恋?
二人の立ち合いは、夕闇の中行われた。
双方とも闇は関係なく見えるので、そこで激しく立ち合ったが、維月のその速さと動きのしなやかさ、読めなさになす術もなかった。
十六夜と速さは同じなのだろう。だが、動きが全く違う。型がないので、読むことが出来ないのだ。いきなり来る突きや、避けると思っていない方向への退避など、混乱して嘉韻はうまく動くことが出来なかった。
それでも、終わってから維月は言った。
「あら、他の軍神よりはずっと速いし、びっくりする突きがあったわ。やっぱり嘉韻、筆頭に相応しいわよ。」
それでも、嘉韻はここまで手の付けようのないほど混乱した立ち合いは初めてだったので、少し落ち込んだ。
「私は月だから」と慰める維月の声も聞こえず、嘉韻はその日、それから何度も立ち合いの稽古に付き合ってもらったのだった。
そして、いつしか湖で二人が会うのは恒例になった。
別の待ち合わせているのでもなく、気が付くとそこに居て、二人で並んで話している。それだけのことだった。
嘉韻にしても、維月は珍しかった。自分のことを羨望の眼差しで見ることもなく、対等に目を合わせて話をする。軍神としての力も持つ維月は、嘉韻が立ち合いの際の相談をしても、すんなり答えた。維月は、頼りないようで、結構物を知っていた。十六夜から教わったの、後は本から、と維月はいつも言っていた。
今日も維月と嘉韻は、湖で会った。そして釣りをしていたのに、維月が飽きたからと森へ嘉韻を誘い、そのまま一緒に散策することになったのだった。
というよりも、嘉韻が維月のお守りをしている状態だったのだが、今は鬼ごっこという人の世の遊びに付き合わされていた。
しかし、動きは人の世のそれとは程遠く、維月のすばしこさは並みではなかった。軍神の将で、今や序列第3位の嘉韻が、維月に触れることもできないでいた。思えば、立ち合いはこのすばしこさで行なっているのだ。ならば、これも訓練の一つだろうか。
維月は楽しげに笑っていたが、嘉韻はそれどころではなかった。これは、軍神の名誉に関わって来る。ここで自分が捕まえられないとなっては、我が軍の名折れになってしまうではないか。しかも、維月はまだ230歳ぐらい、自分は340歳。ここで鬼ごっことやらに負ける訳には行かぬ。
ここは森の中なので、木々が生い茂っていて、頭上にはいくつか枝が出ていた。嘉韻はそれを利用しようと考え、維月を追って、右や左に回り込んだ。
維月はくるくると身を翻してそれを避けていたが、宙返りしようとして、何かを感じた…木の枝があって、鳥の巣がある。
それを避けようと身を捻った先に嘉韻が居て、またそれを避けようとしたのでバランスを崩して下へ落ちた。
「きゃ!」
嘉韻は維月の腕を掴んで引っ張り、身を回転させた。地に突っ込んだが、維月は嘉韻に抱きかかえられて無事だった。
「まあ!嘉韻!嘉韻、ごめんなさい!大丈夫?!」
維月が、嘉韻の上で身を起こして顔を覗き込んだ。嘉韻は、しこたま背を打ち付けたが、別に骨に異常はないようだ。なので、頷いた。
「大丈夫だ。我は軍神であるので。主はどうか?」
維月は頷いた。
「私は大丈夫。月だから少々怪我しても一瞬で治るのに。ただ痛いだけで。」
嘉韻はプッと噴き出した。
「その、痛い思いをしてもよかったと申すのか?ならば放っておけばよかったの。」
維月はふて腐れて横を向いた。
「まあ、意地悪ね。痛いのはイヤよ。当然でしょう?だから、ありがとう。私の代わりに痛い思いをしてくれて。」
嘉韻は変わった礼の言い方に、ついに堪え切れずに笑い出した。
「おおなんと!我にそのような礼の言い方をする者など初めてぞ。助けてくれてありがとうと言われたことはあるがな。」
維月はあまりに嘉韻が笑うので、不機嫌になって言った。
「だって、私は死なないんだもの!助けてもらった訳じゃないじゃない。まさかの時は、私があなたの命を守るし。」
嘉韻はびっくりした。我の命を?
「なぜにそうなるのよ。」
維月はあら、という顔をした。
「だってそうでしょう?龍には寿命があるじゃない。戦場で刺し殺されそうになったら、月から結界を張ってあげる。だって、私達、お友達でしょう?」
嘉韻は確かにその通りかと思ったが、なんだか複雑だった。
「…普通は男が女を守るもの。我は主に守られるのか?…どうも解せぬが。」
「月なんだから仕方ないじゃない。」維月はさらっと言った。「そんな力関係のプライドはこの際捨てるべきよ。でなきゃ友人関係は成り立たないわ。そうでしょ?」
嘉韻は維月をじっと見た。維月からは月の癒しの気がする…傍に居るだけでもこの気に酔いそうになったものを、こうして密着していると、余計に自分を包むようで癒された。嘉韻は、維月の背に腕を回した。どうしたのだろう。煩わしいと思っておった、女であるのに。
「嘉韻?」
維月がじっと嘉韻の目を覗き込んで来る。嘉韻はその頬に触れた。
「…解せぬな。」
維月は眉を寄せた。
「何が?さっきからそればっかりじゃない。」
嘉韻は笑った。
「いや、今わかったのだ。」と維月を抱き寄せ、唇を寄せた。「これが女を想うという事かとな。」
維月はためらったが、その唇を受けた。
嘉韻はそのまま離したくないと思った。もしかして、我は出逢ったのであろうか。これが、明人や慎吾を必死にさせた想いであるのか。しかし、維月は月で…。
唇が離れると、維月が言った。
「嘉韻…私、嘉韻だったらこういうことも嫌じゃないんだけれど、でも、なんだか複雑な感じがする…。」
嘉韻は言った。
「我とてそうだ。こんなこと、考えたこともない。だが、我は主を想うておるのであろうの。維月、嫌ではないということは、良いということか?」
維月は考えた。この指輪を生まれる時に持って生まれたという。これがあるから、自分は他に夫が居る可能性があるのだと父は言った。他の軍神にこんなことをされるのは嫌だけど、嘉韻は嫌だと思わなかった。だから、もしかしたら嘉韻が運命のひとなのかな…?
「ええ。」維月は頷いた。「嘉韻が運命のひとかもしれない。わからないけど…でも、そうなのかも。」
「はっきりせぬの。」嘉韻は笑った。「だが、それでも良い。」
嘉韻は地面に寝ころんだまま、維月を抱き締め、また唇を合わせたのだった。
蒼は、その少し前、ついに維心がこちらへ来るのだと将維からの連絡で聞いた。
記憶はまだ戻った訳ではないらしいが、もはや龍の宮には敵が居なくなってしまった維心が、十六夜の噂を聞きつけて、どうしても立ち合いたいと月の宮へ行くことを決めたらしかった。
蒼は、将維に向かって念を飛ばした。
「…ついに、思い出すと思うか?」
将維の影は首を傾げた。
《分からぬの。しかし、準備は出来たと思うぞ。あれは完全に己の龍を抑えておる。前世より、むしろ優れておるのではないかと思うほどぞ。》
蒼は苦笑した。
「それがあだにならなきゃいいがな。」
将維は眉をひそめた。
《なんだって?》
「…将維は知らぬな。母さんは、結構あれでモテるんだよ。月だから、気が特殊だろう?だから、抑え過ぎたら持って行かれてしまう。争奪に勝とうと思ったら、龍の押しの強さも必要だと思うぞ。」
将維は立ち上がろうとしたようだった。
《そのような!他の誰かに持って行かれると申すなら、我が娶るわ!》
蒼は慌てて手を振った。
「こら将維!落ち着け。維心様を信じろ!」
将維は歯ぎしりした。
《…こと恋愛に事に関しては、信じろと言われても心もとないことよ。》
「十六夜が居るから。」蒼は将維をなだめた。「大丈夫、こっちで見てるよ。」
将維は横を向いた。
《我もそちらへ行きたいが、維心が行くと申すのにここを離れる訳にも行かぬ。歯痒いことぞ。》
将維の姿は消えた。蒼はため息をついた。
「将維…ほんとに来そうで怖いんだけど。」
蒼は十六夜を呼んで、維心の来訪があることを告げたのだった。




