ヒキガエルは若干ひいているカエルではない?
王都から徒歩で二時間と少し。
バルサの沼地の先にある『聖殿の森』には、その名の通りの石造りの神殿がそびえ建っていた。
神殿といってもまるでインカ文明などで見られるような、大きな階段状のピラミッドさながらの様式で、祭壇となる頂きには七本の石の柱が、中心に描かれた魔法陣を囲むようにして立っている。
突然、その魔法陣がまばゆい光を放ち始め、光の中からは白銀の鎧に真紅のマントを纏った黒髪の若い男性が姿を見せた。
「勇者さま!」
「おお、おかえりなさいませ勇者さま!」
「おい、魔王城から勇者さまが戻られたぞ。早馬を出す準備を急げ!」
その姿を見つけた神殿の警備の兵たちは、歓喜の表情を見せるとともに速やかに行動を開始した。勇者の動向や魔王に関する情報は何よりも優先される最重要事項。早馬にてすぐに城に報告に向かうよう、伝達体制が整えられていた。
「おお、転移マジすげえ。でも、何で城まで直接飛べるようにしないんだろうな。ここに作った奴頭悪すぎだろ。だっさ……」
「おかえりなさいませタツヒコ様。魔王はどうなったのでしょう?」
転移門を悪用されて直接攻め込まれる事がないよう、わざと城から離れた場所にこの転移門となる神殿を作るよう進言したのは古の大賢者。
そんな、彼よりもずっと頭を使っている御方に向かって、おバカな暴言を吐きながら転移門から出て来た勇者タツヒコ。彼は兵士の質問に返事を焦らして、言いたいのを必死で堪えながらただじっと彼の目を見る。
……ネタをバラせば、タツヒコは昔テレビで見たクイズ番組の某色黒司会者の真似をしているつもりなのだが、この世界の住人がそれを察するはずもなく……。
「……ち、つまんね。ああ、魔王なら倒したよ。当たり前だろ、勇者なんだからよ!楽勝だよ、楽勝!」
勝手にボケて、ネタをスルーされてキレる……。なんとも幼稚で困った男だが、これでも人類側最高の戦力。キレられた兵士も愛想笑いをする以外にない。
「タツヒコ様、そう言えば同行した騎士たちは?まさか、あの四聖を含む三万の軍勢が全滅なんてことは……」
そう、今回の魔王城攻撃に際して人類側は勇者タツヒコを筆頭に各国から選りすぐりの精鋭三万を投入し、まさに考えうる最強の軍を以てこれを攻めていた。
タツヒコが使った転移の結晶石の力は強く、その気になれば三万の軍勢をこの場所に転移させることも可能である。本来であれば魔王城陥落後には残存兵をまとめ、陣地を引き払うとともに全員で転移してここに帰還する手筈になっていたのだ。
「……知らんな。まあ、ぶっちゃけ俺が戻ったんだから、それでよくね?ってか、いいっしょ!」
タツヒコは、その話題はもういいとばかりに言い捨てるとタンタンと神殿の階段を下り始めた。
「ちよこれいとぱいなつぷるぐりこぱいな……ひめのぱいなつぷるぱいぱいなっぷるがぷるんぷるん……」
「…………」
階段を下り切ったところで出迎えた兵士たちが、ドン引きして労いの言葉をかけ損なうほど、その時のタツヒコの顔は下品に鼻の下が伸びきっていた。
まあ、それも無理はない。文字通り、使い捨ての盾として三万の騎士たちを酷使し、あまつさえ魔物犇めく魔王城に置き去りにしてしまうほど、彼はアルテイシア姫に夢中なのだ。その姫がついに自分の所有物になる。そう思うと、若い彼の頭の中では姫との様々なプレイのシュミレーションで忙しく、周りの視線など最早どうでもいいのである。
「……伝令の早馬を出し、魔王討伐の一報を城に報せました。じきに城より迎えの馬車が参りましょう。それまでは詰所にて……」
「ああ、俺パス。っつか馬車超遅えし、めっちゃ揺れるじゃん。俺のステなら歩いた方がマシだから、じゃ、そういうことで!」
気を取り直し、警備の隊長らしき兵士がタツヒコに状況を説明して詰所に案内しようとしたのだが、一刻も早く脳内のプレイを実践したい彼は、ヒラヒラと手を振りながら王都方面を目指して歩き出す。
「ああ、そうだ。姫に王都の城門まで来て出迎えるよう言っといて……じゃ、そういうことでバイバーイ」
そのあまりに自分勝手な態度と言動に、顔を真っ赤にしながら怒りとも恨みともとれる表情を見せた警備隊長だったが、それでもタツヒコは魔王から世界を救った英雄であり、世界最強の人間であるのもまた事実。
自らの頬を二度ほど叩き、ブルブルと頭を横に振って気持ちを切り替えた彼は、タツヒコの伝言を伝えるべく、再度早馬出発の準備を指示するのであった……。
◆◇
「馬車とかマジ無理。王様ならリムジンぐらい買えって……」
……マジとか、リムジンとか、いやこいつ間違いなく地球の、それも日本人じゃん。
俺はスキルである『気配遮断』と『滑液分泌』を使いながら、じっと目の前の人間の話に耳を傾けていた。滑液を出しているのは体表面を周囲の草花同様に緑にすることと、ヌラヌラしていて何となくそこを踏みたくないという人間の心理を突いた作戦である。十分に滑液で身を隠したのを確認して『隠蔽』も使って、さらに自分の存在を希薄にした。
目の前の日本人は、おそらくラノベに出てくる『勇者』的なポジションの奴なんだろう。身に纏ったあまりに強大な強者の気配にあてられ、俺はスキルを発動するのが精一杯。一歩もここから動けないのだ。
それに、先日来ていた冒険者たちと比べても、そのあまりに豪華で見事な鎧やマントは明らかに大金がかけられた逸品であり、この世界に暮らす普通の人間では、一生かけても手が届かないクラスの装備であると、それらが放つオーラ的なものが物語っている。
「……んん、やっぱ少しは頑張ってきました的なアピールをしとかなきゃな……」
そう言って勇者(うん、わからんからそう呼ぼう)は、腰に着けた小さな袋の前に手をかざす。すると、次の瞬間……
……おお、いきなり剣が出てきた! ということはまさか……あれこそが異世界チートアイテム『マジックボックス』か!
まさかラノベで読んでいた異世界ものの定番アイテムを目の前で見ることができるとは……うん、勇者くんありがとう。
剣を出した勇者くんはというと、その身に纏う装備よりさらに次元が違うであろうその白銀の長剣の刃を、何やら一生懸命に覗き込んでいる。
「やっぱ通常状態の聖剣はいいな。自己修復するから曇り一つ無い。贅沢な鏡だぜ、ひゃはは……」
……うわあ……マジで勇者だったんか。ってか、聖剣を鏡代わりにするナルシストとか、マジひくわぁ……。
勇者改め『ナル』くんは、こともあろうにその聖剣の柄を地面に突き立て、上向きにそびえる刃の部分をあれこれと動かし、自分が映る角度を調整していく。
というか、そんな事はもっと遠くでやって欲しい。はっきり言って俺がいる場所に近付き過ぎだ……。
満足のいく角度が見つかったのか、ナルくんはしばらく斜に構えたり、ターンしたりしながら、聖剣に映る自分に見惚れていた。
そのうち、変なスイッチが入ったのか、鎧や装備を脱ぎ出したナルくん。ってか、上半身裸で何やってんの……。
……お巡りさんここです。ここにあぶない人がいますよ!