番外 ジェニファー
アレックスから手紙が届いた。
彼が死んでからちょうど一週間後だ。いつもと違って、その手紙には香水の匂いもタバコの匂いもしなかった。
レオナルドとヘンリーが学校に行ってしまった時間で、私は少しだけほっとした。彼らは言ってないけれど、父親はアレックスだと思っている。
葬式の前日に探偵さんのアルに頼んで二人に会わせてもらった。もちろん、息子たちも一緒だ。
彼の葬式に出るほどの関わりがあると分かれば、きっと危険にさらされるし、それは彼の願ったことじゃない。
アルは泣きはらしたわけでもないのに、死にそうな心の底から悲しんでいる顔をしていた。彼もこの兄弟を愛していたのだろう。
二人の棺は一緒だった。お墓も同じところだ。アレックスに頼まれたらしい「兄貴は一人じゃ眠れないだろうからさ」と。私はそれを聞いて少し笑った。彼らしいと思った。
レオナルドは綺麗にひつぎに収まっている彫刻みたいに冷たい彼らを触ってから、ワンワン泣いた。ヘンリーも泣いた。
アレックスにすがりつくヘンリーは泣きながら「パパ!」と言った。レオナルドはそれを聞いてもっと泣いた。
「パパ、パパ! どうしていっちゃったの! クリスマスに会えないの、パパ!」
「バカバカ、ヘンリー! アレックスは、アレックスは、パパじゃ、ないんだぞ!」
「違うもん! パパだもん!」
「なんで二人とも死んじゃったのさ! 嫌いだ! 二人とも大嫌いだ!」
レオナルドは大声を出して二人を罵った。レオナルドもヘンリーも二人が大好きだった。クリスマスに案外しっかりとした腕で抱き上げられて、機嫌よく笑うかっこいい二人が大好きで憧れていた。
毎年、ヘンリーに大きくなったらと贈ってくれたプレゼントは、死んだ時に大きくなってからもと考えたものばかりだった。レオナルドには毎日自分が死のうがマガジンを送り続けるようにしていた。
時折、エドワードも思い出したように二人にプレゼントしてくれたことがある。それは大人っぽすぎて、今の二人には無理だけど、二人にとっては仲間に入れてもらえたみたいで嬉しかったらしい。
罵っていたレオナルドは、アルの方に歩いて行き、彼のお腹を殴って「お前も嫌いだ! なんで逮捕しちゃったんだよ! なんで見殺しにしたんだよ! ヒーローなんだろ! ヒーローなのに、ヒーローなのに!!」と泣きわめいて、外に駆け出して行ってしまった。
初めての友達だった。
レオナルドにとって、アレックスとエドワードはそうだった。
アルはなんにも言わずにそこにたち続けていた。
ヘンリーが「ママ」と私を呼ぶので、抱き上げた。
「ママ、どうしてアレックスとエドワードは死んじゃったの?」
「ママにもわからないわ。でも、彼らはいつでもその準備をしてたの。たまたま、あの日だっただけなのよ。それだけ」
「ねえ、ママ」
「なあに?」
「パパにキスしてあげて。僕、兄ちゃん呼んで来るよ。僕と兄ちゃんもあとでキスするよ、二人に。ねえ、ママ」
「ん?」
「アレックスのこと、パパって呼んでもいいでしょう?」
私は首を横に振った。
「ダメよ。ダメなのよ」
私はついに泣き出してしまった。
ヘンリーは「ごめんね、ママ」と泣きながら、私の背中を撫でてくれた。戻ってきたレオナルドも一緒に私を慰めてくれる。まるで、あの日のソファーで彼がなぐさめてくれたみたいで、彼は死んでもまだいるんだという気になった。だから、欲しかったのかもしれない。彼は子供が。
もしも、彼がヘンリーとレオナルドがパパと呼んだと知ったら、どんな顔をしただろう。顔をしかめただろうか、それとも嬉しそうに笑っただろうか。どっちにしろ、驚くのだろうけれど。
私は、彼に近づいた。
香水の匂いとタバコの匂いがした。彼の匂いだった。
クリスマスイブに毎年招待状をくれて、手紙も一緒に入っていた。生まれた日にもこっそりと手紙をくれて、お金もくれた。
手紙には、感謝の言葉と気遣う言葉が入っていた。長くはなくて、短い言葉だった。
彼の頬は前に見たのと同じ白くて綺麗な頬だった。ちっとも死んでるなんて思えないほどだ。
私は彼のおでことほっぺたにキスをした。前と変わらない。
エドワードにもキスをした。彼の顔は今まで見てきた中で一番幸せそうだった。エドワードもいい人だった。あの日が初めてではなかった。お店で私を見かけて、自分の趣味じゃないけれどと連れ帰って、少しの間だけ楽しいおしゃべりをしてくれた。愉快な人だったと思う。
確かに彼は怖いくらい自然に悪者だった。基準が違った。
けれど、だからといって人間じゃないわけじゃなかった。彼は人間だった。決して悪者じゃない。だから、テレビやマガジンに出た時は少し悲しかった。どうして彼をわかってあげないのか、少しマガジン社を恨んだ。
レオナルドもヘンリーもお別れのキスをしたら、私のところに飛んできて「アレックスとエドワードの代わりに俺たちがいるからね」と言った。二人は手を繋いでいた。
エドワードが昔、二人を指差して「昔の俺たちに似てるよ。ただ、ちょっとばかし良い子すぎるけどな」と笑ったことがある。確かに似ている。
アルが私たちに近づいて「奥さん」と言った。
「私は奥さんじゃないわ。なんでもない、ただの知り合いよ」
「これ、彼らの日記です」
そう言って、赤い日記をくれた。二冊ある。
「俺は個人的に死ぬ前日に彼に手記をいただいているんですが、それも」
「いえ」と私は黒い手帳を押し返した。
「あなたにというなら、あなたのよ。ねえ、どうするの、二人を」
「国葬だそうですよ。案外、悪も人気なんですね。火葬、するそうです。土葬だと誰かが掘り返す可能性があるからって。墓の場所は後で手紙でお送りしますね」
「ええ、ありがとう」
「すみません」
「なにが?」
「俺、なにもできずに、二人を、見殺しに……」
彼は顔を土気色にしながら言った。吐きそうに見えた。
私は彼の背中をさすりながら「いいえ」と穏やかに声を出した。
「彼らは、いつも自分たちで決めてたわ。それが最良だと信じてたんじゃない、自分たちのためだけに決めてたの。だから、なにもあなたが気にやむことはないのよ。どっちにしろ、生きて出てきたとしても、二人はきっと死んでたもの」
彼は丸い目で私を見た。私は彼に微笑んでみせた。
「あの人たちに前科っていう言葉は似合わないわ。私は彼らじゃないからなんとも言えないけど、後悔はしてないはずよ」
彼は声も出さずにボロボロと泣いた。きっと、このヒーローは死んだ彼らの重荷を一人で背負ってしまったのだろう。
「大丈夫、あなたはヒーローよ。大丈夫。でもね、ヒーローでも、あなたは人間なの。それを忘れちゃダメよ」
彼は床に座り込んで散々に泣いた。
息子たちはその間にどこから摘んできたのかわからない花を二人の棺に入れていた。
呼び鈴の音がした。
私はドアを開けた。
「こんにちは」
探偵さんが立っていた。
「アレックスの遺書が出てきたんです」
「まあ」
「あなたと息子さんたちに全部譲るんだそうです。相続税は、その中から引いても十分にあります。物を、取りに行かれませんか。もちろん、今からじゃなくてもいいんですが」
「いえ、行きます、今。物はあとででいいですけど、部屋だけみせてください」
探偵さんは頷いて、私を車で案内してくれた。
彼は移動中、特になにも話さなかったので、私も話さなかった。まだ、彼は沈んだままだ。
彼らの家は相変わらずだった。
なにも荒らされていない。整っていて、生活感のある家だ。前に来た時とそっくり同じだった。
飲みかけのコーヒーとマガジンが机にある。あのソファーには新聞が置いてある。洗っていないお皿と水の入ったままの鍋がある。このまま、あの寝室から彼が「あ、久しぶり」と照れくさそうにくるんじゃないかという気がしてしまう。
私は、彼らの寝室に入った。
相変わらず大きいキングサイズベッドに脱ぎっぱなしのシャツが落ちていた。テーブルサイドには生々しい夜の出来事を想定させるものがある。
探偵さんが「多分、全部その時のままですね」と言った。
「俺、初めて入ったんです、今」
「そうなの?」
「あなたは違うんでしょうけど」
「でも、一度きりよ。その一度きりが思い出深いのね。彼の部屋はここ?」
「ええ、そこがアレックスの。隣がエドワードの」
「そう」
私はドアノブを回して部屋に入った。
彼の匂いがする。タバコと香水の匂い。
きちんと整理された部屋には、本が地べたに置いてあったり、スポーツカーの模型があったりする。男の子の部屋じゃなく、男の人に部屋だ。
マホガニーの机の上には、書類が散らばっている。カジノの運営のものらしい。それから会計だのなんだのもある。あんまり触るようなものじゃないけれど、私は机の引き出しを開けた。
写真がたくさん入っている。クリスマスの時の写真と違う写真だ。
私と会うよりもっと前のものもある。私と一緒に写ってる写真はあのクリスマスの日だけだ。そっと写真を出したり眺めたりしていると、一枚だけ大事そうに封筒に入っているものがある。
取り出してみると、エドワードと一緒に写っている写真だ。とても可愛らしい子供の頃だ。その次には彼らのもういない家族たちと一緒にとった写真だ。二人とも少し緊張した顔をしている。
次々とめくる写真には家族だけが入っていた。
私と息子たちはそこには入っていない。がっかりしたが、予想はしていた。
次に、他の机の棚を開けた。銃が入っていたり、カジノの書類だったりした。最後の棚には鍵がかかっていた。開けない方がいいかと思って離れると、探偵さんが「鍵、あけましょうか?」という。
「鍵をもっているの?」
「いいえ、鍵開けができるんですよ」
彼はポケットから細い針を取り出して、いとも簡単に開けてしまった。
私が彼にお礼を言って、そこをあけると、白い布が入っていた。
とても上質そうな布だ。なんのためにこんなところに布を入れていたのだろうか。不思議に思いながら、布を引っ張り出すと、その下に長いヴェールがある。
「もしかして」
布を広げてみると、上品なドレスだった。
このドレスは、きっとウエディングドレスだ。私のための、きっとそう。
急いでヴェールも取り払い、靴や手袋を除ければ、最後に紙があった。
『ジェニファーへ
諦めろと兄貴が言うから諦めたけれど、夢を見るくらいはいいと思うんだ。なんだか、こんなところにこっそり隠していると、女々しい乙女チックな野郎に思われそうだ。でも、兄貴に知られると君とレオナルドに被害がでそうだから、ここだけで止めている。
これを買うのも色々苦労したんだぜ。兄貴にはもしかしたらわかられてるかもしれないけど、なんにも言われないんだったら、大丈夫さ。
時々、兄貴のいない間にこれを眺めながら、色々と想像するんだ。君とレオナルドの間に座り込んで、平和な会話をしたり、君とご飯を作ったり。なんでもないだろうけどさ、こんな世界にいる俺にとっちゃ、そいつは夢なんだよ。
でも、諦めた。
君が幸せなら、それでいい。それだけさ、俺には。
きっと、これが見つかるのは、俺が死んでからだろう。
もしも、これを君がみつけてくれたらいいんだけど。
言葉にして言ったら、それこそいけないからいわなかったけど、こういうことくらい考えてたんだよ、ジェニファー』
私は手紙を握りしめて、初めて、なんで死んでしまったのと恨んだ。
「なんで、なんで死んじゃったのよ……。あなただけでも生きていられたじゃない。こんなことするくらいなら、生きて、私にプレゼントしてくれたって、よかったじゃない。もう、着れないじゃない。着れないじゃないの!」
後ろからそっと気遣わしそうに探偵さんが私の肩に手を置く。
「放って置いて、一人にしてちょうだい!」
探偵さんはドアを閉めて部屋から出ていった。
私だって、何度思ったことか。
何度、家にあなたがいて、なんでもない話をすることを考えたか。
あの日、初めてあなたが家に来た時に、まるで少女みたな気持ちになったのよ。キッチンから、レオナルドと宿題をしている姿を見て、私ったらとんでもなく幸せだったのよ。
ひどいわ。
これじゃあ、もう再婚なんてできないじゃない。あなたが死んでも、できないじゃない。ひどいわ。なんで死んでから、こうも恋人みたいな真似をするの。ねえ、アレックス。諦めないでよかったのに。
なんでエドワードをとったの。
ねえ、なんで私たちを取らなかったの。なぜなの、アレックス。
私はその日、家に息子たちが帰ってくるまでの時間、ずっとそこにいた。
帰って来た息子たちは私の顔を見るなり「ママ、大丈夫だよ」と笑った。
レオナルドは二人の血なんて入っていないのに、そっくりな微笑みを浮かべた。大丈夫、私にはこの子たちがいるもの、大丈夫。
ジェニファーはアレックスのことをなんとか汲んでやってたし、お母さんだからって色々気張って、私は恋する乙女ではなく、母親だって強くあろうとしてたんです。でもね、アレックスお前、死んでからそんなことすなやってことをしたから、それが決壊したわけですよね。ドレスはあかん。
手紙の方は、ジェニファーがちゃんと彼らの死を受け入れる準備ができたので、結果オーライ。
息子たちにパパじゃないって言うときは、ジェニファーも辛い。
ほんと、アレックス、お前なんで死んだんやって感じです。




