101話 ママ
――ここは……。
舞夜の意識が覚醒する。
目に飛び込んでくるのは知らない天井。
首を横に向ければ窓があり、空に月が浮かんで見える。
青白い月光に照らされた部屋には、いくつかのベッド。
そして、ほのかに香る薬品の様な匂い……恐らく、ここは病院だろう。
――そうだ。ぼくは戦いの後、意識を失ったんだった。
病室らしきところにいるという事実で、舞夜はそのことを思い出す。
同時に、倒れた自分をアリーシャたちが運び込んでくれたのだと、見当をつける。
残りの魔族はどうなった?
万一にも帝都に被害は出ていないだろうか?
アリーシャたちは?
まだ意識のはっきりしない頭で、そんな疑問がグルグル回る。
とにかく状況を確認しなければ――
そう思い、身じろぎをしたところで、声がかかる。
「まぁまぁ、起きたのね。小さな英雄さん」
「……? あ、レオナさん!」
声の方向。
舞夜とは向かい側に設けられたベッドに、レオナが腰掛けていた。
純白の簡易服を着ている。
どうやら、舞夜と同じ様に、病室で休まされているようだ。
彼女の容態も心配だ。
舞夜は急いで駆け寄ろうとするが……
「う……ッ!?」
ベッドから起きた、その瞬間。
激しい目まいに襲われ、そのまま後ろへ倒れ込んでしまう。
傷や怪我の方は問題ない。
しかし、無理な戦い方をした反動で、脳や体から疲労が取れていないのだ。
「……! ダメよ無理をしちゃ!」
舞夜の様子を見て、逆にレオナの方が彼の方へと駆け寄って来る。
その足取りや、はっきりとした口調で、彼女は快復したのだと分かる。
「レオナさん。都市は……アリーシャたちは……」
「大丈夫。舞夜ちゃんのおかげで、一切被害は出なかったと騎士たちが話していたわ。ふふっ、聞いてビックリしちゃった。舞夜ちゃんったら、魔王を倒しただけじゃなく、私の部下たちの救出に魔族とアンデッドの大群……それに、不死者の王まで倒しちゃったっていうんですもの」
「はは……自分でも、やり過ぎたと思ってます。それでアリーシャやリリアは……?」
「今は舞夜ちゃんの屋敷にいるはずよ? 夕方まで舞夜ちゃんに、ひっつきっぱなしだったんだけど、面会時間が終わっちゃったから看護婦さん達につまみ出されていたわ」
「……そうですか」
恐らく抵抗して看護婦たちに迷惑をかけたんだろうな。
容易に浮かぶ想像に、舞夜は苦笑する。
「ありがとう……舞夜ちゃん」
「え? ちょ、レオナさ――うむぅ!?」
苦笑する舞夜に、真剣な表情で感謝の言葉を口にするレオナ。
そして、そのまま舞夜の隣に腰掛けると彼を抱擁し……むにゅんっ!! と、豊満な胸に顔を包み込んでしまう。
やはりデカい。
その大きさ、アリーシャに匹敵するほどだ。
さすが母親である。
だが、当の舞夜はそれどころではない。
アリーシャとリリア……恋人たちの母親に、この様な抱擁をされてしまい、軽い混乱状態だ。
「ふふっ、落ち着いて? 舞夜ちゃん」
そんな舞夜に、レオナは優しい声で語りかけると、ゆっくり、ゆっくりと慈しむ様に彼の小さな頭を撫でていく。
柔らかな感触。
甘い香り。
優しい手つき……
思わず舞夜は、「ふぁ……」と、声を漏らす。
「あなたたちの関係は、アリーシャとリリアから話は聞いたわ。舞夜ちゃんが2人を危機から救ってくれたこと。そして、2人を幸せにしてくれたこと……。母親として、心から感謝します」
「あ……い、いえ、ぼくも2人からは、たくさんの愛をもらって幸せにしてもらってます。それより、ぼく、レオナさんに謝らないと……」
「あら、どうして?」
「その……もう聞いていると思いますが、2人は、ぼくの奴隷ということになっています。娘さんを奴隷にしてるなんて、申し訳なくて……」
「ふふっ。たしかに、最初はビックリしちゃったけど、詳しい事情も聞いているから大丈夫よ。それに、あの娘たちの幸せそうな顔を見て、その言葉も本当なのだと納得したわ」
バツが悪そうに謝る舞夜。
しかし、彼を撫でる手を止めず微笑みを浮かべながら、そう応える。
「それと……ごめんなさいね?」
と、レオナが続ける。
「えっと……どういうことですか?」
「あの娘たちの他にも、凛さんや桃花さんという女の子にも、いろいろ話を聞いたの。アリーシャとリリアったら、舞夜ちゃんに望まない女性をあてがうようなマネをしているみたいで……」
「ああ、そういうことですか……」
迷宮都市にいる、変態女騎士。
それに、暴食の魔王や、発情皇妃に痴女皇女……そんな4人の顔を思い浮かべ、舞夜がゲンナリする。
それに凛といえば……彼女とも、今日の昼にとんでもない展開を迎えてしまった。
それが凛による策略と、媚薬のお香によるものだと知らない舞夜は、責任感から胃を痛め、顔を歪める。
「あの娘たちは、まっすぐ過ぎるの。一度こうと決めたことに関しては、とことんまでつき詰める癖があって……皇妃様たちの件に関しては、私の方から注意しておいたわ」
「あ、ありがとうございます。レオナさん!」
これでアリーシャたちとヒルダ皇妃やセシリア皇女との連携プレイがなくなるかもしれない――レオナの言葉に舞夜の目が輝く。
「それと、舞夜ちゃん? その“レオナさん”という呼び方なのだけど……」
「あ、すみません。ちょっと馴れ馴れしかったでしょうか?」
謝罪する舞夜。
相手は自分の恋いびとたちの母親だ。
もう少し相応しい呼び方があったかもしれない――そう思っての謝罪だ。
だが、レオナは……
「そうじゃないわ。舞夜ちゃんはアリーシャとリリアの旦那様も同然。そして私は、あの娘たちの母親……。つまり、舞夜ちゃんの母親であるとも言えるわ。だから――」
そこまで言って、レオナは舞夜の耳もとに口を近づけ、こう囁きかける。
「ママ……って呼んで?」
――ッ……!
舞夜の体が、びくんっ! と震える。
ママ――。
その単語は彼が地球にいた頃。
口にしたくても許されなかった言葉だ。
十六夜家は正当なる魔法使いの家系。
舞夜に、魔法教育という名の虐待を続けていた母親は、決して彼を母として甘やかすことはなかった。
ゆえに呼び名も、“母上”だった。
そして、その呼び名は自分の母――というよりは、一族によって決められた、“役職的”な意味合いの方が大きかった。
少なくとも、舞夜はそう感じていた。
母親に愛されたい――
ママと呼んで甘えたい――
そんな、叶うはずのない願いを胸に、虐待の日々を過ごした舞夜にとって、今のレオナの言葉はどれだけの意味を持つか……想像に難くない。
「……マ……マ」
戸惑い、不安そうな顔をしながら舞夜が呟く。
それにレオナは――
「ふふっ。そう、私は今日から、舞夜ちゃんのママよ。だから、いっぱい甘えていいの……ね?」
と、舞夜を優しく抱きしめながら、甘い声色で応える。
「ママ……ママぁ……!」
一生を通じて願い続けてきた存在。
それになってくれるというレオナの言葉に、舞夜の思いは爆発した。
赤子の様に「ママ、ママ……」と繰り返しながら、レオナに縋り、抱きつくと、彼女の豊満な胸に甘えるように泣きつく。
「……んっ。いい子いい子……。素直に甘えられて舞夜ちゃんはいい子ね」
レオナは、その舞夜の行動に驚きはしない。
むしろ、それが当然のように抱擁する力を強め、受け入れる。
レオナは、舞夜が眠っている間。
アリーシャたちから舞夜の地球での境遇も聞いていた。
そして思った。
自分を、部下を、大切な愛娘を守る為に命を賭して戦ってくれた彼の為に何かしてあげたい――
そして、感じた。
この幼気な少年の心を癒してあげたい――
救ってあげたい――
そう訴えかける自分の中の母性本能を……。
「さぁ……。いい子は、まだ、ねんねの時間よ? ママが一緒にいてあげるから、おやすみしましょうね」
「ママ……うん……」
レオナの抱擁の中。
舞夜は眠る。
その安心しきった顔は、この世界に来た初めての日。
アリーシャに心の傷を見せ、優しく包み込まれた時と同じくらいに安らいでいた。




