第六話 『聖水』(下)
4日目
寝ていた者は目覚めたら、見張りの者は、周りの者が目覚めたら。彼らの朝の活動は始まる。
回復薬があるものはそれを飲み、無い者は羨ましげに横目でみる。
その後、大部分の者が『聖水』を作成し、飲む。
とある老魔法使いが『聖水』と呼べば飲める輩が増えると、3日目の昼頃提唱し始めたのだ。瞬く間にその呼称は広がり、彼らの中では、その実に糞ったれた琥珀色の液体は『聖水』となった。
老魔法使いは昼の休憩だけでは飽き足らず、行軍中も延々と語り続けていた。体力の消耗が激しい彼らは、最早その戯言には聞く耳を持たなかったが。
チャカも結局、4日目にして「飲む事」を決意した。
様々な葛藤があったが、頭痛と渇き、体を襲う脱力感にチャカは耐え切れなくなったのだ。
「これは聖水これは聖水これは聖水…」
チャカはブツブツとつぶやきつつ、目をつむり、鼻をつまみ、一気に呷る。
――自分の体の中にあったものだから汚くない、汚くないっ。
半端に残すと後がキツイ、味わうな、飲み込め。とタイタンはチャカに警告していた。
ナイトウは、喉が渇いていたら気にならんべ、細かすぎるんだ、と笑っていた。
チャカは渇いた口内を襲う液体によってもよおされる吐き気を堪えて、飲み下す。
――ナイトウは大物だと、思う。
その後、もはや恒例行事となった『通達』が始まる。
時間が経った『聖水』はとても飲めた物じゃないと言う事は、空のPOT瓶に入れた後、道中で飲んだチャレンジ魂溢れる猛者の犠牲で判明した。
幾ら喉が渇いても無理だったようで、道中で飲んだ猛者は毒霧を噴出し、周りの者から総スカンを貰ったのは言うまでも無い。
「作成」直後に「使用」しない場合は廃棄すべし、とベルウッドは改めて念を押す。
「後2日だ、皆、頑張って欲しい」
ベルウッドの声には疲労の色が透けて見え、豪奢な装備も若干くすんでいた。もっとも、彼に限らずその場にいる全員が酷い格好である。
『通達』の締めの言葉が終わり、皆が出発しようとした時。
重たい水袋が地面に叩きつけられるような異音が、彼らの後方から聞こえた。
出発は一時中断され、異音の原因を探ることとなった。
異音の原因を探る為、捜索すること約10分。運び込まれてきたのは女暗殺者だった。
「おい、しっかりしろ」「意識ねーぞ」「寝てるのか?」
周りの者達がめいめい心配する中、グッさんは思い出した。
「シルキーさんですね。PTで不参加の意思表示出したトコの子です」
ベルウッドは、そういえばそんな奴も居たな、と言う程度の印象しかなかった。
関わりが薄かったので、その他大勢でベルウッドが括っていた人間だ。
「そうか、で、これはどう見る。寝てるのか」
グッさんはその問いに、困ったように答える。
「わかんねっす。ステータス異常なら、状態異常回復スキルで起きると思いますけど」
それも道理と、ベルウッドは<穢れ払い>を発動させた。
暖かい光は彼女の体を巡り、穢れを癒す光が、『眠り』を吹き飛ばすはずであった。
だがしかし、それは何の効果も上げなかった。
「起きんな」
「ステータス異常じゃない、と言う事もあるんじゃないですか?」
異常な「眠り」や「意識喪失」は<穢れ払い>等で癒す事が出来る。また、極めて一部の状態異常は<穢れ払い>等の状態異常回復スキルでも回復は不能である。
しかし、それとはまた別のケースだろう。癒せない例の一つとして覚えておくべきだとベルウッドは考えた。
「呼吸と脈拍、普通にあるみたいです、マスター」
「ふむ…」
――どうするか。ここに置いて行く?ありえん。起きるまで待つ?もっとありえん。ここで悩み続けるのも時間の無駄が大きい。自然と、ベルウッドの口から漏れる言葉。
「背負って連れて行くのは…むぅ」
悩み始めたベルウッドを見かねたのか、白金の髪の少女を連れた魔法使いが前に出た。
「あ、あの。た、担架作ったらいいんじゃね?」
ナイトウの言葉は、ここでも多少ずれていたが、運ばない、という選択肢が出せない以上。ベルウッドは、やって見ろというしか無かったのである。
「おう、ナイトウ、どうやって担架なんて作るんだ」
タイタンが興味津々とナイトウに話しかける。
――何いきなり話しかけてきてるわけ?オレアドリブに弱いって言ってるじゃん。
「じ、自慢じゃないがオレは光属性の、り、リアル修道者属性、だからこの手の作業なら任せておけ」
急に話しかけられなくても、ナイトウはどもるのであるが、本人は気がついていない。
「ま、まぁ、見ておけって」
ナイトウはかばんから予備武器の「神風の錫丈」と「原理の杖」―どちらも約2mほどの杖―を取り出し、更に「燕尾服」と「星屑のローブ」を取り出す。
惜しげもなく伝説級の装備を取り出すナイトウに、周囲からどよめきが起こる。一体何をするのかと。
ナイトウは取り出した『防具』をさかさまに合わせ、裾に杖を通す。両裾に杖二本を差し込み終わればあっという間に簡易担架が出来上がった。
ナイトウの周囲から湧き上がるざわめき。
「もう出来たのか」「はやい!」「きた!担架きた!」「メイン担架きた!」「これでかつる!」
「うはっ、おけっ」
――皆判ってるじゃん。ネタを振ったかいがあるなぁ。
とナイトウは満面の笑みを浮かべるのであった。
「で、この人誰が運ぶの? 担架だから2人必要になったけど」
チャカの素朴な疑問が、有頂天になっていたナイトウを現実に戻した。
――そういえばそれは考えていなかった。どうすっべ……
どうしよう、と周りを見渡すナイトウに、ネクロンを筆頭とした中央組が申し訳なさそうな表情で申し出た
「ああ、オレらが運ぶわ。何だかんだで『貢献』できてないからな」
それじゃあ、任せたと話はとんとん拍子に進み、彼らは4日目の行軍を開始したのだった。
行軍途中、ヒゲダルマが尊敬のまなざしでナイトウを見る。
「ナイトウさんってお医者さんか何かッスか?」
周りの連中も釣られてナイトウを尊敬の目で見る。
にへら、とナイトウは笑いながら、どう答えようかと思った瞬間。
「にゃ、ニート。まごうこと無きニート。さっきの装備の廃ッぷりからも判るでしょ」
その場をぶち壊しにしたのは、小悪魔だった。
周りの視線はいつものナイトウを見る物となった。
――オレ、こいつに同情すんのやめようかなぁ。
ナイトウが困った顔で見ると、ニコっと小悪魔的な笑みを浮かべるチャカ。ナイトウがいい格好をしてたのが気に食わないのだろう。
――でもオレが見捨てたら、こいつ死にそうだしなぁ。
はぁとナイトウは溜息をつきながら、またチャカの手を引き、歩き始める。
後二日。この不自由な行軍もそれで終わる。
静かに獲物を狙う、猟犬7匹、芋虫1匹。
「うっし、楔は打ち込まれた、と」
自信満々、唇の片方を吊り上げ、にやりと笑う黒の猟犬。
「……足止めに失敗していないか?」
静かに、それで居て苛立ちを隠しきれない声での下品な魔道士の叱責。
「あの女が目を覚ましたら、警戒されるだろ、奇襲成り立たねぇよ」
狂眼の暗殺者、わざと取り逃がした事を見抜けずに、責める言葉は一丁前。
「うむ。取り逃した事は仕方が無い。どう殺るかが問題だろう」
ガチャリ、と大太刀を構え、今にも駆け出すかの武者を黒の猟犬が抑える。
「ばっか、今突っ込んだら全滅だぜ、俺らが。もう一寸頭ぁ使え、頭」
「つまり、どういう事ダ?」
未だ、謎の肉を食らい続ける巨塊が疑問の声を上げる。黒の猟犬を全員が睨む。
皆、疑問に感じていたのだ。首領と全員が認めている訳ではないこの男の思考を。だが、皆が認める。今も昔もこの男の卑劣の度合い、この場に居る誰にも負けぬ事を。
「奴らが俺らを「狩る」つもりなら面倒くせぇ。だけどそんときゃ、俺らは迷宮の奥底に引っ込めばいいだけの話よ」
全員頷く。当然の道理。「絶望の迷宮」はその名の通りの「迷宮」。
出る道は一直線、しかし、奥に進むのは枝分かれした行き止まりの道が何本も在る。邪神の広間に出るならば定まった道筋だが、それ以外の小道に逃げ込めば隠れ潜むのは容易であろう。
「だがしかし、奴らは俺らを狩る事ができねぇ。制限時間付きだからな」
あれだけの大人数、水と食料を真っ当な方法で確保する事など出来やしないと鼻で笑う黒の猟犬。
「奴らの選択は、何を聞いても「脱出」だろうよ。だが、奴らは大人数、しかもお荷物を抱えて足が鈍ってやがる。何でもいいから脱落者が出た時点で、そいつからしゃぶっていけばいい」
「OKPK」
全員が判った風に頷き、ニヤリと笑う。それもそうだ。その為の楔。しかも毒付きだ。混乱を巻き起こす毒付きの楔だ。
「義憤に駆られた雑魚が先走ってくれる事が、一番都合がいいけどよ」
黒の猟犬もニヤリと笑う。好敵手の思考を読む。
――相手は歯牙にもかけて居ないだろうが、それでもいい。俺が認めていればそれでいいのだ。
「あのベルウッドだ。そこまで都合は良くいくめぇよ。まぁ、最悪、出口で仕掛ければいい。絶望の迷宮の入り口は地面に開いた大穴さ」
「チャカちゅわぁああん……」
「おう、シゴ。テメェの愛しのお姫様は俺の獲物でもあるからよ。まぁ、見てろよ。引っ掛けてやるよ」
「それに、俺らは全滅してもかまわねぇ、そうだろう?」
全員が密かに笑う。破滅的な笑い。狂っている。
「あいつ等、進み始めタ」
「おう、それじゃあ行くぞ。気付かれるなよ」
太い縄で括られた少年を引き摺る猟犬達。苦悶の声が漏れる。
「うるせぇよ」
猟犬のつま先が柔らかな腹にめり込み、呻き声は止まる。
猟犬7匹、芋虫一匹。密かに、密かに歩を進める。
今日を乗り切れば、明日の夕方にはこの鬱屈とした、空が見えない迷宮から脱出出来る。
それだけを信じて、彼らは陣形を維持する。
守られるだけの中央組も負い目が無いわけじゃない。
少しでも攻撃手の負担にならないように。弓手の射線を塞がないように。不満を飲み込み、担架を運ぶ。
戦闘が3度を数える頃、担架の上の女暗殺者は目を覚ました。
「PK?」
大抵の変化は厄介事と一緒にやってくる。その言葉を聴いた全員、いやぁな予感がして堪らなかった。
いわゆるMMORPGの最終的な遊び方は大体3つ位に分かれる。ご多分の例に漏れず、LV上げが終わったら、ディープファンタジーもこの組み合わせで遊ばれていた。
一つ目はAvatarChat、仮想の自分を演出しつつの日常の雑談。極々真っ当な時間しか裂けなくても、適当にお友達とダンジョンに潜りながら雑談に興じているだけでも楽しい物だと思う。
二つ目はHackandSlash、ただひたすら希少な装備を求めて各地の迷宮にもぐり続ける。伝説の装備は出ないから伝説なのだ。理論上の最高値を求めてひたすらMOBを狩り続ける。目当ての物が出た時の興奮は物凄いから。
三つ目にPvP、だ。
対人戦、ギルド戦、戦争、色々な呼ばれ方をするけども、最終的に意味する物は同じ、他プレイヤーとの戦い。誤解を恐れずに言うと、モンスター相手は絶対に勝てるけれど、プレイヤー相手の場合は勝てるか負けるか、それが全く判らない。だからこそエンドコンテンツに成り得るし、のめりこむ人は多い。装備やスキルの組み立て方はMOB相手と根本的に異なるのもまた、面白い。単純な攻撃力と防御力、単位時間当たりのダメージだけでは決まらない結果がそこにある。そして、PVP慣れした人とPVP慣れをしていない人の間では、LVや装備で計れない実力差があるのだ。
そこに堪らない魅力を感じる人も多い、でも、そこにどうしようもなく馴染めない人もまた、多い。
誘われれば参加する程度の者でも、全く対人慣れしていない人相手なら「以前なら」無双できる。極まった歴戦の猛者なら、それこそ一発も被弾せずに封殺するだろう。たとえ、多対多でも初心者と熟練者が敵対した場合、陵辱と言ってもいい位のワンサイドゲームになる。
では逆に陵辱された側は?
ちくしょう、ファック、やり返してやる、と奮起するか、もうこんなゲームやらないとほうりだすか。そのどちらかで。後者を選ぶ人は非常に多い。
極々真っ当な、双方同意の上でのPvPですらこんな感じなのだ。今までの世界ですら、そうだった。
「あたしの仲間が、皆殺しにされたの! だから、だからぁ……」
助けて、と彼女は言った。仇を討って、とも。
だが、自分も戦うとは一言も言わなかった。
「論外だ」
――話は聴いた。ただ、それだけだ。馬鹿馬鹿しい。
ベルウッドの酷薄な拒絶の声。
「なんでぇ! どうして! 助けてよぉ!」
ベルウッドの拒絶で、泣き叫びながら女は喚く。
――五月蝿い。そもそも、何故最初に自分を信用しなかったのだ。
過ぎた事を言っても仕方が無い、それはベルウッドにも判っている。しかし、だ。
「マス……」
ギンスズが同情的な意見を述べようとしようとしているのもベルウッドには判る。だが、その言葉を遮り、ベルウッドは続ける。
「話を聴くと、手馴れた対人狂が7人。ならば、我々のギルドから倍数出し殲滅したとする」
――ここまでは確定事項だ。自分達こそがこの世界最強集団。それは例え、苦痛を感じるこの体であっても間違いは無い。
この強行軍、ベルウッド達のギルドが最も統率が取れ、一つの集団として纏まっていたのは明らかだった。以前の仕様と今の仕様、差はあれど、恐らく最強の座は揺らがないであろう。だが、しかし。
「彼らをどう『帰還』させればいい。答えろ」
「マスター……」
ベルウッドも哀れに思わないことは無い。だが、冷徹な状況がその感情を許さない。
「あ、あたしの所持品なら全部だすからっ! お願いだからぁ!」
――安すぎる。理解できていないのか、この女。どれだけ法外な値段をつけてもこの状況では、安すぎるのだ。
86名の命を天秤にかけるのに、カネでは、安すぎるのだ。
「時間が惜しい。進むぞ。貴様も同行したければするがいい」
ベルウッドは強引に打ち切る。ベルウッドの予想が正しければ、奴らはもっとえげつない手段で熱量を得ているだろう。
ベルウッドも一度は考えたが、まともな人間なら拒否するだろう、その手段。
「PKだけで済んでれば、まだマシだろうがな」
殺した相手のPOTを奪い、それで生命を保っているなら、まだいい。だがしかし、その先の手段をとっていた場合は。
――自分は人間として、許しておけるのだろうか。
ベルウッドには判らなかった。彼もまた、その手段を考えなくも無かったからだ。
その後の行軍は、重かった。
しくしくと、静かに響くその泣き声。嘆きの妖精の泣く声はチャカ達の良心に棘となって刺さる。
栗髪の女暗殺者は時折、後ろを振り返る。目を真っ赤に腫らし、流れる涙をぬぐう事を忘れたその様は、まるで幽霊。それをずっと続けられたのだ。
4日目の終わり、睡眠を取る場所で「焚き火」を炊く。意味の無かったアイテムも、こういうときは便利だ。暖かな光と炎は、彼らの消耗をほんの少しだが、抑えていた。
チャカ達、『ザ・フール』は真夜中担当の見張りであった。
「そういえばシルキーって、どっかの国の幽霊だっけ……」
「イ、イギリスの幽霊、でもホントは絹のつもりでつけたんだと、お、おもう」
チャカのうんざりとした声に、げっそりと力ない声で答えるナイトウ。
悲痛なあの泣き声は心を折る。
ヒゲダルマやタイタンは何かとシルキーに話しかけていたが、シルキーはもう何の反応も返さない。もう、ただじっと、シルキーは泣きはらした目で進んできた道を見ているだけだ。
「明日には……出れるよね」
「うんだ、明日にゃ出れる。この辺り記憶にあるからな。出れるべ」
チャカも、ナイトウも、この辺りの風景に見覚えがある。
この場に居る殆どの者が、見覚えがあるのだ。特徴といった特徴の無い『絶望の迷宮』でも、各箇所、それなりに特徴のある風景はある。それが目印となっているのだ。
それが大体の目安になっているのだ。多分、明日には出れるという、希望の。