愛する女
維月は、やっとのことで維心から、何を懸念しているのか聞き出し、そして、自分から寝室に誘い、疲れて先に休んでいる隙に出て来ていた。もしも、維心の懸念が当たってしまっていたなら、華那にも不幸な事になってしまう。
亮維に聞いておかねばと思ったのだ。
「母上。」
維月は振り返った。西の庭に出て来たのは、着物姿の亮維だった。維月は亮維に歩み寄った。
「亮維、話があるの。疲れてない?大丈夫?」
亮維は頷いた。
「大丈夫、疲れてなどない。それよりどうしたのだ?父上は?」
維月は首を振った。
「もう、お休みなの。」と、侍女の気配に眉を寄せた。「ここでは落ち着かないわ。あちらへ参りましょう。」
亮維は頷くと、維月の手を取った。維月はためらったが、そのまま庭の奥へと歩いて行った。
「あの…婚姻の事なの。」維月は、早く済ませようと、いきなり言った。「あなた、華那を望んで妃に迎えたのよね?」
亮維は黙っていたが、奥の滝の近くまで来た時、首を振った。
「いいえ。あれが我の妃になりたいと、昔約した事を果たすよう言うので、そうしただけのこと。礼儀であるので、あの一度は通い申した。あれからは妃として遇し、我の対に置いておるだけだ。」
維月は口を押さえた。なんてこと…!そんな婚姻になってしまっていたなんて!
「亮維、華那にも心があるのよ。神の世の事は、私も散々学んで知っているし、あなたの考えがおかしくはない世の中だけど、私はそんな婚姻はいけないと思う。妃としたからには、愛してあげなくては…。」
亮維は黙っていたが、顔を上げた。
「…なぜにそのようなことが言える。」亮維の目は、光っていた。「誰ゆえに、我はここに篭り、ただ毎日刀を奮っていると思うか。転生をどれ程に喜んだことか…なぜに主には分からぬ!」
維月はびっくりした。維心に見えた…亮維は、将維と同じぐらい維心に似ているのだ。
「亮維…!」
亮維は維月の腕を引くと、その唇に初めて口づけた。
「んー!」
維月は離そうとじたばたした。亮維はその腕を離さなかった。何より欲しかったのは、維月…。これが手に出来るなら、他など何も要らぬのに。
滝の落ちる音が激しく側で聞こえていた。維月はその飛沫で少し湿った草の上に倒された。
「亮維!」維月は唇を何とか離して言った。「駄目!私は前世、後悔したの…私が何が何でも拒絶しなかったから、他を愛せなくなった子が居るから…!だから駄目なのよ!」
亮維は首を振った。
「兄上であろう。知っておる。我は同じ地獄へ堕ちても、もう構わぬ!失って後悔するぐらいなら…!」
維月は激しく首を振った。
「駄目!父上を呼ぶわよ!」
「呼ぶがよい。」亮維は、手を上げた。「駆け付けた父が、この結界を破れるならな。」
小さく張られたその結界は、維心が張ったのかというほど強いものだった。こんなものを破ろうとしたら、回りにどれ程被害が及ぶのか!
「亮維…!お願いよ。」
亮維は、涙を浮かべる維月の頬に触れ、言った。
「…もう諦めよ。」亮維は、維月の襦袢の腰ひもを解いた。「主には我に抗えぬ。」
「亮維…!」
亮維は微笑んだ。
「この時を待ちかねた…。」
滝の音が維月の声をかき消した。
亮維は、数百年の想いを遂げた。
兆加が、おろおろとした顔で維心の前に膝を付いていた。維心は目の前に張られた自分と同じ力の結界を睨み付けながら言った。
「箝口令をしけ!この事を外へ漏らすな!」
「は!」
兆加は転がるように出て行った。そこは亮維の対の、居間の前だった。居間と奥の間だけに小さく張られたその結界は、小さいだけに強く、まだ宮の中なので維心の力で破ると回りも破壊してしまう厄介なものだった。維心は舌打ちをした…昨夜、維月が出て行ったのは知っていた。しかし、亮維と華那を案じての事だろうと見逃したのだ。そうしたら、このような事に。まさか亮維が、ここまで捨て身の行動を起こすとは思わなかった。出て来た時は、我に罰せられる時。知っていながら、維月を手にしたというのか。
中に居る、維月が気になった。将維のことも、最近は後悔しているようだったのに。どれ程に気に病んでおることか。
維心は、気は進まなかったが、空を見上げた。この結界を事も無げに通る事が出来るのは、あやつしかおらぬ。
「…十六夜!」維心は叫んだ。「維月の事で頼みがある!すぐに来い!」
維月は、亮維が不憫でならなかった。こんなことまでさせてしまった、その想いをどうしたら良かったのか。
昨夜、滝の側で慌ただしく亮維に愛されて、その後ここへ連れて来られた。亮維は、ここまで自分を抑えて生きて来たのに。この子の幸せは、どこにあるというの…。
「…我は、父に封じられるの。」亮維は、維月の肩を抱きながら言った。「もしくは十六夜か。いずれにしても、良い事にはならぬ。わかっておったこと…主を手にするとは、そういうことよの。」
維月は涙ぐんだ。
「亮維…。」
亮維は、困ったように微笑んだ。
「泣くでない。主を悲しませるなど、本意ではないのだ。愛している…ただ、それだけを言えずに来た。我もこのように父にそっくりに生まれ付いてしもうたゆえ…。」
ああ維心様。
維月は思った。この子もまた、維心だったのだ。ずっと耐えて、維月を想い、忍んで軍務に明け暮れ、宮を出されて側を離されるのを避けるために形だけ妃をめとる…。
そう思うと、やりきれなかった。なぜに自分は、一人なのだろう…。
「…将維が言ってた通りか。」十六夜は、維心の前に浮かんで言った。「おかしいとな。亮維が華那をめとったのが。」
維心は下を向いた。
「我とて、おかしいとは思った。亮維は将維と同じく、我の分身のような男。それが維月を離れ、他に妃をなど…我ならあり得ぬ。なので、亮維もあり得なかったのに。」
十六夜は、頷いた。
「行って来る。お前はどうする?入れてやれるがな。」
維心は考えたが、首を振った。
「頼む。我ではあやつも聞かぬだろう。維月が心配だ…とにかく、維月を頼む。」
十六夜はもう一度頷いた。
「ああ。じゃあ、行って来る。」
十六夜は、事も無げにそこへ入って行った。月…。維心は、つくづく自分と十六夜は違うのだと思った。
十六夜は、ソッと奥の間を伺った。亮維が、寝台から身を起こした。
「…来たか。そろそろだと思うておったわ。」
維月が、十六夜を見た。
「十六夜…!」
十六夜は、亮維を見た。
「わかってたんなら維月を返せ。ったく、維心のコピーは皆思い詰めるからな。オリジナルなあいつがあれなんだから、まあ分からんでもないが。」
亮維は頷いた。
「連れて参れ。我はどうせ、長くはないだろう。これで満足よ。どのみちこれ以上生きて忍ぶのは、もう無理だ。」
十六夜は、首を振った。
「オレは何もしねぇよ。維心だろう。それから華那だ。しっかりそこは始末を付けな。わかったか?」
亮維は頷いた。
「…ああ。」
十六夜が維月に手を伸ばした。
「維月、行くぞ。」
「十六夜、待って!」維月は言った。「亮維は維心様なのよ。同じなの…ここまで耐えて…だから、維心様にお咎めはないようにと…。」
十六夜は、首を振った。
「だからそれはオレが決める事じゃねぇ。とにかく、行くぞ。」
維月は、亮維の手を握った。
「じゃあ、一緒に行く。話さなきゃ…維心様と。」
十六夜は、その断固とした様子にため息を付いた。
「維月…。」
亮維が、維月を愛おしげに見る。確かにその目は、維心と同じだった。
「じゃあ、ここへ維心を連れて来る。」十六夜は、言った。「亮維、結界を解け。お前らの力と力がぶつかりあったら、えらいことになるだろう。わかってるから、維心は破れるけど破らないんだからな。」
亮維は、頷いてすぐ結界を解いた。十六夜は入り口の方を向いた。
「維月、着物をきちんと着ておけよ。」
維月は頷いて、慌てて寝台から降りた。十六夜は維心を呼びに向かった。
「龍王様…。」
華那が、維心に頭を下げた。維心は華那を見てとると、視線を落とした。
「…このような事になって、主には何と申せば良いものか。」
華那は頭を上げた。その姿の亮維そっくりな様子に、華那は驚いた。本当に似ている…将維も似ているが、亮維もこの維心にそっくりなのだ。
「…我の認識の甘さでありました。元より王族はこのような形の婚姻が多いもの。ですのに回りがあまりにも真に乞われて嫁ぐので、我も夢を見てしまいました。」
華那の悟ったような様子に、維心は不憫に思った。昔はこうは思わなかった。だが、維月といるうちに、考え方が変わって来たのだ。
「これは我らが望んだ形ではなかった。維月も心を痛めておるだろう。あれの気持ちを思うと、我はいたたまれぬ。」
華那はまた、頭を下げた。維心は、維月を中心に物事を考えている…前世から愛して来たのだと聞いた。これが真実愛するということなのだ…。
「良いのです。王族の常でありまする。我は、龍の皇子の妃という地位につけたことを、喜ばねばなりませぬ。皆が望むこと…そこに愛情がなくとも、仕方のない事でありましょう。」
維心は、それが普通なのはわかっていた。それでも、それが女の真の幸福ではないことは、維月から嫌というほど聞かされて知っていた。
何と返せばいいのか分からずにいると、ふと結界が消え、十六夜が出て来た。
「維心、話した方が良いな。」と、華那が居るのを見て、眉を寄せた。「華那…。」
華那は十六夜を見て、月の宮を思い出した。
「十六夜…。」
「蒼が心配していたぞ。」十六夜は言った。「帰るなら、オレが連れて帰ってやる。お前も亮維と話せ。」
華那は頷いた。ここでこうやって一生を過ごす事を、悟ったはずだった。だが、十六夜を見て、心が揺れた。月の宮…帰りたい…。




