#00転勤の話
なにもはじまっていないよ!
湧井家の姉弟は現在、180000KM以上を隔てて暮らしている。
きっかけは、まあその手のシチュエーションにありがちな『両親の転勤』というやつだった。そこそこ大手の紡績企業に勤めている父が、現地の工場で取締り監督兼支店長を任じられたのが去年の冬。仕事はできるが家事全般に一切のセンスがない夫を一番理解していた妻は、当然一緒に渡航すると決めていたし、そうなれば必然的に扶養家族であるところの俺たち姉弟にも海外生活が余儀なくされる。はずだった。
任期は最低3年。当時中2だった俺は、生来の人見知りもあり、雪がちらつくあの時期にさえまともに話すクラスメイトもいない寂しい学生生活を送っていた。
だから、そんな転勤の話を夕飯時に突然両親から聞いても、未練もしがらみも何もなく「…ああそう。」とだけ、 つぶやき了承した。
が、姉 (当時中3)は、俺とは正反対の性格がこの時ばかりは災いし、未練もしがらみも、山ほど多く抱え込んでいた。それは、友達だったり、恋人だったり、生徒会長の仕事だったり、他の様々な頼まれごとのことの累積だったようだが、とにもかくにも、姉は「絶対にい・き・ま・せ・んー!!!!!」と、感嘆符大増量に絶叫で拒否をしたわけである。おかげで、真正面に座っていた俺のところにまで、奴の口から飛び出した米粒が飛んできた。
「愛音、そうはいってもお前ひとりじゃ、まともな生活はおくれないと思うわよ、母さん。向こうは年中暖かいって聞くし、ほらあなた、冷え症じゃない?きっと暮らしやすいわよ~」
母は何とか説得しようと、微妙にどうでもいいセールスポイントを挙げた。
「お前も俺に似て家事全般ダメなんだから、おとなしくついてこい」
父は身もふたもない事実を突き付け、みそ汁をすすった。
「……」
俺は、先ほど顔面にぶちあったってきた米粒を、ティッシュに包みごみ箱に放り投げた。あっ、はずれた。
姉は家族の三者三様な反応を、睨みつけるように眺めた後、大きく息を吸った。
「っお母さん!あっちは暖かいなんてもんじゃないでしょ!年中20度超えて、最高気温40度!?私、冷え症でもあるけど肌も弱いから汗疹になったらイヤよ!絶対行かない!お父さん!人のふり見てわが身を直せっていうけど、全くその通りだわ!米のひとつも炊けない男に言われたくないです!私だって本を見ながらなら料理くらいできるんだから!一人暮らし上等!大丈夫!心配しないで!だから絶っ対行かない!!あとどうでもいいけど透≪とお≫!ごみは投げないで直接ごみ箱に入れなさいってば!あれ、ちゃんと拾いなさいよ!」
ここまで一息である。わが姉ながらその肺活量には心底感心する。以前、全日本スピーチ大会で持ち時間五分の講演を、息継ぎ三回でこなして優勝をかっさらっていたの思い出した。まったく、化け物である。
両親は難しい顔をして姉を見つめ、それを横目におとなしく席を立ちごみ箱に向かう俺。
「…とりあえず食べ終わってから話そう」
父の一言で、もそもそと食事を再開し、洗い物も終えた後、小一時間姉の説得が行われたようだったが、結果として「食事・洗濯・掃除付きの全寮制お嬢様校へ進学」という条件で姉のわがままは叶えられた。
俺はその家族会議中、自室でPCに向かっていたので結果しか知らん。
で、その全寮制校というのが我が家のような「中流階級やや上」といった程度では、庶民とか言われてしまうような学校だった。まさに御曹司御令嬢の巣窟。ちょっとギャルゲーの舞台になってもおかしくない広大な敷地。政治家、医者、芸能人など金の余った親どもと、暇を持て余した子息どもの楽園。
そんな魔窟、俺の姉には…
ぴったりだと思います。
かくして、姉は「出世払いで!」の一言で両親から全寮制校行きを承諾してもらい、俺は両親と共にリオデジャネイロへの海外生活が決定した。期待はなく、不安しかない海外生活が四月から始まろうとしていた。