89話 嫉妬の魔王
『グルゥアァァァァッ!』
『ガオォォォン――ッ!!』
中央の森。
さらにその最深部に轟音が響き渡る。
深緑色の鱗で覆われた5メートルはあろう巨体。
4足歩行の脚は丸太のように太い。
爬虫類のような眼に、鋭い牙の覗く顎門。
そして左右に揺れる長大な尻尾――
レッサードラゴンだ。
幾体もの個体が木々を薙ぎ倒し、暴れ回っている。
そんな中――
「怖いよぉ、兄ちゃん……」
「静かに……! 大丈夫だ。兄ちゃんがついているから安心しとけ」
木々の影で、そんなやりとりが交わされる。
見ればエルフの少年と、彼の胸に縋り付いて震える、同じくエルフの少女がいるではないか。
どうやらレッサードラゴンの群れの襲撃に遭い、森で遊んでいた兄妹が取り残されてしまったようだ。
『グルッ……?』
一体のレッサードラゴンが喉を鳴らす。
そして、ドシン、ドシン! と足音を鳴らし、兄妹のいる木の方角へと歩を進めてくる。
竜種の聴覚は優れている。
ゆえに今の2人の声を聞き取ったのだ。
「まずい、逃げるぞ!」
慌てて妹の手を引き、駆け出す少年。
対し、レッサードラゴンは何故か歩を止めた。
かと思いきや――
『グルァァァァアアアアッ!!』
凄まじい咆哮を上げ、その場で横に半回転。
2人がいる方へと尻尾を高速で振るい、数本の木を薙ぎ倒す。
「うわぁぁっぁ!」
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
倒れかかってくる木々を見て、とうとう2人は恐怖で大声を上げてしまう。
ギロ――ッ
その声で、周囲のレッサードラゴンたちの眼が2人に注がれる。
とうとう他の個体たちにも気づかれた。
我先にと襲い来る幾体ものレッサードラゴン。
そして、先頭の一体が追いつめてしまう。
魔物にとって、柔らかな子どもの肉は何よりの馳走。
唾液を滴らせた巨大な顎門が2人に迫る。
「兄ちゃん!」
「くっ……!」
もはや逃げ場は無い。
妹は目をギュッと瞑り兄にしがみつき、兄は彼女を庇うように抱き締めてやることしかできなかった。
『グギャァァァァアアアアッ――!?』
上がる悲鳴。
だがどういうことだろうか。
上がったのは兄妹の断末魔の叫びではなく、レッサードラゴンの悶えるような声と、ドゴォォォンッ! という轟音だった。
2人が目を開けると、そこにはレッサードラゴンの姿はなく、代わりに1人のエルフが立っていた。
風になびくプラチナブロンド。
揺れるマリンブルーの瞳。
白銀のビキニアーマーを纏った美しきエルフ――
そう、レオナだ。
その腕には華奢な体には似合わない、超大型のガントレットがはまっている。
拳を振り抜いているのを見るに、レッサードラゴンを殴り飛ばしたようだ。
「「レオナ様!!」」
救援……それも、この国最強と名高い戦士長の登場に、兄妹の目が輝く。
「ふふっ、よかったわ無事で。さぁ2人とも、ここは危ないから、すぐに逃げなさい」
「はい!」
「ありがとうレオナ様!」
優しい微笑みを浮かべながら安全な方向を指すレオナ。
それに元気よく返事をすると兄妹は全速力で駆けて行く。
2人は窮地を脱するのだった。
「待って下さいなのです! 戦士長〜!」
「さすが戦士長! すでに一体倒しているとは……!」
ナタリアを始め、他の部下たちが慌てた様子で駆け寄って来る。
「みんな! 作戦とは違うけど、このまま戦闘を開始するわ。小チームを組んで各個体に当たりなさい!」
「「「了解!!」」」
レオナの指示で部隊が動き出す。
近接戦闘員を先頭に魔法兵、弓兵が数人ずつかたまり、レッサードラゴンに攻撃を開始する。
あらかじめ立てた作戦では、弓兵と魔法兵による包囲陣を敷き、外側から徐々に殲滅する作戦だったのだが、兄妹が襲われているのを見てレオナは突貫せざるをえなかった。
ゆえに、各個体に数人ずつで対処しようというわけである。
「食らいな!」
弓兵たちが敵の眼を狙い、矢を射る。
咄嗟に、「グルッ!」と小さく鳴き、レッサードラゴンが後方へ飛び退く。
だが――
「待ってたよ! 《アイシクル・フィールド》!!」
その直後に魔法兵が魔法スキルを発動。
レッサードラゴンの着地点が氷と化し、その動きを奪う。
しかし、レッサードラゴンは剛力だ。
拘束魔法でもすぐに振りほどいてしまうだろう。
タンッ!
レッサードラゴンが氷の地面を破壊し、拘束から逃れたのと同時。
乾いた音が響く。
ナタリアが跳躍した音だ。
彼女はアマゾネス戦隊の中で最も身軽でトリッキーな動きを得意とする。
レッサードラゴンの頭に飛び乗ると――
「食らえなのです!!」
そう言って、両手に持った短剣をレッサードラゴンの眼に見舞い、視力を奪う。
光を失った混乱と、激痛で悶え苦しむレッサードラゴン。
その様子を見て「今なのです!」と指示を飛ばす。
それぞれが魔法を、矢を放ち、敵を出血させ暴れる力を奪い去る。
そして――
「ウリャァァァァアッ!!」
ひと際、筋肉の盛り上がったアマゾネスが大剣を振りかぶり、猛然と駆け出す。
ザシュッ――!!
そして見事に喉笛を掻っ切り、トドメを刺してみせた。
周囲でも同じ様な攻防が繰り広げられている。
だが、全てのチームが優勢というわけではない。
中には前衛が大怪我を負い、劣勢に追い込まれるチームもある。
だが、彼女たちの瞳に諦めの色はない。
何故なら――
「やらせないわよ!」
レッサードラゴンの後方からそんな声が聞こえる。
すると、その巨体が宙に浮いた。
そのまま後方へ半回転。
背中から地面にビタンッ! と打ちつけられる。
「隊長、助かりました!」
「お礼はいいから、早くポーションを飲んで怪我を治しなさい!」
言いながらレオナは尻尾をポイっと地面に放る。
つまり今、彼女はレッサードラゴンという巨体を、あろうことか投げ飛ばしたのだ。
そして、そのままマウントし敵の心臓を目掛け、ドスンッ!! と、ガントレットを振り下ろした。
拳はそのまま胸を貫通。
最後に心臓を抉り出し、完全に息の根を断つ。
「次は向こうがピンチね……」
とんでもない大技を放ったというに、涼しげな表情で駆け出すレオナ。
彼女の美しい見た目に反した豪腕には理由がある。
それは、一部のエルフが生まれながらにして持つ特別な力、加護だ。
その名も、《剛聖ノ加護》という。
能力は筋力を通常の30倍化させるというものだ。
ゆえに、レッサードラゴンをパンチ1発で吹き飛ばし、軽々と両手で投げ飛ばし、挙句、頑強な肌を拳で貫けたわけである。
ビキニアーマは彼女の豪腕と豪脚を阻害しない為の装備なのだ。
戦場を駆けるレオナ。
ピンチの仲間の元へたどり着くと、レッサードラゴンの顎を蹴り上げ、あるいは脳天からハンマーパンチを食らわせ、次々と駆逐していく。
そして数十分後には見事に殲滅を完了。
大きな被害もなく防衛に成功する。
「はぁっ、はぁっ……」
だが、レッサードラゴンの群れとの戦闘だ。
苦戦しなかったわけではない。
息はあがり、体力も底を尽きた。
それは戦隊の皆にも言えること。
どのアマゾネスたちも満身創痍だ。
――やっぱりおかしいわ。
極度の疲労の中、レオナの頭の中に疑問が浮かぶ。
兵舎で感じたとおり、レッサードラゴンの群れが、この安全な森に現れるのはおかしい。
それともう1つ。
レッサードラゴンたちは、この一帯から出ようとしなかったのだ。
それは瀕死になり、逃げ出す隙があっても同じだった。
生存本能に逆らったあまりに不自然な行動。
異常をきたしてしまったのか、または他に理由があるのか……
『クキキキ……レッサードラゴンの群れを相手に、よくここまで戦ったものだ』
疑問に思うレオナの耳にそんな声が聞こえてくる。
――ッ!?
そして声の方向を見て愕然とする。
そこに立っていたのは1人の“異形”だった。
筋骨隆々の体にローブを纏った大男。
だが、普通ではない点がひとつ。
男のローブの首元から伸びた顔。
その形状が巨大な蛇頭なのだ。
「まさか……魔物ッ?」
突如現れた異形に、思わず言葉を漏らすレオナ。
部下のアマゾネスたちの間に一気に緊張が走る。
『クキキキ! 違うぞエルフの女よ、私は魔物などではない。私の名は“レイヴィアタン”。嫉妬の魔王・レイヴィアタンだ!』
「なんですって!?」
「どうやって、この場所に魔王が……!」
異形の男が魔王と名乗ったことで、とうとうアマゾネスたちは臨戦態勢に入る。
だがしかし、脚はふらつき、息は荒い。
大乱闘の直後であれば当然だ。
「みんな、逃げなさい。ここは私が食い止めるわ」
レオナが言う。
もし本当に目の前の異形が魔王であるなら全滅は必至。
ならば、戦士長として自分だけが犠牲になる事を選ぼうと言うわけだ。
「そんなのダメなのです!」
「そうです戦士長! それなら私が残ります!!」
ナタリアや他の部下たちが一斉に声をあげる。
レオナを失うことは、この国にとって、とんでもない損失になる。
さらに言えば、アマゾネスたちは彼女を親愛しているからだ。
『クキキキ……! 盛り上がっているところ悪いが、そうはいかない。お前たちは計画の為に必要だ。誰1人として逃しはしない。……囲め!!』
アマゾネスたちのやりとりを小馬鹿にした様に笑いながら、レイヴィアタンが叫ぶ。
すると木々の影から、さらなる異形たちが、ぞろぞろと現れた。
赤い肌に毒々しい緑の髪――魔族だ。
そして、それぞれの手には隷属の首輪が……
――そういうことだったの……。
レイヴィアタンの計画という言葉。
それと隷属の首輪を見て、レオナは察する。
レッサードラゴンたちの不可解な行動。
それは全て、魔王に操られていたからだということ。
そして、この国最強のアマゾネス部隊を、隷属魔法で我が物にする為に、レッサードラゴンで消耗させ、この状況を作りだしたのだと――
理由は分からない。
だが、よからぬ事に利用されるのは確かだ。
状況も、“エルフの勘”もそう告げている。
『かかれ!!』
レイヴィアタンが指示を飛ばす。
弾かれた様に魔族がアマゾネスたちに襲いかかる。
だが、もはや抵抗する余力も残っていない。
アマゾネスたちは魔族の猛攻に屈し、隷属の首輪を嵌められてしまう。
そして、最後に残ったレオナに向かって、レイヴィアタンが言う。
『クキキキ……なに、安心しろ。お前は大事に扱ってやる。なにせ、お前は計画の要だからな。クキキキキ――ッ!!』
大笑いし、自らの手でボロボロになったレオナに隷属の首輪を嵌める。
この日、アルフス王国最強の部隊は魔王の手に落とされた。
全ては、これから起こる大戦の礎となる為に……




