失恋
明人は、純が結婚したにも関わらず、素直に祝えない雰囲気に困っていた。
姉の心が、まだ塞いでいるのだ。紗が気遣って傍に行くものの、一人になりたがりとりつく島もなかった。
確かに心は、幼い頃から李心を想っていた。李心は、一番年下でおっとりした純を、幼い頃から気遣っていて、それに拗ねたことも何度かかったからだ。
育つにつれて共に遊び回ることもなくなり、いつしかあまり話さなくなったが、それでも心が李心を見ていたのは知っていた。手先が器用な純は、宮にもよく上がり宮の行事などのたびに李心が話し掛けているのは見てはいた。
しかし、幼い頃の記憶しかない明人は、李心が純をなど思ってもみなかったのだ。
本人も自覚がなかったようなので、それも致し方ないことだった。
「どうしたものかの。」明人は明輪に言った。「心が部屋から出て来ぬのだ。屋敷に戻って少しは気も晴れようと思うたのに。」
明輪は下を向いた。
「はあ…。我も途方に暮れておりまする。」
事実そうだった。純からも相談は受けたものの、母の話も聞かぬのに、弟の明輪にどうしようもない。明人もため息を付いて頷いた。
「まあ、主に言う方が間違っておろうな。しかし、父の言うことなどもっと聞かぬのだぞ?」
明輪は父に同情した。確かにそうだろう。純が身籠って、おそらく産み月には実家へ戻って来るだろうに。それまでに何としてもと思っていたのだが…。
「ま、もう良い。何か考える。ご苦労だったの。」
父が頭を抱えながら言った。
明輪は悪いなと思いながら、その場を後にしたのだった。
相変わらず悩みながら、明人が引き払って行った蛇の村の跡を片付けさせていると、慎吾が言った。
「何だ、孫が出来ると聞いたのに、主、相変わらず険しい顔をして。」
明人は、慎吾を見た。
「あのな、慎吾。それを喜べない事態が起こってるんだよ。この前話しただろうが。」
慎吾は少し驚いたような顔をした。
「なんだ、まだ引きずっておったのか。もうあれから何か月になるのだ。」
明人はため息を付いた。
「わかってるよ。紗もお手上げだと言うし…何しろ、幼い頃から想っていたようだからな。他の誰かなら良かったんだが、李心が選んだのが純だったろう。そこが問題なんだ。」
慎吾は考え込むような顔をした。
「心だって紗殿に似てそれは美しいではないか。軍神達の間では、あまり表に出て来ないので高嶺の花のように言われておると聞いたぞ。」
明人は恨めし気に慎吾を見た。
「あのな慎吾。それなら誰でもいいから嫁に貰って欲しいよ。あいつがそれで持ち直すならよ。めったに表に出ないのは、裁縫とか得意じゃないからなんでぇ。純は手先が器用だから、ゆっくりでもきれいに仕上げるが、心はゆっくりやってもダメだから、出なかったんだ。」
慎吾は言った。
「ならば、心を宮仕えに出せ。」
明人は驚いた顔をした。
「え?不器用だって言ってるだろうが。」
慎吾は首を振った。
「うちの結奈がどれほど器用だと思うておる。あれも不器用であるのに、宮仕えしておるのだぞ。本人が行きたいと言うゆえ行かせたら、今では治癒の対で役に立っておるようぞ。あれはあまり手先は関係ないからの。」
明人は、ぱあっと明るい顔をした。
「いいこと聞いたぞ!じゃあ、王に願い出てみよう。宮へ上がれば物思いに沈む間も無くなるだろうし、すぐに元気になるだろう。」
慎吾は満足げに頷いた。
「おおそうよ。少しは参考になったようだの。」
明人は頷いて、嬉々として飛び立って行った。王にお願いして、心を宮で働かせよう。
蒼は、落ち着いて来た宮にホッとしていた。
相変わらず十六夜の記憶だけが戻った状態で、前世母の維月の記憶は全く無く、十六夜は振り回されていた。記憶が戻る前婚姻関係に無かった今生だったが、それは十六夜ともきっちり済ませた記憶を持って、維月は十六夜と一緒に毎日を過ごしていた。
だが、月である維月の友達と言っても居らず、なぜならそれは、月とは、別格の存在だと捉えられていたからだった。
いつも同じ月の十六夜か、両親の地の化身である碧黎と陽蘭と共にいるしかない。全てこの家族は特殊な命の集まりで、他の神からみたら雲の上だった。
誰にでも何にでも首を突っ込んで行く十六夜には、学校時代からの友達も居たが、維月にはその十六夜の友ぐらいしか、友達は居なかった。つまり、皆男だったのだ。
そんな訳で恋バナの一つもしたことがなかった維月は、恋愛が何たるかも知らなかった。それでも夫は居るので、困ることもなかった。十六夜を心から愛していると思っていたし、傍に居るとホッとするし、居ないと寂しい。だから、恋愛と言う言葉を聞いても、きっとこれがそうなのだと勝手に納得して終わりだった。
「維月様。」維月が部屋でぼーっと退屈にしていると、侍女が入って来て頭を下げた。「本日からこちらの対の侍女を致します、心をお連れ致しました。」
維月は振り返った。黒髪に青い瞳の、それは美しい顔立ちの、少し年上ぐらいの女が立っていた。
「そう。よろしく、心。」
心は頭を下げた。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願い致しまする。」
戻って行こうとする二人に、維月は言った。
「…少し出掛けて来ると、お父様に知らせておいて。」
侍女は驚いた顔をした。
「維月様?碧黎様が、本日はこちらでお裁縫をと…」維月は窓を開けてスッと飛び上がって行った。「維月様!」
維月は肩を回した。自分はエネルギー体だけど、肩が凝ったように思ってしまうわ。あんなこと、一日中なんて無理。
一方心は、呆然とそれを見送った。あれが維月様…お父様から少し聞いたことがあったけど、本当に気ままにお暮しなのだわ…。
何の憂いもなさそうな維月を、心は羨ましく思った。
維月が唯一仲良く出来る女は、蒼の娘達だけだった。蒼には華鈴との間に雪華と華那、桂との間に和奏、悠との間に美羽という四人の娘が居た。一番上に、瑤姫との間に生まれた瑞姫が居たが、その瑞姫は誰より年上で炎託と婚姻を済ませて仲睦まじくっていた。
要はこの集まりは維月にとって前世の孫やひ孫に当たるのだが、前世の記憶もない維月にとっては、蒼の娘と孫といった認識でしかなかった。
彼女らも奥の間に篭って表に出ることが少なかったので、仲良くと言ってもそう頻繁に会うこともない。
いつも、少し茶を飲む程度で終わっていた。
維月がもしかしたら庭に出ているかもと、奥宮の中庭を覗いてみると、そこに、雪華と華那が居た。維月は嬉々として降りて行った。
「ごきげんよう。散策の途中?」
急に空から舞い降りて来た維月に、二人はびっくりしたような顔をした。
「まあ、維月…驚いたわ。良いわね、あなたはどこへでもそうして行けて。」
維月はきょとんとした。
「あら、なぜ?雪華達は行けないの?」
雪華は華那と顔を見合わせた。
「我らは、王族であるから、奥宮から出てはいけないと言われているの。でも、維月も王族に匹敵する月であるのに。それに、結婚しておるのにね。」
維月は首を傾げた。
「十六夜はそんなにうるさく言わないの。お父様には、もっとお裁縫や書見をせよと言われるけれど…。でも、出て参っても叱られることはないわ。」
華那は、うっとりするようにため息を付いた。
「維月は良いわね。外の世界を好きに見れて、それにあんなに美しい十六夜殿の妻であって。ま、少し言葉は乱暴であられるけど、でもお優しい心根のかたですものね。」
維月は不思議そうな顔をした。
「華那も、十六夜の妻になりたいの?」
華那は、驚いた顔をした。
「まあ、違うわ。ただ羨ましいと言っただけ。維月、何とも思わないの?」
維月は少し眉を寄せた。
「え…何ともって?」
雪華と華那は顔を見合わせた。
「誰か、他の女が十六夜殿の妻になっても良いの?」
維月は考えた。確かに嫌かも…だって、一緒に居られる時間が減るし。
「それは嫌。」
二人はホッとした顔をした。
「そうよね。驚いたわ、感覚が違うのかと思って。」
感覚ってなんだろう…。維月は思ったが、言わなかった。代わりに、こう言った。
「ねえ、湖に行かない?皆、釣りなどに来ていて、とても美しいわよ。近くの林のお散歩道はとても綺麗だし。」
雪華は、羨ましげにため息を付いた。
「まあ、行きたいわ。でも…お父様がなんと言うか…。」
「大丈夫よ。」維月は二人に手を差し出した。「さ、行こう?」
二人はおずおずと手を差し出す。
そして、維月は二人を連れて、湖へと飛んで行った。




