84話 皇帝
「ふふふ……やっと、すっきりしたわ——こほんっ、すっきりしましたの!」
「そ、そうか。それはよかった」
部屋を出て少し——。
憎っくきヘースリヒへエゲツない断罪を下したシエラが、舞夜の腕に抱きついて歩きながら、おっといけない。といった感じで口調を普段のものへと戻す。
「シエラちゃん、実は……」
「……あっちが本性?」
そんな様子を見て、アリーシャとリリアがヒソヒソと囁き合う。
無理もない。
シエラの雰囲気の変貌ぶりは別人かと思えるほどに妖艶で過激だったのだから。
『くすっ、面白い子……』
シエラの心の内を覗き見たのであろう。
ベルゼビュートが心底可笑しそうにクスクスと笑う。
どちらが本当のシエラなのか気になった舞夜がこっそり聞いてみても、「乙女の胸の内を覗こうなんて無粋よ?」と言って教えてくれることはなかった。
「ん? なんだジュリウス、戻っておったんか?」
舞夜が、実はシエラは相当恐ろしい子なんじゃ……と内心恐々としていると、通路の奥から、そんな声が聞こえてきた。
声の方向を見れば、とんでもなく容姿の整った偉丈夫が立っていた。
均整のとれた長身、空色の長髪を後ろに流し、腰のあたりで結っている。
だが、その服装はパジャマにサンダルのようなものを着し、雰囲気はどことなくけだるげだ。
——この髪の色……それにイケメンなのに残念な雰囲気、まさか……。
舞夜がそう思っていると——
「はい、つい先ほど見回りから戻ったところです。父上」
ジュリウス皇子が言う。
やはり、そういうことらしい。
「うむ、毎晩ご苦労だ。それにしてもシエラがいるということは……そこの少年は、リューインの領爵、舞夜か?」
「父上、その通りです。舞夜、それにアリーシャたち、この方は俺の父であり、この国の頂点、“ガイゼル”皇帝だ」
そう、目の前の残念イケメンはこの国の皇帝だったのだ。
もしここが城の中でなければ、その寝巻き姿で飄々と歩きまわる姿のせいで、その正体が帝国の統治者だろうとは誰も信じないであろう。
「あ、あの、お初に——」
「わははは! そう、硬くなるな。そういうのは公の場だけにしてくれ。肩が凝るからな」
舞夜が侯爵に習った、皇族や上位の貴族に対する挨拶をしようとするも、皇帝がそれを制す。
相当に気さくな性格のようだ。
ジュリウス皇子の性格は皇帝譲りなのだろう。
さらにベルゼビュートが魔王であると聞かされても、「ほほう?」と面白そうに笑みを浮かべるだけで、動揺の“ど”の字も露わにすることはなかった。
相当に器の大きな人物……或いは危機感が足りないのか……。
「それよりもだ、舞夜領爵。先の件、我が息子ヘースリヒが迷惑を掛けたことを詫びる。すまなかった」
だらしない雰囲気から一転。
皇帝がヘースリヒの企てた舞夜暗殺未遂について謝罪の言葉を口にする。
これに舞夜は目を見開き驚く。
皇帝ともあろうお方が、被害者とはいえ、なんちゃって貴族の自分なんかに詫びを口にするとは思ってなかったのだ。
流石に立場的にこれ以上はマズいのか、頭を下げることはしなかったが舞夜にとってはそれだけで十分だった。
ゆえに——
「もう済んだことです。ぼくや大切な3人は無事でしたし、アルフスへの牽制にも尽力して頂けていると聞いています。それにヘースリヒ殿下には先ほど十分な処罰を下させて頂きましたし……」
「「「ぶふぉっ!!」」」
舞夜がそこまで言うと、アリーシャたちエルフ嫁3人、ベルゼビュート、それにジュリウス皇子までもが盛大に吹き出す。
舞夜にシエラの初めてを取られた挙句、ガチムチ兄貴たちの、肉◯器フレンズとなる事が決まった時のヘースリヒの間抜けな発狂ぶりを思い出してしまったようだ。
少々、陰湿にも感じるかもしれないが、舞夜や彼女たちが被った内容を考えれば仕方あるまい。
「くくく……その様子では、随分と酷い処分を下したようだな?」
それを見た皇帝が上機嫌にクツクツと笑う。
実の父親ですらこれなのだ。
ヘースリヒが如何に救い難い人物だったのかが分かる。
「ところで父上、こんな夜更けに歩き回って、どうされたのですか?」
「む? ああ、実は、これから厨房の食材を盗み食いしようと思ってな。昼間、城を抜け出したのが“ヒルダ”にバレて、夕食抜きのお仕置きを食らってしまったのだ」
「またですか父上……母上に心労をかけないで下さい」
「むぅ、ちょっとだけ楽しい店に行っていただけだというのに……」
ジュリウス皇子と皇帝の間でこんなやりとりが交わされる。
話から察するに、皇帝は昼間から、ハッスルする為に城を抜け出し自分の妻……つまり妃であるヒルダという人物にお仕置きを喰らったようだ。
ジュリウス皇子以上にやんちゃな性格の持ち主だ。
ちなみに、皇帝ともなれば妾くらい何人もいるはずなのに、なんで娼館なんかに……と舞夜が不思議顔を浮かべると、それを察した皇帝が「私は、“ブス専”なのだ。正直、妃や夜伽係の娘たちではどうにも満足出来なくてな……」と衝撃の言葉が返ってくる。
セドリックにジュリウス皇子、それにこの皇帝と、この国のイケメンはどうしてこうも残念なのだろうか。
と、ここで。
「そうだ、舞夜。お前たち食事はもう済ませたのか?」
ジュリウス皇子が目を輝かせながら聞いてくる。
それに舞夜は、——ああ、そういうことですか……と、彼の言わんとしていることを察する。
「いえ、まだです。よろしいければ厨房をお借りできませんか? 簡単なもので良ければ陛下の分もお作りいたしますが……」
「なに? 良いのか? 確か、ジュリウスの話によれば、そなたはかなりの料理上手と聞く」
「その通りです。父上! さぁ、舞夜、厨房に案内しよう!」
ジュリウスが久しぶりに自分の料理を食べたがっていること気づいた舞夜。
空気を読んだ彼の提案に食いつく皇帝と皇子。
帝都に来て最初の仕事は、皇族の夜食作りとなるのだった。




