね。彼らが一番いい客だよ」
「本当に」
俺は下水の扉を開けた。あの部屋は狂っている。多分、俺もそう。でも、まだまとも。
下水の臭いが全身を覆って、まともな人間性を思い出させてくれる。時々、ここに身投げしてみようかなんて気になったりするが、そんな時には必ず兄貴の笑顔が思い浮かぶ。きっと兄貴はなきもしないで、今日安心して寝れる相手を探すだろう。
それだけの話だ。
俺は扉をしめた。それから部屋に戻って、風呂に入ることにした。レイモンドも入りたいという。入らせた。
部屋からは兄貴のご機嫌な歌が聞こえた。少し調子が外れている。そういうところが兄貴らしいと思う。
兄貴が「歌えよ、お前らも!」というので、二人して合わせて歌った。惨事のあった部屋とは思えないほど陽気だった。
レイモンドは類友