12
「おい、起きな」と兄貴が珍しく俺を起こした。
「正義の味方様のお出ましだ」
そう言って兄貴がサーカスの団長が催し物を紹介するように、両手で恭しく俺に、ドアのあたりで突っ立っているあの探偵と部下の警察供を見せてきた。
何度か警察に踏み込まれたことはあった。だが、今までは繰り抜けてきた。
兄貴は挑戦的に笑って「なんのようだい、探偵さん? 俺と弟がよろしくやってないか、見にきたのか? はは、度し難い助平野郎め」と探偵に近づいた。
俺は兄貴が注目を集めている間に、ベッドの中に押し込んである銃をパジャマの中にしまった。こうやって今まで俺たち兄弟のどちらかが注目を浴びることで、難をしのいできた。顔がいいってのは本当に便利だ。
俺はなんでもないように兄貴に近づき同じように探偵に笑いかけた。
「よう探偵、朝っぱらからお仕事だなんて偉いもんだなあ」
「そりゃあ、お前、こいつはなんたってあの国立警察さんだぜ?」
「そりゃすげえや。で、なんの用だよ」
「仕事が朝方まであるんだぜ? そんな俺たちの睡眠時間削るなんてよっぽどな理由だろうなあ?」
探偵は赤くも青くもならず「そうだぜ」と狡猾そうに口を歪ませた。兄貴はそれを見て笑みを深くした。俺は隠している銃を握った。それに勘付いた兄貴は探偵を見つめたまま俺に「ちょっと待て」と囁いた。
「とある少女を探しててな」と探偵は兄貴の目をじっと見ながら、懐から写真を一枚出した。
「このお嬢さんが水死体で見つかってな。お前らんとこに行ったっていう情報があるんだが」
「へえ」と兄貴は写真を取り上げ、まじまじと見つめ「なあ、こんなお嬢様きたか?」と聞いてきた。俺は、写真に写っている深窓のお嬢様をどこかで見たな、と思った。
俺は少し唸った後に、ぼんやりと思い出した。
あのうちでディーラーになって働きたいと言っていたお嬢さんだと。あの兄貴が殺したお嬢さんだと。
「知ってるのか」と探偵が俺を見つめた。深い茶色とかち合った。
「ああ、知ってる」と俺は答えた。
「確かにうちに来たぜ。ディーラーになって働きたいってな。でも、断った。うちは女を雇わないことにしてるからな。ギャングのカジノで危ない上、俺たちはとんだ美形だからな。女が絡むと面倒が起きる」
「本当に?」
「そんなに気になるってなら、カジノに来てるダンサー達に聞いてみな。だいたいうちから紹介した奴ばかりだ。さすがにギャングの抗争中に自分以外を守ってられるかって話だぜ。なあ、兄貴」
「ああ、そうとも。銃をぶっぱなされてる最中に、さすがの俺も他人のことなんか気遣えねえよ。なにせ俺たちゃただの人間だからな」と兄貴は探偵の顔の輪郭をなぞった。
探偵は兄貴から逃げることもなく赤くなることもなく「なるほど」とだけ呟いた。
「部屋ん中、調べるかい、探偵?」
兄貴はニヤニヤと笑いながら、出入り口の前から身体を退けた。探偵は俺たちをじろりと見た後「後ろから撃ってもらっちゃ困るぜ?」とだけ言って、遠慮なく部屋に入った。
警察官達は部屋をくまなく調べた。下水も見られたが、こんな風にされているところはこの街じゃ珍しくもない。ベッドの血は「なあに、そういうプレイをしてただけさ。女ってのは月のものがある時の方がよく鳴くぜ」と答えたので、なにも言われなかった。
壁についている微かな血痕や床のものは、記者達のものだとだけ答えた。
あらかた見終わった探偵と警察官達は部屋の外に出て行った。
「探偵」
「なんだ? なんも出てこなかったし、今日は帰るけど」
「盗聴器、仕掛けても無駄だからな」
探偵は笑って「だろうな」とだけ言った。
「俺はなんも仕掛けてねえよ。そういう盗聴とか盗撮とかは俺の好みじゃねえんだ」
「その割にあの記事の時は盗撮したよなあ」
「あの時は、俺は記者だったからな」
兄貴は笑って「ああそうかい」とだけ言って、大欠伸をしながら部屋のドアを閉めた。ドアの向こうから探偵が「朝に悪かったな」とだけ言って、コツコツと靴を鳴らして、警察供を引き連れて帰って行った。
「もう一眠りしようぜ。眠くて仕方がねえや」と兄貴は俺の腕を引っ張ってベッドに引きずり込んだ。
「兄貴、どうせ起きちまったんなら、朝飯でもしよう」
「俺は眠い。ああ、でも、その前に部屋を改めようぜ。あの野郎が仕掛けてなくても、他の連中が仕掛けてる場合もあるしな。ドアだって要注意だぜ」
「ああ」
「電話線も怖いな。ボスに電話する。お前はちょいと飯でも買ってきてくれよ。腹も減っちまった。ベッドは俺が改める」
「わかった。なにが食べたい?」
「熱いコーヒーにホットサンド。キャベツが入ってるやつな」
俺は頷いて、適当なコートを羽織って部屋を出た。ドアを触り、叩いたりしながら、なにか変なものがないかを探った。時折、出る間際に何かをするやつがいる。もちろん、ドアではなく、床に落ちていたりするので、床に這いつくばって探す。一番簡単なのは掃除機だが、それだけだと心もとないので、こうやって探すのだ。
部屋の中から「なにかあったか?」という声が聞こえる。俺は「なんにもないぜ」と答える。
それから俺はさっさと表に向かった。
誰もいないカジノは火が消えたように思えるが、そうじゃない。休んでいるだけ。馬鹿騒ぎのパーティを待っているだけで、まだ火は消えちゃいない。
外は車が行き交い、排気ガスが垂れ流されている。
俺は西に向かって歩き出した。向こうに良いコーヒーショップがある。爺さんがやっていて、趣味がいいのだ。兄貴はコーヒーを買いに行かせる時はいつもそこだった。
白髪でもとは警官だったらしい。そういう連中との繋がりもあった方が、安全だと兄貴は笑っていた。
兄貴は怖がりだ。
あれで怖がりではないと思われているが、実際はいつもなにかを怖がっている。裏切りや盗聴、盗撮。怖いからこそ、周到に抜かりなくやってみせるのだ。だから、こうして悪どい人間でも生きていかれるのだ。いつも笑っているのも、怖がりだから、自分がなにを考えているのかわからせない為でもあると思うが、実際のところはなにかを楽しんでいるからであるようにも思えるのだ。
だが、兄貴のことをあれこれ考えたって仕方がない。兄弟だからと言って、なにもかもわかるわけでもなければ、他人である。
「よう、じいさん」
「ああ、弟の方かい」と爺さんはコーヒーを淹れながら言った。
「いつものやつだね?」
「ああ、頼む。今朝は国立の警察と探偵に起こされてね。兄貴は面白がってるよ」
「そりゃ大変だな」
「爺さんよぅ、あんたさ、知り合いとかいないかい、今の警察に」
爺さんはキャベツをザクザク切りながら「いくらくれるね?」と聞いた。俺は耳元に「好きなだけ」と囁いた。この爺さんは、俺や兄貴みたいな男よりも、筋肉のしっかりついた野郎が好みなので、ハニートラップなんてのは使えない。金でしか釣れない。
ホットサンドがちゃくちゃくと出来上がっていく。
「とりあえず、檻から出してやることくらいは、私だけでもできるがね。金を持って頼まれたら、若いのをおどしつけるさね」
「どうも。さすがは爺さん、頼りになるね」
「今の支配層に言われるなんて、光栄だね。この後は、おねんねかい?」
「まあね。兄貴は眠るだろうな。俺は、テーラーのところに行って、前ダメにしちまったジャケットと同じもん作らせに行くんだ」
「兄貴を一人にしていて、大丈夫なのかね」
「途中でいなくなるって前もって言っておけば、大丈夫さ。でも、兄貴のことだから、起きるまで待てって言われそうだな」
爺さんは笑って「そうかい、大変だね」と言った後「そら、朝飯だ」とホットサンドとコーヒーを俺の前に置いた。爺さんに礼を言って、俺はさっさとカジノに戻った。なにせ、コートの下はパジャマだ。ダサくはないが、10時にこんな格好でウロウロはできないだろう。
カジノの部屋に戻ると、兄貴と組織の連中がいて、電話をかけ終わったばかりらしい兄貴は受話器をもったまま「ボスがこっちに来るってよ。朝飯は机の上に置いとけ。それと、従業員供に連絡を頼む。俺は少し出かける。テーラーに作らせてたジャケットはキャンセルしろ。あいつなら、下水道の流れ着く先を調べるさ、当たり前にな。それで、見つける。当たり前だが、脅せよ、あそこの人間、全員」と言い、笑みを深くして「最後まであがいてやろう。あの野郎がホームズだったとしても、俺はあの教授でもなんでもねえ、ライヘンバッハなんか知ったこっちゃねえ。死ぬなら、自分でだ」と俺を見た。
俺は兄貴になにも言わずに、同じく笑うだけにとどめた。死ぬなとか、不吉なこと言うなよ、なんてことは言えない。兄貴は、いつでも最悪の事態というものを考えているのだから、これくらいは当たり前に考える。そうであれば、俺はその最悪の事態にならないように、いつも通りに行動するだけだ。
「兄貴、こいつらから、何人か貸してくれ。キャンセルした後、脅さなきゃなんだろ? 人数はある程度ある方がいい」
兄貴はにっこり「もちろんだとも、兄弟」とうなずいた。
組織の連中をそのまま連れ歩くのは危ないことだ、一般的な店に行く時や、なにかに調べられてる時は。大人数というのは、見ている奴らの想像を膨らませる。それが、ギャングと一番でかいカジノの右腕だとしたら尚更だ。俺たちはこの街じゃ、随分と名前が売れている。マガジンやテレビで紹介されちまう前々から。
あの探偵は、聞き込みだってしている。あちらが対抗馬だ、と言って調査したように、俺たちがしていないわけがない。組織の方で調べ上げている。俺はマガジンで知っている。ヒーローマガジンは倉庫に全部保管してあるからな。
組織の連中には適当にぶらぶらしてから、不自然にならない程度に間隔を空けて来いと命令してある。彼らは、最初の頃は俺を侮って、従わない時もあったが、もう何年も前のことだ。今は完璧に従ってくれている。
俺たちは基本的に店は一つしか利用しないことにしている。服屋もそうだ。ブランドのコレクションものを見ると、もちろん欲しくなるので買うが、それは大量生産品であるし、俺たちが買おうが誰が買おうが、犯罪に巻き込まれようが、特に問題はないだろう。
だが、今作っているジャケットは、テーラードスーツとして頼んでいたものだ。以前の記録から元に作らせているので、そのまま同じだろう。ズボンの方もダメになってはいたが、兄貴が別のズボンで十分だと言うので、ジャケットだけになったのだ。
店は大きなものではなく、こじんまりとしている。だが、歴史はそこそこ長く、少数先鋭でやっている。店側が客を選んでいるが、それでも儲かる程度にセンスと技術がある。信用もできる。滅多に情報を漏らさないことも知っている。
あちらも、下手なことをしない限りはこちらも良い客だと信用してくれている。
俺たち兄弟がギャングに関わりある人間だとしても、見た目がいいからという理由だけで、客として扱ってもらっている。本当にこの顔はいい仕事をしてくれるものだ。
そんな一応は信頼関係のある店に大勢で乗り込んで脅すなんて紳士的ではない行為はしない。兄貴もそれをお望みだろう。
前にも、こんなことくらいはあった。他方から来た敵対しているギャングに買収された警察供が押しかけてきたり、一旗揚げたいバカなエリート警察なんかが、俺たちを豚箱にぶち込むか電気椅子に座らそうとして、一生懸命捜査してきたことがあった。
バカにして、侮ったりはしなかった。いや、兄貴がさせてはくれなかった。
今回は、あの探偵と国立警察だ。勝ち目はある、だろう。
店に入ると、いつも通りカラカラと鐘の音がなる。
出て来たのは、妙齢の女だ。ここの職人の一人で、俺達の服を仕立ててくれる人だ。
俺は笑顔を浮かべて「こんにちは、マダム」と帽子を脱いであいさつをした。マダムは人好きのする笑顔で笑い「あら、坊や。まだジャケットはできてないの。あとほんの少しよ、数分で終わるの」と腕をまくった。
兄貴にはキャンセルさせろと言われたが、数分ならば、持ち帰った方がいいだろう。燃やせばいい。だが、それをすると、このマダムが悲しむ。
この人は、俺たちの母にはちっとも似ていないが、母親に似た存在だとは思っている。
「マダム、話したいことがある」
「あら」と言った後、彼女は「きっと、悪いことね」と困った顔で笑ってみせた。
「そうなんだ」と俺。
「一体、なにかしら?」
「ちょいと面倒ごとでね。実は、ヒーローやってる探偵と国立警察が、俺たちのことを探っててね、豚箱にブチ込みたいらしいんだ。それで、ジャケットのキャンセルをお願いしたい」
彼女は「あとほんの少しだったんだけど、残念だわ」と言い、少しの間落ち込んでいたが「ま、いいわ!」と腰に手を当て「こっちで今から処分しておくわ」と、作業場のある二階に上がって行った。
彼女が上がって行った後に、組織のやつが来て静かにドアの横で待機している。
ドタドタという音と共にここの社長が降りてきて、ふうふう汗をぬぐいながら、分厚くてカサついている手を差し出し「やあ! 久しぶりだね!」と握手を求めてきた。俺は握手を仕返した。彼は豚のように太ってはいるが、優秀な職人で、昔、なにかで表彰されたらしい。
「君がきてるって聞いて、慌てて降りてきたんだよ! それは、どこの服だい? 少し縫製が甘い部分があるね、ポケットなんか、少し緩んでいるよ。形は綺麗だけど、君に合わせるんだったら、もう少し腰の部分を細身にするね。ズボンはもう少しだけ太めでもいいかな。ああ、それと、そのハンカチはそれには合わないよ。無難すぎる。君なら、もう少し派手なものでも大丈夫さ。ああ、裏にちょうどいい布切れがあるから、それをあげるよ。少し待っててね」と社長はさっさと布切れがある裏に行ってしまった。
彼は万事この調子で、やって来る人々の着こなしをあれこれ言い、着てきた服が安物だと、少し渋い顔をした後に「形と色はまあいいね」だの「大量生産品なのに、君にぴったりだよ! なんてこった! 僕らはもっと頑張らないとねえ!」なんて言う人だ。
兄貴も俺もやってきた時はものすごかった。
まず、顔とスタイルを褒めちぎられた。
「君達は、僕にとってのヴィーナスだよ! ガニュメだ、ゼウスだ、アレスだ、アルテミスだ、アポロンだ! ああ、羨ましい体つきをしているね! ここまで素晴らしいものは見たことがないぞ。ここの顧客は顔やスタイルでも選んでいるけれど、君たちほどには会ったことがない。ああ、少しくるりと回ってくれないか、一周。いいぞ! すごく、いい! 素晴らしいよ! 君たちのためなら、沢山服を作るよ! さあ、上がって、工房で採寸しよう。大丈夫さ、君たちを世界で一番、神様さえ嫉妬しちゃう人間にしてみせるよ」と自己紹介をする前に工房に連れて行かれ、色からスタイルまで決められた。
兄貴はその時、とても楽しそうにニヤニヤしていた。興奮状態の工房の人間や社長は兄貴が「こりゃあ、すごいなあ。こんな風に扱われたのは初めてだぜ、おい」と呟いたのに気がつくことはなかった。
艶のある皮を持ってきた社長は、俺のハンカチを胸ポケットから出し、それをしまい始めた。
「これくらいしたって、おかしくないね! 手を拭けるかって? 大丈夫だよ、それは、特別加工さ、うちで特許も取る予定なんだ。後でハンカチに仕立て直してあげるよ。そう言えば、ジャケットはキャンセルだって? 勿体無いなあ、彼女の腕が光る一品だったんだけどね。でも、国立の警察だのなんだのが出てきたんじゃしょうがないよ。僕としてもね、僕らのヴィーナス達を奪われたんじゃかなわないしね。もちろん、君たちに脅されるまでもなく、彼らに情報を漏らすことはないよ。うちの縫製が一番のようにね、信頼関係を築くための諸々も一番だって自負してるからね。従業員にはこちらからきつく言っておくよ。もう一人のヴィーナスはどうしてる? 彼はあまり来ないからね。そろそろ、新しく採寸するべきだと思うから、言っておいてほしいな。やはり、実物を見ないと、こちらとしても一番彼を美しく見せられる格好をさせられないからね。そういえば、後ろの連中は部下かい? 黒が少しくすんでいるよ。もう少し丁寧に保管するべきだ。美しい服というのはね、着ている人をより一層美しく見せるものなんだよ、最上の鎧だよ。それを適当に保管してちゃいけないよ。どんなに安物だろうとね、鎧には変わりはないんだ。わかるだろう?」
俺は頷いた後に、手を振って、一人残して帰るように合図した。それを見た彼らは、少し疲れた顔をした後に、大人しく店から出て行った。
「はっはっはっはっは! 僕のマシンガントークが嫌になったんだね? うんうん、でも、しょうがないんだよ。いつも作業をしていて一言も喋らないから、その分、口がね、動いてしまうんだよ。ああ、そうそう、さっきのジャケットは燃やしたから、なにもないよ。いつも通り、採寸表と、君たちが買った分の証明されそうなものも燃やしておいた。ちゃんと、その分の支出もこちらで偽装しておくから安心してほしい。心配なら、こっちに来てくれればいいよ」
「いや、信用しているから、大丈夫だ。兄貴にも伝えておく。また、ゴタゴタが終わったら、採寸してもらいに来る」
「ああ、まっているよ! いつも通り、君たちを神様が嫉妬しちゃうくらいにしてみせるためにもね! あ、行く前に少し待って、それをハンカチに仕立て直しちゃうから、すぐさ、2分で終わるよ」
そうして、彼はポケットから先ほどの布切れをさっと抜き取り、腕に巻いてある針道具でさっさと縫い始めた。作業中は一言も喋らないので、今度は俺が喋る番だ。しゃべっている内容は一応聞こえているらしく、頷くし、後で話題に登ることもある。集中しているのに、よくわかるものだ、と言えば「これでもね、僕は長いことやって来たんだ。だからね、できるようになったんだよ」と答えた。
「俺たちの明確な親しき敵が探偵でね、やつはちっとも垢抜けない男で、社長の好みからは少し外れてるね。やつは頭がいい。きっと、一つのことからパッと天才的に閃いてみせるだろうから、だから、本当に用心に用心を重ねてほしい。今回は、以前にあった奴よりもよっぽどダメなんだ。とてもね、とてもさ……。足音がするんだと。だから、頼んだぜ」
ハンカチに仕立て終わった社長は、またポッケにハンカチを入れて「もちろんさ。僕はね、綺麗なものを守るナイトだからね。もちろん、僕らのヴィーナスのためなら、守るともさ。美しい黒を知っているんだ。極上のものを知っているんだよ。黒も白も灰色もね」とウィンクした。
俺はドアで待機している組織のやつを先に出させてから「じゃあ、社長、皆によろしく」と言って、帽子をかぶった。
「ちょっとだけ20度ほど斜めにかぶった方がいいよ! 右にね!」
「はは、わかった」
帽子を社長に言われた通りに被りなおし、カジノに急いだ。
部屋では、ボスと兄貴が向かい合って座っていた。兄貴はいつも通りにこにこしている。
「よう、待ってたぜ」
「前と同じようにするってさ。徹底的に」
「そうか」と兄貴はボスに向き直り「ま、組織には迷惑をかけない方向でいくのでそこはお構いなく」とにっこりとした。ボスは落ち着いてコーヒーを飲みながら「探偵が出張って来たのは、お前達をヴィランとして扱っているからだろうからな、そこらへんは心配していない」と静かに言った。
「問題は、もし、お前達がブチ込まれたらの話だ。お前ら以上にこのカジノを任せられるやつは容姿と能力を鑑みてもいないんでな。そうなると、ここは潰すことになる。従業員の斡旋先はこちらで用意くらいはしよう。何人かは、引き抜くつもりだ。いいな?」
「もちろんですよ、ボス。ただ、もしも、捕まっても、弟か俺かどちらが片方いれば、どうにか持たせられるでしょうから、そこらへんも鑑みていただきたいですね。ただ、本当に片方残ればの話ですがね」
「檻にブチ込まれるのは片方だけにできるだろう」
兄貴は目を細めて「ええ、そうですね、ボス」と静かに言った。
俺はそっと兄貴の耳元に近づき「兄貴、ブチ込まれるなら、俺にしろよ」とつぶやいた。兄貴は俺の頭を撫でて、耳元で「バカだな、お前は」とだけ言って、ボスに向き直った。
「国立の警察は、うちにまで手を出してやきませんよ。あの探偵が動かせたのは、マガジンの力もありますからね。国家の転覆を謀ろうなんて思わない限りは動いてきやしませんよ。ボス、周りのことは頼みますぜ。俺たちはいつも通りに営業しますから。ボスには迷惑なんざかけませんよ、ボスにはね」
そうボスに向かってだけいうと、後ろにいる組織の連中に目を向けて「それと、そこの後ろにいる緑の目のお前、この間、あの探偵に情報を流しやがったな?」と面白そうに、驚愕の表情をちらりと見せたそいつを指差した。
ボスは静かにコーヒーを飲み干し、俺はお代わりを入れた。
「ミルクは?」
「たっぷりと頼む」
兄貴は銃を触り「なにが欲しかったんだ? 金じゃないだろう? なんだ?」とジリジリと獲物を追い詰めるように少し粘着質な声色で質問する。
そいつは黙ってタバコをくわえた。
「火をつけるのか?」と兄貴。
「いや」とやつは言った。
「つけてやるよ。ここは、俺のカジノでお前はお客みたいなもんだからな」とジッポをポケットから出して、やつに歩み寄った。
兄貴とやつは目をじっと見つめ合った。
「ここは」と兄貴はやつのタバコに火をつけながら「俺のカジノだ。てめえのじゃねえんだ。俺のなんだよ、わかるかい、下っ端くん」とニヤリと笑った。
やつはタバコを一つ吸って吐いた後に、兄貴に向かって拳を振り上げた。
そうなることはわかりきっていた。俺の左腕に鈍い肉がぶつかった痛みが広がる。
「俺の弟は優秀だ。自慢だぜ、なあ」と首に腕を回して、俺のほっぺたにキスをして、奴に向かって「そんなに欲しいか、椅子が」と言った。
「欲しいならくれてやってもいいぜ。俺は新しい椅子に座るから」
奴を見つめたまま「なあ、ボス! 俺がここを退いたら、もっといい椅子をくれるよなあ!」と叫んだ。ボスは静かに「もちろんだとも、息子よ」と言った。
兄貴はニヤニヤして「俺のお古に座るといいさ」と彼の肩を叩いた後「だけど、その前に、お前がここにいられるかってのが問題だがな」と彼の耳元で囁いて、さっと離れた。俺は奴を少し睨んだ後、兄貴の後に続いた。
椅子に座り、自分のコーヒーを飲み干し「あれのことはボスに任せますよ。俺は、仕事が始まるまで、ここで書類の整理でもしますから」とだけ言って、自分の席に座り、引き出しから諸々の書類を取り出した。
ボスもコーヒーをのんびり飲み干した後、立ち上がった。
「ボス」
「なんだ?」
「銃は必要で?」
ボスは笑って「持っているから大丈夫だ」とだけ言った。
かわいそうに、探偵に情報を売った奴はどこにかはわからないが、とにかくおさらばしなくちゃいけないことは確かだろう。
ボスは、下手に野心もなく、さらに忠実そうで野良犬な兄貴を可愛がっているし、あいつはそこまでのものではないだろうから。
兄貴は俺に向かって、送ってさしあげるように言い、俺はボスの横に立って、丁寧にカジノの外までお見送りをした。
真っ黒いピカピカの高級車に乗り込み、ボスは俺にお金を一つ渡して「小遣いさ、坊や」とだけ言って、走り去ってしまった。
部屋に変えれば、ニヤニヤとした兄貴に「お小遣いでももらったか?」と言われ、俺は肩をすくめて「坊やとしてね」と答えた。兄貴はゲラゲラ笑った。
笑い終えた兄貴は「探偵と国立の警察だぜ。なあ、アレックス。これは賭けだ。印もなにもない、純粋な。俺は勝てると思うか?」と聞いた。
俺は「勝てるさ。いつも通り」と答えた。
兄貴は笑みを浮かべたまま「そうか」とだけ言った。
その後、なにも問題なく、その後、カジノは開店した。
そう、なんの問題もなく、いつも通りに。
やっとヒーローとヴィランが対決姿勢を取り始めました。普通に遅いけれど、探偵ヒーローとしてじっと機を伺っていただけで、彼は周りをチョロチョロしながら探ったりしていたし、彼ら以外のちょっと雑魚っぽいヴィラン相手に推理で負かせてきたので、忙しかったのです。
ちなみにボスはまじでいいやつ。




