表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
野郎達の英雄譚  作者: 銀玉鈴音
第六章 混沌の大地
88/105

第四話 オジジとべルウッド

「お前らさぁ、ありがとうよ……」

 ずたぼろの男達が、エンペンを目指す。肩を貸し合い、よたよたと進む。全身ひどい傷だらけの、双剣を背負った戦士が、苦笑いをしながら言った。食いちぎられたような足の傷は紫に腫れ上がり、膿と血がじくじくとにじむ。


「後一寸だ。死ぬなよ、絶対に死ぬんじゃねぇぞ、折角逃げ切れたのに、絶対に死ぬんじゃねぇぞ。お前が突っ込んだから突破口開けたんだからな!」

 魔槍を杖代わりに歩く男の、腕の傷は刀傷。乱雑に縛られて止血をされている。酷く凹んだ鎧は、名の有る魔法の品であったに違いない。弓は弦が切れ、盾は割れていた。


「へへ……いや、もうだめっぽいわ」

「もう少しだ、後少しで、エンペンだろ、頑張ろうぜ!」

「おぅい、街が見えたよ」

 先に進んでいた最後の一人の傷も、軽くは無い。添え木を当てた腕を動かさぬように、逆側の手を振りながら戻ってきた。

 彼らは生き残りである。邪神に襲撃されたサイハテから脱出した、ソロの三人である。


「おう、そういえば、あの廃人達、どうなったんだろうな」

「さぁ……わっかんねーや。糞、もうだめだ……」

「僕らも逃げたんだ。多分、逃げてるよきっと」

 彼らは三人で死に物狂いで逃げて、ようやく生き延びれたのだ。

 もし、留まっていたなら――恐らく、死んでいるだろう。きっと、あのベルウッドだろうと。

「日が落ちる前までには着ける。着いたら。誰でもいいから、逃げろって伝えなきゃダメだよ。あんな馬鹿げたMOBの群れが来るとか、どう考えてもありえない。下手な襲撃イベントの時なんか目じゃないぐらいの勢いだった。だから、頑張って伝えなきゃダメだ。死ぬなよ」 

「ああ……そうだな」

 街が――見える。





「目が醒めた?」


 かすれた声と共に、冷たく濡れたものがオジジの額に当てられた。ひやりとして、心地が良かった。呆けた脳で考える事暫し。

「……俺っち、生きてる?」

「丸っと一日眠ってたよ、お爺ちゃん」

 水差しから、ちょろちょろとオジジの渇いた口に流し込まれる、生温い水。渇いて下あごにへばり付いた舌が、溶かされる。一口一口注がれる毎に、スイッチを入れた様に気力が戻って来る。膝の関節は相変わらず酷く痛むが、何より生きている実感が湧く。気がつくとオジジは水差しを奪い、ごくごくと飲んだ。


 これほど旨い水は"絶望の迷宮"の時以来か、それ以上に旨かった。


 水差しをオジジに奪われたのは、かっての(・・・・)オジジと同年代の若い女だ。ぱさぱさに乾いた髪と、目の隈が酷く疲れた様子を見たものに端的に伝える。

 彼女はあきれたように肩すくめながら、オジジの寝ているぼろ布を見た。

「お連れさんに感謝しなさいよね。お爺ちゃん。きっと、あの人が居なきゃ、旅も出来ないでしょ。幾ら実りの秋だからって、厳しい冬じゃないからって、お爺ちゃんの足でエンペンまで歩きで来るのは辛かったでしょ。でもね、ここももうおしまいかも。十字が壊れて、中から化け物が出てきて――」

 ぐちぐちと愚痴っぽく続く言葉に、オジジは何個か聞き逃せない事もあったが、それ以上に気に掛かるのは。


「……俺っちに、連れなんて居ないぜ?」

 オジジの目に入るのは、邪神領で時々見る、木に巻きついた木と、羊歯の葉と、常夏の空。体を起こすと床で寝た時特有の背筋の痛み。オジジは追われていたが、連れなどいない。もしも追いつかれていたならば、こうして再び水を飲むことすら出来ないだろう。

「何言ってるの。倒れたあなたをここに引っ張ってきたのは――」


「オジジ、よかった。起きてくれたか」

 日の光に照らされると、ぎらぎらと照り返して眩しい修道者が、天秤棒を前後に担いでこちらに歩いてきた。豪華な見かけと、しみったれた天秤棒に引っ掛けた水桶二つは、余りにも不釣合いで、間が抜けている。


「ありがとね。兎に角男手が足りなくて……」

 たっぷりと汲まれた水は、とぷんとぷんと音を立てる。

「気にする事は無い。ジェシカ嬢。俺が出来る事などたかが知れている。それに、一宿一飯の恩義はこの程度では返せまい」

 ボケが回りきって、自分がどうにかなったのでは無いか、とオジジは目を擦った。目を擦りなおして、もう一度その男を見る。何も変わらない。


「それ以上に、俺一人ではどうして良いか判らなかった。あなたが助けてくれなければ、俺達はどうなっていたか判らない。感謝している。さぁ、次にやることを指示してくれ」

「じゃあ、そうね、次は――薪拾いをお願いしちゃおうかしら」

 この短いやり取りを呆然と、オジジは見ていた。


 ベルウッドは他人に指示を仰がない。意見を聞く事はあっても、他人に作業を投げることはあっても、判断の主体はあくまで彼自身。彼特有の、傲岸不遜とも言える雰囲気はこうして形成されていた。少なくともオジジの経験ではそうだった。それがさっぱりと、憑き物が落ちたかのように消失している。


「おう、ベル……、待ってくれ、怒ってないのか?」

「何を言っているんだ、オジジ。俺が怒る理由は何かあるのか?」

「……いや、ああ、俺っち」

「変な奴だな。薪を拾ってくるから、もう行くぞ」

 呼び止めたオジジに、首を傾げ、べルウッドは怪訝な表情を見せる。ますますオジジの疑念は深まる。

 ベルウッドは狂ったのではないか。確かに、二日間の飲まず食わずの追跡行は、幾ら"英雄"でも辛く苦しい。オジジもその為にぶっ倒れたのである。そのついでに頭の配線も少々おかしくなってしまったのでは無いか。

 幾らでも疑念は湧く。もしかしたら自分をはめ込む為に、偽装しているのではないか? 怒り狂ったベルウッドのやることだ。一旦油断させて、最後に叩き落すという事もありえない話では無い。

 いや、でも、もしかしたら――

 考えれば考えるほど、理解が追いつかないのも事実。


「……一体、どういう事だってばよ」

「一体どういう事だって、って、あなた達が来る、ほんの三日前の話よ。いきなり"十字"がポキっと壊れて、訳のわからない見たことの無い魔物が現れて、街はめちゃくちゃよ」

 もちろん、あたしも魔物なんて直接見たのは初めてだけどね、と、ベルウッドにジェシカと呼ばれた女は小さく付け加えた。

「幸い、街の外には出てこないけれども……もう、めっちゃくちゃよ。店も、父も、母も……」

 あの化け物にね、と街を見ながら。


「化け物が出たってーのかい。折れた"十字"から」

「そうよ、信じらんないけれど、折れた"十字"からどばーっと、ね」

「……そうかい、どばーっと、かい」

「そう、どばーっと。だから、エンペンももう、おしまいよね。神様のご加護が無くなったら、どうにもならないもの…………いっそ、街から出てきてみんな食い殺してくれないかしら。それなら諦めも付くのに。それか、森の魔物がどばーっと押し寄せてくるのもいいわね、ホント。真綿で首を絞められてるみたい」

 淡々と語るジェシカの瞳は、うっすらと半眼に閉じられる。淡々と語る諦めの言葉に、オジジは眉を顰めた。背中に氷水を流し込まれた様だった。


 ここ、エンペンの街の"十字"はオジジが壊した訳では無い。だが、苦虫を噛み潰したような顔にオジジがなるのも、仕方がない事であった。確かに"十字"を壊せば、この世界が混乱するのは判っていた。何せ、宗教の象徴で、街を守っている――という事ぐらいは一ヶ月の間に嫌でも判る。だが、壊したら――実際にぶち壊したら、どうなるか。判っては居なかったのか?

「俺っち、聞いてないけどよぉ」

 魔物が出るとは聞いていない。人が死ぬとは聞いていない。でも、どこかでうすうす予感していなかったか。だいたい、人食いの化け物が普通に出てくる世界だ。そんな世界で"護り"を失えば、どうなるか。

 オジジが、オジジ自身に判っていないとは言わせない。

 甘い。こんな事は、これからどこでも起きる事だろう、と冷静な部分がオジジに告げる。お主は裏切った後だ。どうして取り返しの付かない事をグチグチと悩む。そういう言葉が、内なる心から聞こえる。彼らは世界をぶっ壊すと言っていた。それに乗ったお前も、十分判って決めた事だろう。


「薪を持ってきたぞ。次の仕事をくれ」

「じゃあベルウッドさん、次は――」

 呆けっと口を半分開いたオジジの横で、何となく生きているジェシカと、既に裏切った後のベルウッドが会話をしている。半分もオジジの耳に入ってはこない。


「やっぱり、俺っち、甘ちゃんかなぁ」

 立ち上がりながら、オジジは普段使っていた杖を今更無くした事に気がついた。愛用の杖だったが、仕方がない。無いなら無いなりに、やるしかないのである。

 予備なら、有る。オジジは蛇を模した稲妻の杖、"雨を呼ぶヌアルピリ"を取り出し地面に付く。付かないと立ち上がれない。本調子でもなんでもない。起きたばかりで体調は悪い。膝も痛い。全身からぽきぽきと骨がなる嫌な音がする。だが、ぐっと伸びをしながら、オジジは街へ向かって歩き出した。

 なんでもっと相談をしなかったのか。今更悔やんでも悔やみきれない。


「ベル、後で俺っち、全部話すわ。だから、今は手伝ってくれないか」

 オジジのしたことは確かに"裏切り"である。だが、今回のことの全部が全部、私利私欲とはオジジは思わない。オジジ以外にも、悩んでいる面子は居た。ベルウッドの方針に異を唱えれる立場にいながら、何も口出ししなかった、出来なかった事が、オジジの一番の失態である。


「構わんが……俺は何を手伝えばいいんだ」

「俺っちと一緒に、あの街のMOB(化け物)を倒そう。……困ってる人を助けるのは当然じゃねーか」

 取り返しの付かない間違いも有る。でも、取り返せる失点も有るのでは無いか。今のべルウッド相手なら、きっと判って貰えるだろう。今日のべルウッドは、何故だか妙に話しやすい。


「判った」

 頷くと同時に、べルウッドは駆け出す。オジジもムゥンと丹田に力を入れる。浮く。飛ぶ。

「掛けろ!」

 気合と共に、空を走りだす――


 それからの事は、特に語る必要もない程度に楽な作業。

 何故か街の外に出てこない、同じ場所をぐるぐると回る失敗作のようなMOB達を、ベルウッドは叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて叩いて、オジジは"スキル"を使って一掃した。まるで、調整を忘れられたかのような敵《MOB》が相手。苦戦と言うほどの苦戦も無い。数だけは湧いていたので、その辺りは面倒臭い。しかし、後ろを取られた時に、避けて転んだついでに擦り傷を負った程度。

 その程度だ。

 随分と楽な相手であった。いや、確かに二人だけで相手をするのには少々数が多かったが、普段以上にべルウッドが駆け回り、敵をひきつけ、潰して回った。

 今までならば、支援をどちらかと言うと優先させるベルウッドであったが、前衛に徹することを選択してくれた為、オジジにとってはやりやすかった。一切支援が飛んでこない事に、軽い違和感を覚えながらも、支援が必要と言うほどでもない。少なくとも、オジジにとっては、大した相手ではない。


「……こいつで、最後の一匹ってな」

 振り下ろした杖と敵の間を、<雷>が耳をつんざくような音を立てながら結びつける。たんぱく質が焼ける臭いとオゾンがまぜこぜになった臭いが放出された。鼻がひん曲がるような中、まだ痙攣をしている敵にベルウッドは向かい、トドメに+15<打ち砕く物>を振り下ろす。


 日が落ちる前に、全部片付いた。オジジの脳内レーダーに、目立つ感は無い。


「次にやることはなんだ、オジジ」

「おう……まぁ、一休みしようや、俺っち、息が切れてたまんねぇ……」

 べたりとオジジが地べたに座り込むと、冷たい地面が心地よい。見れば、べルウッドも座り込んでいた。ぬるい風が吹くと、腐れた血の臭いがぷうんと漂った。肉の腐った臭いだ。大動物の沢山死んだ臭いだ。たった今打ち殺した"敵"達が屠った、人間の臭いだった。

 お主が奴らに手を貸した事で、結果的に――どれだけ、世界を壊した?

 脳裏に浮かんだそいつに向かい、オジジは何もいう事ができない。





「お爺ちゃん、凄い魔法使いだったんだ……」

 気がつけば、エンペンの街の住人達が、ジェシカが、二人を取り囲んでいた。ざわめきが二人を取り囲む。しきりに二人を褒めそやし、讃える。凄い事をやったと。"英雄"だと。その一言一言でオジジの胃がチクチクと痛む。


「ふむ。俺は"英雄"か?」

「ああ、ベル、お前"は"英雄さね、まちげーねぇわ……」

 オジジは違う。そういうのは、隣の奴に言って欲しい。今までも、これからも、オジジは微妙な脇役だ。仲間を裏切って、その上ヘタれた、悪にも英雄にもなりきれない、ひどく半端なシロモノだ。


「俺が"英雄"なら、次に何をするべきだ?」

「何をって、そりゃ、……おめー、ベル、アレだ」

「それに、先ほどから気になっていたが、俺の名前はベルウッドなのか、ベルなのか、どちらかはっきりとしてくれ。気になってたまらない」

 べルウッドは首を傾げながら、オジジの顔を見る。表情が無い。元々表情に乏しい男ではあったが、これほど無表情と言う言葉が似合う男でもなかったはずである。


「俺は"英雄"である事は判った。だが、名前が判らん。ベルウッドとお前は俺を呼んだ。だが、今はベルと呼ぶ。どういうことだ」

「何言ってんだ?」

「どうすればいい。戦闘が始まる前に、お前はこういった『終わったら全部話す』と。俺に全部教えてくれ、オジジ」

「おいおい、冗談はやめてくれよ、俺っちじゃどうにもならねぇぞ……」

 どうしてこうなった。何が悪かった。話そうと思った時に既に、話す相手が受け取れなくなっていた時はどうすればいい。


「オジジ、さぁ、俺に教えてくれ。どうすればいい」

 周囲の喧騒をよそに、気まずい沈黙が二人の間に漂った。

 そこに三人、駆け寄ってくる男達。オジジは彼らに見覚えがあった。ほんの三日前、彼が見捨てたソロの面子だ。


「おい、おいおいおい、生きてたのか、良かったなぁ!」

「やっぱりな、他は兎も角、あんたは生きてると思ってたぜ……俺はもうだめだ。ヒールをくれ……」

「ベルウッドさん、"邪神"の軍勢から逃げ切ったんだ、流石だね。でも、どうするんだいこの数じゃ太刀打ちできないよ。人を集めなきゃ無利だよ」

 傷だらけの野郎どもが、口々にわめきたてる。べルウッドはヒールをくれと言った双剣の男に向かい、暫く腕を組み観察した後に聞いた。


「それは"英雄"の行動か?」

「そりゃ、傷ついてるんだから当然だろ……くれよ、ヒール」

「判った。<ヒール(癒しの光)>」

 何かが違う――オジジには、そう思えたが、与える効果は同一な"スキル"が発動する。その場に居た三名共に、べルウッドは癒しの力を与え、満足したかのように頷いた。

 一息ついた後、彼らのリーダー格の腕を三角巾で釣った男は周囲の一般人にも聞こえるように、大声で言った。


「君達さえ生きてりゃ、多分。何とか盛り返せる。一旦、本拠に戻ってギルメンに伝えてくれないか、僕達は他の奴らに伝えてくる。ヤバイ事態だって――邪神の軍勢が、攻めて来るってな。サイハテは――滅んだって、な」

 今までの、歓喜のざわめきが一気にどよめきに変わる。

 "邪神"が来るぞとは、この世の人々ならば冗談でも言わないことだ。不吉に過ぎるからだ。特に、邪神領に住む人々は、日々魔物に脅かされている。だから当然、そんな事を言った彼らには町民達が群がり、詰めより、問いただす。

 それは真実かどうか。いや、そんな事は彼らの姿を見れば、街を占拠した魔物達を瞬く間に殲滅したその実力を見れば、先ほどまでの怪我を瞬時に治す、凶悪な魔力を見れば、信じるには十分に値する。


 恐慌が起きた。命が惜しい者達は、我先と街の外へと駆け出していく。


「――ふむ。クオンに戻れ、か」

 べルウッドは暫く無表情に、その言葉を繰り返した後、オジジに問いかけた。


「次にやることはそれでいいのか?」

「……あ、ああ。俺っちもそれで、いいと思う」





 騒然とする街で、オジジは呆然と頷くのであった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ