カエルの冬眠?いいえ、ただの進化です。
最初に使って以降、完全に意識を失うことはなくなったスキル『大食漢』だが、襲いくる強烈な飢餓感には耐え難いものがあり、逆に意識を失いたくなるほどだ。
ナルくんの身体をその身に刺さった聖剣ごと丸のみにした俺は、近くに落ちていた折れた剣先と同じく砕けていた盾? の破片まで全て食べ、さらには彼が脱いだ鎧やマント、上着や例のマジックボックス(呼び名がこれでいいのかは知らない)まで、全て残らず平らげてしまった。
……ってか、うわぁ。俺食べ物(生物)以外も食べちゃうんだ……ひくわぁ。
だが、そんな呑気なことを考えられたのは、ここまで。
最初に俺を襲ったのは、けたたましく、まるで電話のベルのように連なった電子音の大洪水。
いったいどれだけレベルが上がっていったのか、ピロンというよりもう、リリリリリリリリリリリリ……って表現が正しいね。うん。
かれこれ三十分ほどそれが続いたあと……
進化しますか? はい/いいえ
ですよね……。
まあ、当然そうなるんだろうが、いったいどれだけの時間がかかるのかが未知数だ。
俺はしばらく身を隠せるような場所を探して沼地の岸をしばらく歩いた。進化を経てないので種族は変わらずトビウサガエルなのだが、レベルアップのせいで身体は成長しており、体長は二メートルを楽に超えているので歩き回るのに不自由はない。
つか、飛べばよかったかな? まあいいや。
どれくらい探し回っただろうか? 沼地のずっと奥まで行くと小さな洞窟があるのを見つけた。小さいと言っても人間が立って歩けるくらいの高さはあり、ここなら問題ないだろう。
最奥まで進むと、七色にその身を輝かせる巨大なスライムがいたのだが、そいつは俺を見るなり沼地へと逃げ出していった。
今の奴は凄かったな……あんなのがいるなんて沼地はまだまだ危険がいっぱいだ。
そのあんなのが戦わずして逃げてしまうほどのレベルに達したとはまだ気付いていなかった俺だったのだが、とりあえず進化を優先すべく準備を進める。
何回の進化が訪れるのかわからない。その間にさっきみたいのに食べられてましたじゃ笑えないからな……。
俺は後ろ足で、入って来た通路の天井を蹴り上げる。するとそれは、驚くほどの破壊力で天井を突き崩し、降ってきた瓦礫の山がひとつしかない出入口を完全に塞ぐ。
あまりに威力があり過ぎて本人はかなりドン引きなのだが、まあ、こんな力があるのなら瓦礫をどかして出るのも苦労はしないだろう。
他者の侵入出来ない空間を手に入れた俺は、再びステータス画面に向き合い『はい』を押す。
すると……
本当に進化しますか? はい/いいえ
ん?待て、なんだこれは『本当に』って……まあいい、『はい』と……。
最終確認です。進化してもよろしいですね? はい/いいえ
え?なんかそんなに何度も聞かれるとめっちゃ怖いんだけど……。でもまあ、いつかは通る道だ。『迷わず行けよ。行けばわかるさ』ってスゴい人も言ってたしな……『はい』と。
数秒後、俺はこの質問の意味を身体で知ることとなる。
同時に十回を超える進化など、それはもう脱皮などという生易しいものではなく、生命を根本から作り直すまさに再構成と呼べるレベルの作業。
十回をワンセットとするなら、俺は今回それを六セット。
つまりは、六回死んで新たなものに生まれ変わるほどの苦痛を、その身に受け続けることとなるのだ。
余談だが、翌日訪れた冒険者から、沼地の奥から地の底より沸き上がるような恐ろしい唸り声を聞いたとの報告がもたらされ、沼地への出入りがしばらく禁止となったらしい。
……ごめんね。だって本当に死ぬほど痛いんだもん。そりゃ唸るし叫びますとも……。
◆◇
深夜の城門前。
そこには、百人を超える騎士たちと、街から集まった野次馬数百人が、ある人物の到着を今か今かと待ちわびていた。
「姫様、やはり城にてお待ちしましょう。このような場所ではお身体に障ります!」
「ごめんねサリア。ですが、あの男がそうせよと言って使いを寄越したのです。待っていなければ何をしでかすか……」
騎士たちに囲まれるようにして臨時で設置された天幕の中では、アルテイシア姫と侍女のサリアが、外の者たち同様に勇者タツヒコの帰還を待っている。
昼間、魔王討伐の報せに続いて早馬がもたらしたのは、姫自らが出迎えよとの勇者からの伝言であった。そこには、馬より自分のほうが速いから迎えの馬車は不要と書かれており、慌ただしく準備を整えた面々は、彼を迎えるべく城門前に整列したのだが……。
「しかし、あまりに遅すぎます!念のためにと差し向けた迎えの馬車も、彼に出逢うことなく戻ったのですよ? どうせまたどこかで……」
「サリア!……気持ちも、言いたいこともわかります。ですが、そのひと言を火種に、王都が滅ぶかも知れないのですよ」
(……確かに魔王は倒された。しかしこれでは、勇者が魔王の座についたも同然ではないですか……)
続いたその想いは決して口にしてはならぬと、アルテイシアは胸にしまい込んだ。
そうしてこの馬鹿げた出迎えは三日間も続き、三日目に熱を出したアルテイシア姫が倒れたことで、代わりに勇者タツヒコの捜索隊が出されることとなり、それはお開きとなった。
◇◆
魔王城からさらに北上した北の果て。
氷と吹雪によって閉ざされ、人の立ち入ることのない極寒の地に怪しげな黒い搭が聳え立っていた。
その搭の上階にある不思議な部屋。
石造りの重厚で豪奢な円形のテーブルが置かれ、そこには座する者の代わりをするように七つの水晶のような玉が台の上に鎮座している。
部屋には外の吹雪の音さえ届かず、ひたすらに深い静寂だけがそこにあった。
ふと、その玉のひとつがボウっと光り、その中には竜族と思しき者のシルエットが浮かび上がる。
『遅い! まだ魔王の選定は始めぬのか?』
すると、怒気を含んだその声に応えるようにして、他の玉も次々と光を放ち始めた。
『まあ、落ちつきなって憤怒の。まだ候補が揃ってねーんだからのんびり待とうや!きしゃしゃしゃ』
『……怠惰の言い分もわかるわ。でも、候補が揃わないうちに選定始めたことだってあるんでしょう?私もう、退屈なのよぉん』
『色欲の、その言い方は訂正するべきだね。かつての記録と照合すれば、七人揃った時のほうが稀なのだよ』
『傲慢……貴方のそういう所嫌いだわ。ふん!』
『……まあまあ、皆さんも落ち着いて。ここは冷静に行きましょーや、ねっ。ひっひっひ』
最後の者の発言に、場の空気がピンと張りつめる。
その中で口を開いたのは、やはり最初の竜族の男。
『強欲の、誰のせいで儂が苛立っておると思う! どこぞの馬鹿めが勝手に軍を召集し、魔物たちを刺激した。その結果、人間どもに見つかったばかりか勇者召喚までされおって! あの歴史ある魔王城の惨状を見たのか貴様は!』
『まあまあ、その件は代理の魔王を倒させて人間どもの目は誤魔化せたってことでひとつ。ひっひっひ……』
『ふむ、一理あるようにも聞こえるが、その代理の魔王にしてもいずれは魔将の後継者になれたかも知れない逸材なのだよ。その損失は計り知れないと思うがね』
『はあ……面倒臭い話しは止してよ。そもそも『暴食』獲得条件にしたって、レベル差三百以上の相手を補食なんて、そんなの天地がひっくり返っても無理でしょう?』
『きしゃしゃしゃ、確かにな。それに嫉妬に関しちゃ獲得条件もよくわかっちゃいねえ。アレ持つのはだいたい変態か頭のおかしな奴だったらしいからな!』
『しかし、古来より選定の開始時にはそれを選びし『闇の巫女』が降臨するはず、それがまだである以上、今のこの口論自体が無意味だと思いますがね』
『…………』
その男の発言こそ、正論であったのであろう。
それ以降、誰も発言することはなく……ひとつまたひとつと光が消えていき、部屋は再び深い静寂に包まれた……。