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過去の約束

維月が華那を王の居間へ呼んだのは、夕方になる頃だった。

王の維心が傍にぴったりとくっついた状態で椅子に座っていて、華那は邪魔をしたような気持ちになったが、どうもこれがいつもの姿らしい。維月は、華那を前の椅子に座らせると、微笑んだ。

「ごめんなさいね。謁見が思いもよらず長引いて…結奈は、もう先に治癒の対で働き出したのだと兆加に聞いたから、あなただけでもと思ったの。華那、どこか見たい所はある?」

華那は頭を下げた。

「おばあ様…そえはまた明日にでもご案内して頂ければと思いまするが…」華那は、もしかしたら祖母が覚えているかもと、気になっていたことを思い切って言った。「あの、治癒の対で、亮維様にお会い致しました。」

維月は驚いた顔をした。

「まあ。あの子、怪我でもしたのかしら。何も聞いていないけれど…。」

華那は首を振った。

「いいえ。他の軍神が怪我をしたのを運んで来られたのですわ。それで、我はご挨拶をしたのですが…亮維様は、我がまだ赤子ほどの歳の頃、こちらに来た時のことを覚えていらしたようで。」

維心が、目を丸くした。

「何との。あれは確か、まだ華那が3歳になるかという頃であったな。主、覚えておるか?」

維月は頷いた。

「ええ、覚えておりまするわ。蒼が初めてこちらへ娘を連れて来たのですものね。あれが最初で最後でしたけれど。娘達が宮を走り回ってどこに行ったかわからなくなって、大変だったからですわ。」

維心は思い出したようで、クックッと笑った。

「おお、そうよ。なので我も覚えておる。皆が総出で探したのだ。何しろ宮は広いのに、まだ小さくて気が読み取りにくうての。探すのに軍神達まで動員したのだ。池にでも落ちておってはならぬと言うて。」

維月もふふふと笑った。

「雪華は臆病だったので宮のほど近くですぐに見つかったのに、華那は遠くまで行ってしまっておったのですわ。見つけたのは…そう、亮維だったわ。」

華那は、驚いた。亮維様が…?

維心も頷いた。

「そうであったの。なんでも宮の結界端の森まで行っておったのだそうで、迷って戻れなくなっておったのだ。泣いておるのをなだめて戻って来るのは大変だったと亮維が言っておったの。」

維月は袖で口元を隠して笑っていた。

「はい。後から亮維に話しを聞きましてございます。私も微笑ましく思ったものですわ。」

華那は、きっと亮維がその時自分が何か無理を言ったのを、覚えていて本日あんな風に言っていたのだと思い当たった。慌てて維月に言った。

「おばあ様、我は、何を言うたのでしょう?亮維様に、何か失礼なことを…」

維月は、驚いたように首を振った。

「まあ華那、亮維はそんなことで根に持つような子ではないわよ。それに3歳の子がいう事であるのに。案じることはないわ。」

維心も微笑んで頷いた。

「そうよ。あれは赤子のような歳のこと。気にするでない。」

そう言われても気になった。何しろ、自分はその時のことを全く覚えていないのだ。何だか、うっすらと覚えているような気がするが、それがどうだったか…暗くて、木がたくさんあって、時々に月がその間から見えて、そんな中で、確か…そう、誰か、大きな軍神の格好の神が、自分を抱き上げて肩に乗せて、宮へと歩いていた。あれが、亮維様?暗かったし、顔までよく見えなかった。気…そう、気なら、覚えているかも…。

華那が考え込んでいるので、維心と維月は顔を見合わせた。そんなに気にするような事だったのかしら。

「華那…では亮維に聞いてみてはどう?そうすれば、きっと気にしていないと答えるはずよ。私も、何を話したかまでは聞いていないの。あの子も、言わなかったし。だから、気になるなら、亮維に聞いてみて。」

維心が、維月を見た。

「亮維は軍のことばかりで、他は目に入らぬやつであるからな。そんな昔のことは覚えておらぬやもしれぬがの。」

華那は、それが気にするなと向こうからおっしゃったのよ、と思っていたが、黙っていた。思い出さないのは自分が悪い。どうしよう…。

華那は、頭を下げた。

「ありがとうございまする。では、我は本日はもう、戻りまして、休むことに致します。」

維月が、微笑んで頷いた。

「ええ。おやすみなさい、華那。」

華那はそこを出て、自分の記憶にある、森へ行ってみようと密かに思っていた。


暗くなった龍の宮の庭は、とても深く荘厳な雰囲気だった。

奥の、森だと言っていた。

華那は、記憶にうっすらとしか残っていないその場所へ、一人軽く飛んで向かって行った。宮がどんどんと遠くなって行く。華那は、その景色に見覚えがあるような気がした。そう、とても広くて大きな木がたくさんあったから、珍しくてどんどん飛んで行ってしまったのだった…。

そして、話しの通り、そこには森があった。その森は、宮の結界の端にあるという。なので、絶対に向こうへは抜けられない森なのだ。

そこにそっと降り立った華那は、辺りを見回した。懐かしい木々の気…。自分を気遣わしげに守るような、そんな気がする。ここの木々は、とても自分には優しい気がした。華那は、そこに座った。

月を見上げると、その低い姿勢から見える月や木々が懐かしかった。ここで、自分は帰る道が分からなくなって泣いていた。そして…。

「あ!」華那は、立ち上がった。「思い出した…。」

華那の脳裏に、その時のことがはっきりと浮かび上がって来た。


華那は、一人泣いていた。戻れない。飛んで来たけど、気が尽きてしまって、飛べなくなってしまった。歩いて帰るにも、地上からだと道がわからない。心細くしていると、木々が一斉にざわめいて、バサバサと音がしたかと思うと、そこに、見知らぬ龍が立っていた。

華那が怯えて後ずさると、その龍は言った。

「華那であろう?」その龍は言った。「迎えに参った。蒼が心配しておるぞ。我と共に戻ろう。」

華那は、おずおずとその龍を見た。

「だれ?」華那は言った。「しらない神に、ついて行ってはいけないと、おとうさまに言われておるの。」

華那は怯えて涙を流しながら、言った。相手は困ったように言った。

「そうは言ってもの、主は我を知らぬであろう。我は、龍王の第四皇子、亮維。」

華那は亮維をじっと見た。

「…将維様みたい…。」

亮維は苦笑した。

「将維は、我の兄よ。」亮維は言った。「分かるか?我は弟だ。」

華那は、亮維を見上げた。

「おとうと…?我と、お姉様みたいに?」

亮維は頷いた。

「そう。だから似ておるのよ。」

華那は頷いた。

「宮へかえれなくなったの。」急に、華那はわんわんと泣き出した。「とべないの。」

亮維は、華那を抱き上げると、自分の肩に乗せた。

「これで、良く見えるであろう?さ、宮へ戻ろうぞ。あちらだ。泣くでないぞ。」

華那はびっくりして一瞬、泣きやんだ。そして亮維の肩に乗せられて、黙って揺られている。亮維は、怪訝に思って、華那のほうを見た。

「どうした?高いところは怖いか。」

華那は黙って首を振った。亮維はあまりに急におとなしくなったので、どうしたのかともう一度言った。

「何を黙っておるのだ…怖くて声が出ないのか。」

華那は、言った。

「だって、おとうさまに、男のかたに触れてはだめと言われていたの。」華那は、緊張したように言った。「夫だけだって。だから、我はあなたに嫁がなければならないの。」

これには、亮維のほうがびっくりした顔をした。いったい蒼はどんな教え方をしておるのだ。

「華那、しかしの、こうしないと帰れぬのであろう?主はまだ赤子から少し大きくなっただけではないか。我に嫁ぐなど無理だ。」

華那は、断固として譲らなかった。

「だって、他のかたに触れられた女なんて、誰も娶ってくれないでしょう。そう、おかあさまもおっしゃっていたの。だから、仕方がないの。あなたは、我ではいや?」

亮維は困った。嫌とかそんな問題ではないのだが、それは華那には通じないらしい。あまりに真剣なので、亮維はため息を付いた。

「…そうよの、もしも主がもっと大きくなって、今と同じように思うのなら、もう一度我にそのように申せ。さすれば、我は責任を取ろうぞ。主に触れたのであるからな。それで良いか?」

華那はじっと考えていたが、頷いた。

「良いわ。では、約束。」

華那は、小さな小指を出した。亮維は、それが人が約束をする時のものだと知っていた。母が教えてくれたからだ。華那は、蒼の娘。だから、知っておるのか。

亮維も、微笑んで小指を出した。

「約束だ、華那。忘れるでないぞ。」

「うん。忘れないわ。でも、あなたも忘れないで?」

亮維は頷いた。

「約そうぞ。」

そうして、宮へと戻って行ったのだった。



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