明維と美羽
美羽は、こちらを振り返りもせず歩いて行く明維を、ついには飛んで追い掛けてその腕を掴んだ。
「待ってって言ってるじゃないの!なあに、いきなり茂みに引っ張り込んだり、いきなり怒鳴ったり!あなたね、女を取るに足らないものだと思っているでしょう?そういうのって、我は許せないのよ!」
明維は、びっくりしたように美羽を見た。その美しい顔は、見るからに気が強そうで、キッと明維を睨み付けていた。この目は、何か見覚えがあるような…。
「別に主が女だからどうのではないわ。我はそうしたいと思うた時にそうする。いちいち回りのことに構ってられぬわ。」
美羽は明維から目をそらさなかった。まあ、綺麗な顔だと思ってたけど、顔だけでワガママな皇子ってことかしら。
「最低限の気遣いは必要よ。そんなの常識でしょう?いくら皇子だからって、相手を不快にさせるのはどうかと思う。あなた、お母様にそんな風に育てられた訳ではないでしょう?」
明維は、明らかに歳下の女がこんなことを言うのに苛立った。
「うるさいぞ!我は我の考えがあってこうしておるのだ。だいたい、女はすぐに勘違いするではないか。ちょっと笑っただけで、気があると勝手に思い込んで、近付いて来て、拒絶すると勝手に傷付いて泣きよる。迷惑ぞ。だから我は、こうして好む者以外には気など使わぬのだ!それとも主は、それでも愛想良くせよと申すか?主など今会ったばかりであるのに、好むはずあるまいが。」
美羽は唖然として明維を見た。乱暴だが、筋は通っている。だがしかし、今まで会った男は、初対面でも例外無く自分に寄って来ては媚びて面倒だったのに、明維は会ったばかりだから、好むはずはないと言う。そのはっきりと一本筋が通ったような所に、美羽は感心した。
「まあ…」美羽は感嘆の眼差しで明維を見た。「本当にしっかり考えを持っていらっしゃるのね。我は、なんだか感動したわ。」
明維は、憮然として美羽を見た。
「…では、落ち着いたところで、我の腕を離せ。」
美羽は、自分がまだ明維の上腕をがっつり掴んだままだったのに気付いて、慌てて腕を離した。
「ごめんなさい。でも、明維様。あなたもお悪いのよ?我だっておばあ様と、三日後宮で会うお約束を取り付けたかったのに、邪魔をしたのですもの。明維様は、おばあ様に何の御用?」
明維は、しばらく黙ったが、横を向いた。
「別に主に話すほどのことでもない。」
美羽はため息を付いた。子供みたいなんだけど。
「あのね明維様。あなたのお考えはわかったけれど、我に迷惑を掛けたのだから、少しは普通に話しても良いと思うの。」
明維は、少し困ったような目でちらと美羽を見た。
「…今、普通に話しておるが。」
美羽は仰天した。もしかして、通常の話し方、これ?
「明維様…もしかして、あまり話すことがありませんの?」
「兄弟達や蒼、部下達とは話しておるがの。」明維は自分の記憶を探っているように視線を宙へ向けた。「女とまともに話すなど、母ぐらいであったの。」
美羽は呆れた。それでは、話し方を知らないのも道理だ。母は自分より上という考えであるだろうから、敬語だったろう。ならば、後は全部自分より下であるから、気を使う必要もない。気を使っていたのは、兄ぐらいだろう。美羽は少し明維に同情して、言った。
「では…我は明維様が我に悪意を持ってそのようなお話の仕方であるとは思わずに置きますけれど、少しお話の仕方を変えられたら、それだけで回りと円滑に話が進むかと思うんだけれど。」
明維は、ため息を付いた。
「別に。我はこのままでも困っておらぬし。」
美羽は眉を寄せた。
「我が困りまする。すごくぞんざいに扱われているようで、精神的につらいですわ。」
明維は、じっと美羽を見た。
「…何かの、主と話しておると、不思議よの。普通の女と違っておると言われぬか。」
美羽はあまりに遠慮が無いので、また眉を寄せた。
「確かに言われますけど。」と、キッと明維を見た。「だから、それですわ。思ったことを、相手の気持ちを考えずにずけずけ言うのっていけないと思うのです!…まあ、我はこんな風だから、常識なんて言えた義理ではないのですけど…。」
美羽が最後のほうは少し自信なさげに言うと、明維は美羽を見て、声を上げて笑った。
「なんだ、主、我と同じではないか!変わり者に変わっておるなどと言われて、誰が納得すると思うか?」
本当に可笑しそうに、声を上げて笑っている。美羽はあまりに笑うので怒って言った。
「もう!ちょっとそんなに笑わないで?」明維はまだ笑いながら歩き出した。美羽はそれを追い掛ける。「ちょっと明維様!」
そのまま、二人はしばらく話して、明維は早々に砦へと飛び立って行った。
いったい、何をしに来ていたのかしらと、美羽は思った。
明維は、それからも数か月に一度は月の宮へとやって来た。
その度に美羽は明維を探して、話しに行った。明維は面倒そうな顔をするものの、話し相手になって、一緒に庭を歩いたりした。だが、あの明維が相手なので、宮で噂になることなどなかった。
明維は、少し話し方を改めて来ていた。はっきり言ってしまうのは変わらないが、後のフォローは忘れないようになった。美羽はそんな明維と話していると楽しくて、いつしか明維が来るのを心待ちにするようになった。
美羽が庭の藤棚の下でお茶を飲んでいると、結奈が庭の隅で薬草を摘んでいるのに目を止めた。結奈は、最近ことに美しくなったと皆が噂していた…その姿は、確かに美しい。美羽は、結奈に寄って行った。
「結奈、今お話ししてもいい?」
結奈は、一心不乱に薬草を籠に摘んでは入れを繰り返していたので、急に声を掛けられてびっくりしたような顔をした。そして、美羽を見ると、慌てて頭を下げた。
「美羽様。いかがなさいましたか?」
美羽は苦笑した。
「そんな、そのように堅苦しくすることはないのよ。少し話したいと思って。ほら、そこの藤棚でお茶を飲まない?」
結奈はためらったが、頷いた。
「はい。」
大きな籠を抱えて美羽に従って藤棚の下の椅子へと歩み寄った結奈は、籠を下に置いてホッと息を付いた。侍女がお茶を持って来る。気を効かせてくれて、冷たいお茶にしてくれていた。結奈は、感謝しながらそれで喉を潤した。
「ねえ結奈…最近、あなたの噂を良く聞くの。」
結奈は、びっくりして顔を上げた。
「我の?なんでございまするか?」
皇女まで知っているような噂ってなんだろう。結奈はどきどきした。
美羽は笑った。
「あら、良い噂よ?とてもきれいになったって。もしかして、恋?それとも、薬草?」
結奈は、息を付いて胸を撫で下ろすと、微笑んだ。
「まあ、そんな薬草ありませぬ。」
美羽は結奈の表情から、やっぱり!という顔で言った。
「恋ね?」と、美羽はため息を付いた。「我には分からないわ。まだ、恋したことないし。」
結奈は、美羽を見た。
「美羽様は、それほどにお美しいにも関わらず、数多の求婚を尽く退けていらっしゃると聞きました。それは、恋するかたをお待ちになっていらっしゃるからですの?」
美羽はうーんと首を傾げた。
「待っているっていうか、恋するかたが出来たら嫁ぎたいって感じかしら。別に一生独身でもいいのよ。お父様も主はそれでよいと申してくださるし。」
結奈は困ったように微笑んだ。確かに、美羽は他の皇女と比べて変わっていた。恋とかそんなものには全く興味がないようで、軍神達の立ち合いを見るのも、技を見ている感じで、他の皇女や侍女達のように、軍神自体を見ているのではなかった。それほどにご興味の無い様子に、王も諦められている、という噂は聞いていた。
「そういった自然な様子が良いのかもしれませぬわね。我も片恋などを経験して、辛い思いも致しました。ですが、今は幸せでありまするの。」
そう言って頬を染める結奈に、美羽は身を乗り出した。どうやら、他人の恋バナは好きらしい。
「まあ結奈、お相手は誰?我は誰にも言わないから、教えて。」
結奈はふふと笑った。
「美羽様ったら…実は、怪我をして運ばれて来たそのかたを、治癒の対でご看護したのがきっかけでしたの。それから、傷はすぐに治ったのですけれど、毎日会いに来てくださって。それで、婚姻の約束を致しました。日までは、まだ一か月ぐらいありまするけれど。」
美羽は羨ましそうに結奈を見た。
「では、軍神のかたね?いいなあ、幸せそう。我も、そんな経験をしてみたいわ。恋する気持ちって、どんな風かしら。」
結奈は、微笑ましく想いながら、美羽を見た。
「恋は、良いことばかりではありませぬわ。時には辛くて、死んでしまうのではないかと言うほど泣いたり。でも、運命のかたに出逢ったら、これほどに幸せなのだと我は思いました。自分が想っているように、相手も自分を大切に想ってくださる。本当に幸せなことですわ。美羽様も、きっとそんなお相手が見つかりまする。」
美羽は顔をしかめた。
「そうかしら…。だって、私が接するのは、王族ばかりよ?皆結構ワガママだったり、横柄だったり、妃がたくさん居たり、気が利かなかったり…。」
結奈は、小首を傾げて美羽を見た。
「美羽様は、どなたとよく話されまするか?」
美羽は、視線を上に上げて考えた。
「…十六夜とか、そうね、最近は明維様も、来られた時には話すわ。」
結奈は驚いた顔をした。
「明維様?」そして、少し考えて笑った。「あのお方は、本来とてもお優しいかただと思いまする。一見とてもぶっきらぼうでいらっしゃるけど、心の中は暖かいかた。我が失恋した時も、ぶっきら棒ながら話してくださる内容に癒され申した。」
美羽は、意外だと言う顔をした。
「結奈は、明維様と話したことがあるの?」
結奈は頷いた。
「治癒のことで、弟君の晃維様がよく治癒の対へ来られたので、それで明維様も。その時に少しお話しました。一瞬明維様を想ってしまいそうになりましたけれど、でも、明維様にはこの宮に通うかたがいらっしゃるようで…。」
美羽は、思っても見なかった言葉に、固まった。通うかた…。そう言えば、明維様は定期的にここへやって来る。それは、そのためだったのかも。
「知らなかった…明維様、こちらに誰が居られるなんて…。」
結奈は頷いた。
「とても親しげであられたし、我もすぐに諦められました。なので、今は本当の相手を出会って、こうして幸せでいられるのだなと思っておりまするわ。」
美羽は頷いたが、上の空だった。明維…あのかたに通う女が。そんなこと、思ってもみなかった。だって、明維様は何もおっしゃらなかったし、我が話し掛けても、最近では嫌な顔もせずに応えてくださるから…。でも、誰が居ても、明維の地位ならば何人でも妃を娶れる。だから、女と会って話すなど、誰も咎めることが出来ないのだ。
美羽は、なぜか混乱している自分に驚きながら、必死に普通に振舞おうとした。だが、込み上げて来る悲しい様な、痛いような気持ちは、どうしても振り払えなかった。




