前編
本日は、お忙しい中ありがとうございます。
連れ合いの意向も踏まえまして、親しい方々のみお集まりいただきこのような会を開くことになりましたが、思いのほかたくさんの方にお越しいただきまして、私はもちろん、連れ合いもあれえ? というところでありましょう。
まあ、これまで私と伴侶が歩んできた道を振り返ってみれば、多くの方々のご協力がなければ今日を迎えることはできなかったのですから、いくら人付き合いの苦手な私でも、別にこんなに集まってくれなくてもいいのだが、などとは決して思ってはおりません。
冗談はさておき、私と伴侶・千秋がここまで来ることができましたのは、皆さまのご理解とご支援の賜物であったことは、申し上げるまでもありません。
同時に、偏見と、それに伴う苦難の道でございました。
私が千秋と出会いましたのは、私が三十歳、千秋が二十四歳の時でした。
その頃千秋はフリーターで、大学中退後、バーテンやフロアの店員といった、夜の仕事をして生計を立てておりました。
夫となった私が言うのもなんですが、非常に美形でありましたし、金なんざ持っていなくても誰かしら世話を焼きたがったらしいですし、生活に困ることがなかったのでしょう。若さと美貌があれば、多少先が読めなくとも何の不安もないのでしょうね。私は自分に自信なんてありませんでしたから、社会的地位を築くことでしか女にモテるわけがないと早々に悟って、勉学に勤しんだクチです。顔のいい奴というのは、人生において本当に強力なアイテムを手にしていると、つくづく思ったもんです。
そんなフラフラした根無し草のような千秋の生活が改まりましたのは、たった一人の姉が死に、その子どもを引き取ったからです。
息子・隼人が母親を失ったのは、四歳の時でした。
民法上、親族には、親を失った児童の扶養義務があります。
ですが隼人のたった一人の親族である千秋は、隼人を引き取るのは難しい状況と見なされていました。
職なし、金なし、住所不定の二十四歳独身男性。児童相談所が子供の養育能力なしと判断するのは当然のことでした。
千秋が私の勤める弁護士事務所に転がり込んできたのはその頃です。
親権者にはなれるのに、なぜ子供を育てられないのかと相談に来ました。
父もない、母もない、他に親族もいない。たった一人の甥を、自分は育てたいと願っているのに、金がないというだけで偏見の目で見られてしまう、と。
無理もない話でした。
ほぼ無職の男に、夜の仕事しか就いたことのない世間知らずの青年に、どうやって四歳の子どもを育てられるというのでしょう。
親権を持ちたいならそうすればいい。だが育てるのは、諦めろ。里親か施設に任せなさい。
児相がそう判断するのも、もっともな話でした。
千秋は隼人を育てるために、昼間の仕事に変え、生活を整えようと必死でした。
認可保育園に加え、休日や夜間は認可外保育所を掛け持ちして、私も何度千秋に呼び出されて隼人を病院に連れていったことか。今でこそでかくなりましたけれど、当時はよくもこんなに病気をするものだとうんざりするくらいでした。
区の保健師さんが積極的に千秋と隼人に関わって下さったおかげで、児相の目を気にしなくてすむようになった頃、あの事件が起こりました。
隼人が児相に一時保護されることになりましたのは、夜間、職場から引き継ぎを求められた千秋が、寝ている隼人を置いて家を出たからです。
軽率だと思われるかもしれませんが、職場まで十分かからない距離ですし、三十分以内で戻ってこられるし大丈夫と考えたのでしょう。夜間でしたし、冬空に子供を背負っていくよりはましだと判断し、家をほんのわずか、空けたのです。
隼人が千秋を探し求めて夜中に裸足で外に出て、警察に保護されてそのまま児相に一時保護されたと私が知ったのは、翌日のことでした。
子どもを返せと気が昂る千秋を何とかする方が先でした。
傍から見れば千秋は、四歳の子どもをネグレクト状態にした、フリーターの叔父です。
自分の保護責任を棚に上げて、児相の断行を口汚く罵って、喚き散らす青年でしかありませんでした。
どれだけ自分が子どもを愛しているか、子どもが自分を必要としているか、声高々に訴えても、世間の目から見れば、単なる、無職の、ゲイの、世間知らずの、若造でしかありませんでした。
私自身、最初は千秋をそういう目で見ておりました。
世間一般の目から見れば、その通りでした。弁護士として私は、そのフィルターを外してはならなかったのかもしれません。
フィルターを外してしまえば、公私混同の言い訳はもう通用しませんでした。
長年私は、あの時のことについて聞かれますと、人道弁護士というのをやってみたかったなどと冗談めいて言っておりましたが。
もう、認めてもいいかもしれません。
私は、あの時には、千秋を愛おしく思っておりました。
千秋も、隼人も、二人とも守りたい一念に突き動かされておりました。
弁護士失格と言われようと、私はあの瞬間、フィルターを投げ捨てました。
法の前に公平であるべき天秤の上に、私は、愛という、単なる概念でしかないものを、当事者にしか分からない重みを、落としたのです。
当時の児童相談所の担当児童福祉司は、千秋を嫌っておりました。
法の現場でさえ時に公平さに欠けることがあるのですから、人が人を判断する以上、多少の感情で左右されてしまうのは致し方ないと思います。
といいますのも、隼人がいなくなってすぐ、千秋は警察に飛び込んで捜索を依頼しています。
隼人が行方不明になってすぐに、警察に行っているのです。隼人を保護した警察が、児相に連絡し隼人の一時保護を依頼するまで、一時間しかかかっていないというのはさすがに早すぎる。
まあ、児相は警察に千秋と隼人のことをマークするように頼んでいたのだろうと私は思っています。警察も、ネグレクトには神経質になっていた頃でした。虐待事件が立て続けにあって、マスコミもそれを積極的に取り上げては児相側や警察の対応をほじくり返していた頃でしたから、上の方もうるさかったんでしょうね。
児相に保護されてしまうと、返せと喚いてもそう簡単に返してくれるものではない。
千秋は、養育の資格なしと児相の担当者に目をつけられていたから尚更です。
親から引き離された子どもの身を思えば、どんな親でも身が引き裂かれる思いがするでしょう。
一日でも早く手元に戻したい。
なのに、会うことすら許されない。
元気でいるから安心しろと言われて、安心できる親がいるものか。あんたらにあの子の何が分かる。怖い夢を見て起きてしまったら、必ず俺の手にほっぺたと口を押し付けないと眠れない。
今の時期は夜は暑がって布団から這い出してしまう。でも明け方は寒いから、布団に戻してあげないとすぐに風邪をひく。喉が弱いから、起きてすぐに温い水でうがいをさせないといけない。
俺が隼人にしてきたことを、あんたらは一つでもやってくれているのか。
児相の職員を前に、千秋が泣きながら訴えた言葉を、私は一字一句覚えております。
千秋は、その頃はまだ、正社員の職に就いておりませんでした。
ご理解のある多くの方々に支えられていたとはいえ、資格のない、保育園児を抱えた男が、福利厚生が充実した仕事になど就けるわけがなかった。
喉の弱かった隼人が熱を出せば、休まざるを得ない。
高熱を出した隼人がぐずって求めるのは、千秋しかおりませんでした。
私が仕事を休んで付き添うと言っても、体調の不安から、本能的な危機感から、隼人が求めたのは、母親がわりであった千秋でした。
たとえ世界がどうなってしまっても、何に換えても自分を守ってくれる存在を、病気の子どもは無意識に、正しく選ぶのです。
子供の病気によって仕事を急に休まざるをえない以上、正社員の仕事に就けず、仕事の引き継ぎをうっかり忘れて夜間に会社に戻らなければ、クビになって職を失ってしまう。何度も休んで迷惑をかけ、辞めてほしいと思われているのに、ささいなミスをするわけにいかない。その思いが、あの三十分の空白が、ネグレクトだと社会は言うのだろうか。
叔父だから。フリーターだから。若いから。頼れる身内が他に誰もいないから。ゲイだから。子供を、夜間に置いていったから。
そんな項目だけでマイナスをつけるのが、社会だ。
事実、私もそうしてきた。それでしか測れないものは、確かに存在する。
だが、それでは決して測ってはいけないものも、絶対に存在する。
……千秋が、精神的に追い詰められて、夜間に児童相談所の一時保護所の扉を叩き、警察が呼ばれる事態になったのは、隼人が一時保護されて二十八日目のことでした。
恐れていたことが起こったと私は蒼白になりました。
私は当時出張中で、精神的に不安定になっていた千秋を知人に任せていたのですが、すぐに東京に戻りました。
決して感情的になるな、馬鹿なことをしたらこっちが不利になるだけだと繰り返し千秋には言ってきました。何てことをしてくれたのだという思いで警察に身柄を引き取りに行きましたが、千秋の様子を見た瞬間、山程あった文句は、全て消えました。
懇意にしていた警察の方と、区の保健師さんが、今後の児相側の対応は、最悪になると思った方がいいと私に耳打ちして下さいました。
千秋の姿を見た時に、私はもう心に決めておりました。
一生、私は、二人を守ろうと。
私は千秋を連れて家に戻り、知人らに千秋を任せた後、事務所に辞表を提出しました。
私の考えも、警察の考えも、同じでした。
児相側は、家庭裁判所に、児童福祉法第二十八条の申し立てを行うだろう。
二十八条とは、児童相談所所長の意思により、親権者の同意なしに、子供の措置決定を行うことです。
千秋がどれだけ文句を言おうと、隼人を千秋から引き離し、他の里親家庭や養護施設に入れることが可能になる。そうなれば、千秋は児相の許可なしに、隼人と会うことすら叶わなくなる。
最も恐れていた、最悪の事態が目の前に迫っている。
私は断固としてこれを阻止することを決意しました。
東京都と児相を相手に、異議申し立てを行う。
児童虐待が問題視され、児相の権限が日々強化され、親権者に対する裁判所の判断も緩くなっている昨今、絶対に勝てるわけがない。不利だ。このご時世を考えたら、もう少し違うやり方をした方がいい。皆が、私に考え直すように言いました。
それが分かっていても、やるしかありませんでした。
どんなにつまらない案件でも、日々無難にこなしていければそれでいいと、信念の欠片もなかったやる気のない甘ちゃん弁護士が、人生で初めて自分から喧嘩を売ったのが、行政と、法でした。