そして成人
十六夜も維月も、やっと成人した。
そして落ち着いた暮らしをしていた数十年後、宮は穏やかに、特に表面上問題もなく営まれていた。
明人の娘も信吾の娘も独身のまま、働くのが生き甲斐のようになってしまって、今では宮でもそこそこの地位の侍女になっていた。
気分転換のほんの腰掛けにさせるつもりでいた明人はどうしたものかと思ったが、そうやって働く場所を見つけ、独身を貫く者も居るし、それはそれでいいかと思っていた。
さらにどんどんと腕を上げ、今や近隣の宮からも立ち合いに来るほどになった十六夜は、今日もコロシアムに居た。
李関と信明は、そろそろ退役したいと数年前から申し出ているにも関わらず、軍の会議で承認されず、まだ現役で居た。もう650歳、人で言うと65歳になっていたので、見た目は充分に若いが、そろそろ解放してやらねばと蒼も思い始めていた。
その日も、十六夜が軍に行ってしまったので、維月は一人湖へ来ていた。
最近はずっと、十六夜が昼間は軍の方へ行ってしまって退屈だった。父には、大人になるとはそういうことだと諭された…きちんと何かの役に立ち、毎日をただだらだらと過ごすだけでは駄目なのだと言う。しかし、維月が何か仕事をと父に言うと、自分の仕事は十六夜と共に居ることだと言う。そして、神の女らしく、十六夜に面倒を掛けずに宮で縫物をしたり、おとなしくしているのだと言われた。
でも、維月は退屈なのは耐えられなかった。この月の宮の敷地から出してもらえないのも辛いのに、その上さらに宮の中でじっとしているなんて。
維月も軍に行こうかと思ったが、立ち合いなどはすぐに飽きてしまう。十六夜以外の誰も、自分について来れる者など居なかったからだ。月というのは、どうやらいろいろなことが出来るらしかった。
いつものように、湖で釣り糸を垂れていると、向こうの方に、同じように釣り糸を垂れる人影を見つけた。確か軍神だったはず。だが、今日は甲冑を着ていなかった。
維月は自分の釣り竿を持って、そちらのほうへ歩いて行った。
それは、どうやら龍だった。この宮には龍が多いので、そえは別に珍しくはなかったが、この龍は金髪だった。維月は声を掛けた。
「ごきげんよう。あなたも、釣りに来られたの?」
相手は、顔を上げた。赤い様な茶色の目。自分の目の色に似ているなあと維月は思った。
「…女が一人で釣りなど、珍しい。」
相手は、少し面倒そうに言った。どうしてこんなに面倒そうなのかしら維月は思ったが、お構いなく言った。
「私は、維月。ここで釣りをしてもいい?」
相手はしばらく黙ったが、頷いた。
「ここは特に良いポイントでもないぞ?」
維月は横に座った。
「良いの。別に釣れなくても。宮に居ても退屈だから来ただけだし。あなた、お名前は?」
相手はちらりと維月を見てから、答えた。
「我は嘉韻。」
何だか無愛想なひと。維月は思ったが、その名前に覚えがあった。よく、侍女達や皇女達が言っている名前。
「ああ!」維月は思いあたって手を叩いた。「知っているわ!よくその名前を聞くの。」
その拍子に釣り竿が飛んで、慌てて嘉韻が掴んだ。驚いている。
「主な、釣りの最中に竿から手を離すとは何事ぞ。」
維月は気にしている様子はない。嘉韻をじっと見て言った。
「ふーん、皆が話している嘉韻様って、あなたのことなのね。本当、金髪なんだ~。」
あまりにまじまじと顔を見るので、嘉韻は居心地悪かった。これほど遠慮なくじっと見られたことはない。皆、少なからずどこかに隠れて見ているような感じだったからだ。
「それより、竿を自分で持たぬか!」
維月は珍しいものが好きだったので、それには構わず嘉韻の髪をそっと触った。すごい、金髪もちゃんと髪の毛なんだ。ほんとに根元から金色~。何だか人の世のナイロンみたいな感じだと思っていたのにサラサラ~。
嘉韻は両手が塞がっているので払いのける訳にも行かず、じっとそのまま触られていた。どうも話が通じないような気がする。
「維月といったか?とにかく、竿を持て!」
維月は仕方なく竿を持った。嘉韻はホッとして水面を見た。そういえば、維月というのは月の片割れ…これは十六夜と同じ月なのか。
「…退屈なんだもの。宮でおとなしくしてろとお父様は言うし、十六夜もあまりうろうろしたら嫌がるし、でも、私にもお仕事をって言うと、じっとしてるのが仕事みたいに言われて。そんなのカビが生えちゃう。お友達も皆、十六夜と立ち合いをしてるのよ?でも私、立ち合いあんまり好きじゃないし。面白くないもの。皆付いて来れないから。」
嘉韻は維月を見た。確か、自分が休みの日に陰の月が陽の月と対戦するのを見たと皆が言っていた。だが、早過ぎて誰一人その動きを目で追うことは出来なかったという。自分も見てみたいと楽しみにしていたのに、それから陰の月が来ることはなかった。この維月が、陰の月なのだ。
「主の友とは、軍神達か?」
嘉韻が問うと、維月は頷いた。
「ええ。十六夜の友達がそのまま私の友達だから。明人とか。知ってる?」
嘉韻は驚いて頷いた。
「明人は我の友ぞ。」
維月は微笑んだ。
「そうなの?でも、嘉韻はあまり学校の談話室に来ないわね。会ったことないでしょう?」
「…あまり暇がなくての。」
嘉韻は、また水面を見つめた。最近は、李関が自分を後継にしようとあらゆることを指導してくれる。そのため、明人達ともあまり接する機会がなかった。しかも、あちらは家族がある。なので休みも自ずと別行動になってしまい、ゆっくり話すこともなかった。だが、確かに明人は十六夜と仲がいいと聞いている。だから、維月も知っているのか。
「そう、嘉韻、忙しいのね。宮の侍女達とかが、嘉韻が来るととても喜ぶのよ。だから、そんな様子を聞くと、私も自分の用は侍女達に言いつけないようにしてる。だって、嘉韻を見に行きたいのだろうと思って。」
嘉韻は顔をしかめた。自分を見たことがない維月すらそんなことを知っているのか。
「我は、あまり見られるのは好かぬ。」
維月はびっくりした顔をした。
「どうして?いいじゃない、それで皆が幸せになるのよ?嘉韻、姿だけで誰かを幸せに出来るのって、すごいと思わないの?私なら、綺麗に生まれたらそれが責務だと思うわ。見てもらって、皆を幸せにしないと。」
嘉韻は目を丸くした。そんなことが我の責務と?
「…我は、他に役に立たぬと申すか。」
維月は首を傾げた。
「分からないわ。だって、私嘉韻のこと何も知らないもの。序列何位?」
嘉韻はあまりに遠慮がないので呆気に取られていたが、それでも答えた。
「三位。」
維月はまあ、と同じように目を丸くした。
「あら、じゃあそのうち筆頭になるのね。李関と信明が辞めたがってるから。」と、維月は水面を見た。「…私はいいと思うんだけどな。臣下達って怖がりなのよ。辞めたいって言ってるのに、辞めさせてあげればいいじゃない。そうすれば、残った者達で何とかして行くものなのよ。そうせざるを得ないし。いつまでも甘えてたら、かわいそうだわ。それでなくても十六夜と蒼の力に甘えてるっていうのに。そう思わない?」
案外にしっかりしている維月に、嘉韻は驚いた。
「なんだ、主会議に参加しておったのか?」
維月は頷いた。
「だって月だもの。でも、臣下達は無難な方へ無難な方へばかりで…終いには、私に将維様に嫁げと言うし。龍の宮ともっと繋がっておきたいのですって。私、そういう理由では結婚しないから。」
維月は膨れている。確かに維月の夫は二人だと何度も聞いた。十六夜と、あと一人を臣下が選考しようとしておるのか。
「主も大変よの。しかし王族の結婚は臣下が決めるものではないのか。」
維月は嘉韻を睨んだ。
「私、王族じゃないし。」
嘉韻はハッとした。確かにそうだ。月なのだから。十六夜があれほどに自由なのだから、維月が自由でもおかしくはない。
「主は主の好きにすれば良いではないか。我はそう思うがの。」
維月は頷いた。
「そのつもりよ。だから他の軍神や臣下達も、好きにさせてあげたいのよ。だから嘉韻、筆頭になってね。」
嘉韻は驚いた。ま、確かにそうなんだが。
「…そのうちにの。」
「なんだか頼りないなあ。ほんとに大丈夫?一度嘉韻とも立ち合ってみなきゃいけないわね。」
嘉韻は、それを聞いてなぜだか胸が躍った。十六夜と同じほどの力を持つという陰の月…。
嘉韻は、竿を上げた。
「そうよ。主、我の相手をせよ。」
維月はえ?という顔をした。あまり気が進まないようだ。
「別にいいけど、今は駄目。」
嘉韻は立ち上がり掛けたが、座った。
「なぜだ?」
「皆が居るもの。」維月はつまらなさそうに言った。「今行ったら、後から後から立ち合いをって寄って来るじゃない。もっと強い神達ならいいけど。面白くないんだもの。」
嘉韻は食い下がった。
「ならば、皆が帰ってからで良い。良いか?」
維月はため息を付いた。
「いいわ。お友達の願いは聞かなきゃならないでしょう?今日コロシアムが空く時間に、待ってるわ。」
嘉韻は頷いた。
「約したぞ。」




