90話 迷惑な誘惑
「あぁ〜気持ちいい〜」
眩い日差し。
そして、体に感じる程よい冷たさと浮遊感に、舞夜は思わず声を漏らす。
「ほんと、すごいですね。このお屋敷は」
「……ん。プールに入るの初めて」
「水遊び楽しいですの!」
アリーシャに続いて、リリアとシエラも、ぷかぷかと水に浮かびながら言う。
そう、ここはプール。
魔王マモンの討伐の報酬として、ジュリウス皇子から譲り受けた屋敷の中に設置されていたのだ。
屋敷は3階建てで、庭もあると貰った権利書には記してあったが、まさかプールまでついているとは驚きだ。
季節は初夏。
帝都に舞夜たちが来てから、3ヶ月が経っていた。
他の魔王の討伐はどうした?
という声が聞こえて来そうだが、その件については保留されている。
理由はベルゼビュートからもたらされた魔王の居場所だ。
彼女の持っていた魔王の情報は2体。
“傲慢のルシフェル”と“憤怒のサタン”だ。
そしてその2体が拠点にしているのは、この帝都より遥か北の地であり、そこへ至るには広大な山脈を超えなければならない。
その山脈は降雪が酷く、越えるには、あとひと月ほど待たなければならない……と、そんな理由である。
だが、そんな中でも、知るべきことや、やるべきことはたくさんあった。
まずは、帝国勇者団の巫女が、マモン復活の偽の神託を掴まされた件だが……これについては不可解な事になっている。
巫女本人は、自分が偽の神託を受けた事実を知ると、すぐさまその神託を授けた“女神”(勇大たちを召喚したのもこの女神だ)と交信を試みた。
しかし、どういうわけか交信が取れず、神託の内容を知ることは出来なかったと言う。
今まで心を通わせていた女神から拒絶された――。
その事実で巫女は心に深い傷を負い、現在は一言も話す事が出来ない状態になってしまったそうだ。
そしてこれは帝国上層部で問題視されている。
なにせ女神は地球から勇者を召喚する役目も担っていた。
そんな存在との交信が途絶えたままでは、今後復活するやもしれない魔王、そして魔族などの脅威に人類は絶滅させられないからだ。
なんとしてでも女神と交信を取り戻すべく、帝国は新たな巫女の育成などに着手したそうだ。
ちなみにその候補に凛や桃花も含まれているとのことだが、果たして上手くいくかどうか……といったところらしい。
次に、ここまでの期間に舞夜がやってきたことだ。
ジュリウス皇子には、しばらく休暇を取るといいと言われてはいたが、それだけでは時間がもったいない。
舞夜は孤島のジャックたちと念話でやり取りをしつつ、たまに自ら孤島に赴き、新たな武器や兵器の開発をしていた。
これにより、彼の戦闘力は格段に向上。
特殊な武器なしでも勇者や魔王と互角に渡り合うことが出来る舞夜だが、強さに対する欲求に底はない。
別に彼が戦闘狂になってしまったわけではない。
だが、魔王に命を狙われている事も判明したし、ヘースリヒの件は片付いたが、アルフス王国の王子の件については未だ解決していない。
アリーシャとリリアを狙い、刺客を差し向けて来るかもしれない……。
その際、どんな手を使われても舞夜1人の力で対応出来るようにする為の備えだ。
舞夜はアリーシャ、リリア、シエラの3人を心の底から愛している。
ゆえに、もうこれ以上、彼女たちを戦わせる気はないのだ。
まぁ、エルフ嫁たちは舞夜のそんな考えを読んで、密かに行動を起こしているのだが……それを舞夜が知るのはしばらく先のこととなる。
「ふふっ。それにしても、ご主人様の水着姿……本当に可愛らしいです……」
プールに浮かぶ舞夜の姿に、ぽうっと、頬を染めてアリーシャが見惚れる。
舞夜の水着姿――それは、女児用のパステルグリーンのワンピースタイプの水着だ。
「……まさか、ご主人様が、また女の子になるなんて」
「シエラもビックリしてしまいましたの!」
リリアとシエラが言う。
そう、彼女たちが言ったとおり、今の舞夜の姿は再び少女のものとなっている。
またあの薬を飲んでしまったというわけではない。
ある日、舞夜は、ふと思ったのだ。
「そういえば、あの女体化現象って体内の魔力の暴走が原因だったんだよな?」
と。
試しに、あの時の魔力の状態を再現してみると……みごと、少女の体になることに成功したのだ。
無論、元に戻ることも容易である。
そして、わざわざ少女の姿になってプールに入っている理由は、アリーシャたちの格好のせいだ。
アリーシャは黒、リリアは純白、シエラはピンクのマイクロビキニなんて着ている。
ぷにぷに、ぷるぷる、たぷんたぷんっ――
そんな格好で引っ付かれでもしたら、水遊びどころか火遊びになってしまう。
ゆえに反応しない様に女の子の姿……というわけだ。
「もうっ、魔道士様ったら」
「あらあら、いけませんわ〜ワタクシたちを除け者にするなんて」
「ふふっ、母上の言うとおりだ。舞夜領爵」
プールの中でアリーシャたちと戯れること暫く。
舞夜の耳にそんな声が聞こえて来る。
――うわぁ……。
声のする方を見て、舞夜は内心「勘弁してくれ」とため息を吐く。
そこに立っていたのは、ヒルダ皇妃と彼女に抱きかかえられたベルゼビュート、それにセシリア皇女だった。
彼女たちは、そのまま、ちゃぽんっと水の中に入り、舞夜へとにじり寄って来る。
対し、アリーシャたち、エルフ嫁3人は――
「ふふっ。では、ごゆっくり……」
「……ご主人様、また後で」
「ですの!」
と、不敵な笑みを浮かべながら、舞夜をプールの中に残し、屋敷の中に入って行ってしまう。
「えっ、ちょ……!?」
と、舞夜が狼狽えるのも一瞬。
皇妃たちはあっという間に舞夜を囲み込み、彼の逃げ場をなくしてしまう。
「くすっ、女の子の姿も可愛いわよ、魔導士様?」
そう言って顔を近づけてくるベルゼビュート。
彼女は紺のワンピースタイプ……いわゆる、スクール水着に似たものを着している。
つるぺたボディとの相性は抜群。
標準装備という概念をしっかりと弁えてらっしゃる。
そして、両脇からはピタっとヒルダ皇妃とセシリア皇女が舞夜へと、密着する。
こちらはなんと、2人してスリングショットを着てしまっている。
これでは痴女同然である。
アリーシャたちのマイクロビキニ姿といい、何故この世界の美人・美少女はここまで挑発的なのだろうか。
「あの、皇妃様、姫様――」
「あらあら〜、違いますわよ舞夜ちゃん。ワタクシのことはヒルダと呼ぶように言ったはずですわ」
「そうだ、舞夜領爵。私のこともセシリアと呼べ」
「……で、ではヒルダ様、セシリア様。その……あまり、ぼくのところに来るのはよろしくないかと……」
舞夜が気まずそうに苦言を呈す。
それに対し……
「何を言ってますの舞夜ちゃん? 前にも言いましたが、ワタクシたちがどんな関係になっても夫は何も言いませんわ」
そう言ってヒルダ皇妃は、舞夜の腕に豊満な果実を、むんにゅりと押しつけてくる。
……この3ヶ月の間、舞夜は、このロイヤル美熟女に誘惑されていた。
つまり、自分と浮気しないかと持ちかけられているのだ。
皇妃が浮気しようとしているなど、前代未聞。
とんでもない問題に発展しそうだが、それは起きない。
理由は、彼女の夫である皇帝が何も言わないから――
舞夜はこの3ヶ月間で、皇帝と皇妃の間に感じていた違和感の意味を知ることとなった。
実は皇帝と皇妃は従兄妹同士であり、婚姻の理由もひどく政治的なものだったと聞かされた。
ジュリウス皇子やヘースリヒ、セシリア皇女の3人の子供も、ほぼ事務的な過程を経て産まれて来た……つまり、2人の間には愛がないのだ。
だからこそ、皇帝は娼館通いがやめられないし、出会ったあの日、彼女が舞夜に異常なほどのスキンシップをとっても見向きもしなかったのだ。
城を抜け出し、お仕置きをくらっていたのも、皇妃の嫉妬によるものではなく、皇務をほっぽらかしたのが原因だったという。
「おい、私のことも忘れるな」
舞夜が皇妃の乳撃に狼狽していると、反対側からセシリア皇女が不機嫌そうな声をあげ――むにゅん! と、こちらもヒルダ皇妃とまではいかないが、明らかに平均的なサイズを上回る果実を押しつけてくる。
本来であれば、母親であるヒルダ皇妃の浮気未遂を咎めるはずの立場だが、ヒルダ皇妃同様に舞夜の容姿を気に入り、なおかつその戦闘力に惚れ込んだ彼女は、あろうことか結託したのだ。
そして、舞夜に恋い焦がれるも、想いが受け止めてもらえない少女がもう1人――そう、ベルゼビュートだ。
そこへ彼女が加わったので、この3人は行動をともにする事が多いのである。
さらに、どうやらアリーシャたちとも裏で繋がっているらしく、こういった襲撃があるたびに、意味ありげな笑みを浮かべて、どこかへいなくなってしまうのだ。
――あぅ、どうすれば……。
目と鼻の先には美幼女・ベルゼビュートの顔が。
さらに両腕を包み込む柔らかな感触。
誘惑に屈するわけにはいかない。
しかし、相手は3人中2人が皇族。
あまり強くものを言うことはできない。
がんじがらめの状態に、どうしていいか分からず、舞夜の頭の中は混乱し始めてしまう。
そんな時――
「ま〜いくんっ」
プールサイドに快活な声が響く。
ここに来て、さらなる人物の登場。
舞夜と同じく黒髪に黒い瞳。
半袖のワイシャツと丈の短いスカート……いわゆる、夏の学生服の様なものを着こなしている。
「と、東堂さん……!」
そう、現れたのは、地球から召喚されたクラスメイト、東堂凛だ。
こんな状況に凛まで……舞夜にトドメの胸骨アタックが見舞われる――かと思いきや。
「今日はどうしたのっ?」
声を弾ませながら皇妃たちの魔の手から、するりと抜け出し、舞夜はプールサイドへとぱちゃぱちゃ泳いで行く。
心なしかその瞳は輝いて見える。
「あんっ、あとちょっとでしたのに……」
後ろから、皇妃の艶かしい声が響くが聞こえない。
聞こえないったら聞こえないのだ。
「どういうつもりだ凛? 私たちのお楽しみタイムを邪魔するとは」
「くすっ。いくら魔導士様の旧友でも、あまり舐めたマネをするならお仕置きよ?」
舞夜を横取りされてご立腹な、セシリア皇女とベルゼビュートが凛にプレッシャーを与えるが……
「申し訳ありません姫様、魔王様。ですが舞くんは、これから私たち召喚者4人組と鍛錬の約束をしていたんです。そうよね、舞くん?」
「……! そ、そうなんです! ごめんね東堂さん、すっかり忘れてたよ」
即座の凛の切り返しに、ハッ! とした様子で同調する舞夜。
それに対し皇妃たちは
「あらあら〜……」
「それなら……まぁ、仕方あるまい」
「次は逃さないからね、魔導士様?」
と、しぶしぶといった様子で、舞夜を見送ることにするのだった。
召喚者との鍛錬の約束ともなれば、この国を守る為の公務と同義。
それを私情で邪魔することなど流石の皇妃たちでも出来ないのだ。
「それでは私たちはこれで失礼します」
そう言って、凛は舞夜の手を引いてプールサイドから去って行く。




