108話 プロポーズ
夕刻――
「おはようございます。ご主人様っ」
しばしの微睡みから目覚めた舞夜を、アリーシャが優しく微笑みながら、はだけたメイド服の谷間へと誘う。
彼を見つめるアイスブルーの瞳が、窓から差す夕陽に照らされ幻想的な色に染まり、プラチナの長髪は砂金のように淡く輝く。
シエラは少し前に起きて、今はリリアと別の部屋だ。
「アーシャ、少し話があるんだ」
「ご主人……様?」
柔らかな双丘からアリーシャを見上げ、語りかける舞夜。
その様子に、アリーシャの表情が僅かながら強張る。
長い付き合い。
そして、自分の最愛。
無論、舞夜もアリーシャの小さな変化には気づいているが、あえてそれを無視し、言葉を続ける。
「最近のぼくは、どうかしていた。みんなに甘え放題で……」
そこまで言うと、舞夜の頬が赤く染まる。
ここしばらくの日々――レオナをママと呼び、エルフメイドたちをお姉ちゃんと呼んだ自分の行動に羞恥を覚えたからだ。
もちろん。
それは彼のせいではなく、アリーシャによる“ご主人様、幼児退行調教”のせいなのだが、舞夜はそれに気づいてはいないので、その恥じらいも当然だ。
――やっぱり、普段のご主人様に戻ってます……! でも、どうして……?
目覚めた時の舞夜の声色、表情、そして今の様子。
アリーシャは、舞夜の幼児帰りが解けてしまったことを悟り、焦りを覚える。
だからこそ――
「そんなことありません。ご主人様は、私たちに甘えているだけでいいんでちゅよ〜?」
「うむぅっ!?」
抱擁する力を強め、さらに舞夜を胸の谷間奥深くへと挟み込む。
なめらかな肌。
たわわな感触。
そして、アリーシャ特有の甘い匂い……
根が甘えんぼうな舞夜の意識が、再び幼な子のそれに戻ろうとする。
――そうです。ご主人様は一生わたしに甘えて、静かに暮らせばいいんです……。
とろんとした舞夜の表情に、アリーシャは満足そうに微笑む。
そのまま彼の頭を慈しむように撫で、再び眠りへと誘おうとする。
――それにしても、少し調教が足りなかったようですね。次は甘やかす頻度を上げるとしましょう。ついでに、そろそろお母さまにも混ざってもらって家族丼プレイを……それともヒルダ皇妃さまに協力してもらって、ダブルママとの幼児プレイをしてもらう方がいいでしょうか? ふふふ……。
舞夜を失いたくない。
行き過ぎた愛情が、アリーシャの胸の内で更に歪んだものへと変わろうとしていた。
一方、舞夜は……
――あぁ……アリーシャは、やっぱり優しい。こんな腑抜けたぼくでも、こうして愛で包み込んでくれる。だからこそこうしちゃいられないよな。
そんな風に、改めて覚悟を決める。
そして言う。
「アーシャ、さっきの話の続きだ。これから少しの間、孤島に篭ろうと思う。ジャックたちと色々やらなきゃいけないことがあるんだ」
「そんな……」
舞夜を落としきれなかった――
このままでは、愛する主人は再び戦火の中に――
その事実にアリーシャの心を絶望が支配する。
「アーシャ、そんな顔しないで」
困ったような顔で、アリーシャの頬に優しく手を添える。
舞夜とて、自分が魔王の討伐に赴くことを、アリーシャが良く思っていないことは知っている。
だが、放っておけば、ベルフェゴールやレイヴィアタンの様に、自分を狙った魔王が再び現れるかもしれない。
だからこそ、ベルゼビュートによってもたらされた情報があり、なおかつ準備期間のある今のうちに行動をするべきなのだ。
「それと、もうひとつ話があるんだ」
「もうひとつ……ですか?」
舞夜が元の状態に戻ってしまっただけでもショックだというのに、これ以上何を聞かされるというのだろう?
アリーシャの気はどうにかなってしまいそうであった。そんなアリーシャの不安に揺れる瞳を静かに――しかし、しっかりと見つめ、舞夜は言葉を紡ぐ。
「アーシャ、結婚しよう」
と――……。
「…………ふぇ?」
そんな間抜けな声を上げるアリーシャ。
――今ご主人様は何を……? けっこん? ケッコン? ……結婚!?
一瞬、言葉の意味がわからずに頭の中で同じ言葉を繰り返すこと数回、ようやく舞夜が口にした言葉の意味を理解する。
それと同時に、アリーシャはさらなる混乱に陥る。舞夜から婚姻を迫られた――それは決してあり得ないことだったからだ。
主人と奴隷……という立場もその要因のひとつだが、それよりも大きな要因がある。
それは、舞夜の〝責任感〟だ。
舞夜は内気で優しい少年だが、男としてはしっかりしている。
アリーシャにリリア、そしてシエラはエルフ族。エルフ族は長寿な種族だ。
対して、舞夜はこの上なく強者ではあるが、種族はただの人族……。
エルフであるアリーシャたちと比べてしまえば、その寿命はひどく儚いものだ。
彼女たちよりも早く命を終えてしまう自分――そんな自分が彼女たちの一生を縛ってしまっていいものだろうか?
舞夜はそんな思いから、アリーシャたちに婚姻を申し込めずにいた。
だがしかし、ユリスとの会話で永遠の命を手に入れられることが判明した今、その悩みは解消されたというわけだ。
ユリスとの会話、永遠の命を手に入れたことをアリーシャへと説明し、舞夜は改めて言葉を紡ぐ――
「アーシャ、結婚しよう」
「ご主人様……! わたし、わたし……嬉しくて……ふぇ〜ん!」
感極まり、アリーシャは泣き出してしまう。
アリーシャの夢は舞夜の短い命が尽きるまで仕え続けることであった。
それがどういうことだろうか。愛すべき幼い主人は、いつの間にやら不死への領域へと至っていた。
それを踏まえた上で、自分に婚姻を申し込んでくれている。
奴隷として、メイドとして、そして彼を愛する一人の女として、これほど以上に嬉しいことはない。
「ご、ご主人様……質問をひとつよろしいでしょうか……?」
「……? なんだい、アーシャ?」
すぐにでも婚姻を受け入れたいところではあるが、アリーシャはその気持ちを押し留め、舞夜に向かって問いかける。
なんとなく彼女の言おうとしていることに見当がついた舞夜は、優しく微笑みながら先を促す。
「結婚のお話ですが……それは、みんな一緒ではダメでしょうか……?」
アリーシャの口から紡がれたのはそんな言葉だった。
アリーシャの目的は舞夜の愛すべき者を増やすこと。
自分だけでなく、他のエルフ娘――リリアとシエラのことを言っているのだ。
それに対し舞夜は……。
「もちろん、リリアとシエラにも結婚を申し込むつもりだよ。でも、まずはアーシャ……君だ。ぼくの初めて愛した一番大切な人だからね……」
「あぁ……っ、ご主人様……!」
思っていたとおりの回答を得られた。それどころか、一番とまで言ってもらえた……。
アリーシャは再び感極まり、思わず舞夜を抱きしめた。
どうやら嬉しさのあまり〝ご主人さま強制幼児退行調教〟の事など頭から抜けてしまっているようだ。
普段であれば、その豊満双丘の中に舞夜の小さな顔を誘っているところが、今は彼の胸の中に、幼い少女のように顔を埋めてしまっている。
そんなアリーシャの頭を撫でてやりながら、舞夜は表情を引き締め、会話を続ける。
「ありがとう、アーシャ。喜んでもらえて嬉しいよ。でもね、式はまだ挙げられないと思うんだ」
「……!? ど、どうしてですかご主人様? わたし達は愛し合っています。すぐにでも式を……!」
「いや、まだぼくたちには障害が残っている。残りの魔王というね――」
「――ッ!!」
「ただの結婚であれば、魔王なんて無視すればいいのかもしれない。でもぼくが目指すのはアーシャ達と〝平和な永遠〟を過ごすことだ。でも今のままじゃ、残りの魔王がぼくを狙ってくる可能性が大きい。だから……」
なんとしても残りの魔王を滅ぼそうと思う――
静かに、だが強い意志を持って舞夜は言葉を紡いだ。
ゾクリッ……!
アリーシャの背筋に言いようのないものが走り抜ける。
これだ。近頃は幼児退行のせいで久しく感じることはなかったが、舞夜は時々絶対強者としての覇気のようなものを放つことがある。
普段は愛らしい彼から不意に放たれるそれは、アリーシャの雌としての本能に強く訴えかける。
そして、それに逆らうことは出来ないのだ。
――殺すッッ!! なんとしてでも魔王を殺す! ご主人様との甘い将来の障害になろうだなんて、万死に値します!!
アリーシャも決意する。
最愛の主人との将来を邪魔する魔王を一匹残らず血祭りにあげる事を――
この時、アリーシャの放った殺気で屋敷中のメイド達がぶるりと震えたり震えなかったり……。
そしてアリーシャの、この誓いが後の世で彼女が〝剣聖〟とまで呼ばれるに至るほどの偉業を成し遂げるきっかけになるのだが……それはまた別の話である。




