第十一話 異変 (2)
加速。
造波抵抗を破り加速。
ベイパーコーンを作りながら加速。
線形に伸びてゆくナイトウの速度。更に加速、皮膚表面が圧搾された大気によって加熱。大地と口付けをする事になるまでの時間は刹那。ひどく短いが、予め予定されている行動を取るには、十分。蓄えられた位置エネルギーと運動エネルギーは、致命的なまでの単純暴力。
音の速度を超え、突き進むナイトウに最後の一押し。
――<飛行>。
ナイトウは大地に激突する直前に、速度を維持したまま枉がった。
「なっ!?」
音を超えた世界で、アンパイの唇の動きが見えたかどうか。視界に入ったナイトウに、反射的にアンパイは目をつむった。
一瞬遅れて届く衝撃と轟音。鼓膜がはじけ、脳がシェイクされる振動。弾き飛ばされ、ごろごろと転がる。耳から血を噴出させながら、アンパイの意識が刈り取られた。激突せずとも、脇を駆け抜けるだけでコレだ。
脇を一気に駆け抜けたナイトウは、弾丸の速度を維持したまま、屋根の上に立つチュイオの方へ向け、突貫。後に空へ抜ける――一撃離脱の予定であった。
自らを松明と化したナイトウが、捻り上げる様にチュイオに迫る。
音速の焔の前に、チュイオも<氷の嵐>を練り上げる。が――駄目だ。時間が足りない、発生するまでの時間が足りない。世界に通した魂力が、世界を塗り替える奇跡を生み出すまでの時間が、圧倒的に足りない。目の前に置いた氷の嵐は、必殺の威力を見せ付ける前に雲散霧消することであろう。死ねば維持など出来ないのだ。
燃えさかる火の玉が、露出したチュイオの肌を瞬時に焼く、もう駄目だと思った瞬間。
――世界が震れた。魂の鎖が強引に引かれた。
「の、のわーー!?」
次元が揺れた。理屈が揺れた。存在が揺れた。捻り上げる勢いのロケットと化したナイトウが、ドップラー効果を残しながら制御を失い、嵐の勢いを加味しながらきりもみで空へと旅立つ。
明後日の空へ、ナイトウは投げ出された。
チュイオが猛烈な勢いで吹き荒れる嵐と、ロケット雲を見送る。顔面を焼かれた痛みは耐え難いが、今はそのような事を言っている場合でもない。とにかく、逃げなければ。
「アンパイ、この、馬鹿野郎! とっとと起きろ! 逃げるぞ!」
「お、ああ……うん」
何かがヤバい。今まで何個も折って《・・・》来たが、これほどまでの"震"えは初めてだ。頭を振りながら立ち上がるアンパイに、肩を貸すチュイオ。
「この揺れは、この気配は一体何だ。話に聞いてないぞ……馬鹿が」
「……僕に聞かれても、なぁ。案外、ゼロにハメられたかも知らんね、ヘヘ」
ぞっとする寒気を、全身に感じながら。二人はひょこひょこと戦場を後にする。
胸に短剣を差し込まれびくびくと痙攣を繰り返し、ぐしゃりと崩れ落ちる白い化け物。チャカが、シゴの心臓を刺し貫くと同時に、"震"は起きた。
「じ、地震!?」
「……地震じゃない……ッス」
狼狽するチャカと、うめくヒゲダルマ。ぐにゃりと歪む世界。歪曲。胸が痛む。心臓が痛む。縛りが緩む。ジャリジャリと鎖が緩む。
「何コレぇ!?」
問われた所で、ヒゲダルマだってわかりゃしない。不測の事態に、耐える。
「ふぐぉぉぉ」「おぉおおおおッス」
ひとしきり、二人は苦痛の声を上げる。大体、ヒゲダルマは神ではないのだから、全くもって、判らなくても仕方が無いのである。あの時以来、"女神"はヒゲにコンタクトを取ろうとはしてこなかった。
だが、これまでの経験と、かっての知識、あわせて推測するに当たって――
「じゅ、十字関連……っすか!?」
似ている。魂をスポーンと引っこ抜かれる様な感覚。フェネクの首都。升、十字、神気に似た別の何か。背中を蟲が這いずり回る悪寒。
よろよろと病気の犬の様に歩き、かって扉があった箇所から、ヒゲダルマは外へ。十字の方角を見て、あっけに取られた。
「な、何アレェ!?」
ふらふらと外へ出た、ヒゲダルマを追って来た小娘が、また悲鳴を上げた。
異形だ。
巨大な、六対の腕。都合十二本の蟹の様な、巨大な腕がそそり立っていた。ぬめる鉄色の肌は金属質。頭蓋も足も、胴体も何も無く、都合十二本の腕だけが接合された異形。
敵だ。
ネの国から流れ込むような、冷たい、生の憎悪。データの奥底に封じられて、形を持たなかったはずの悪意。
都合十秒。
ヒゲダルマの混沌とした脳内で、ある推測が導き出された。
――予算不足で打ち切られたアップデートの続きが、動き出している?
"邪神の欠片達"。分割して封じられている邪神の欠片を倒して、弱体化した邪神を封印するというストーリーラインの原案が、かって、あった。
採算が取れなくなった状態となってからの話で、サーバー上に組み込まれる事は、無かったはずである。そんな、廃物利用の、六対の腕、四本の足、滑る胴体、巨大な顔、各地に眠る悪夢の武器達――おどろおどろしくモデリングされたクリーチャー群は、"邪神"としてくみ上げられ、最後のイベントに流用した事までは、記憶にある。
それが、絶望の迷宮の"邪神"だ。
(で、ウチの視界に存在する、あの異形は一体なんッスか?)
記憶の引き出しを開けながら、ヒゲダルマは困惑する。アレも、八木なのだろうかと。
悩みだしたヒゲダルマを置いて、チャカは駆けだした。
多分、あんなものを見たら、絶対に馬鹿をやらかす馬鹿がいるのだから、と。
二人の背後で、かた、と小さな物音。
鼠に蝿に、油虫。小さなごみ蟲達すら、全霊で街から逃げ出す最中に、男二人。戦慄する気配の中心部で、ぐじぐじと緑色の煙を肩から上げる金髪と、油断なく両手持ちの大刀を構える隻眼。
「お前が盾で、俺は剣だ。一撃目は任せた」
「応。一撃は必ず止める。二撃目からは判らん」
多く語る必要はなかった。剣と剣で語り合った彼らは。
「後は流れに乗せろ。お前の方が上手だろう」
「よく言う」
流れるように前に出る金髪。距離を少し取る隻眼。片方はどっしりと盾を構え、かたや大上段に刀を構えた様は。
――まるで、熟達した相棒同士の様ですらあった。
お互い相容れぬ思想、相容れぬ性癖、相容れぬ目的の、同じ天を頂く事は相容れぬ、不倶戴天の敵同士である。そこは変わらない。根っこの部分は変わらない。
だが、三度剣を交えた。
一度は勝った。一度は負けた。一度は相打ちだ。何をどうするか、何をどうしたいか、重心の揺らぎで挙動を見切るほどの練達の猛者達なら、それだけで判り合う事もあるのだろう。
戦場においては、彼らはお互いの、最大の理解者であった。
「来るぞ」
「来るな」
大地の揺れは留まるところを知らず、心臓の鼓動のように脈打つ。
石畳で舗装された、元十字広場の路石が、内に向かって崩れ落ち始めた。
金髪が――タイタンが、二歩下がった。確実に受け止める為に。隻眼が――ムショが、三歩下がった。一歩分は、踏み切る為に。
大穴が開き、地下下水道が露に。下水に流れる清流が、地上の礫と混じり、濁りながら。更に割れた地層に飲み干されて行った。
大地の鼓動が、止まった。魔の者が放つ、瘴気の香りが、むわりと充満する。
「RIIEEEEEE!! EEEEEAAAAAAAAA!!」
タイタンが吼えた。<咆哮>。一度では足らぬと思ったか、二度、<咆哮>。吼え声が指向性を持った、高周波と化す。耳を持たぬ化け物どもでも、この音に当てられると発狂したように、狂う。狂えば、当然狂わせた当人を狙う。ずんと盾を大地に刺し構え、相手の必殺の一撃を食い止める準備。
割れた大地が、産道に。産まれる赤子は大地の忌み子。脳なし、足なし、腸もなし。ただ、腕のみが過剰にあった。十二本の鉄の腕は、まるで蟹か、はたまた海老か。
いや、蟹だろう。鋏も、飛び出た目玉も、真っ赤な甲殻も持っていないが、タイタンには蟹に見えた。
下半分の三対の腕を足にして、絶壁と化したバイカ中央を、地の底からわっしゃわっしゃと小器用に上る。鉄の肌を持った腕が、金繊維の筋肉を盛上げながら、白金の爪を絶壁に突き立てる。
各所に開いた気門が、ぶしうぶしうと水銀の鉱毒を漏らす。
「でけぇ……」
巨人と、小人。正確には、巨大な腕と、小人であった。
その全貌が見えた時には既に、三対の腕が大きく振りかぶられていた。組み合わされた拳による垂直殴打が、三つ。遠くから見たら、非常にゆっくりと見える動きであった。
それは、錯覚。あまりの巨体が見せる錯覚だ。
押しつぶすような勢いの鉄槌。拳一つだけでタイタンの身長がまかなえるほどの、巨大さ。それが組み合わさり、実にタイタンの体積の十八倍ほどの体積。更に三倍の五十四倍。
質量で比べたら、馬鹿馬鹿しくなる差が、立て続けに振り下ろされた。
蜘蛛の巣状に、すり鉢上に、タイタンが居た場所が割れる。衝撃だけで、周りの街並みを吹き飛ばす。
が、金髪の男には傷一つない。
その場に立ち続ける能力。死守する能力。真正面から受け止める力。それに特化した、"盾"。ほぼ同着に振り下ろされる三組の拳を、盾一つを持って<不動>。
初手、全ての致命打を受け止める、"英雄"と"化け物"ならではの、人外同士の決戦の火蓋に相応しい動かずの構えであった。
"剣"も、確かに強い。だが、この芸当だけは――"盾"にしか出来ぬ。
そして、ここから先は、"剣"の領域。
ムショが、雄叫びを上げながら"化け物"の腕を駆け上がる――
悪夢のような光景は、更なる悪夢で上書きをされる。
悪夢を見たものの反応は、様々である。
街のあちらこちらで続く戦闘も、略奪も、巨大な腕が見えた時、止まった。
馬にまたがった大車騎士が、槍衾を組んだ帝国兵に突貫をかける寸前で、あまりの恐怖に落馬した。抗する帝国兵も、槍を取り落とした。膝が笑い、腰が砕けた。そんな光景もあった。
おぞましい化け物相手に、抗する二人の男を見たもの達も居た。
機械弓を持ち、がむしゃらに"手"に向かい、矢を射掛けようとした守備兵もいた。街を蹂躙しようとした、車輪祭壇は、十字広場に向かい始めた。指揮する帝国魔道兵達は、恐慌にとらわれながらも、真に対する"敵"を見つけた。
壊れかけた城壁の、設置式の機械弓に向かう兵が居た。外に向けられたソレを、十字広場へ向ける。
狂乱に陥りかけた市民を、帝国兵が保護する。バイカ守護兵が、直前まで剣鍔競り合わせていた帝国兵と向き合い、目を見る。駆ける。広場へ向かう。
人類の"天敵"は"邪神"である。
敵の敵は味方で、これは、人である。
"天敵"の出現は、皮肉にも、人の争いを収めていた。
城から見ても、激闘。十二本の腕と、二人のちっぽけな男の姿が見えた。
「ああ、やっぱり」
どこか諦めたような口調で、トワが言った。
バイカの空が、"かけら"の顕現で泡立つ。此の世の理が書き換えられる。
「百合騎士達には、待機を命じておきなさい。被害は絶対に避けるように」
「姫様、それは流石に……騎士として問題があるって話」
「どこの口が言うのですか。アレを見て、まともに歩けてない癖に」
笑う膝と、震える体。ぎゅうっと己の体を抱きしめるサーサを見て、トワは哂った。
「アレが調伏できるにしろ、なんにしろ、事後の備えは必要ですから」
トワの取ってつけたような言い訳が、サーサら百合騎士達にとっては救いとなった――恐らくは、である。
「己の領分を越えた事をしようとする者たちの末路は、判っているでしょうに」
――愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶと言う。
今、この状態の百合騎士団を"蟹"に向かわせれば、皆、英霊となってしまうだろう。
トワは自ら死を選ぶほど無謀でも無い、そして、自らの部下を死地に行かせるほど非情でもない。
誰が、『死ね』と命じる事ができようか? いや、いつかは言わねばならぬ時もあるだろうが――
大気が帯電し、雷が走った。破裂音がトワの横で響いた。がらがらと石造りの頑丈な壁が、一部崩れた。
強大な魔物が出るときは、世界が抵抗をする。異物に対しての抵抗だ。
ちっぽけな人間は、それだけで巻き込まれてしまうものだ。
「さぁ、避難しましょう。私達の出番はアレが居なくなってからです」
歴史の上で、"邪神"との戦闘で、多くの犠牲が出ているのは紛れもない事実である。
街一つ根こそぎ消滅した例もある。
「……ああ、門は開けておきなさい。気の利く者なら、勝手に非難してくるでしょう。一番頑丈な建物なのだから」
こんな状況では、どこにいようが、安全な場所などは無い。
――が、まぁ、城の中なら、気休め程度にはなる。
大空。鳥が支配する領域を超え、雲の領域、焔と化した体が凍てつくほどの、高空。
果てしなく深い闇の中、自らの迷いによる失態を、ナイトウは恥じた。
「ば、ばっかでぇ、俺……」
激情を抑え切れなかった。顔が真っ赤であった。それこそ、戦闘を選ばなければ、己が犠牲を厭わなければ、もう一人か二人は救えたのでないか? いや、それでは仲間の世話になってしまう。もし、無駄に怪我を負ったりでもしたら――
無邪気に笑う、ナイトウの仲間が見えた。
(そ、そいつが消えるのは、ちょっと、いやだなぁ)
ぶるりと寒さに震えた。本当に寒かったのか、それとも、もっと別の事に寒気を感じたのかはナイトウには判らなかった。
迷いを恥じながら、迷いを振り払う、上手い解決策などは見当たらない。
馬鹿だから仕方が無い。そんな言い訳も、ナイトウ自身を騙し切れない。言葉に出来ないほどの悔しさであった。
解決策が見当たらない苦しさ。どうしてもナイトウの手の合間から、抜け落ちる。
――全てを救うのは、無理なのか?
ナイトウが地面を見た。無駄に悩んでいる間に、更に恐ろしい事態が進行していた。
悔やむ。
「こ、ここでも後悔をするのか、オレは!?」
亡霊の速度でも、まだ足りないのかと。天空から駆け堕ちながら、ナイトウは叫んだ。
「こんちくしょう、ちくしょうが! オレが馬鹿なのが悪いのか!」
ナイトウは勘違いを犯している。どうしようもなく愚か故に、勘違いを犯している。
そんな事は、神ですらできるわけが無い。
できるわけが無い事を、願っている。
しかし。
それでも。
願う事は、間違いなのだろうか。