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「今度の休みに、なので森へ参ろうかと思うての。」
嘉韻が、明人の屋敷を訪ねて言った。明人は頷いた。
「そうだな。オレ達も茶でも持って遊びに行こうかと慎吾と話してたんだ。慎也が大きくなって来て、庭だけで走り回るのも飽きたようで、勝手に飛んで行かないかと結朋も大変らしいからな。」
慎也とは、結朋と慎吾の第二子で、5歳になる男子だった。明輪もそうだったが、男は大きくなって来ると勝手に飛び回って変な所へ行って、気が尽きて戻って来れなくなったりする。危ないので、目を離せないのだ。
嘉韻は笑った。
「ならばちょうど良い。発散させてやるのがいいだろうて。湖なら見通しもいいし、広いゆえ。思う存分飛び回れるの。」
明人は頷いた。
「そうだな。じゃ、慎吾にも言っておく。」
「頼んだぞ。」
嘉韻は、機嫌よく出て行く。
明人は、その背中を見送ってホッとしていた。嘉韻は、落ち着いた雰囲気になった。前のように殺伐とした感じもなく、孤独な、どこか影のある感じも消えて、穏やかな気を発している。維月を娶った時にはどうなることかと思ったが、維月は結構頻繁に戻って来るので、嘉韻もそのペースにすっかり慣れて、落ち着いたようだった。
今回も維月が帰って来るのに合わせて連休を取った嘉韻が、皆で一緒に湖にでも行かないかと誘って来たのだ。今まで、明人達が家族連れなので、一人で出掛けることが多かった嘉韻だが、ここに来て頻繁に一緒に出掛けられるようになっていた。
嘉韻は、よく月を見上げていた。月から、維月と話しが出来るのだと聞いた。維月も遥か龍の宮から、嘉韻に念を飛ばして来る。維月なりに嘉韻を愛しているのかと、明人も嬉しくなった。
宮は、とりあえずは穏やかだった。
心も結奈も、父である明人と慎吾の後ろ盾など無くとも、立派に宮で仕え、跡取りの明輪も、龍の宮と月の宮を行ったり来たりしながらであるが、成長して来ている。
李関と信明が、今期で退役することを許されたと聞いた。神の期は4年で回っているので、あと数年で解放されることになる。それに伴う序列の変化で、嘉韻が筆頭になり、次席は慎吾、明人は第一師団の師団長になるのがもう分かっていた。序列三位になるからだ。
ここまで共に月の宮で仕えて来て、まさかこんな日が来るとは、明人は想像もしていなかった。ただの人だと思って、宅配便会社の仕訳バイトに明け暮れていたというのに…。
時の流れの早さに、明人は今更ながら感じ入っていた。
結奈が治癒の対でひと段落し、休憩のために出て来ると、そこに心が立っていた。
「結奈!待ってたの。もう休み時間でしょ?一緒にお茶にしましょうよ。」
小さい時から隣同士で幼馴染みの二人は、仲が良かった。結奈は頷いた。
「じゃあ、我の部屋へ。昨日フルーツタルトを頂いたの。とってもおいしいのよ。まだ残ってるから。」
心は嬉しそうに笑った。
「わあ!なんのフルーツ?」
結奈はふふと笑った。
「イチゴ。」
「まあ!」心は、さっさと逃げるように歩いて行く結奈を追い掛けた。「イチゴのタルトって、あの方ね?昨日お会いしたの?ねえ、結奈!」
心は結奈を追い掛けて、結奈の部屋へと入った。
結奈が、ポットに湯を注いで持って来る。盆の上には、タルトが綺麗に切られて乗っていた。
心は、ため息を付いた。
「ああ、やっぱりそうなのかしら。」心は、そのタルトを見ながら言った。「だって、いつもこうしてこれを届けさせてくれるのでしょう?」
結奈は、首を振った。
「我にだけじゃないの。和奏様や、美羽様にも届けさせていると聞いたわ。だから、これは特別なことではないの…昨日だって、治癒の対には来られなかったし。王にお会いになって、それで西へ帰ってしまわれたもの…。」
心は、結奈がそれをとても残念に思っているのを感じた。確かにご身分の高いかた…でも、同じ龍であるのに。
心は、その凛々しい姿を目の当たりにした時のことを思い出した。
心が治癒の対に、頭痛に聞くという薬草をもらいに行った時、結奈が奥からそれを持って来てくれた。
「はい。雪華様、頭痛がされるの?」
心は頷いた。
「なんだか最近また、お悩みのようで。」
結奈は首を傾げた。
「雪華様は、とても思い詰めるタイプのかたですものね。心、また話を聞いて差し上げて。」
心は頷いた。
「ええ。分かっているわ。」
そこへ、蒼が何の先触れもなくひょっこりと現れた。
「邪魔をするの。」
「王!」
慌てた結奈と心は頭を下げた。第三皇女の和奏の声が言った。
「ああ、結奈。あなたがイチゴが好きだと我が言ったら、お父様がついでだから結奈にもと。」
結奈は何だろうと、和奏の差し出す箱を受け取って中を見た。それは、イチゴのタルトだった。
「まあ…。」
結奈が微笑むと、蒼は言った。
「長くよう仕えてくれておるゆえの。これは母の好物だったのだ。久しぶりに見て、思い出した。それにしても主はよく覚えておったな、明維。」
え?と、結奈と心が王の視線の先を見上げると、そこには将維によく似た、龍の軍神が立っていた。
「忘れる主の気持ちが分からぬわ。我はよくこれを作らせるぞ。」と、また後ろを見た。「のう、晃維。」
その龍は、王の蒼によく似ているように思った。だが、姿はやはり、将維のようだった。
戸惑っている二人に、蒼は言った。
「そうか、初めて会うの。将維の弟の明維と、晃維よ。」
前龍王の皇子達…。二人は慌てて頭を下げ直した。
「ああ、良い。ここには別の用で参った。」
明維が言った。蒼は頷いた。
「結奈、仙術で切り傷に効くものがあったよの。あれの巻物はあるか?」
結奈は急いで踵を返すと、奥から巻物を手に出て来た。
「こちらでございまする。」
捧げ持つ手から、晃維のほうがそれを受け取った。中を確認している。
「…主の言うておったものか?」
明維が言う。晃維は頷いた。
「確かに。蒼、しばらく借りて良いか?」
蒼は頷いた。
「持って行くがいい。」
明維のほうは興味なさげに踵を返した。
「用は済んだの。戻ろうぞ。邪魔をした。」
相変わらずな明維に蒼は苦笑した。じっと見ている結奈に気付いた晃維は、微笑んだ。
「すまぬな。借りて参る。また持って参るゆえ。」
結奈は、突然の事に真っ赤になって頭を下げた。
「はい。お役に立てれば幸いでございます。」
晃維は頷いて出て行った。
結奈はずっと、その背を見ていた。
それから、結奈がぼうっと物思いに沈んでいることがあるのを、心は知っていた。晃維は、確かに美しい皇子だった。蒼に似ているが、そこまで優しげではなく、将維に似ているとは言っても、そこまで謹厳そうでもなかった。そして何より、龍にありがちな無愛想さはなく、それは母が人であり、その母に育てられたからだと聞いていた。だが、将維も明維も、皆同じように育てられていることを考えると、晃維の親しみやすさは母の月の気が多いせいではないかと思われた。
それから、晃維は宮へ来るたびにあのイチゴのタルトを、皇女達にもであるが、結奈にも届けさせてくれた。たまに治癒の対へ仙術の施行の仕方を聞きに来たりと、晃維はそれからも時々顔を出していた。その度に傍近くに過ごし、話していた結奈は、すっかり晃維を想っているように、心には見えた。しかし、結奈は決してそれをはっきりとは口にしなかった。
今もイチゴのタルトを前に、ぼうっと物思いに沈んでいる結奈に、心は言った。
「晃維様は…とてもお優しいかたであられるわね。」
結奈は、ハッとしたような顔をして、心を見て頷いた。
「ええ。治癒の仙術を学ぼうとしていらっしゃるのも、砦で演習していて怪我を負った軍神達を、迅速に効果的に治す方法はないかと考えられたからなの。明維様は軍神に怪我は付き物ぞ、とおっしゃっているらしいけれど、晃維様はそれでも治してやりたいと思われるようで…。」
心は頷いた。
「ええ。王にとても気質が近い気がするわ。同じ母君からお生まれになったからなのね。」
結奈は微笑んだ。
「きっとそうね。今龍の宮に居る維月が、その転生したお姿なのだと知って、驚いているの。最近、維月が格段に落ち着いて気品のある人型に変わったでしょう?あれは、維月が前世の維月様のご記憶を戻されたからだそうで、以前のように、もう気軽に維月と呼べないなと最近思っているわ。」
それは、心も聞いて知っていた。今や、宮の者で知らない者はいないだろう。維月は、見違えるように美しくなった。そして、あの誰にも振り向かなかった嘉韻が強く望み、今では十六夜にも許されて共に過ごす仲でもあるという…。
たった一人の月の女。心は、それが羨ましかった。
「そんなかたの皇子であるのだから、凛々しくて当然ね。」心は笑った。「将維様は本当に取りつく島もないかただけど、晃維様はお優しくて、その上こうしていつも結奈に差し入れまで下さる。一度、ゆっくりお話出来たら良いのにね。」
結奈は、赤くなった。
「まあ心…身分が違い過ぎるわ。良いの。見ているだけで幸せになるかただから。」
心は、少しでも近付くことが出来たら良いのに…と結奈を見ながら思っていた。




