忘れられない
蒼は、独身でいた四人の皇女のうち二人が相次いで結婚したことに、驚きながらもホッとしていた。まさか、維心の息子達、つまりは前世の皇子達なのだが、その妃に落ち着いてくれるとは思ってもみなかったのだ。無理になら娶ってくれたであろうが、二人とも乞われて嫁いだ。ということは、維心の性格を考えても間違いなく大切にされることは、分かっていた。
蒼が上機嫌で居間で寛いていると、そこへ華那が入って来て頭を下げた。蒼は華那を見て思い出した…そうだ、雪華が残っていた。
「華那。何用ぞ。」
蒼は、この姉思いの妹が雪華以外の用でこんな風に訪ねて来る事がないことは、分かっていた。だが、あえて聞いた。華那は、頭を上げた。
「はい、お父様。お姉様のことなのですが…」
言いにくそうに言う華那に、蒼は苦笑した。
「良い。申せ。」
華那は頷いた。
「諦めたと表面上言っておられまするが、それでもやはり、表立ってははっきり言われませぬが、将維様のことはおつらいようで…。」
蒼はため息を付いた。
将維は、念願の譲位を果たして、今月の宮で住んでいた。宮の北に大きく将維専用の対を作り、今はそこで伸び伸びと炎託と遊びまわったり、里帰りして来た維月と過ごしたりと、隠居生活をしている。
しかし、将維は確かに隠居するには若すぎる年齢で、人でいう三十代前半の年齢だった。当然のことながら姿も若く、維心と並んでもどちらが親か分からないぐらいだった。
そんな将維を幼い頃から想って来たという雪華は、母の華鈴に諭されて将維のことは諦めたはずだった。しかし、傍に住むようになった将維を、時に見かけるようになった雪華は、また思い出して想いに沈んでいるようだという。それは、知っていた。だが、将維は誰も娶る気などない。それは、蒼が傍で見ていて一番知っていることだった。
「華那、主ももう姉の心配は止めよ。己のことを考えるが良いぞ。将維は、何と申しても無理だ。もう一度父が将維に言うても良いが、恐らく答えは同じであろうぞ。」
華那は、必死の顔で蒼を見た。
「それでも良いのです。今一度、将維様に申してみてくださりませぬか。それで、お姉様も諦めが付くかと思いまする。」
蒼はもう一度深くため息を付いた。ほんに困ったことだ。
「わかった。しかし二度も断られることに雪華は耐えられるのか?我は知らぬぞ、華那。」
華那は少し、緊張した面持ちになった。
「はい、覚悟は出来ております。」
華那が覚悟して、どうなるのだろう。蒼は思ったが、仕方なく将維の対へと向かって行った。
将維は居間で庭を眺めていたが、こちらを見て微笑んだ。
「おお、蒼。よかった、退屈だと思うておったところ。話さぬか。」
蒼は首を振った。
「違うのだ、将維。今日はどうしてもという願いを受けて、仕方なく頼みに来た。」
将維は驚いた顔をした。
「頼み?今の我にはそう力はないぞ。龍王に言うが良い。」
蒼はまた首を振って、将維の前の椅子に座った。
「龍王に願うことなどない。将維、覚えておるだろう。以前主にさりげなく、雪華の事を言ったことがあった。」
将維は、悟ったようで、目を細めた。
「…ああ。覚えておるよ。だが正式な打診でもないし、我も気付かぬふりをしたの。」と蒼をじっと見た。「今でも、それは変わらぬ。」
分かっていながら、蒼は言うしかないとその目を見つめ返した。
「将維、正式にやり取りがなければ、あやつも納得せぬのだ。だから敢えて言わせてくれ。雪華を、娶って頂けないか。」
将維は、その言葉は聞きたくなかったようだ。一旦はっきりそう言われてしまえば、こちらも正式に答えねばならない。
将維は小さくため息をつくと、蒼を見据えた。
「雪華殿には何の落ち度もないかと思うが、我はそのお話をお受け出来ぬ。お断り申す。」
将維は、わざと公式の口調で言った。蒼は、何となくほっとして表情を緩めた。
「そうか。すまないな、将維。わざわざ直接言うのを避けてくれていたのに、嫌な思いをさせてしまった。」
将維はフッと笑って首を振った。
「良い。主には分かっておったのであろうが、仕方がなかったのであろう?だが、これで侍女達も侍従たちも聞くこととなったゆえ、噂は神世を巡るぞ。雪華に相手が居らぬようになるやもしれぬ。まあ、主もわかってのことだとは思うが。」
蒼は頷いた。
「これで本人が納得するんだから、仕方がない。」と、立ち上がった。「そうそう、退屈そうだから言うが、母さんが来週帰って来るぞ。」
将維は目を輝かせた。
「おお、維月が。」だが、すぐに眉を寄せた。「だが、最初の三日は向こうへ行くであろう?十六夜は我に寛大であるが、維心が来ると我を寄せ付けてくれぬゆえの。困ったことよ。」
蒼は笑った。
「今生は母さんも大変だ。人数が増えて相手をするにもあっちもこっちもだもんな。」
将維はふんと横を向いた。
「我は今、やっと己のために生き始めた気がする…なので、これぐらいのワガママはいいのだ。」
蒼は頷いた。
「いいんじゃないか?母さんだって、将維が好きなんだろうし。何だか、見ていてそう思う。将維と会ってる時の母さんは、明維や晃維とは違った「気」がするもんな。」
将維は、驚いたように蒼を見た。
「誠か?維月は、我に…」
蒼はふふんと笑って踵を返した。
「直接本人に聞いてみればいいんじゃないか?だが将維、知っているんだろうが。」
将維は下を向いた。確かに、愛してるとは言ってくれる。だが、それが前世の息子に対するものでないとは言えないではないか…。
蒼はその様子を見て、苦笑した。本当に母さんのことに関しては、将維はちょっとのことで一喜一憂する。他に何があっても、特に動じることもなく涼しい顔をしている将維なのに、こんな子供のような反応に、蒼は微笑ましく思った。
「将維は何もかも、維心様にそっくりだ。とにかく、来週だからな。じゃあな。」
蒼はそこを後にした。そして、雪華がまた沈み込むことを思うと、気が重かった。
華那は、蒼に聞くよりも先に、その知らせを侍女から聞いた。
つまりは、それが侍女達の知れるところとなったという事で、父は正式に将維に打診してくれたということ。
そして、それがすぐにその場で断られてしまったことだった。
華那は、ため息をついて自分の部屋から見える庭に視線を移した。今頃は、姉もこれと聞かされているはず。つまりは、またかなり落ち込んで、暗く沈んで…。
華那は、居た堪れなかった。幼い頃から、雪華の将維に対する想いは、傍に居て聞いていたからだ。将維は目が覚めるほどに美しく凛々しい龍王だった。臣下達が決めて来たという三人の妃を娶った時には雪華も落ち込んでいたが、将維はあまり気にする風でもなくすぐに里へ帰してしまった。なので、雪華はまだ希望を持っていたのだ。
母の華鈴すら、将維とは縁付けなかったと聞く。しかし、それはその強大な気を受けることが出来ないからで、蒼という月の命が混ざったことで、自分達はそれが可能だ。それがまた、将維の退位に伴って雪華の心に希望の芽を育ててしまっていたのだった。
だが、将維本人から引導を渡される形で、妃への道は閉ざされてしまった。華那はどうしようか迷ったが、やはり気になって雪華の部屋へと向かった。
「ああ、華那様!よくいらしてくださいました。」
雪華の侍女が、華那の姿を見て駆け寄って来る。やはり落ち込んでいるのね…。華那は自分まで暗くなる思いで、そこへ足を踏み入れた。
奥の間で、雪華がさめざめと泣いていた。傍で乳母がおろおろとしている。華那が入って来たのを見ておると、ホッとしたように言った。
「ああ、華那様!どうぞ、お傍へ…。」
華那は苦笑した。世話のしようがなくて困っていたのだろうと思うと、乳母を見て言った。
「もう、ここは良い。下がっていなさい。」
乳母は本当に助かったと言う顔をして、頭を下げて出て行った。
華那は、顔を伏せて泣いている雪華に向かって言った。
「お姉様…お約束致しましたでしょう?此度、将維様からお断りがあれば、それでもう、完全にこの事は申さぬと。そのように、泣いておっては侍女達も困りまする。我らには責務があって、臣下の謁見にもでなければならぬし、皇女として務めを果たすのが先でありまするわ。」
雪華は、恨めし気に華那を見た。
「あなたには分からないのよ。我がどれほどに思うておったのか…。」
華那は、首を振った。そして、いよいよ我慢がならなくなって、強い口調で言った。
「お姉様。お母様とのお約束で、もう将維様のことはお口にならさぬということになっておったにも関わらず、またお父様にご無理を申して将維様に正式に打診して頂きましたものを。それが断られたとて、そのように拗ねたようなことを申しておってはなりませぬ。だいたい想う想うと、お姉様が何をなさったと申すのです?いつも我がお姉様に頼まれてお父様にお願いに参って。もう少しご自分でご努力なさいませ。そんなことで、どうして殿方の気持ちが掴めると申しましょうか。特に将維様は、母であられたおばあ様のような、強い性格のお方を好むとか。奥に篭って己のことも己で出来ぬような女は、絶対に選ばれませぬわ!」
雪華は、驚いたように華那を見た。華那は、後悔していた。自分は、この姉を甘やかせ過ぎた。自分より内向的な性格であるからと、幼い頃から庇って来た。だが、そのせいか何でも人任せになってしまった。自分で何もせず、そして結果を嘆いて出て来なかったり、公務を疎かにしたりする。それを埋めるのが、華那の仕事になってしまっていたのだ。
厳しい顔つきで雪華を見つめる華那に、雪華は戸惑って言った。
「ひ、酷いわ、華那。我は己で何かするなど…恐ろしくてと申したではないの…。」
華那は頷いた。
「では、他の王族と同じように、お父様がおっしゃるようにおっしゃる所へ嫁いで、お過ごしくださいませ。己の希望だけが通ることはありませぬ。それはお父様が、常申されておったこと。もう、我にはお姉様のお世話は出来ませぬわ。お父様にも、今日は己のことを考えよと言われ申した。なので、我は己の将来についてゆっくり考えまする。もしここを我が出ても、お姉様はご自分でやって行かねばならぬのですよ。ずっとお世話など出来ませぬから。」
雪華は衝撃を受けたような顔をした。華那は、自分を見捨てることなどないと思っていた。だが、そうだ。和奏も美羽も嫁いで、ここを出て行った。つまりは華那も、そうやって出て行く可能性が高いのだ…しかも、年齢から考えても、あまり遠い先のことではない。
「華那…我を置いて行ってしまうと言うの…?」
華那は、涙に濡れた姉の瞳を見た。そして、心を鬼にして言った。
「はい。」そして、息を付いた。「お姉様。我らは永久に共にいるのではありませぬ。ご自分のことはご自分で出来るようにならねばなりませぬ。今からでも、取り返しがつかぬようになる前に、自立してくださいませ。分かり申しましたか?」
雪華は、混乱しているようだ。だが、華那はここで甘やかしてはいけないと思った。雪華のためなのだ。
「では、我は公務がありまするので、失礼致しまする。」
華那は、そこを出て行った。




