カエルは何故か城にいた?
のんびりと再開します!
私の姉は、地味で不器用で影の薄い、何の取り柄もないダメ人間。
ただひとつ役に立ったことといえば、そのダメダメさが反面教師となり、私の中に絶対にああはなりたくないとの強い信念を芽生えさせてくれたことかしら……。
挫けそうになる時、さぼりたいと思う時、彼女の姿を見てその想いを再確認し、自らを奮い立たせた。
そんな姉が……死んだ。
少し前から、あの姉には珍しくアルバイトに行くようになっており、そのバイト先のすぐ近くにあるビジネスビルの屋上から身を投げたらしい。
その後、姉の部屋に設置されていた頑丈な数個の鍵が業者によって開けられると、私や家族は、そのあまりにも異常な……まったく知らなかった姉の姿を見せつけられることになる。
両親は言った、『恥だ』『情けない』と……。
だが、私の印象は違っていた。
部屋中に貼られた盗撮したとしか思えないある男性の写真。
室内の内装はかつての面影など一切なく、まるで独り暮らしの男性の部屋のようだ。壁に並べられた飲食店などで目にする安物のコップは全て日付の書かれた真空パックの袋に包まれている。
それら全てがあの写真の男性への歪な愛によるものであることは、誰の目にも明らかだった。
『姉さんには敵わない……』
姉さんは、私など遥かに及ばないほどの、強い信念と熱い情熱を持っていたのだ。私はどうしようもない敗北感と例えようのない喪失感にさいなまれ、同時に他界した姉に対して、崇拝に近い感情を抱くことになる。
遺品の中にあった腕時計。
その地味で飾り気のない時計は、あの高いビルから落下してなお、奇跡的に無傷で未だ時を刻み続けていた。
私には、姉の時間がまだ続いているように感じられ、両親に頼んで遺品としてもらい受けることにする。それはまるで、キリスト教信者にとってのロザリオのように、私のとても神聖な宝物になった。
まるで、敬虔な信者のように、それからの私は、腕時計に恥じぬようにあろうと自らを戒め、さらに己を高めようと努力を重ねた。
そんなある日のこと。
私は……『闇』に拐われた。
◆◇
「待っていたぞ、この日が来るのを!」
「奇遇だな。俺も願っていたよ、この日が来ないことを……」
沸き起こる歓声の中、二人並んで王女が観覧しているバルコニーに一礼しながら俺たちはそんな舌戦を交わしていた。
ここは王都の中心部、城内に作られた騎士たちの訓練場。時折行われる御前試合のために、周囲には石段で出来た簡素な観客席がぐるりと訓練場を囲むようにして作られ、城に接した面には、王侯貴族が観覧するバルコニーが各階に設けられていた。
一番上で手を振っているのが、アルテイシア姫。
はっきり言ってとんでもない美人さんだ。あれでこの国の国政のほとんどを彼女が行っているというのだから、美人でスタイルよくて出来る女の、まさに三拍子揃った完璧超人である。
「……い、おい! 貴様、やる気はあるのかっ!」
「は?……ないに決まってんじゃん」
「くっ、どこまでも愚弄しおってぇ……」
「うわ、本当面倒くせぇ!」
いつまでもバルコニーをボーっと眺めていたら、すっかり対戦者の、あれ?……何て名前だっけ……。
「では、騎士団団長代行ユリウス殿、冒険者ハルオキ、双方前へ!」
そうそう。ユリウス、そんな名前……あれ、俺だけ呼び捨て?
審判を務めるらしい胡散臭いおっさんに呼ばれて、中央で対峙する二人。
このユリウスが俺の冒険者ランク昇級に異を唱え、その実力を証明するためにと無理矢理決闘を申し込んで来たのだ。
城に向かう馬車の中でギルドマスターのワイズマンに聞いたが、前任の騎士団長は実力と人を惹き付けるカリスマ性を備えた、かなりの傑物だったようで、正直見劣りするユリウスくんは今回の決闘で周囲に実力を誇示し、代理ではない正騎士団長にしてもらいたいのだとか。
……いや君本当に面倒くさいな。まあ、あの王女さん見れたからいいけどさ。
「互いに礼。……始め!」
「でやあぁぁぁーっ!」
もう一度目に焼き付けようと王女さんのいるバルコニーを眺めていたら、審判がボソっと開始を告げ、ややフライング気味に駆け出していたユリウスの剣が俺に迫った。
パキン!
だいたい、こういう模擬戦では木剣や刃引きした訓練用の剣が使われるはずだ。なのにユリウスは愛用の高そうな立派な剣を使っていた。俺はといえば、入場時に兵士から渡されたやたら重いだけのおんぼろな剣である。
その時、スキルも発動させず、完全に油断しまくっていた俺が攻撃されたのを感知して『聖魔盾』による自動防御が発動してしまった。俺の顔の上辺りに突然現れた女神のレリーフが施された白銀に輝く盾に当たると、彼の高そうな剣は間抜けなほどに軽い音を立ててあっさり折れる。
「……あ、ごめんな」
ポッキリと折れた剣を振り抜いた姿勢のまま呆然とするユリウス。家宝が、などと呟いているので思わず詫びてしまった。
そんなに大事だったなら使わなきゃよかったのに……。
そんな時、にわかに上のバルコニー辺りが騒がしくなった。見上げると、バルコニーの手摺にふたつの立派な膨らみを押し付けながら、例の王女さんが今にも飛び降りそうな勢いで身を乗り出している。騒いでいるのは、それを止めようとするお付きの人たちみたいだ。
なんだろう?王女さんもその家宝の剣が折れてショックなのか?
なんて考えている俺は、王女さんがユリウスではなく俺の方……それも宙に浮いた白銀の盾を見ていたのだということに全く気付いていなかった。
◇◆
「姫様!」
侍女のサリアはそう言って誰よりも早く駆け出した。目の前では主であるアルテイシアが突然立ち上がってフラフラとバルコニーの前へと歩いていく。彼女がそのまま落ちそうなほど身を乗り出したところで、彼女はその腰をしっかりと抱きしめた。
「……う、嘘よ。あの聖盾は」
「姫様お下がり下さい、危のうございます!」
サリアをはじめとした侍女数人が体を引くも王女は手摺から離れようとはしない。何かにとり憑かれてしまったかのようなその変貌ぶり、だが心穏やかではないのはサリアも同様であった。
(なぜ彼があの勇者の盾を?まさか彼もまた勇者なの……いや、そんなはずはない)
「姫様、後程このサリアが調べますゆえ、この場はどうかご辛抱を」
「……さ、サリア。そうね、わかったわ」
まわりに集まった侍女や近衛、さらに眼下からも多くの者が騒ぎに気付いて上を見上げている。やっとそんな状況が理解出来た王女は気まずそうに、だがどうにか平静を装いつつ皆に手を振り、そしてゆっくりと自分の椅子へ戻っていく。
椅子に腰掛け、再び王女が決闘の場に目を向けた時には、先ほど見た白銀の盾はもう役目を終えて消えたあとであった。