81話 不死者の王
とある森林の中にそびえる古城。
昼だというのに、その部屋のどれもが厚手のカーテンで締め切られ、城内は暗闇に包まれている。
そんな古城の最上階。
一際豪奢な造りの一室で、動く影がひとつ。
『いい色……それに香りも最高ですワァ』
目を凝らせば薄っすらと姿形が見えてくる。
肌の色は血の気が感じられないほどの白、真紅の長髪を綺麗に結い上げ、同じく真紅のドレスを身に纏った美しい女性だ。
手には真紅の液体が注がれたワイングラス。
彼女はその香りを確かめるとうっとりと見つめる。
その瞳の色は金色、さらに瞳孔は猫の様に長細い。
『ふふ、良い味……。やっぱり、処女の血は最高ネ……』
グラスの中身を煽った彼女が小さく笑いながら、そんなことを言う。
微笑む綺麗な口もとからは長い牙が覗き、その足元には息を荒くしながら横たわる幼い少女が……その首元からは微量の血が滴り落ちる。少女は彼女の食料係のメイドだ。
そう、グラスの中身は少女の血。
そして彼女は人の血を貪る者、アンデッドがひとつ、“ヴァンパイア”だ。
だが、ただのヴァンパイアではない。
彼女の名は“ユリス”。
古代の血と呼ばれる、最高位級のヴァンパイアだ。
その力は絶大。
彼女が本気を出せば魔王とも互角に渡り合う事が出来るほどだ。
『我が君よ、例の不届き者が迷宮都市を発ったと報告がありました』
ユリスが再びグラスを煽ろうとしたところで、くぐもった男の声が部屋に響く。
それと同時、ユリスの目の前の空間に揺らぎが生じる。
揺らぎはその大きさを増し、ひとつの影を作り出す。
灰色の外套を頭から深く被った大男だ。
外套のせいで顔は確認出来ぬが、正体はわかる。
何故なら、男の姿が未だ揺らめいているからだ。
揺れめく体を持つ種族など、異界をおいても一つしか存在しない。
その種族の名は“幽鬼”。
通常の攻撃では捉えることの出来ない半幽体の上位アンデッドだ。
『……そう。まぁ、ヤツを狙った魔族の軍勢の侵攻があったと聞くし、当然の判断かもしれませんワネ』
幽鬼の突然の出現に驚くこともなく、自分の寝床……棺桶の上に優雅な仕草で腰掛けるユリス。
脚を組んだ拍子にドレスのスリットから美しい太腿が覗く。
『それで、その不届き者はどこへ向かったのカシラ?』
『それが……申し訳ありません。配下の報告よると、何やら馬を必要としない白銀の馬車のようなものに乗りこむと、ありえないほどの速度で移動を始め、追いつくことが出来なかったと……』
『お前の配下でも追跡出来ぬほどの馬車……それに馬を必要としないと言いましテ?』
優雅に振舞っていたユリスが目を大きく開け、幽鬼に問う。
幽鬼には“スカルライダー”と呼ばれる、動物のスケルトンに乗った高速移動を得意とするアンデッド部隊がいる。
それをもってしても追跡に失敗するほどの速度を持つ乗り物が信じられないのだ。
『にわかに信じがたいことではありますが事実です。そして噂ではありますが、ヤツは魔導士に目覚めたという話もあります。だとすれば……』
『妾たちの知らない魔法……それをもって召喚した乗り物という可能性もある、ということですワネ……』
『はい、恐らくは……やはりヤツは侮れません、あの提案どおり“彼の国”、そして“嫉妬”との協力体制を受け入れるべきかと』
『悔しいですが……背に腹は変えられませんわね。いいですわ、例の件、受け入れるとそれぞれに返事をくれてやりなサイ』
『かしこまりました。我が君よ』
ユリスの命を受け、返事をした幽鬼の姿がさらに淡く揺らめくと消え失せた。
『おのれ、魔法使いめ。古代の血にして、不死者の王たるこの妾がいるというのに、その名を騙るとは……万死に値しますワ……!』
忌々しげに声を荒げるユリス。
言葉とおり、彼女はヴァンパイアの頂点でありながら、アンデッドの頂点、現・不死者の王なのだ。
そして彼女の怒りの矛先である当の本人。
以前、孤島にて不死者の王となることを宣言した舞夜は、その言葉がユリス本人に伝わっていたとはつゆ知らず。
不死者の王の座を簒奪しようとする愚か者として、遠くない未来、今まで以上の大きな戦いの渦に巻き込まれることとなる。




