事情
明人は、純が帰って来なかったのは、宮に泊っているからだと思っていた。実際、宮には大勢の侍女達が、必死に夜を徹して縫物をしていると聞いていたからだ。
だが、朝になってそれが違ったことに気が付いた。
なぜなら、李心が純を連れて自分に挨拶に来たからだった。
李心は、事の次第を明人に話して聞かせた。確かに、軍宿舎などに一人で帰って来させた自分も悪かった。そんないきなり襲うような輩に奪われなかったのは良かったと思う。娘には、幸せになってもらいたかったからで…。
しかし、守りたいから娶ったとはなんだろう。
「その…愛情はないのか?」
明人は、恐る恐る訊いた。李心は答えた。
「は、もちろんそれが無ければ娶ったり致しませぬ。思えば我が心配でならなかったのは、純殿を想っていたからだと思い当たりまして。」
明人は、純を見た。
「主、それでいいのか?」
純は真っ赤になって頷いた。
「はい…。」
まあ駄目だと言っても、もう手が付いている訳なのだから、どうしようもない。しかし心配なのは、心だった。李心と純が揃って入って来て婚姻のことを告げた時、奥へと入ってしまって出て来なくなってしまっている。それは純も同じなようで、気遣わしげに言った。
「我は、知っておってこのように…。なので、気がかりもございます。」
明人は悟って頷いた。李心は怪訝な顔をした。
「何を知っておったのだ?」
純は困ったような顔をした。明人は、言っておくべきか否か迷って、紗を見た。紗は困ったように李心を見た。
「我は幼い頃から見ておって知っておったのですが、李心、心があなたを慕っておったのですよ。純もそれを言っておるのです。」
李心は驚いたように純を見た。純は下を向いた。
「…主が言っておったのは、心のことであったのか。」
純は頷いた。
「はい…ですから、我がお慕いしておっても、無理なことであると思うておって…。」
李心は、ため息を付いた。
「知らなんだとは申せ、家族に諍いの種を撒いて申し訳ありませぬ、明人殿。しかし、我は幼い頃より気になって、いつも手を差し伸べて来たのは純。思い起こしてみて分かったのでありまするが…。」
それには、明人も紗も頷いた。純のほうがおっとりしていて遅いので、李心はいつも純の手を引いて走り回っていた。明輪がそれほど世話好きでもなかったので、妹の世話はいつも李心だった。単に世話好きなだけと思っていたが、違ったのか。
「…まあ、我ももうとやかく言わぬ。成ってしまったことであるから。李関殿には申したか。」
李心は頭を下げて言った。
「は!今朝一番に報告いたしました。本日は任務を免除出来ない状況なので、追って時が出来た時に休みを頂きまする。」
明人は頷いた。ま、李心なら子供の頃から知っているし、李関殿の息子。今でも序列は髙いし、将来絶対に序列の上がる軍神だ。宮の女達にも人気が高い。とにかくこれで一人丸く収まったのだし。
「めでたいの。祝いは何が良いか。」
明人は、紗を見た。紗は微笑んだ。
「本当に。私達の子が婚姻であるなんて、ほんに我も歳をとりましたこと。」
そう言って微笑む紗は、本当に美しかった。
「主は変わらぬぞ。我はそう思うがの。」
「まあ、明人様…」
紗が赤くなった。人前で言ってしまったのに、少し恥ずかしくなった明人だったが、咳払いをして、二人に言った。
「では、下がるが良い。」
李心と純は、仲良くそこを出て行った。
後は、心にどうフォローしたらいいのかだな…。
明人は悩みながらも、甲冑を身に付けて任務に出掛ける準備をしたのだった。
その日も蛇の集落の世話に軍神達の多くは出払っていた。
何しろ人数が多いので、未だ足りないものなどが無いかと聞いて回る必要があり、しかも慢性的に具合を悪くしている者まで居て、治癒の者が走り回っていた。
その広い集落は、軍神達が把握しやすいようにと、奥の屋敷10軒に準ずるように左右に分かれてずっと並んでいた。つまり、真ん中の通りを挟んで両脇に居住する形なので、何をするにも端から一軒一軒回れば良いのでそこは効率が良かった。
明人が朝から皆に指示を出して報告を受けていると、一人の体格の良い軍神と、他数人の部下らしき軍神がその入り口に立った。ここには、回りから守る為に結界が別に張ってあり、明人達軍神が許可しないと入れないようになっている。その軍神は言った。
「我は、西の果ての地を龍王よりお任せ頂いておる筆頭軍神、賀烈と申しまする。これは次席軍神の真雅。」隣の軍神が頭を下げた。「我が王に、こちらへ参る許可を頂き、家族に会いに参りました。」
明人は、連れて来た月の宮の軍神、光明を見た。
「王が許可を?」
「はい。こちらへ連れて参るようにと、命を受けました。」
明人は頷いた。
「我は月の宮第三師団長明人。」明人は、手にしていた巻物を開いた。「賀烈殿のご家族は…恵殿他三名であられるな。ここをずっと参った正面、一番奥の屋敷でありまする。真雅殿のご家族はその隣りの屋敷、ここでありまするな。」
明人は、図面を指した。賀烈と真雅はふむふむとその図面を見ている。そして、後ろを振り返って言った。
「主らの家族の居場所も記してある。確認するが良い。」
皆自分の家族を確認している。それぞれがそれぞれの家族の居る場所を確認すると、明人は言った。
「では、参られよ。出られる時はまたこちらへ戻って頂ければ良い。ここは拘束しておるのではなく、あくまで迷子にならぬための措置であるので、慣れて来られたらすぐに結界は解くと王も言っておられた。裏の林や川なども結界内であるので、自由に散策なされれば良い。」
賀烈は頷いて、頭を下げた。
「お世話になり申す。」
そして軍神達は、それぞれの家族に会うために、その真ん中の通りへと歩み出た。
そこは、確かに一つの村だった。
子供たちがはしゃいで走り回っている。皆新しい着物に身を包み、確かに健康そうだった。僅か二日であるのに。
賀烈は、月の宮の、この清浄で豊富な気の力を思い知る思いだった。
「銘嘉様!」
横の仮設住宅の中から声が聞こえたかと思うと、女が一人走り出て来た。
「おお、蘭!」
その軍神は嬉しげにそう叫んでそちらへ走り寄った。
「ああ、銘嘉様、子達も無事でありまする。皆、無事で…。」
蘭と呼ばれたその女は、涙を流しながら言った。
「良かった…」
銘嘉は、蘭を伴ってその住宅の中へと入って行った。それを見送っていると、次々に回りの住宅から家族が走り出て来た。
再会の喜びの中、賀烈は微笑んで歩いて行った。まさかこんな日が来ようとは。
最奥の屋敷であるので、最後には賀烈は真雅と二人になった。序列順に並んでいるのは、見ていて分かっていた。奥の屋敷に近付くと、懐かしい笑い声が聞こえて来た。ああ、恵の声だ…。笑うことなど、ついぞなかったのに。
「まあ駄目よ、烈心。そんなにたくさん入れたらこぼれてしまうわよ。」
烈心は笑う母に言った。
「だって、槇はこれが好きだと言うから。」
恵は、小さな娘の槇の頭を撫でた。
「まあ、槇。お兄様はあのようなことを言っておるわよ?」
槇は幼い口調で言った。
「おにいさま、まきは、こちらのほうがよいの。」
見ると、テーブルの上には何種類かの菓子が乗っている。それを皿に取り分けているらしい。質の良い着物を着て、ゆったりと椅子に座り、扇をゆっくりと振るその様は、確かに落ち着いていた頃の恵だった。
「では、父上が戻られたら分けるゆえ。」烈心は言って、皿の菓子を戻そうとはしなかった。「もうすぐ、戻られるのでしょう?」
恵は頷いた。
「ええ。ご無事で戦が終結したと、あちらの軍神のかたが教えてくださったから。」
「烈心、ではこれは父のものであるな?」
賀烈が、後ろから皿を持ち上げた。
「父上!」
「賀烈様!」
恵は、驚いて扇を取り落とし、涙を浮かべて立ち上がった。
「ああ…お会いしとうございました。」
賀烈は頷いた。
「不自由をさせたの。こちらでは、大事ないか?」
恵は頷いた。
「はい。たった二日でありまするのに、すっかり皆ここに落ち着いて…。」
賀烈は、部屋の中を見た。ここは、確かに空き屋敷であったと聞いているのに、家具も新しく綺麗な塗のものが置かれてあり、全てが新しかった。そして広々とした構えで天井も高く、賀烈が構えていた屋敷と比べても遜色なかった。
「父上、湯殿がとても広いのです。」烈心が手を引っ張った。「皆で入ったのですよ。父上も今日は共に。」
賀烈は困ったような顔をした。
「おお、主と共なら良いが、父は母や義妹と共には無理ぞ。」
「では、我と!ほら、こんなに大きいのです。」
何だか誇らしげな烈心に、賀烈は苦笑した。
「ほんにの。龍の宮でも大きな湯殿があったゆえ…おそらく、月の宮も龍の宮も、湯殿は大切にしておるのであろうの。」
烈心は目を輝かせた。
「ええ!?父上、龍の宮へ行かれたのですか?お話を聞かせてください!」
「おにいさま、まきも、おとうさまにだっこー。」
槇が足元に纏わりつく。
賀烈は、子達に取り合われながら、ふと恵に視線を向けた。それを感じた恵は、ふふと微笑む。
賀烈も微笑み返し、やっと戻って来たと子達を二人まとめて抱き上げ、抱きしめたのだった。




