記憶
十六夜は、昨夜夜中であっても龍の宮へ押し掛けなかった事を後悔した。
維月はあれほど怖がっていた…オレを呼んでいたのに。それでもあの維心のやつは、怖がる維月を無理矢理めとったのか。
オレも残れば良かった…これまで何があっても離れずにいたのに。オレが先に教えておいてやれば、そんな思いをしなくて済んだものを。
蒼が何か言っていたが、十六夜は聞いていなかった。
立ち上がってその場を離れようした時、何かが頭の中で弾け、奥の方から何かが沸き上がって膨れ上がるのを感じた。
「十六夜!」
ふらふらと膝をついた十六夜に、蒼が何かを言っている。
ああ、何かが戻って来る。これを待っていたのか。維月…!維月…!お前も今、こうして思い出しているのか…!
十六夜は気を失った。
膨大な記憶を、長い夢として感じながら。
記憶を戻した十六夜が、蒼に話す暇も与えずにすぐに龍の宮へ飛んで行ってしまって一時ほど。
十六夜は、戻って来て蒼の居間へと入って来た。
懐かしそうに回りを見てから、蒼の前に座った。
「蒼、手間を掛けさせたじゃねぇか。お前は何も変わらねぇなあ。姿もそのままだ。」
蒼は、その視線に前世の十六夜を感じ、何か言おうとしたが涙ぐんで声が出なかった。十六夜は、そんな蒼を見て苦笑した。
「なんだ泣くなよ。」十六夜はポンポンと蒼の頭を叩いた。「死んだんじゃねぇぞ、戻って来たんだ。今生の記憶がなくなった訳じゃねぇ。どっちの記憶も混ざったのが今のオレなんだ。確認して来たが、維月も維心も記憶を戻していた。思ったより時間が掛かったがな。」
蒼は、涙を拭いながら言った。
「どうやって記憶を持って来たんだ?碧黎様は、全部真っ白になったと言っていたのに。」
十六夜はふふんと笑って額の横を指でツンツンと叩いた。
「ここを使った。オレと維心がやろうと思って出来ないことなんてねぇよ。あいつら、死ぬ時に結婚指輪を持って来てただろう?アレを使ったのさ。」
蒼はきょとんとした。
「結婚指輪?あれが何なのさ。」
十六夜は頷いた。
「思い出すには、記憶を表層に残さなきゃならないとオレと維心は考えた。それで、先に記憶を封じておくことを思いついたんだが、それを解く鍵がなければいけないだろう。維心の指輪に、その術を掛けたんだ。それを見た時が、術の解ける時。記憶が解放されるとな。」
蒼は眉を寄せた。
「…それにしても、時間が掛かったんだな。今解けたってことは、維心様がそれを見たのは最近なんだろう。」
十六夜は頷いた。
「そうなんだ。なんでも洪が、将維が維心をまともに育てるには、何も知らない方がいいと思ったらしくて、ずっと持ってたらしい。だから今になっちまったのさ。でも、そのようが良かったな。小さい頃から記憶が残ってたら、体はままならねぇのに頭だけが育ってて大変だったろう。小生意気な口をきく赤ん坊なんて嫌だろうが。」
蒼は笑った。
「確かにそうだけど。母さんと維心様は、こっちへ来るって?」
十六夜は頷いたが、考え込むような顔をした。
「オレとの婚姻もあるし、戻すようには言ったが、どうも維心の気が前世とはちょっと違ったんだよな。あいつ、ちょっと見といた方がいいかもしれねぇ。」
蒼は驚いた。
「え、維心様、記憶が変になってるのか?」
十六夜は首を振った。
「違う。自分を御し切れてないっていうか…激しいんだよ、波が。」と、月を見上げた。「もしかしたらだが、あいつ、まだ成人してないだろう?龍ってのは自分の制御が特別難しい種族らしいじゃねぇか。抑え切れてないんじゃねぇか?…維月をやって大丈夫だったか、心配してるんでぇ。」
蒼はうーんと首をひねった。
「龍が難しい種族なのは知ってるけど。でも維心様の記憶が戻ったんだろ?なら、大丈夫なんじゃないのか。」
十六夜は、それでも怪訝な顔をしていた。
「なら、いいがな。」
十六夜が戻ったことで、蒼は気持ちが楽になり、十六夜が転生するまでのことを話して聞かせた。
十六夜は転生してから学校に通っていた期間もあったので、その辺りの歴史も知っていた。だが、忍耐強く蒼の話に付き合ってくれた。そういう優しいところは、全く変わっていなかった。
「母さんにも、早く会いたいな。」蒼は嬉々として十六夜に言った。「話したいことがいっぱいあるんだよ。ほら、和奏も育ったし…オレ、娘ばっかなんだけどさ、皆大きくなったんだ。母さんがなんて言うかと思って。」
十六夜はそんな蒼に微笑んだ。
「すぐに連れて帰るさ。だが、なんだか不穏な動きがあるな。将維がなんか言って来なかったか?」
蒼は表情を曇らせた。
「…あれは前々から聞いてたことなんだけどね。」蒼は言った。「西の果ての地、ほら、九州辺りだよ。あそこの神が、会合に出なくなって…将維も何度か書状を送ってるけど、どこからも無しのつぶてでな。もしかして何か起こっているかも知れないが、あそこは維心様も口出ししていなかった地域だから、そのままにしてたんだ。だが、どうも義心が調べて来たところによると、蛇が侵攻して統一しようとしているらしい。」
十六夜はため息を付いた。
「駄目じゃねぇか。そんな侵攻するような神は、話し合おうったって話を聞かない輩なんだよ。書状ばっかりじゃ、罪もない神達がどんどん死んじまうことになるんじゃねぇのか。」
蒼は頷いた。
「だけど、月の宮は永世中立だから、どこにも出ないんだ。ここに攻めて来られたら迎え撃つけど。だからオレは動けない。軍神達は実戦に慣れてないから、殺してしまうことになるじゃないか。」
十六夜は頷いた。
「将維か。」と、また月を見た。「駄目だな。あいつも実戦には慣れてない。だいたい維心が居た時代から考えたら、殺し合いが皆無だから、軽々しく出撃命令なんて出せないんだろう。まずは状況を詳しく調べるって感じじゃねぇか。」
蒼はフッとため息を付いた。
「さすが良く分かってるな。そうだよ。将維は人の世みたいな考え方の神だから、力はあるけど簡単には攻めないんだ。維心様みたいに、いきなり思いついて出撃命令とか有りえないし…」
十六夜は険しい顔をした。
「…その維心が、戻ったんだぞ。」
蒼はハッとした。そうだ。維心様がこれを知ったら、どうするんだろう…。
「まあ、オレはしばらく状況を見させてもらうよ。まだ記憶が戻ったばっかりだしな。」
十六夜は、居間を出て行った。
蒼は、なぜか何か起こりそうで不安になった。三人が戻って、安泰なはずなのに…。
それから数日が過ぎ、十六夜が維月と共に月の宮へ戻り、蒼の居間へ入って来た。
蒼は、嬉しいはずなのに、二人が険しい顔をしているので不安になって言った。
「十六夜!…母さん?どうしたんだ?何かあったのか。」
十六夜は蒼の前に舞い降りると、維月を降ろして言った。
「やっぱ、維心のヤツは駄目だ。自分を制御出来てないんだよ。感情を暴発させてコントロール出来てない。維月が危ないから、とりあえず連れて帰って来た。こっちへ連れて帰らせろってあれだけ言ってるのに、連れても来なかったろうが。前世のあいつとは、明らかに違う。困ったもんだ。龍ってのは、厄介だな。」
蒼は神妙な顔をした。
「そうだね。前世はもう、1700歳だったから…今はまだ、若い龍なんだろう。」
「若すぎたな。」十六夜は言った。「仕方がねぇよ。考えろって言って来たし、あいつも自覚があったから、何とかしようとするだろう。それより、維月。蒼と話すんだろ?」
維月は頷いて、微笑んだ。
「蒼、久しぶりだこと。元気そうで良かったわ。十六夜と維心様と、それは心配していたのよ。」
蒼は笑った。
「いつまでも子供扱いだね、母さん。今ではオレの方が年上なんだからな。それにしても、昔母さんのアルバムで見た、学生時代の母さんみたい…」
維月は笑った。
「そうよね。姿がまだ若いから。でも、エネルギー体だもの、いくらで若くも年上にも出来るのよ?」と十六夜を見た。「今生の記憶を大切に、これからもこうやって徐々に育って行くつもりよ。」
十六夜は維月の肩を抱いた。
「そう、オレ達の今生での婚姻も、無事に成ったしな。急ぐことはねぇよ。」
蒼は驚いて十六夜を見た。
「え、今帰って来たんじゃないの?」
十六夜はニッと笑った。
「そんなはずねぇだろうが。先に部屋へ帰って、それから来たんだよ。オレだって維月を待ってたんだからな。維心が離さねぇから、時間かかっちまって。」
蒼は呆れた。
「ちょっと十六夜、オレ一応王なんだけど。」
十六夜はふんと横を向いた。
「だからなんでぇ?戻ったら先に報告に来いってか?オレに限っては、そんなことは命じられねぇぞ。ま、気が向いたら先に来てやってもいいけどな。」
維月が眉をひそめた。
「ちょっと十六夜!先に来てもいいでしょ、これからは蒼を立てなきゃ。私達より年上なのよ?」
十六夜はさっさと歩き出した。
「関係ねぇよ。オレ達の息子じゃねぇか。」
「十六夜!」と、維月は蒼を振り返った。「ごめんね蒼、十六夜ったら変わらないのよ、ずっと。」
維月は十六夜を追い掛けて行く。
蒼はそれを見送って、なぜか戻って来たような気がしておかしくなり、その笑いの衝動のまま、笑いに笑ったのだった。




