86話 皇妃
突如、現れた女性。
般若の様な表情をしているが、その顔自体は整っていることが分かる。
スッとした鼻筋に切れ長の瞳。
淡い青の長髪に、線は細いが出るべきところは大きく出ている。
湯上りなのか高級そうなバスローブを纏い、その胸元は大きく開いていて、今にもこぼれ落ちてしまいそうだ。
さらにその下、バスローブの間から、程よい肉付きの太ももが大胆に覗く。
まさに容姿端麗。
見たところ、普通の人族の様だが、エルフにも匹敵しそうな美しさだ。
舞夜はあまりの表情に一度は怯えたものの、それが自分に向けられたものではないと分かると、その美しさにときめきを覚える。
それと同時に、現れた美女が、皇帝のことを“あなた”と呼んだことに気づく。
「ち、違うのだ、ヒルダよ! これはだな……」
狼狽する皇帝の呼んだヒルダという名で理解する。
廊下で皇帝は妃のことをそう呼んでいた。
つまり目の前の美女は、そういった立場の人物なのだ。
「まずい、母上に見つかるとは……終わったな父上……」
妃と皇帝、2人の様子を見てジュリウス皇子が南無とばかりに合唱する。
「さぁ、じっくり説明を——やぁ〜ん! なんて可愛いのかしら!!」
——っ!?
舞夜は驚愕する。
皇帝に、この状況の説明を求めようとしたヒルダ皇妃の姿が、言葉の途中で掻き消えたのだ。
「み、見えませんでした……!!」
アリーシャも声を漏らす。
動体視力に優れた彼女でも速さを追いきれなかった様だ。
——何が起きている??
驚愕の直後、舞夜は今度は混乱に陥っていた。
今、彼の視界は柔らかな肌色の膨らみに閉ざされている。
それになんとも言えない、いい匂いが漂ってくる。
「あらあら〜可愛いわね〜、ぼく? お名前は?」
そんな声が舞夜の頭上から聞こえる。
——まさか……。
恐る恐る視線をあげると、そこには頬を紅潮させ、はぁはぁと息を荒くし、興奮した様子のヒルダ皇妃の顔があった。
そう……つまり、舞夜の顔は彼女の谷間に埋もれていたのだ。
思わず、抜け出そうと体が動くがビクともしない。
その事実に舞夜は愕然とする。
この世界に来てから、いくつもの死線を潜り抜けた彼の体はそれなりに鍛えられていた。
見た目には分からないが、そこらのチンピラには引けをとらないだろう。
だというのに、それを上回るヒルダ妃の抱擁……なんという力だろうか。
「ひ、久しぶりに見たぞ! 母上の固有スキル《愛でるべきを追う》に《愛でるべきを捕らえる》……!」
「う、うむ! 気をつけろ舞夜領爵! このままでは、失神するまで愛撫でされた挙句ペロペロ——いや、それは小動物が相手の場合だったな。人間相手に発動するのは初めて見た。もしや、犯られるやもしれんぞ……!」
ジュリウス皇子がワケのわからないスキル名を口走り、皇帝が不穏な言葉を叫ぶ。
どうやら今の現象はヒルダ皇妃の固有スキルによって引き起こされたものらしい。
察するに、彼女が愛でたいと思った対象が現れた時に発動可能な力の様だ。
今も息を荒くし、舞夜の頭を撫でつけるヒルダ妃。
その目は完全にイッてしまっている。
——このままじゃマズイ……!
ヒルダ皇妃から、どこかの変態女騎士と同じ匂いを感じ取り、舞夜は確信する。
だからこそ——
「い、いやぁ……怖いよぉ、お姉ちゃん……」
と、涙目でヒルダ皇妃に訴える。
すると……
「ひゃぁぁぁぁ!? お、お姉ちゃん……!? だ、大丈夫、怖くないでちゅよ〜、一旦離れましょうね? あっ、すご……! ワタクシったら、言葉だけで……んっんっ!」
凄い声を漏らしたかと思えば、舞夜をあやしながらビクンビクン。
目を潤ませながらのお姉ちゃん呼びでの拒絶——。
こうしてやれば、あるレベルまでたどり着いた、真の変態から逃れられることを舞夜は学んだのだ。
「は、鼻血がぁぁ〜〜!!」
「……と、止まらない」
「し、死ぬ! 出血多量で死にますの!」
「魔導士様……恐ろしい子!」
問題は二次被害だ。
アリーシャにリリア、シエラ、それにベルゼビュートまでもがドバドバと鼻血を噴き出してしまっている。
◆
「あらあら〜、じゃあ、噂の魔導士様は僕ちゃんだったのね? ごめんなさいね。ワタクシのゴミ息子が迷惑をかけて……」
軽くアレしてしまったヒルダ皇妃と、鼻血の海に沈んだアリーシャたちが回復してから少し——。
自己紹介を終えたあと、ヒルダ皇妃は改めて舞夜を抱きしめ、自分の膝の上に乗せると、ヘースリヒの件について謝罪を述べる。
自分の息子をゴミ呼ばわりしたり、ツッコミどころ満載だが、舞夜はそれどころではない。
自分に密着しているのは色気漂う魅力的な女性、その上その人物は皇帝の妃だ。
そして、その皇帝が目の前にいる。
気まずいなんてものではない。
皇帝もさぞかし機嫌を損ねるだろう。
舞夜はそう思い、チラリと皇帝の方を見る……
すると、どういうことだろうか。
その表情に怒りの色は無く、それどころか、そんなことどうでもいいとばかりに、イカ刺しと酒を口に運び満足顔を浮かべている。
たしかに、ここへ来る途中、皇帝は自分のことを“ブス専”と呼んでいた。
対し、ヒルダ妃は極上の美女。
皇帝の好みではないのかもしれないが、仮にも自分の妻が他の男にベッタリなのに、無関心なのは不可解だ。
さらに奥を見れば、暗い表情のジュリウス皇子が……
謎は深まるばかりだった。
その間にも、ヒルダ皇妃はアリーシャにリリア、そしてシエラに、ヘースリヒがしでかした事を謝罪。
それを3人とも受け入れたところで、今夜はお開きとなる。




